美羽の一番長い日4

文字数 7,314文字

「恵介おじいちゃんは、鳥人に殺されてなんかいなかった。むしろ鳥人の宇野さんは、自分の命をなげうってまで、恵介おじいちゃんを助けようとしていた。でも、おじいちゃんは宇野さんが恵介おじいちゃんを殺した、と永年いい続けた。
同時に『黄金の女王』を書いて、時の著名なイラストレーターにきれいな絵を添えさせている。
 それにもかかわらず、お父さんとお母さんの結婚を反対していたばかりか、わたしを鎌倉のホームに送ってしまった。なぜなの!」
 全ての始まりを問うと、穂積(ほづみ)偉介(いすけ)は、穂積(ほづみ)美羽(みわ)の瞳を見つめ、
「恐ろしかったからだ。
 俺があの日、遊び半分で恵介を増水した梓川に連れ出し、恵介どころか見ず知らずの鳥人まで殺したことを認めることが、恐ろしかったんだ。今も恐ろしい……恵介が亡くなった後、父母は、姉も、周囲の大人たちまでも、恵介を目の前で亡くした俺を励まし続けてくれた。
 同時に、俺は自分を偽ることを、いつの頃からか覚えた」
「自分を、偽る?」
 美羽が思わず祖父の霊に尋ねると、
「そうだ、このまま恵介を亡くした落魄(らくはく)の兄を演じ続けていればいい。大人たちは俺に同情し続けてくれる。俺は恵介を殺したのは宇野という鳥人だったんだ、恵介を助けられなかった宇野が悪いんだと、俺は信じ続けていればいいんだと」
 美羽が愕然とすると、偉介は、
「いつしか、自分でも本気にするようになっていたよ。二十歳を過ぎた頃か、松本城近くの書店にあった雑誌で、懸賞童話の募集を見かけた。大した気持ちはなかった。以前に耳にした『黄金の女王』伝説をきちんと調べ、北アルプスの風景を思い描きながら書いた。
 すると、金賞を取り、小さな出版社だったが、絵本にしてくれた。
 絵本になったときは嬉しかった。こっそりと松本市営の墓地を訪ね、宇野さんの墓前に供えた。やはり、贖罪の気持ちが心のどこかにあったんだろうな」
「それだけのことをやっていたのに、お父さんとお母さんの結婚に反対したのはなぜ?」
「芝居は生涯、続けていなければならなかったからだ。しかし、美羽が生まれたとき、俺は『黄金の女王』、いや、ソレイユが罰を与えにきたのだと思った。
 その罰とは、俺から息子を奪い、嫁を奪い、ソレイユの生まれ変わりのような美羽を生涯、目の当たりにしなければならないことだと思った。だから……」
「わたしを鎌倉のホームへ送って、二度と会いにこなかった」
 美羽は、上体を外転させ、すぐに内転させると、対峙する祖父に右翼を振り上げ、左頬を力任せに殴りつけた。
 偉介をよろけながらも、堤防上で足を踏ん張った。
「ソレイユからの罰よ、ううん、お父さんからの罰」
「……殴られる程度で、済んでよかったよ……」
 美羽は再び、上半身を外転内転させると、左翼を展張させて、偉介の右頬を殴りつけた。偉介は無様に梓川の堤防上に叩きつけられた。
 生きている人間ならば、即死であった。
「これは、お母さんからの罰」
 祖父は顎にしたたり落ちた血を右手の甲で拭いながらよろよろと立ち上がった。
「幽霊でも、血は出るのね。屈辱でしょ? 恵介おじいちゃんを殺したことにした鳥人から、しかも翼で殴られているんだから」
 偉介は唇をかみしめると、
「美羽からの罰はどうした?」
「三十億円、もらっとくよ。墓場まで預金通帳を持って行けない無常をかみしめなさい。それから」
 美羽が言葉を継ぎかけると、偉介は怪訝そうな目をした。美羽は不意に偉介に抱きつくと、
「バカよ、おじいちゃん、そんな人生を送って! 自分をだまして、家族のぬくもりを全部、放り投げて!」
 十五年間、背負い続けていた孤独と悲しみを吐き出した。祖父の手が、美羽の頭をさすり続けている。ふと、美羽は背後に人の気配を感じ、振り向いた。
 もしや、偉介の霊が見えない何者かが、美羽が一人で怒鳴ったり、翼を振り上げたり、叫んでいる姿を目にして通報されたのかと考えたが、思いもかけず、父の紘樹(ひろき)と母の怜子(れいこ)の霊が立っていた。
「お父さんとお母さん?」
 思わず確かめると、父は、
「お前、明日は試合だろう? しっかりやってくんだぞ!」
 身内を失い、故郷も離れながらも、東和麗華学園中高等部のウイングボール部の強化選手として大きな期待を担った美羽を力強く励ました。母も、
「美羽ー、がんばって。がんばって! いつも見ているから!」
 優しく送り出そうとしている。美羽は、
「大丈夫! 大丈夫だよ! 行ってきます!」
 家庭のぬくもりにあふれた魂に、力強く応えた。

 翌朝、JR松本駅では、中央線本線は甲府駅付近の架線故障のため、上下線で不通となっていることを知らせる運行情報が、激しい雑踏の中で繰り返されていた。
 全てのこだわりが解け、激しい疲労を感じた美羽は、駅前のビジネスホテルに一泊し、早朝に帰京しようとしたときに、思わぬ足止めに遭い、愕然とした。


 東京の有明にある国立ウイングボール競技場では、第三十二回全国ウイングボール中高生大会第四試合の就学園中高等部対東和麗華学園中高等部戦を控え、熱気を帯びていた。
 四五〇〇〇人収容可能な競技場には、まだ梅雨が明け切らない七月上旬の日曜日とはいえ、蒸し暑さにもかかわらず、就学園とも東和麗華学園ともチアリーディング部が繰り出し、近隣の男子校から詰め襟に白いはちまきの応援部が、試合の開始を待ちかねている。
 観客席には両校の生徒とその父兄の知人、友人のほか、国内外のファンが詰めかけ、『黄金の女王』と『白銀の姫君』の戦いを今や遅しとしていた。
 四月下旬に横浜のみなとみらい競技場で、山手誠栄女学院対東和麗華学園の練習試合がネットで放送され、多くの外国人旅行者が公式戦の観戦に足を運んでいることも満席としている理由だった。
 また、この試合は首都圏TVが地上デジタル放送を行っている。
 試合開始に先立ち、インタビュアーが観客席から出場選手への期待の声を集めている。就学園側の応援団の中から(かけい)隼人(はやと)にインタビュアーが声をかけると、
「ええ、娘がキャプテンをやっているから、応援にきたんですよ。勝敗の行方? いや、就学園が去年も一昨年も東京都代表になっているから、いうまでもないことでしょう」
 自信に満ちたコメントを南北の大型映像装置に映し出した。一方、東和麗華学園側のインタビュアーは応援団の中から大堂(だいどう)(とおる)を選びだし、
「わたしの娘二人が部長と副部長をやっていましてね。親の欲目ながら娘たちは強い。すこぶる強い。これに加えて、今年は『黄金の女王』が加わっています。今年は東和麗華学園が東京都代表校になります」
 第一回戦突破どころか優勝を断言し、大笑いした。
 東和麗華学園のチームベンチエリアでは、顧問の醍醐(だいご)聡子(さとこ)が広報・記録担当の園田(そのだ)真希(まき)に、緊張した面差しで、
「穂積さんは、『黄金の女王』はまだなの?」
 よりにもよって、美羽が帰京する朝から中央線本線が架線故障を起こそうとは夢にも思わず、スマホでJRの運行情報を何度も確かめながら真希に尋ねた。真希は、
「間もなく新宿駅に到着するそうです」
 幸いにも午前中に架線故障は復旧し、全線開通となったものの、徐行運転が続き、美羽の到着が大きく遅れていた。
 このとき、真希のスマホにメールが届いた。『white beauty』から『マキちゃん』宛てのもので、
『美羽さんは?』
 という美雪からのSMSであった。真希はすぐに、
『もうすぐ新宿』
 と送り返した。美雪は、スマホに送られてきた短いメールの文面を読むと、
「美羽さん、わたしを殺してくれるんでしょうね?」
 思わず、梅雨空を見上げた。


 美羽は新宿駅に着いたが、激しい雑踏に右へ左へと押され、駅ビルから外へ出てしまった。
 不意にスマホが鳴り出し、応答ボタンを押すと、醍醐からであった。
「穂積さん、今、どこにいるの?」
「新宿に着きましたが、新宿のどこなのかも解りません」
美羽がありのままを伝えると、醍醐は自信たっぷりに、
「すぐに迎えをやるから、駅の上空で待機していて」
「迎え?」
 美羽はわけが解らず、思わず聞き返したが、醍醐は通話を切った。


 国立ウイングボール競技場では、注目の就学園と東和麗華学園の試合が始まろうとしている。
 首都圏TVのレポーターが、放送席でセンターラインをはさんで対峙した両校の出場選手の紹介を始めた。
「まず、東和麗華学園中高等部の第一ピリオドの出場選手を紹介しましょう。
 背番号1番、高三B組、大堂(だいどう)恵礼那(えれな)
 背番号2番、高一A組、大堂(だいどう)遙流香(はるか)
 背番号12番、高一B組、志垣(しがき)瑞希(みずき)
 背番号13番、高一A組、志垣(しがき)逸希(いつき)
 背番号23番、中一A組、花之木(はなのき)仁菜(にな)
 ポジションは、
 PG(ポイントガード)は大堂恵礼那、
 SG(シューティングガード)は大堂遙流香、
 SF(スモールフォワード)は志垣瑞希、
 PF(パワーフォワード)は志垣逸希、
 C(センター)は花之木仁菜 。
 続いて、就学園中高等部です。
 背番号1番、高三A組、(かけい)美雪(みゆき)
 背番号2番、高三A組、早見(はやみ)(けい)
 背番号6番、高二D組、河田(かわだ)美耶(みや)
 背番号8番、高二B組、酒井(さかい)敦子(あつこ)
 背番号9番、高二A組、久光(ひさみつ)由香(ゆか)
 ポジションは、 
PGは筧美雪、
 SGは早見渓、
 SFは河田美耶、
 PFは酒井敦子、
 Cは久光由香。
 解説の星野さん、この布陣はどうでしょうか?」
「両校とも、総力戦、という感を受けます」 解説役として招かれた全国ウイングボール連盟の星野ゆかりがいうと、レポーターは、
「しかし、東和麗華学園には『黄金の女王』の二つ名をもつ穂積美羽選手の名がありません。お目当ての観客も多いと思いますが」
問いかけも終わらぬうちに、観客席からは、
「美羽ちゃん、出せ!」
「東和麗華の監督、出し惜しみしてんじゃねぇぞ!」
「『黄金の女王』どうした!」
美羽コールが始まった。星野は圧倒されながら、
「顧問の醍醐先生の作戦なのでしょう。既存の選手だけでどこまで『白銀の姫君』に立ち向かえるか、という試験的が意味もあるのかもしれません」
 競技場の南側に設置された大型映像装置に放送席のレポーターと星野の姿が映し出され、北側の大型映像装置にはスマホを耳に押し当て、通話をする醍醐の姿が映し出された。
 東和麗華学園のチームベンチエリアでは、醍醐は最上(もがみ)エアサービスという小さな民間の航空会社に電話をかけていた。
「そうよ。新宿駅上空に黄金の翼をもった女学生が待っているから、有明まで連れてきてちょうだい」
「いくら、醍醐さんからの仕事でも今、三機とも出はからっていて……あ、待って下さい、今、丁度、一号機が西新宿での仕事が終わったんで、それを」
「急いでね。請求書は高等部部長の執務室宛に送って」
 聡子は通話を切るなり、真希に、
「穂積さんに連絡して。下品な真っ赤に塗ったヘリコプターが行くから、先導してもらって」
 真希は、美羽の携帯電話へ素早く電話をかけると、
「真っ赤なヘリコプター? あ、きた!」
 美羽の驚いた声が醍醐にまで聞こえた。

 西新宿で巨大な怪獣が新宿副都心を破壊して、去っていくシーンを後で合成するので、その元となる映像を撮影する、という依頼が終わり、調布にある航空会社に戻って一杯飲めるかと思っていたところに、突然、会社から新宿駅上空にいる女学生を有明まで連れていくよう指示があり、最上(もがみ)(さとる)は、わけが解らぬまま操縦桿を回した。
 新宿駅上空まで飛行すると、両翼を最大展帳すると、身長の六倍はある黄金の翼をもった鳥人が滞空していた。
 鳥人は腕を大きく振っている。よほど心細かったのだろう。
 最上も機体をわずかに左右に振ると、有明の方角を指さした。女学生は大きくうなずいている。
 一号機が有明に転進すると、鳥人の女学生もわずかにヘリコプターのローターから距離を取り、飛行を始めた。
「あの女学生、解ってる」
 最上は、美羽を見てにやりと笑うと、
「さあ、新宿から有明まで直線距離で十四・五キロ、時間にして十分もかからねぇ! 俺が責任もってエスコートするぜ!」
 今の今まで想像すらしなかった美羽との遊覧に目を輝かせた。

 就学園の『白銀の姫君』はたった一人で対戦校の東和麗華学園の出場選手を圧倒していた。
「ここで、就学園の背番号2番、早見選手から背番号1番、筧選手にパス! 
 筧選手、純白の翼を大きく羽ばたかせ、東和麗華学園のバックストップ・ユニットに迫ります。既に就学園は第一ポジションから四十六点を先取、対して東和麗華学園は背番号1番の大堂恵礼那選手が挙げた二点のみ。
 キャプテンの大堂選手、背番号2番の大堂選手とともに筧選手の前進を妨げます。筧選手、これを巧みというよりも華麗にかわしながらツーポイントエリアに達すると、急上昇! 東和麗華学園の背番号23番、花之木選手、リング直上で手足と翼を広げます。
 しかし、筧選手、これをまるで意に介さぬかのように急降下シュート!
 ボールはリングに放たれた矢のような鋭さでゴール! 就学園、更に二点を追加。ここで第一ポジション終了が告げられました。就学園四十八点、東和麗華学園二点、試合開始早々、大差がつきました」
  首都圏TVのレポーターがまくし立て、美雪がふわりとコートに着地すると、観客席の一部が沸き立った。就学園を応援する一団だった。
 美雪の父親の筧隼人は、薄笑いを浮かべながら、
「つまんねぇ試合だな」
 ぼそりと呟いた。
 一方、東和麗華学園を応援する一団が占めた観客席では、早くも敗色が濃厚となり、意気消沈し、誰もが不安そうに顔を見合わせている。
 センターサークルの上方に就学園四十八点、東和麗華学園二点、という立体映像が浮かび、現実を告げている。
 恵礼那と遙流香の父親である大堂徹は、憮然として腕組みをしている。
 美雪は遠目に仁菜を見ると、
「逞しくなったのね。でも、こんなんじゃ全然、駄目」
 以前に東和麗華学園を訪れたとき、中等部の部員の勘違いを説こうとした美羽によって、模擬戦に参加させられたときの出来事を思い出した。
 その模擬戦で、仁菜は退部さえできればよかった思惑が、あまりに事が大きくなりすぎ、恐怖が限界に達し、泣き叫んでいた仁菜が、美雪と相対するまでに成長していたことに喜んだが、今ひとつという感が拭えていなかった。
 インターバルに入ったとき、南北の大型映像装置に『signal lost』の文字が点滅した。すぐにコントロールルームから状況が知らされ、レポーターが、
「ただいま、競技場内のシステムにエラーが発生しました。係員が調整中ですので、このままお待ちください」
 場内に説明をおこなった。場内はざわついたが、就学園のウイングボール部の五十代半ばでスーツ姿の女性の顧問は、出場選手をチームベンチエリア前に集合させると、
「ねぇ、皆、腰が引けてる。たかが東和麗華相手に一ポジションかけて、四十六点差? おかしくない?」
 大差がついていてもなお選手たちを叱咤した。
「でも、もうじき『黄金の女王』が到着するんですよ。皆、恐ろしくて……」
 副部長を務める背番号2番の早見が唇を震わせながらいうと、顧問は、
「『黄金の女王』? どこにいるの? いい、皆、よく考えて。東和麗華は実際には存在していない選手をでっち上げて、もう間もなく競技場に到着する、と吹聴しているだけなの。こんな悪辣なデマに惑わされちゃ駄目。
 でも私たちは違う。去年、一昨年と七回か八回、勝ち抜かなければ代表になれない戦いに見事、結果を出している。これは事実なの」
 地上デジタル放送されていることを意識して、パフォーマンスのような大げさな身振り手振りで選手たちに言い聞かせた。美雪は、
「実在していない? 『黄金の女王』が? わたしは現に東和麗華学園のグランドで戦い、その後、食事をしています。あの子がその気になったら、わたしたちなんか一ポジションもかからずに自信のかけらもなくなります」
 怪訝そうにいうと、顧問は、
「はい、解った。『黄金の女王』は実在している。でも、競技場内を見渡して。さあ、そんな黄金の巨大な翼をもった選手なんて、どこにもいないでしょ?」
 なおも強気を貫こうとしたとき、美雪は顧問の背後に目をやり、薄笑いを浮かべると、
「あら、美羽さん、遅刻よ。スポーツマンは時間厳守でお願いね。さあ、早く着替えてきなさい」
 冷静に命じた。顧問がきょとんとして振り返ると、私服姿の美羽が金色に輝く翼を羽ばたかせ、滞空していた。顧問は思わず飛び退くと、美羽は、
「聡子先生? 何で就学園のチームベンチにいるんですか?」
 顧問に尋ねた。就学園のウイングボール部の顧問とは、東和麗華学園高等部部長の醍醐聡子の双子の姉妹であった。顧問は威厳を取り繕って、
「し……失礼な子ね。わたしは醍醐(だいご)智子(ともこ)です」
 足を震わせながら名乗った。東和麗華学園のチームベンチエリアから真希が、
「美羽ー! こっちこっち!」
 美羽を呼ぶと、『黄金の女王』は飛び去っていった。美羽は、
「この試合って、聡子先生と智子先生の壮大な姉妹ケンカなのかな?」
 美羽を東和麗華学園中高等部のウイングボール部の強化選手にと、入学を認めた醍醐の思惑を察した。
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