ろくでもない出来事の後始末は、昼休み突然に2

文字数 5,987文字

 大堂(だいどう)恵礼那(えれな)は、高等部部長(校長)とウイングボール部顧問を兼務する醍醐(だいご)聡子(さとこ)の執務室の分厚く重いドアをノックすると、すぐに入室を許す声が聞こえた。
 恵礼那がドアを開けると、書類がうずたかく積み上げられた聡子の執務机の前に置かれた応接セットのソファには、既に美羽(みわ)真希(まき)遙流香(はるか)が座っている。
 美羽は借りてきた猫のように緊張していたが、真希と遙流香は一般の学校では、校長室に相当する部長の執務室であっても、気を(つか)っているようには感じられない。
「恵礼那さんも座ってください」
 五十六歳という年齢の割には、四十代前半にしか見えず、わずかにパーマをかけ、品のいいツーピースを着こなした醍醐が落ち着き払い、執務机に向かったまま言った。
 興奮していた恵礼那ははっと我に返り、言われるままソファに腰をおろした。
 恵礼那は、美羽の横顔を見ると、『黄金の女王』その人が目の前にいることが、不思議に思えた。
 美羽は険のある恵礼那の視線に気づき、慌てて黙礼した。
 真希は、遙流香と中等部で同じクラスになったこともあり、恵礼那とも面識があったから、穏やかな目線を向けただけだった。
 恵礼那は腰を浮かせ、
「聡子先生!」
 なぜ美羽をウイングボール部へ入部させないのか、醍醐に問おうとした。
 高等部の責任者である醍醐を生徒たちが呼ぶときは、醍醐部長や醍醐先生とは言わず、聡子先生と声をかけるのが慣習になっている。
 醍醐はさっと右手を上げ、恵礼那の発言を制すると、執務机の上にあるノート型パソコンのディスプレイに繰り返し表示されている『黄金の女王の帰還』を、傍らの五十六型の液晶モニターにも映し出した。
 醍醐は真希を見ると、
「まず、園田さん、これは何ですか?」
「美羽……いえ、穂積さんが人命救助をおこなったときの動画です。わたし、他人のプライバシーを公開するのが趣味なんです。消しますか?」
 真希が屈託なく答えると、醍醐は眉一つ動かさずに、
「その必要はありません。もはや、削除したぐらいでは手遅れなほど、全世界に情報は流れています。我が校にこれほど優秀な生徒が在籍していることを内外へ知らせるのに、素晴らしい成果を上げています」
「冗談じゃありません! こんな盗撮!」
 美羽が声を上げると、遙流香が美羽の肩に手を置き、
「まあまあ、ここは部長室だから。私語は、ね?」
 美羽の発言をさえぎった。
 美羽は、貴重な意思表示の機会を奪われ、どうしたものかと頭を抱えたくなったそのとき、醍醐が液晶モニターに目を向けたまま、
「それにしても、穂積さんの能力は凄まじいの一語に尽きますね。以前は、穂高から白馬まで、ここ数年は鎌倉から江の島まで、夜な夜な飛び回っている鳥人の女の子がいる、という噂を調べさせた甲斐がありました」
 ふと、美羽に優しく言った。
 恵礼那と遙流香は以前に父が言った、聡子先生の肝いり奨学生という言葉に納得した。
「聡子先生は、えっと、この子を――」
恵礼那は美羽を指さし、語気荒く言いかけたとき、美羽の名が解らず、口ごもった。
 美羽は、恵礼那と遙流香に自己紹介がまだであったことに気づき、
「穂積美羽です、よろしくお願いします。長野県松本市生まれで、鎌倉の児童福祉施設を経て、四月から東和麗華学園高等部に入学しました」
「聡子先生がなぜ、あなたを入学させたか解ってる?」
 恵礼那が厳しく美羽に(ただ)しかけた。美羽は、聡子が自分をお嬢さま学校に入学させた理由など考えたこともなく、きょとんとしたとき、聡子の執務机の上にある電話機が鳴った。
 聡子が受話器を取ると、交換からだったようで、
「はい、解りました。繋いでください」
 応えるなり、電話機を手ぶらモードに切り替え、通話を四人に筒抜けにした。
「あー、どうも醍醐先生。港区の信濃(しなの)です」
 妙になれなれしい男の声が聞こえた。
「あら、信濃先生。お父さまはお元気?」
 醍醐が台詞(せりふ)を棒読みにするがごとく言うと、
「はい、おかげさまで。東京都議を引退してからは、植木と孫を生きがいにした好々爺(こうこうや)ですよ」
「それで、今日はどういうご用?」
 醍醐が面倒くさそうに言うと、信濃は、
「はい、実は御校に一人、転校をさせていただきたい生徒がおりまして。成績も人物も全く問題ないし、全日新聞の記者の娘さんでしてね。受験で公立高校に進んだものの、どうにも水が合わない、と言い出しまして。名門の御校を強く希望しているんですよ」
 全日新聞の記者の娘、といっては家柄の良さを売り込み、東和麗華学園が名門とおだて上げ、うさんくさいにもほどがあった。
「残念ですが、当校は高校からの受験は行っておりません。中高六年間の一貫教育を旨としているからです」
 醍醐がバッサリと切り捨てると、信濃は、
「おやぁ~、今朝方、大活躍をしたウイングボール部の秘密兵器として入学させた『黄金の女王』も高等部からの中途入学と聞いていますよ」
「信濃先生が仲介の労を執っている全日新聞の記者のお嬢さんは、崩壊するビルの足場から初等部の生徒を救出できるほどの能力が?」
 公立高校に進んで一週間程度で退学を言い出す生徒を、東和麗華学園高等部が引き受けても、結果は知れていた。
 何より、美羽の来歴を外部の者が調べだし、醍醐の足下を見るばかりか、学校法人を値踏みするような物言いは、許せなかった。
「失礼、大事な会議中ですので」
 醍醐は、受話器をたたきつけて通話をきった。
 美羽は茫然として、
「ウイングボール部の秘密兵器?」
 醍醐が美羽を入学させた真意を確かめた。醍醐は、美羽が鳥人である自分自身を否定している理由は知っていて、じっくりとウイングボールに興味をもたせる心づもりだったが、まさか外部の者が美羽にすっぱ抜こうとは思わなかった。
 通話を手ぶらモードにしたのは、区議会、都議会が学校法人の利用を企てるのは日常茶飯事で、生徒たちには議員相手でもひるまない体験をさせたかったからで、まさか裏目にでるとは想像もしなかった。
 醍醐は、自分のうかつさに唇をかみしめたが、
「ほら、美羽。あんた、区議員さまに吠え面かかせたんだよ、大したもんだよ」
「どう、この機会にウイングボールやろうよ」
 真希は、遙流香と一緒になって(ほう)けた顔をした美羽の肩に手をかけた。
 恵礼那は、ウイングボール部に美羽を入部させれば、悲願の三回戦進出どころか、東京都代表も夢ではなく、
「穂積さん、ウイングボール部に入部しなさい。以前に何があったのかは知らないけれど、社会の役に立ちなさい。これは、命令です」
 星野への大恩に報いる絶好の機会に、ツバを飛ばして美羽に言った。



 新宿区富久町にあり、靖国通りに面した就学園高等部の職員室へ、(かけい)美雪(みゆき)は、担任の教師に呼び出されていた。
「お前、これ、どういうつもりだ?」
 美雪は、鳥人の生徒に着用を義務づけられたマントを脱ぎ、緋色のブレザーにプリーツスカートであったが、市松人形のようなロングのストレートは真っ白で、制服から出た手足も白い。
 美雪はアルビノだった。
 病的に肥満した四十半ばの担任教師が、美雪の前に突き出したのは進路希望調査票で、『自爆』と書かれている。美雪は(おく)するそぶりもなく、
「そこに書かれている通りです。わたし、死にたいんです」
「お前、よく自殺願望を口にしているが、どこまで本気なんだ?」
「どこまで? 全部ですけど」
 肥満の担任の問いかけに、美雪は血管が透け、赤く見える瞳を丸くし、不思議そうに言った。
「何で、そういうことばかり言っているんだ。お前は『白銀の姫君』の二つ名で、二度もウイングボール部を東京都代表にしているんだぞ。三度目の期待も大きい。誰だって、お前は生きがいをもって打ち込んでいると思っている。俺もだ」
「では、はっきりと聞きますけど、先生は今わたしを見てどう思っていますか?」
 美雪は、担任の目の前に両手を突き出し、白い翼をわずかに広げて見せた。
 明らかにアルビノという体質にひどいコンプレックスを抱いている。担任は、女子校の教師という立場上、言葉には十二分に気を配らなければならず、
「何とも思っていない」
「ほら、適当なことを。気持ち悪い、ってはっきり言えば楽になるのに」
 担任は職員室中から視線を向けられていることに気づいていたから、
「それ以上、お前がバカげた発言を繰り返すのなら、父兄に連絡し、しかるべき医療機関にいかさせなければならなくなるぞ」
 あくまで教員の立場で言うと、
「どうぞ、おとうさんにタレ込んで、精神病院にわたしをブチこんでください」
 美雪は、荒削りの言葉を並べ立て、無表情にこたえた。
 担任は、進路指導のベテラン教師と美雪の肩越しに目が合うと、
これぐらいもさばけないのか?
 という、声が聞こえた思いになり、
「とにかく書き直してこい」
 美雪に進路希望調査票を突っ返し、『黄金の女王の帰還』をダウンロードさせたタブレットを美雪に見せると、
「それからな、お前、今朝、何で六本木にいた。小学生を助けたことは、俺たちも評価しているが、欠席や遅刻が目立ちすぎる。少しは、気を引き締めろ。教室に戻っていい」
 巧みに締めくくると、職員室中の視線がすっと自分と問題児から離れたことを感じ、純白の翼を折りたたんだ美雪が去っていく姿に、ほっとした。



 京浜急行エアポート急行で羽田空港国内線ターミナル駅に着くと、美羽は激しい雑踏に押されるように改札口を出た。
 ここが何階なのかも解らない。
 偶然、前方に円形のカンターのインフォメーションがあり、展望デッキへの行き方を尋ねると、三本のエスカレーターを乗り継ぐのだと教えられた。
 言われるままに進むと、一面ガラス張りの展望デッキに出た。
 途中、既に日も暮れかけているというのに、キャリーを引き、早足で歩く旅行者の姿が途絶えることがなかった。
 手ぶらなのは、空港職員なのだろう。
 ガラス張りのフロアからは、白地に濃淡の青い線がくっきりと引かれた大型の全日空機がずらりと並んでいる。
 美羽自身が旅人になるるわけではない。
 鎌倉の児童福祉施設にいたとき、誰からだったか、空港を訪ね、離発着をする旅客機を見ては気晴らしをする、という話を思い出し、自分も足を運んだのだった。
手前の滑走路は、左方から着陸する旅客機が続く。
 向こうの滑走路は、右方から離陸する機影が絶えない。
 更にその向こうは、東京湾だった。
 先日、自分はウイングボール部の強化選手になるために転校を認められ、既に大きな期待が寄せられていることを知った。
 何の目的もなく、唯一の肉親に捨てられた孤児が、一躍、都心のお嬢さま学校に収まるわけはなく、当然と言えば当然だった。
 しかし、自分は、鳥人であったから世間の憂き目にさらされた。目立ちたくない、というどこか社会を恨んだ考え方の根源のようだった。このとき、
「あら、『黄金の女王』、光栄ね」
 美羽を二つ名で呼ぶ声がした。振り向くと、『白銀の姫君』こと、筧美雪が立っていた。
 双方、六本木で出会ったときのように制服姿だったが、美雪はフードを被っていない。美雪の顔を初めて生で見た美羽は、
「筧美雪さん、ですよね。きれいなお姿なのに、六本木ではどうして隠していたんですか?」
 醍醐や恵礼那、遙流香から全国ウイングボール連盟の機関誌『翼球』の最新号に、地方大会の開始に先立ち、昨年、一昨年と東京都の代表校になった就学園のキャプテンを務める美雪へのインタビュー記事を見せられていたから、美雪の顔は知っていた。
 美雪は、まさか美羽に『きれいなお姿』と賞されるとは思わず、
「あなた、面白い人ね。わたしのこと気持ち悪くないの? 真っ白の女なんて……」
先日、太った中年の担任に職員室に呼び出され、自分の手や翼を見せたとき、担任の目が複雑に波立った。
 社会の評価など、こんなものだろうと自嘲したばかりだったから、美羽が自分に熱っぽい瞳を向けるのは、意外だった。
 視線だけではなく、美羽は怒ったように、
「何でそんな言い方するんですか? わたし少しは調べたんです。アルビノのこと。ロシアでは、モデルをやっている人もいます」
「調べた? ますます変な人」
 美雪は楽しくなり、声をあげて笑った。
「あの、さっきから気になっているんですけど、筧さんからいい匂いがするのは、香り袋でももっていらっしゃるんですか?」
「え? そう……かな……」
 美雪は自分のマントの匂いを嗅いだが、解らない。
「ほら、お寺のお堂に入ると、いい匂いがするじゃないですか。あれです」
 美羽が言うと、美雪はうなずきながら、
「多分、伽羅(きゃら)のお線香の匂いが制服にしみついているんだと思う。毎朝、おかあさんの遺影に手を合わせるとき、お線香を焚いているから」
「伽羅っていうんですね。お線香って、ただ部屋の中で焚いてもいいんですか?」
 美羽が線香に興味をもつと、美雪は嬉しく、
「香料は呪術や降霊ための神仏具ではなくて、身を清めたり、気持ちを落ち着けるためのものだから、大歓迎だと思うな」
 黄金の翼と純白の翼をもった女子高生が、空港の展望デッキで話し込んでいる姿に、電子機器のレンズを向ける者が現れ始めている。
 美雪は笑い出した口元を押さえ、
「あ、そうそう、六本木でどうしてフードを被っていたか、だったっけ? アルビノはね、紫外線が苦手なの」
「あ、肌が弱いんでしたよね」
「でもね、もう一つ理由があって、六本木で事故が起きた朝は、朝ごはんに檜町公園でサンドイッチを食べようとしてたから、遅刻することに少し罪悪感があったの」
 美羽も声を上げて笑うと、美雪は、
「やっぱり、あなた、変な人ね。ねえ」
 美羽の顔をのぞき込んだ。
 美雪の赤い瞳に美羽も思わず見入った。
「わたし、あなたと戦ってみたい。わたしね、死ぬことばかり考えていたけれど、あなたと戦えるなら、もうちょっとがんばってみようかな、って思えてきた」
 美雪が一体、何を言っているのか、美羽は理解しかねた。
 唯一、美羽がウイングボールで表舞台に立つことを望む者が、ここにもいることが解った。
「よーし、飛ぶぞ、飛ぶぞ!」
 傍らで幼い男の子を連れた若い男が、離陸のために滑走を始めた旅客機を指さし、楽しそうに手をたたくと、声を上げた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み