第12話 聴取

文字数 6,375文字

エリヤとクロエは、冷たい朝の空気を吸いながら、ポテトの畑を歩いていた。
エリヤの手には、枯れた葉を数枚つけた茎。ちぎり取ったのである。
朝食後の散歩は、二人のルーティン。
エリヤは、茎をゆっくりと振りながら、口を開いた。
「毎日、耕したのに、収穫しても食べられないなんて。想像もしなかった。」
クロエが選んだのは沈黙。
エリヤは、振り返って、クロエに微笑むと、柵に向かって足を進めた。
二人が柵に身を預けたのは、間もなくのこと。口を開いたのは、やはりエリヤ。
「ダビデは何を考えてるんだろう。」
エリヤは、ポテトの茎を振りながら、地面を眺めた。
他人の本当の気持ちなど分かる筈がないので、無駄な時間である。
クロエは、エリヤの顔を下から覗き込んだ。
「あなたは何を考えてるの?」
エリヤはクロエの顔に目をやった。彼女の眼差しは優しい。喋るのはクロエ。
「ダビデにずっとついて来たけど、それは子供だったからよ。結婚してまで、彼に縛られる必要はないわ。大事なのはあなたでしょう。あなたはどうしたいの。」
エリヤが揺れたのは、ダビデが否定されたから。
彼にとって、ダビデは絶対なのである。
戸惑ったエリヤは、しかし、話しながら、ゆっくりと自分の考えを整理した。
「僕は、何と言っていいのか。ずっと、皆が良ければいいと思ってたけど。今回ばっかりは違う気がする。イーサンやカーソンが居なくなって。ケイデンも喋らなくなって。ダビデもアシェリも少し怖いし。僕は、言う事を聞いてただけだけど、どんどん変になってきてる。」
クロエが静かに耳を傾けると、エリヤは、頷きながら言葉を続けた。
「多分、今までとは違う。君を一生食べさせるためにどうするか、僕も考えないといけない。」
エリヤを見つめるクロエは、次の言葉を待ったが、その時間は長くなった。
おそらく、エリヤは何も考えていない。
ただ、クロエの心に腹立ちはなかった。
エリヤの気持ちはいつも真っ新で、何にも染まっていない。
彼女の問いかけから、全てが始まる。クロエは、それが好きなのである。
エリヤは、クロエの優しい眼差しで、自分の稚拙さに気付くと、分かり易く照れた。
喋るのはエリヤ。
「でも、村から出るのはどうかと思う。仲間と一緒に食べるものをつくって、一年を過ごすって、馬鹿みたいな気もするけど。でも、村の外の人達はどうなんだろう。彼らに混ざって、今までと違う生活を選べば、それは頭が良くて、僕と君の生活を考えてることになるのかな。」
クロエは、遠回しにエリヤを導いた。
「それは与えられたものじゃなくて、あなたが考えて選んだ生活でしょう。」
エリヤは首を傾げた。
「じゃあ、与えられたものは間違ってるのかな。正しいと思うから、皆が与えてくれたんじゃないかな。」
確かにそれも否定しないが、エリヤの思考は、クロエの望む入口の前で止まっている。
クロエは、二人の将来のために、言葉を選んだ。
「そうかも知れないけど、人は一人一人、皆が違うわ。正解なんてないんだから、与えられるだけじゃ駄目。自分で考えないと。一度きりの人生で、一度も考えないの?」
エリヤは、ポテトの葉を弄び始めた。
「そんなことはないさ。きっと、ダビデだって、いつかは年をとるし。その頃には僕も何かするさ。」
エリヤは、考えることを恐れている。
クロエは、精一杯の気持ちを込めて、エリヤを見つめた。
「だから、それが今なんじゃないの?」
エリヤは、視界に入ったクロエの目が、思いのほか厳しい事に気付いた。喋るのはクロエ。
「いい?収穫も出来ないのよ。」
クロエに畳みかけられると、エリヤは、視線の先を牧場に移した。
リアが、アルパインの乳を搾っている。
朝食に搾りたての乳。今日も当たり前の生活が始まっている。
何かを変えるということは、何かを失うということ。絶対である。
プリマス・ロックの鳴き声が響くと、エリヤは、今の自分の気持ちを口にした。
「さっきも言ったけど。僕は君を一生食べさせる。約束する。ただ、簡単に村との縁を切れない。僕達は一人の人間だけど、村も一つの生き物みたいなもんだ。そうだよね。」
始まったのは、エリヤの優しいストーリー。
「これから先、食べ物がなければ、皆、どう転ぶか分からない。誰かが、悪いことをするかも知れないし、何ならもうしてるのかもしれない。誘われれば、それは断るさ。でも、それだけじゃない。正しい道に戻さなきゃ。皆で助け合って、常にあるべき村にしなきゃいけない。そのためには、僕はここに残らないといけない。」
エリヤの話に、クロエとの将来のヴィジョンは見えない。
エリヤは、クロエの視線で、自分の間違いに気付いた。
「そう、それに。それに、村の中には、もっと小さい関係があって。関係は大きければいい訳じゃなくて。小さい関係は、それは密な関係。それが、僕と君だ。いつも君を一番近くに感じて、大切に思い続ける。そう、ダビデが前に言ってた。多分、全部のつながりは愛で、君だけを他の皆と完全に分けることは出来ない。だから、こんなにも問題が難しくなるんだ。」
結構な時間をかけた結論が愛だったので、クロエは困った。
「それで、皆が愛し合ってるとして、じゃあ、保安官が食べ物を恵んでくれなくなったら、どうなるの?食べ物が採れないのに何もしないで、どうやって私は食べていけるの?今、あなたが言ったのは、生きるのも死ぬのも、全部、村の皆と一緒ってことよ。」
クロエの言葉は尤もだが、エリヤが気になったのは、クロエが、私達ではなく、私は食べていけるかと言ったこと。
おそらく悪気はない。少しだけ我儘。それを隠せないのがクロエなのである。
エリヤは、クロエの視線から逃げるために、顔を背けた。
「こんなの嫌だな。」
クロエは、エリヤの横顔から気持ちを探った。
口を開いたのはエリヤ。
「僕は西の街に降りる。それから街で一番大きな店に入って、仕事をくれる様にお願いする。誠心誠意、お願いすれば、きっと仕事がもらえる。力仕事なら、学校を出たかどうかなんて関係ないさ。もちろん、住みこみだ。僕はすぐに認められて、どんどん偉くなる。金持ちになって、家を用意して、君を呼ぶ。何なら、村の皆もだ。皆と一緒にレストランに行って、美味いものを片っ端から注文して食べる。これでいい?」
エリヤは、無駄な言葉を並べ終わると、クロエの顔を見た。
そんな事が絶対にありえないのは、さすがのエリヤにも分かる。
クロエが求めているのはそういう事。
エリヤは、大袈裟に言う事で、それを分かり易く伝えたのである。
馬鹿ではないクロエは、エリヤの瞳を覗き込んだ。
「エリヤ。冗談じゃないの。多分、本当にこの村を出なきゃ駄目よ。タイミングは大事。村の皆にとって、一番いいタイミングを探すの。」
「でも、出てから…。」
「じゃあ、いたらどうなるの?」
クロエが語気を強めた時、森の西側からSUVが姿を現した。
昨日の朝と同じ。ロレンツォ達の登場である。

村の住人は、昨日の騒ぎで、ケイデンの叔父のカーソン以外は、全員戻って来た。
先に戻っていた住人のうち、老人であるアシェリにサマンサと子供達、それにエリヤとクロエ以外は、全員、発作に襲われたが、その日のうちに診療所から戻ってきた。
今、ロレンツォの目の前に広がる光景は、村本来のもの。そういう事である。
昨日、ロレンツォが数人に聞いた限り、やはり彼らに記憶はない。
気付いたら、森の中を歩いていた。
通り一辺倒の彼らのコメントは、ロレンツォを大いに苛立たせたが、今、彼の眉間に皺が浮かぶ理由はそれだけではない。

SUVから降りたのはロレンツォとニコーラ、それにオリバー。
真っ直ぐ向かう先はダビデのテントである。
テントの前でアイザックと一緒に朝食を食べていたダビデは、三人が近付くと、フォークを持つ手を止めた。
口を開いたのは、怒れるロレンツォ。それでも挨拶は欠かさない。
「おはよう、ダビデ。」
ダビデは、アイザックと視線を合わせてから立ち上がった。挨拶はなしである。
「今日は何だ?」
ダビデとロレンツォの目線が、ほぼ同じ高さに揃う。それがダビデの求めたものである。
「当ててみるか。」
ロレンツォの挑発染みた言葉に、ダビデは顔を歪めた。喋るのはロレンツォである。
「昨日の医者の検査の結果だ。吐しゃ物からヨウ素が大量に出た。普通じゃない。」
ダビデの口から洩れたのは疑問。
「ヨウ素?食中毒じゃないのか。」
ロレンツォは鼻で笑った。
「被曝対策で配るやつだ。」
ダビデは、ロレンツォの背後に立つオリバーを一瞥した。
「それなら保安官が気でも利かせたんじゃないのか。」
ロレンツォの眉間に深い皺が浮かぶ。
「オリバーが?そんな指示は出してない。誰かが勝手に薬を飲ませたんだ。この場合、一番怪しいのは君だ。」
オリバーが大きく頷いたが、ダビデの表情は変わらない。
「それが、皆の体調と…。」
「関係大ありだ。あれは、ヨウ素中毒のままだ。」
「俺が飲ませるなら、皆に飲ませる。アシェリ達は何ともなかった。大丈夫だった奴は、他にもいる。」
「君の説得力が足りなかったのかもしれない。」
「馬鹿な。俺達の心は一つだ。」
「そう思ってるのは君だけかもしれない。検査結果は嘘をつかない。」
「そんな検査、誰も頼んでない。勝手にとったんなら、どこにも使えないゴミだろう。」
「それは正しい。ただ、何より、昨日の騒ぎの間に、残りの住人が帰って来た。」
喋り続けるロレンツォとダビデの間にアイザックが顔を近づけると、ロレンツォは一歩下がった。喋るのはロレンツォ。
「そんな奇跡が起きる筈がない。事実は逆だ。残りの住人が帰ってくるために、騒動を起こした。皆でヨウ素を飲んで、パニックを起こしたんだ。」
「わざわざ、あんたらが来る時にか。やるなら、こっそりやる。」
「君達が待ったのは、オリバーだ。保安官補達の警護を解けるのは彼だけだ。」
「警護を嫌う理由は。」
「おそらく、森の中に抜け道がある。一目で分からない道も、皆で行進すれば、さすがに分かる。何も分からない振りは出来ない。」
「その上、記憶喪失か。」
「そうだ、記憶喪失だ。こっちのセリフだ。考えたら、分かる。二~三人なら別だ。君とリアの頃は、正直、腹が立った。でも、百人以上で口裏を合わせるのは無理だ。記憶がないの一点張り以外、通用しない。下らないが、一番現実的だ。」
「なんで昨日。」
「食糧が支給されるからだろう。」
「どうやって、教えた。電話もない。」
不意に口を挟んだのはニコーラ。
「一人ぐらいなら、森は抜けられるだろう。電話だって、本当に持ってないかは疑わしい。」
ダビデは、顔を歪めた。悔しかったのかもしれない。
喋るのは、ニコーラを睨んだまま、何度か頷いたダビデ。
「じゃあ、誘拐は何だ。皆で姿を消した理由は。」
ロレンツォとニコーラは、顔を見合わせた。オリバーは、傍観あるのみである。
口を開いたのはロレンツォ。
「僕が知りたかったのはそれだ。ただ、少し違う。皆で姿を消したことじゃなくて、カーソンだけが姿を消したこと。消えたのは、彼一人。それが全てだ。」
何がどうだろうと、ただ一人帰ってこないカーソンの捜査が必要なのは明らか。
議論の果てに待っている答え。やるべきことは同じである。
アイザックに服を掴まれたダビデは、静かにその手を払うと椅子に腰かけ、両手を広げた。
「お前の言ってる事は出鱈目だが、捜査には協力する。何でも言ってくれ。」

当たり前の言葉を聞き流したロレンツォが周囲を見渡すと、アイザックは全てを察した。
「ケイデンなら、今朝は見てないぞ。よくあることだ。」
カーソンの唯一の親戚である彼は欠かせないキーマンだが、どうせ喋りはしない。
ロレンツォは、嫌いなアイザックを無視して、ダビデに話しかけた。
「今、ケイデンの面倒を見てるのは誰だ。」
ダビデは素直に答えた。彼は賢明である。
「村の皆だ。ただ、エリヤとクロエには、出来るだけ相談にのってやる様に頼んである。」

ロレンツォは、二人で歩いていたエリヤとクロエを呼び止めると、SUVに向かった。
住人が揃った今となっては、無駄なテントはないのである。
ロレンツォが恋する二人のために薦めたのは後部座席。
エリヤがクロエのためにドアを開けると、ニコーラは小さく笑い、助手席に滑り込んだ。
オリバーは、SUVにもたれて、村の観察である。
後部座席を振返ったロレンツォが口を開くと、ニコーラは、急いでレコーダーのスイッチを入れた。
「ケイデンがいないけど、どこにいるか分かるかな。」
エリヤの答えは早い。
「今の時間だったら、最近は見ないことが多いよ。」
ロレンツォが視線で同じことを聞くと、クロエはただ微笑んだ。
ロレンツォは、エリヤに向き直ると質問を続けた。
「何で。」
爽やかな笑顔で答え続けるのがエリヤ。
「さあ、よく分からないけど。あのぐらいの頃は、僕も村を出たくて仕方なかったから、きっとケイデンもそうだと思うよ。森に入ってみて、諦める。その繰返しさ。」
ロレンツォにとって、十分な答えとは言えない。
「でも、カーソンもいない。彼はいつから?」
エリヤは、眉を潜めた。
「誘拐された時じゃないのか。」
ロレンツォは、とぼけたエリヤの言葉を聞くと、小さく顎を上げた。
説教の時間である。
「エリヤ、いいかい。ここから先は、よく考えて答えた方がいい。正直言って、今の今まで、僕は、君達全員に揶揄われてるんじゃないかと思ってた。どうやって、決着しようか悩んでた。でも、もう違う。やっと普通の事件らしくなってきたんだ。」
ニコーラは、若い二人を放っておけない。
「嘘をつくと本当に捕まるから、変なことは考えない方がいいよ。」
エリヤとクロエの頬が少しだけ強張ると、ロレンツォは小さく微笑んだ。彼らは、自分達の置かれた状況を、正しく理解したのである。
「カーソンはどんな奴?」
答えたのはエリヤ。
「いい奴。」
「そう、いい子よ。」
クロエが言葉を被せたが、エリヤは話し続けた。
「あいつは、一回、村を出たことがある。何週間も帰って来ないから、ダビデが迎えに行って。帰ってきた時は、ボロボロだった。本当に。指なんか、爪がなくなってた。」
クロエがエリヤの肘に手を添えたのは、喋り過ぎる彼を抑えたのかもしれない。
ロレンツォは、首を傾げて、話の先を促した。
「それで?」
エリヤは、クロエを見ながら、口を開いた。
「それで、しばらく、村で生活してたんだけど。今度はケイデンの父親のイーサンがいなくなって。」
いなくなったというより死んだ。教えたのはエリヤ本人である。
ロレンツォの視線で思い出したエリヤは、何度も頷いた。
「死んだって聞いたんだ。本当に。嘘じゃないと思う。ケイデンを置いていく理由がないから。」
ロレンツォが頷くと、エリヤは言葉を続けた。
「その後、イーサンのテントで、カーソンとケイデンの二人暮らしになったんだ。」
口を開いたのはニコーラ。
「二人の仲は?」
エリヤはニコーラに微笑んだ。
「いいよ。言ったろう。カーソンはいい奴だって。」
クロエも微笑むと、ロレンツォとニコーラは小さく笑った。

聞けそうな話を聞き終えると、ニコーラは、カーソンのモンタージュ写真をつくった。
エリヤとクロエが言う限りでは最高の出来。
かなりの二枚目なので、冗談かとも思ったが、ケイデンの面影もある。
信じることにしたロレンツォの合図で解放された二人は、やはり微笑みながら、テントに帰っていった。
ニコーラが写真を送った先は管理官。彼の反応は、二人の予想通りだった。
「女絡みか。」
管理官の発想は常にシンプルである。
ニコーラが笑う横で、口を開いたのはロレンツォ。
「確かな事は分かりません。ただ、彼の居場所が分かれば、すべてが分かる筈です。」
管理官の答えは早い。
「いいだろう。すぐに手配する。」

まだ、朝である。三人は、住人全員の聴取に、その日一日を費やした。
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