第9話 原因

文字数 5,737文字

村の一日は、プリマス・ロックのボスの鳴き声で始まる。
陽が昇っているかどうかではなく、うるさいかどうか、音を出していいかどうかが、彼らの朝の基準である。
その日、テントから一番に飛び出したのはアイザックだった。
昨夜、ロレンツォが水浴びした場所。あの場所の今が、知りたかったのである。
アイザックは、村の外れに急ぐと、穴の前で立ち止まった。
穴の中の水は減り、ロレンツォが残した血のついた服が、テントの生地にへばり付いている。穴のへりに、まだ履けそうなきれいな革靴を見つけると、アイザックは、短い手を伸ばした。
「よせ、アイザック。死ぬぞ。」
不意に後ろから声をかけたのは、ダビデ。
アイザックと目が合うと、ダビデは小さく笑った。
ダビデは、縄の束を肩にかけ、左手に木の杭を数本、右手にはハンマーを持っていた。
アイザックは、手を引きながら、口を開いた。
「立入禁止か?もう決めたのか?」
「ああ。」
短く答えたダビデは、杭をその場に落とすと、中から一本だけ拾い上げた。
アイザックは、何も言わずにダビデに近寄ると、ハンマーを受取った。
杭を打込み、縄を張る。村の住人の安全を守るための、尊い仕事である。

穴の周囲には、間もなく人の輪が出来た。
殆どは、昨夜の騒ぎにあって、蚊帳の外に置かれた子供達である。
彼らの甲高い声が次々に挙げる推論は、ダビデとアイザックを幾度か笑わせた。
やがて、大人の義務を果たした二人は、テントに戻った。
手を洗ったアイザックが食材を持ってくると、ダビデのテントの前のテーブルで、朝食の準備が始まる。
二人は、木製の器に、アップル・ジャムを一盛のせたパン、つくり置きのゆで卵、ビーツ、ポーク&ザワー・クラフトを手早く並べると、カップにハーブ・ティーを煎れた。
二人で目を瞑り、両手をつないでお祈りをすると、朝食である。
朝一番の肉体労働で、程よく腹の空いたダビデは、パンを口に押し込んだ。
そうでもないアイザックは、ハーブ・ティーで湿した口をさっそく開いた。
「全身から血が出る病気って、前に聞いたぜ。」
ダビデは顔を横に振ると、話の邪魔になるパンを、急いで飲み込んだ。
「ないだろ。例のエボラも、鼻血に吐血や下血だった筈だ。内出血なら、黒死病だな。でも、肌から血は出ない。あるとすれば、血液の異常だ。レアだ。」
アイザックは言葉を被せた。
「そう、レアだ。このゆで卵の黄身ぐらいだ。」
「減点だ。」
ダビデは、いつもの様に、アイザックの下らない冗談に付き合い、小さく笑った。
テレビのない村の冗談は、下らないが温かい。
和やかな二人のテーブルに近付いたのはリア。
彼女の手には、アルパインの乳の入ったジョッキ。搾りたてである。
口を開いたのはダビデ。
「いい朝だ。」
アイザックも続いた。
「ああ。ウイルスの故郷の連れと話し込んだ女がいなきゃ、もう少しいい気分だった。」
アイザックの女性への憎まれ口はいつもの事である。
「〇〇〇〇。」
リアの強気もいつも通り。彼女は、時々、下品な言葉を口にする。
ダビデは、微笑みですべてを水に流した。
「ニコーラはどんな奴だった。」
ダビデの質問に、リアはジョッキを持つ位置を変えた。
「いい奴よ。多分、優しいわ。本当に。」
「ゲイじゃないらしい。」
ダビデの冗談は前近代的。
アイザックが妙な声で笑うと、リアは思い出した様に口を開いた。アイザックの言葉が、頭から離れないのである。
「それで、ウイルスなの?昨日のは。感染するの?」
答えたのはアイザック。
「血液の異常だ。俺が言うんだから、間違いない。」
教えたのはダビデである。ダビデは、相変わらずのアイザックに小さく笑った。

森の西側から、ロレンツォ達のSUVが現れたのは、丁度その時。
オリバーがハンドルを握るパトカーの後ろには、見慣れないスポーツ・ワゴン。
おそらくは、新たなプレイヤーの登場に、ダビデの目付きが変わった。
停まったSUVからはロレンツォとニコーラ、パトカーからはオリバーとマシュー。
ワゴンからは、黄色い防護服を着た二人。
ダビデは、ただ眉間に深い皺を刻み、アイザックは、ロレンツォの姿に溜息を漏らした。
先頭を歩くロレンツォは、ダビデの視線を感じながら、彼のテーブルに辿り着いた。
口を開いたのはダビデ。
「放射能か。」
根拠は防護服。物を知っているダビデの問いかけに、ロレンツォは頷き、ダビデとアイザックの朝食は終わった。

ダビデは、素早く席を立つと、縄を張ったばかりの穴に、ロレンツォと向かった。
荷物を持つ防護服の二人をエスコートするニコーラと保安官が合流したのは、それから間もなく。
問題の穴。立入禁止の縄を見ると、ロレンツォは、ダビデに目をやり、口を開いた。
「ありがとう。」
ダビデは顔を横に振るだけで、何も語らない。村の皆の安全を守るのは、彼にとって、当たり前の事なのである。
二人の会話を他所に、防護服の二人は縄を越え、ガイガー・カウンターを取出すと、スイッチを入れた。計器は勢いよく振れる。
「ユリイカ。」
呟いたのはニコーラ。
ロレンツォは、愛するスーツとの別れを惜しんだが、間を置くことなく、次の場所に向かって歩き出した。

一行がテントの群れに足を踏み入れると、朝食の手を止めていた住人達は、もう我慢できなくなった。
先頭を歩くのは、昨晩、血まみれだった連邦捜査官、続くのはイエローの防護服の二人。
確かな異常事態である。
住人達は、誰に許しを請うこともなく、一行の後を追った。

ロレンツォが目指すのは、森の奥の光る石である。
牧場から離れ、夜露に濡れた樹木の香りが混ざる冷たい空気は、普段のキャンプなら歓迎できる。
しかし、今日のロレンツォは、ハンカチで鼻を押さえて、森を進んだ。
木の葉も枝もない道を進むと、ガイガー・カウンターの反応が徐々に激しくなっていく。
ロレンツォが静かに絶望すると、ニコーラは後ろのダビデ達を振り返った。
「一般人はここまでだ。」
話の通じるダビデが応じ、短くなった行進が再開されると、昨晩と変わらない場所に、ロレンツォは、例の石を見つけた。
血の痕が残っている。
ホワイトの陽光に照らされる石は、奥行きが深く、思っていたより大きい。
その肌は、触感のままに刺々しく雄々しい。
防護服の二人が近付くと、つけっ放しのガイガー・カウンターの計器が振り切れた。
ハンカチで鼻を押さえていたロレンツォは、即座にその場を後にした。

ダビデが集会場に住人を集めたのは、それから間もなく。
前に立つのは、ロレンツォ達。
丸太に腰掛けた住人の群れは、昨夜からの立て続けの非日常的な光景にお喋りが止まらない。
騒がしい。
しかし、ニコーラが指笛を吹き、イベントの始まりを告げると、住人達はすぐに静まった。彼らは素直なのである。
皆の前で口を開いたのはロレンツォ。
「注意事項を伝達します。森に近付かないで下さい。放射性物質があります。」
静かになったばかりの住人達は、一秒でざわつき始めた。
ロレンツォは言葉を急いだ。
「詳細な分析はこれからしますが、ひとまずテントの周辺の線量は問題ありません。ただ、農作物。土や水は分かりません。安全が確認されるまでは、収穫した野菜を食べないで下さい。」
自給自足の彼らにとって、明らかに無理な提案である。
住人のざわめきは、一際大きくなった。
ざわめきから抜け出たのは、クロエの声。
「採れたものが食べられないなら、生きていけないわ。」
もっともである。ロレンツォは頷いた。
「保安官と調整するよ。税金を払ってない君達に、どこまで対応する義務があるか疑問だけど、人命は尊い。」
オリバーとマシューは、大きく頷いて見せた。安心を与えるのは、公僕の務めである。
質問を続けたのはエリヤ。彼のクロエを思う気持ちに偽りはない。
「今の皆の健康状態は?子供や女の子は?」
ロレンツォの答えは早い。
「まずは、内部被ばくの検査はした方がいい。結果によっては、癌検診の準備も必要だ。保安官に相談しよう。」
オリバーとマシューは、再び、大きく頷いた。
口を出したのはアイザック。
「お前がつくった死の水浴び場の水はどうするんだ。」
言い方が気に入らないロレンツォが沈黙を守ると、ニコーラが笑顔で口を開いた。
「水は少しだから、固化材で固めて持ち出すよ。」
アイザックの質問は終わらない。
「服もか?」
ニコーラは忍耐強い。
「持って帰るよ。」
アイザックは、出来ない奴に言い聞かせる様に言葉を添えた。
「靴もな。」
ニコーラは、ただ肩をすくめると、答えるのを止めた。
口を開いたのはアシェリ。
「この森はどうなるんだい?」
それは、ロレンツォが期待していた質問。
ロレンツォは、皆の顔を見渡した。最も重要な反応を観察しなければならないのである。
「保安官に言って、すぐに閉鎖する。」
万が一、この村に狙われる何かがあれば、必死に抗議する者が出る筈である。
放射能が検知された時点で確実に何かがあるが、その何かを必要とする誰かが分かる。
ロレンツォは、注意深く、住人の顔を見渡した。
数十秒の間、誰一人として騒がず、静かに時間だけが過ぎた。
間を嫌ったのか、アシェリが言葉を続けた。
「範囲は?」
「森全域だ。」
口を開くのは、やはりアシェリ。
「それは、私達の周りを保安官がずっと囲むという事だよ。危険な範囲だけ立入禁止にすればいいんじゃないか?」
反応するのはアシェリだけだが、常識の域かもしれない。
ロレンツォは、挑発のレンジを変えた。
「村人全員が誘拐される様な村で、放射性物質が見つかった場合、一番危険なものは何だろう。」
ロレンツォは、一人一人の顔を、順番に観察した。皆が言われるままに、考え込む中に混ざる、一つだけ悔し気な顔。
ダビデである。
ロレンツォと視線が合った彼は、待っていた様に口を開いた。
「俺達が何かしてると言ってるなら謝れ。そんな侮辱をうける覚えはない。」
ダビデは怒っている。
それは、ファースト・コンタクトで見せたロレンツォのやり方を、彼が知っているから。
放っておけば、ロレンツォの侮辱は止まらないからである。
住人達の視線は、静かにダビデに集まった。
ロレンツォは、言葉を続けた。
「君達が放射性物質と関係ないと分かった時に謝る。今は、放射性物質の被害者を増やさないために、最大限の注意を払わせてもらう。」
ダビデは立上った。
「アシェリの話を聞いてたのか。だから、その注意を払う相手が間違えてるんだ。他が全部留守になるぞ。頭は大丈夫か。」
ダビデが皆にとって絶対である様に、アシェリはダビデにとって絶対。
しかし、連邦捜査官が公衆の面前で侮辱されたまま終わるわけにはいかない。それはロレンツォの信条。
ロレンツォは、静かにダビデに近付いた。
ロレンツォの冷たい目に気付いたリアが、ダビデの前に立つと、ニコーラもロレンツォの肘を持った。
ロレンツォとダビデの間に築かれた束の間の信頼関係は、壊れるべくして壊れた。

日が沈んだ後のシレーネのレストラン。
例によって窓際の席で、ロレンツォとニコーラは、ジャスミンと夕食をとっていた。他の客はやはり少ないが、もう慣れっこである。
ロレンツォが、ジュレとミントで飾られたクール・ド・ボフにナイフを入れると、きゅうりとホタテ、蟹のファルスが溢れ出した。
トマトとオリーブ・オイルの仲は永遠である。
ワイアットが、赤いジュレを準備した理由は分からない。
口を開いたのは、クラレンドル・ロゼを口に運ぶロレンツォを見つめていたジャスミン。
「あの森がそんなに危ない所だったなんて、信じられないわ。」
答えたのはニコーラ。
「信じないなら行ってみるといい。」
ジャスミンが笑顔で顔を横に振ると、ロレンツが小さく笑った。
「今は保安官が警備してるから、近付けない。」
ロレンツォは、結局、ダビデの要望を却下したのである。ジャスミンは眉を潜めた。
「何人ぐらい?」
質問の意図が分からないロレンツォが首を傾げると、ジャスミンは説明を加えた。
「村の人が、全員悪人だったら、勝てるの?」
ロレンツォは、微笑みながら、何度か頷いた。
「保安官達は訓練を重ねたプロフェッショナルだ。それなりの人数を手配してるから、心配はいらない。」
ニコーラも笑い、ロゼを口に運んだ。
他の客がテーブルの横を通り、美味しそうな香りの風にジャスミンが微笑むと、ロレンツォが口を滑らせた。
「それより、ジャスミン。君に重要な報告だ。ニコーラが、村の女にちょっかいを出している。」
ロレンツォの中では、ジャスミンはニコーラを気に入っている事になっている。
根拠は朝の見送りだけだが、人懐っこく、ルックスのいいニコーラに関して、的外れな勘ぐりではない。
苦笑したジャスミンは、小さく呟いた。
「容疑者相手にもう?本当に?」
シーズン12まで続く恋愛大河ドラマにはまっている彼女にすれば、あまりに軽率である。ニコーラは微笑んだ。
「まず、言い方が下品だ。会話が弾んだだけだよ。それに、彼女は容疑者かもしれないけど、まだ今は違う。彼女の言葉のままなら、彼女は被害者だ。」
ニコーラの弁明は意外と長い。
「好きかどうかに、時間は関係ないさ。綺麗だと思ったら、思わず見るよね。人間は複雑に出来てるから、見た目だけじゃわからない。それなら付き合ってみなきゃ、本質は分からない。そうだろう。」
ロレンツォは、同じ弁明を何度か聞いた事がある。
正しそうな気もするが、見た目のいい相手を見つければ、まず付合うことになる。
それは、分かり易くグッド・ルッキングのニコーラだけに通じるルール。
ジャスミンは、ニコーラの基準で、自分が落選していたことに気付くと、小さく笑った。
リアへの気持ちが共通の認識になると、ニコーラは話を逸らした。恋愛話をする様な年齢ではないのである。
「さっきの話。これから保安官は忙しくなるから、見かけたら、気を使ってあげてよ。」
後を受けたのはロレンツォ。
「保安官達はプロだけど、残りの住人がダビデ達の仲間なのか、対立してるのか。それに、ダビデ達が被害者なのか、何かの加害者なのかで、全く対応が変わってくる。あの村の夜は暗い。これから毎日、保安官達の夜は長くなる。」
ロレンツォの話は、ジャスミンが思っていたより、遥かにハード。
住む世界の違いを感じたジャスミンは、言葉を失うと、クラレンドル・ロゼに逃げた。
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