第20話 撤収

文字数 8,554文字

ロレンツォは、オリバーのパトカーで森の村に乗込んだ。当然、マシューも一緒である。
曲がりくねる山道から、草の揺れる丘へ。
セコイア・デンドロンの混ざる鬱蒼と茂った森に入り、縦揺れに耐えると、前方に開けるホワイトの世界。
右手の畑と左手の動物達。奥には古びたテントの群れ。
今日だけでも二度目のその光景に、もはや奇跡は感じられない。

車を降りたロレンツォは、早足でテントの奥、杭で囲まれた集会場を目指した。
先に連絡をいれた保安官補達の誘導で、村の住人達が集まっているのである。
三人が集会場に入ると、朝とは打って変わって、住人達は丸太に座り、大人しく待っていた。
落ち着きのない子供が、ロレンツォ達に気付くと、皆が次々に振り向いた。
不安そうに見える彼らの中に、リアとニコーラの顔も混ざっている。
ロレンツォは、気まずそうなニコーラに小さく手を挙げると、そのまま通り過ぎ、住人達の前に歩み出た。
最前列にはダビデ。村の王である彼が座っている。
ロレンツォは、一瞬、ダビデと合った目を反らし、住人全員の顔を、ゆっくりと見渡した。
「この間、ダビデ達四人に保安官事務所に来てもらった時に、大体の話はした。君達は、皆で一度についてもばれない嘘として、馬鹿みたいな誘拐の振りを選んだ。このうちの半分は、体に悪いと知った上で薬まで飲んだ。」
住人達の反応はない。それは、推論が正しい場合の反応として、ロレンツォが予想していたものである。
「すべてはカーソンの死のせい。そう思っていたけど、放射能汚染、隣町のギャング、誰も会ったことのないエプシュタイン。おまけにリアとニコーラの誘拐。よく分からない問題が他にもたくさんあった。このパズルをどう繋げるか。それが問題だった。」
ロレンツォは、動かないダビデを少しだけ見た。
「簡単そうで、そうでもない。どこかしっくり来なかったのは、記憶喪失の振りをした理由だ。カーソンの死を誤魔化すためだとすると、どうも変だ。皆で、気付かなかった振りをすればいい。その方が絶対に自然だ。それと、皆の話はそれなりにリアリティがあったが、抜けてる所もあった。正直言うと、その抜け方の理由が分からなかった。だから、なかなか確信が持てなかったんだ。でも、それも、ついさっきまでだ。本当に簡単な話だった。もう終わりにしよう。」
声高らかに告げると、ロレンツォは不意に振り返り、一番近くの杭を引っ張り始めた。
ダビデ達が丁寧に打ち込んだ杭が簡単に抜ける筈もなく、無様な彼を見て、皆がざわめき始めた。
保安官達も顔を見合わせる中、ロレンツォは、構わずに杭を引っ張り続けた。
見かねたニコーラが丸太から立ち上がって駆け寄り、一緒に引っ張ると、やっと一本の杭が抜けた。
声を上げたのは、腰を上げたダビデ。
「何のつもりだ。」
ロレンツォは、引き抜いた杭で、隣りの杭の腹を思い切り叩き、しびれた右手を軽く振った。
ざわめきに嘆きの声が混じり出すと、ロレンツォは紅潮した顔を皆の方に向けた。
皆の目を順番に見つめる。
不安、嘆き、絶望、怒り。いろんな目を見つけたが、ロレンツォにはそのすべてが下らない。
「じゃあ、言おう。こんな村、なかったんだ。最初から。」
住人達は黙り込んだ。
静かな時間は、ゆっくりと腰を下ろしたダビデに口を開かせた。
「何を言ってる。それじゃあ、俺達の記憶は?この村のものは?一体何を言ってる。」
気に入らないロレンツォが、ついさっき叩いた杭を蹴りつけると、杭は少しだけ傾いた。
「僕は、カーソンの死体が遠くの街で見つかったのが気の毒だと思ってた。ここの村の住人のうち誰かが、カーソンを殺して、誰にも分からない様に遠くに捨てたんだと思ってた。生ゴミみたいに。」
言葉の激しさに、思わず顔を横に振ったアシェリは、隣りにいたサマンサの手を握った。
喋るのはロレンツォ。
「ただ違う。彼は一人だけ移動させられたんじゃない。逆だ。この村が、村ごと移動したんだ。」
住人達は、やはり静かなままである。
「今日、連邦捜査局から連絡があった。M州の思想集団を片っ端から調べてもらった。子供を戸籍に入れない様な異常な集団をだ。」
ロレンツォは、今度は、持っていた杭で、ダビデを指した。
「記録はあった。彼らが暮らしていた土地の所有者は、ロベルト・ガルシア。君と苗字が同じだ。国を侮るな。住人の記録もある。メモだがな。アシェリにサマンサ、ダビデ、アイザック、ダン、イザベラ、エリヤ、クロエ。以下、省略だ。そうだ、リア。君には前科もあった。ニコーラに免じて、ここでは罪名は言わないが、そっちは公文書だ。税務署のメモだが、どのテントに誰が住んでるかも記録していた。それが…。」
ロレンツォは振り返り、少し倒れていた杭の腹を、また杭で打った。
杭は、とうとう倒れた。
リアは、泣きそうな瞳で、ニコーラと視線を合わせた。
怒れるロレンツォの言葉は終わらない。
「それが、この村の配置と全く同じなんだ。違うのは広さぐらいだ。テントの位置も住人の名前も、完璧に一致する。何故か。」
ロレンツォは、全員を睨んだ。
「ふざけてる。ボロを出さないためだ。何十年と繰り返してきた思い出を口にすれば、僕達は信じてしまう。ただ、ディテールまで合わす事はできない。だから、どこかが曖昧。実在しない様だが、長い歴史を感じさせる。浮遊する様な。それが、この妙な空間の仕掛けだ。」
次の杭に向かおうとしたロレンツォをニコーラが止めると、勢い余ったロレンツォは、また皆の方を向いた。
口を開いたのはダビデ。
「何のために、そんなことをする。こんな放射能まみれの土地に、ギャングの街の隣りにわざわざ住もうとする理由は何だ。」
ロレンツォの苛立ちは極まった。
「それもだ。それを言えば、僕達が黙ると思ってる。君達の狙いは分かった。これしかない。カリホルニウム。グラム一億の人類の最高級品だ。」
ロレンツォは、村のお決まりの説明に入った。但し、少しだけ詳しい。
「この土地には、元は研究所があった。エプシュタインの。そうだろ。そこが潰れた時、君達の親は、つまり、アシェリ達は、解雇された腹いせに放射性物質を隠したんだ。それは、研究者達が長い間ずっと味わっていた緊張と不安を、一瞬でも思い知らせたいぐらい。ただの悪戯だった筈だ。ただ、エプシュタインは、すべてに疲れ切ってた。カリホルニウムを探して売ろうとも思わない。要らないもの、興味のないもの。見る気もしなかった。誰かが刑務所に行くだけでよかった。それだけじゃない。金も国の手続きも、アシェリ達が存在していたことすらも。全部、どうでもよくなった。そのまま建物を取り壊したんだ。」
俯いたサマンサがアシェリに寄りかかると、アシェリはその肩を抱き、大きくうな垂れた。ダビデの顔は歪んだが、老人達が幾ら悲しもうと、ロレンツォの話は終わらない。
「君達は科学を否定した。金も要らない筈だった。でも、何かのバランスが崩れたんだ。どんな危険な思いをしても、金になるカリホルニウムが欲しくなったんだ。きっかけは、一人の若者の脱走だったのかもしれない。その若者と外の世界の悪い仲間の付き合いだったのかもしれないし、その若者の死だったのかもしれない。とにかく、どうしても金が欲しくなった君達は、芝居をしかけてきた。保安官に。連邦捜査官に。」
ダビデは胸を張った。
「本当に探し物があれば、こっそり探せばいい。こんな村なんかつくらないだろう。手間だ。何より、俺は保安官に助けを求めた。わざわざ、盗みをするのに、保安官を呼ぶ奴がいるか。」
ロレンツォは、住人達の顔を見渡し、ニヤつくアイザックと目が合うと反らした。
「簡単だ。カリホルニウムを探すには、時間がかかる。動物とテントを車で運ぶどころじゃない。重機で掘り返さなきゃいけない。それもギャングの街の隣りでだ。君達は、まずは僕達の聴取を受けることで、自分達がこの土地に住み続けているエビデンスを残して、占有権を主張しようとしたんだ。」
今までとは違い、ダビデが答えるまでに、小さな沈黙が生まれた。
「じゃあ、何で、最初から皆で移り住まない。何で、誰か一人がいないことにしなかった。カーソンが死んでたし、その方が自然じゃないか。」
ロレンツォは小さく笑った。
「君達が、根っからの犯罪者集団じゃないことが大きい。ダビデ。リーダーの君が一人で行動して、まずは保安官達がどうでるか試したんだ。リアも続いて、僕達に免疫をつけてから、仲間を呼んだ。それでも、全員が一度に移ることはなかった。詐欺は犯罪だ。住人全員が犯罪に踏み切るには、そのぐらいの躊躇があって当然だ。いや。逆に、君達は、保安官の元に身をおくことで、残りの住人を逃げられなくしたのかもしれない。この下らない嘘でボロを出さないためには、住人全員の協力が必要だから。」
ダビデの眉間に深い皺が浮かぶと、少しだけ満足したロレンツォは、改めて場内を見渡した。
後方に座るのは、不安げなエリヤとクロエ。
幸せな顔ばかりを見せてきた二人の顔が曇っている。
関わり方は人それぞれ。皆の気持ちを想えば、話の先を急がなければならない。
「リーダーには、いろんなタイプがいる。ダビデだけじゃない。オリバーに、あのグザヴィエもそうだ。誰もが興味深いが、共通するのは、誰かのために何かをするところだ。人間は、誰かのためを思うと、時に無茶をする。無茶をする人間は、大体、誰かのためだと思ってる。だから、何をやっても、自分に罪はないと信じられる。ダビデ。君は、自己犠牲も厭わなかった。だが、君は一線を越えて、皆を間違った方向に導いた。君は、リーダーとして間違えた。」
ダビデは、小さく顎を上げてから口を開いた。まだ、彼の目には力が残っている。
「ヨウ素はなんで持ってたんだ。カリホルニウムに効くのか。」
ダビデはロレンツォの話と根本的に向き合っていない。
ロレンツォの推論の抜けを探しているだけである。
しかし、すべては無駄。
ロレンツォには、今まさに、これだけの人数を断罪している認識がはっきりとある。
準備は怠っていないのである。
「それはこうだ。紛失した放射性物質は一種類じゃなかった。それをアシェリは知ってる。この土地に来るとき、備えとして準備してたんだ。」
ダビデは聞いていない。ロレンツォが話す間も俯くだけで、次の言葉を探していたのである。
ダビデは、ロレンツォの言葉が終わると顔を上げた。次の矢を放つのは今。
「リアとお前の相棒がさらわれたのは?」
「それを聞くか。」
ロレンツォは目を細めると、全員に話しかけた。
「村の皆は知ってるか。今日、グザヴィエ達が逮捕されたのを。撃ち合いになって、何人も死んだ。僕の目の前で、何人も、何人も。」
住人達は声を上げ、どよめきを起こした。
それは良心が残っている証。
口を閉じているのはダビデとリアにアシェリ。アイザックは笑っている。
“〇〇〇〇!”
ロレンツォは、大嫌いなアイザックを心の中で罵った。
「あいつらは悪い奴らだったが、死ぬ事はない。一人残らず、立ち直らせてやりたかった。家族や友達や世話になった人達、皆に謝らせて、普通の生活をさせてやりたかった。極みを求めて自分を磨き、美しいものに感動し、か弱いものを優しく育て、心の機微に泣き、笑う。普通の生活。愛だって、語らせてやりたかった。でも、世の中には、相手が悪人と決めつけると、何をしても平気な奴がいる。そういう腐った奴が、無茶な罠を仕掛けた。そう思った。」
ダビデの表情を見る限り、彼の心には響いていない。
それは、或る意味、ロレンツォの想像通り。
「でも、考え直した。すべてが上手く行く訳じゃない。君達は、多分、ダビデは、グザヴィエが村に脅しに来たから、仕返しがしたかっただけじゃないか。それが、他の誰かが勝手に動いたか、皆が過剰に反応した。すべては偶然。そのぐらいじゃないか。どうだい、ニコーラ。君を襲った相手に心当たりは?」
ロレンツォは、態度の変わらないダビデからニコーラに視線の先を移した。
ニコーラは、皆の視線を受けると首を傾げた。
彼は、月が完全に雲に隠れた僅かの間に縛られ、袋を被された。
あの場所、あの時間。
リアが絡んでいないと考えるのは難しい。二人に怪我がなかったので猶更である。
ニコーラは、悲しい想像に疲れた目をリアに向けた。
リアがすぐに顔を横に振ったのは、ニコーラが自分だけを見ていると思っているから。
彼女は、きっとニコーラを頼っている。
もう口先だけで済む様な問題ではないことを、彼女はまだ理解できていない。
ニコーラが深い溜息をつくと、ロレンツォは自分の頭に描いたシナリオに戻った。
「そうだ。君達は、けむたいギャングを追い出すのに成功したんだ。唯一のネックは、カーソンの死体が見つかったことだろう。でも、これも、全てが彼の死がきっかけなら、大した失敗じゃない。庇いきれなかった殺人犯を突き出して、連邦捜査官の頭に袋をかぶせた罪で、誰かが一回留置所に入れば、あとは安泰だ。税務署のメモの事だって、偶然の一点張りで通すんじゃないか。百人以上が言い通せば、勝てなくても決着はつかない。考えても、そのぐらいだろう。」
口を開いたのは、首を伸ばしたエリヤ。
「この村をどうするんだい。」
隣りのクロエは、エリヤの腕に手を添えている。
ロレンツォは、この状況でも将来の事を語るエリヤを見つめた。
彼だけが、完全にクリーンとは思えない。
「まず、森は封鎖し続ける。放射線で汚染されてる。ご褒美のない状態で、皆がいつまで団結できるか、やってみるといい。保安官の提供する食料にも限りがある。生活が苦しいのは、君達だけじゃない。再出発しても、おかしくない頃になってまで、支給は出来ない。それから、エプシュタインの弁護士しだいでは、裁判もありうる。この一帯の開発計画もあるが、金がもらえると思ったら大間違いだ。相手はプロだ。何か言えば、追い込まれる。いずれにしろ、ここにいても得はない。」
再び、静寂が訪れた。
口を開いたのは、未だに目の輝きだけは失わないダビデ。
「ロベルトと俺の関係を示す資料は?」
ロレンツォは、冷めた目でダビデを見ると、顔を横に振った。
戸籍はないのだから、ある筈がない。
そもそも百人以上の名簿が合うのに、聞くことではない。
子供の喧嘩である。
ロレンツォは皆に問いかけた。気持ちに訴えるのである。
「カーソンの事は?皆、カーソンの事はいいのか。仲間が死んだんだ。悪い奴らに殺されたんならいい。ただ、違う。ここの住人の中に犯人がいる可能性が限りなく高い。君達は殺人犯を庇い続けるのか。一緒に生活できるのか。」
ロレンツォが見たのは、自分を見る冷めた眼差し。全員である。
カーソンは殺されて当然だったということ。
そして、殺した人間は、誰もが庇いたくなる様な存在ということである。
前にも口にしたロレンツォの読みは、決して間違っていない。
ロレンツォは、容疑者の顔を思い浮かべたが口にはしなかった。
確かな手間なのである。
「まあ、いい。殺人事件は、州警察の仕事だ。いずれ解決するだろう。どうするのが得か、ゆっくり考えることだ。」
それでも口を開いたのはダビデ。
「殺人は州警察。放射能は保安官。俺達のことは兵糧攻めで手をつけない。今から、全員を調べて、ニコーラに袋を被せた奴でも探すのか。結構な時間をかけた筈だ。その程度で帰れるのか。」
さっきから、一体、何を聞いているのか。
ロレンツォは、ダビデのすべての武器を奪った筈である。
きっと、もうダビデは意地だけで話している。何でもいいから、何かでロレンツォの落ち度を認めさせたいだけ。
ロレンツォは、吐き捨てる様に答えた。
「くだらない。少なくとも、グザヴィエは捕まえた。何年かは街を離れる。あの街の一番の強面も死んだ。僕は、この地域一帯に莫大な貢献をした筈だ。シャンパンの栓でも抜こうと思うぐらい。大手柄だ。」
勝ち誇るロレンツォを見据えるダビデの顔から、その時、不意に力が抜け始めた。
ゆっくり、ゆっくりと表情が変わっていく。
今までと何が違ったのかは分からない。だが、彼の中で何かが切れた様だった。
ダビデの両肩は心なしか下がり、常に精悍に見えた彼の印象を変えた。
自白の後によく見る光景である。
ロレンツォは、皆の顔を見渡すと、最後通告をした。
「悪い事は言わない。捜査に協力した方がいい。ほとんどの皆は軽犯罪だ。いい話が待ってるかもしれない。自分達の将来を考えるんだ。」
住人達は、隣りの仲間と顔を見合わせ、ざわつき始めた。
話していないのは、ダビデにアイザックにリアだけ。
きっと、この村の結束は数日のうちに崩れる。
ロレンツォは、今日の一日を振返った。
ニコーラの拉致。
ギャングとの銃撃戦。
住人全員を前にした議論。
その全てに勝った。
ロレンツォはよく頑張った。頑張り過ぎたぐらいである。
ロレンツォは、どよめきの中、一人で呟いた。
「今日は疲れたな。」
隣りにいたニコーラだけに聞こえるぐらいの小さな声。
ずっと手に持っていた杭を横に放ると、ロレンツォは、オリバーを探した。
「オリバー。後は任せるよ。」
オリバーは頷き、手を差し伸べた。
事件の解決を祝う握手。お別れである。
ロレンツォは、杭を持っていた手の汚れを気にすると、ハンカチで拭ってから固い握手をした。オリバーの笑顔は清々しい。口を開いたのはロレンツォ。
「ありがとう。助かった。」
オリバーは何度も頷いた。
「こちらこそ。手柄までおいて行ってくれて。」
「いや、関係者の数が多い。調書が面倒だし、ただの詐欺だ。僕はグザヴィエとスクワドだけで十分だ。」
おそらく本心である。心が通じた気がしたオリバーは、ロレンツォの手をもう一度握り返した。
手を放した潔癖症のロレンツォが、ハンカチで手を拭いたのは言うまでもない。
ロレンツォが歩き出すと、ニコーラはオリバーとマシューに手を振り、後を追った。
ほとんどの住人が、座ったまま、二人の姿を目で追い、顔を動かす。
無数の目が並ぶ中、ニコーラはリアを見つけ、そしてその目から逃げた。見るに堪えないからである。
二人が横を通り過ぎようとした時、やはりリアは口を開いた。
「ニコーラ、信じて。全部、出鱈目よ。調べれば、きっと分かってもらえる。」
思わず足を止めたニコーラは、リアの顔を見てしまった。
彼女の目には、うっすらと涙が滲んでいる。
ニコーラは切なくなった。
ロレンツォが皆の前で口にした内容は、ほぼ全てが事実。
彼女は、他の住人とは違う。
どこまで関与しているかは分からないが、少なくともダビデと同等。
法の裁きは免れない。
ニコーラは、リアの今後に一瞬だけ思いを馳せると、何も言わずに足を進めた。
アシェリにサマンサ、アイザック、エリヤにクロエ。
不安だらけの皆の目が、ゆっくりと通り過ぎていく。
やがて、最後尾に来た時、ロレンツォは、皆の陰に隠れていた大事な一人を見つけた。
小さな、小さな住人。
ケイデンである。
その瞬間、ロレンツォの頭に、寂しそうな子供の姿がフラッシュ・バックした。

激しい雨の中、しゃがみ込む子供。Tシャツは薄汚れている。
足は裸足。髪の色はロレンツォと同じ。顔は細い腕で隠れている。
子供に向かって、大勢の大人が走り寄る。
髪の色が同じ大人が、子供を抱き寄せ、顔を隠していた子供の手が除けられる。
子供は怯えているのか、顔を大人の方に向けることはなく、目も閉じている。
大人が構わず、頬ずりし続けると、子供はゆっくりと瞼を開く。
冷めた瞳の色は、ロレンツォと同じ。顔つきも、ロレンツォに似ている。
雨は彼らの肌を容赦なくたたき続け、子供が震え始める。

いつもと変わらないイメージ。
村の全ての住人が後ろを振り返る中、ロレンツォは、ケイデンの肩に手を置いた。
立ち上がったのは、今や一番遠くに見えるダビデ。
彼には、まだ譲れない一線が残っているのである。
ロレンツォは、ケイデンの肩を掴むと、その手にゆっくりと力を込めた。
子供には痛いぐらいの筈だが、ケイデンは反応しない。
彼にとって、この世はもう現実ではないのかもしれない。
ロレンツォは、目を大きく見開き、瞬きすることなく、ケイデンを睨んだ。
それはロレンツォの特技。
冷めた目のケイデンとロレンツォが見つめ合う時間が、静かに過ぎていく。
とうとうダビデが歩き始めると、ニコーラが口を開いた。
「よそう、ロレンツォ。きっと、時間が解決してくれる。」
それは、ケイデン以外の一七一人、村の住人全員の気持ち。
ロレンツォの出した答えには、ニコーラも気付いていたが、軽はずみには口に出来ない。
彼らをよく知る筈の州警察に頼むのが正解。その筈である。
ロレンツォは、小さく頷くとケイデンの肩から手を離した。
ケイデンは、やはり何も喋らない。
彼の頭の中で、今、何が起きているのか。
何を感じているのか。
何故、助けを求めないのか。
そんなにも、大人が信用できないのか。
誰がそこまで彼を傷付けたのか。
一体、何を見て、何を聞いたのか。
そもそも、彼は…。
ロレンツォは、小さく顎を上げた。切りがないのである。
ロレンツォが大きなストライドで歩き出すと、ニコーラも静かに続いた。
間もなく、ダビデはケイデンの元に歩み寄り、他の住人達は、静かに二人を囲んだ。
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