第5話 再演

文字数 5,780文字

オリバーはパトカーを出すと言ったが、ロレンツォが断り、三人はSUVで丘に向かうことになった。他人の車の臭いの感想を言う機会は、少ないに越したことはない。
オリバーは助手席、ニコーラは後部座席。ハンドルを握るのはロレンツォである。
口を開くのもロレンツォ。
「あの丘は、地元の人間にとって、どんな場所なんだ。」
ジャスミンと違い、オリバーは民間人ではない。仕事の臭いに、ニコーラは、助手席にレコーダーを伸ばした。
レコーダーとの距離の思いのほかの近さに、オリバーは軽く仰け反った。
「とにかく、誰も近付かない。ただ…。」
「ただ、何?」
ロレンツォが急かすと、オリバーは躊躇いながら口を開いた。
「昔、ここで保安官になった時に言われたよ。ボスから。」
「何を?」
ロレンツォがオリバーを一瞥すると、動きを感じたオリバーもロレンツォを見た。
喋るのはオリバー。
「あそこに関わると不幸になるから、絶対に近寄るなとか。そんなだ。」
オリバーの目が曇ると、ロレンツォは鼻で笑った。
「漠然としてる。それが警官に通じると思った理由が分からない。」
ロレンツォの素直な感想に、オリバーは、窓の外を見ながら小さく頷いた。
「何も教えてくれないから、ボスが何かやってると思った。当時はね。それで、そのまま。街の皆も近付かないから、保安官としては用が無かった。」
確かに言い淀む内容ではある。ロレンツォが選んだのは軽口。
「駄目だろ。ちゃんと調べて、逮捕しなきゃ。」
ロレンツォとオリバーは笑ったが、笑いが一人分足りない。
ロレンツォは、バック・ミラーに目をやり、ニコーラを探した。
レコーダーを持つ彼の顔は、意外と近いが、どこを見ているのか分からない。
ロレンツォは、後ろを一瞬だけ振り返った。
「ヘイ。」
反応の遅れたニコーラは、目の位置を変えずに、口を開いた。
「多分、尾けられてる。後ろのブラックのセダン。男二人。揃ってサングラスだ。」
ニコーラは、バック・ミラーで後ろを見ていたのである。
オリバーはスマートフォンを取出した。
お揃いのダーク・スーツにブラック・タイ。支給品に見える。
「知ってる顔?」
「いや、見ないな。」
ロレンツォの質問に、オリバーは短く答えた。
ニコーラは、助手席に伸ばしていた手を引き、レコーダーのスイッチを切った。事態は変わったのである。口を開いたのはニコーラ。
「僕の目が確かなら、あれはミックとキースだ。」
確かに、ハンドルを握る男は、ミックに似ていないことはない。
無駄な冗談を、ロレンツォは鼻で笑った。
「あの格好はないだろう。」
ニコーラが肩をすくめたが、運転するロレンツォには見えない。
オリバーは、セダンの二人の写真をとると、ロレンツォにメールで送った。

ロレンツォは、何事も確かめる男である。
角があれば曲がり、緩急もつけてみる。しかし、セダンとの距離は変わらない。
呟いたのは、ニコーラ。
「〇〇〇〇。」
尾行ではなく、それを意識させる行為。脅しである。
やがて、連なる丘に近付くと、アスファルトの舗装は終わり、曲がりくねった一本道に入る。もう後戻りは出来ない。車を止めれば、何かが起きるのは確実である。
凹凸道にどんなに揺られても、止まる事は出来ない。
バック・ミラーを気にしつつ、減速してはカーブを曲がる。
それを何度繰返した時だったか。ロレンツォは、急ブレーキを踏んだ。
ヤギである。
微笑んだロレンツォは、法の統治が及ばない生き物が、自然に去るのを待った。
ヤギが道草を食べ続けた時間は十秒以上。
優しさの限界に達したロレンツォが、クラクションを短く鳴らしたのである。
車との力の関係を理解したヤギは、早足で道を除けた。
曲がった先までは分からないが、後ろにセダンの姿はない。
ロレンツォが車を出すと、逃げたヤギがバック・ミラーに映り込んだ。やはり、草を食べている。ヤギの姿は徐々に小さくなり、間もなくカーブの向こうに消えた。

その後、ミックとキースのセダンが姿を現すことはなく、別の車が後ろにつくこともなかった。
「いなくなったね。」
ニコーラがコメントすることで、三人の認識は一致した。
警告の時間は、終わったのである。

曲がりくねる山道を走り続けると、周囲は、草の揺れる丘から、セコイア・デンドロンの混ざる鬱蒼と茂った森に変わる。
道の不陸はいよいよ大きい。
暗いほどの森の向こう。
強い陽射しを受ける真っ白な世界が見えたのは、縦揺れで頭を打たない速さを覚えた頃。
右手の畑のライト・グリーンが際立ち、左手の動物達は奇跡を感じさせる。
奥には、古びたテントの群れ。人が住んでいたことは、疑う余地がない。
ロレンツォとニコーラは、静かに全てを受け入れた。

車を停めたロレンツォは、車外に出ると、ハンカチで鼻を押さえた。
続いたニコーラは、軽く鼻を鳴らし、ロレンツォの動きの理由を確かめた。想像通りの田舎の臭いである。
オリバーも車を降りると、ロレンツォは、取敢えずの感想を口にした。
「イクサックがこれを知ったら、驚くだろうな。自分の土地に、知らない間に、キャンプ場と牧場と農場が出来てる。」
オリバーは、付合う程度に微笑んだ。
スマートフォンを取出したロレンツォが村の写真撮影に入ると、ニコーラは牧場に向かって足を進めた。
人の姿を認識したヤギが集まってくる。慣れているのである。
ニコーラは、足元の草をちぎって、柵に近寄り、愛らしい彼らの鼻先にあてがった。
歯茎をむき出し、口を忙しく動かすヤギ。
かなりの数を飼っているが、皆、アルパイン種。道で見たヤギと同じである。
一匹、一匹を静かに眺めたニコーラは、やがて、子ヤギに背に乗られる雌ヤギを見た。
次の世代が育っている。それは、ヤギ達がこの地で過ごした時間の証し。
間もなく、追いついたロレンツォは、ニコーラの隣りで、何枚か写真を撮った。
ニコーラは、隣りの柵に足を進めた。
ブタが見えたのである。肌の色で判断する限り、デュロック種。
繁殖用のブタを囲うスペースはないので、平和な気持ちになれる。
更に隣りはニワトリの柵。
ゼブラ・カラーのボディに、トマト・レッドの鶏冠。プリマス・ロックである。
ニコーラは、ビビッドな色合いがせわしなく変わる、ある種の絵画に魅了された。
振り返って、目に入るのは畑。
ニコーラの傍を離れたロレンツォは、畑の全景を撮ると、ゆっくりと歩み寄り、葉の種類毎に畑の写真を撮った。
ついて回るオリバーの横で、ロレンツォは、乾いた土の塊を指先で砕いた。
ここに、大勢の人間がいたのは確か。早く皆が戻って来なければ、動物も植物も、すべての生き物が死に絶えてしまう。

次に、彼らが向かったのは、問題のテントの群れ。無人である。
微かな風がキャノピーを揺らしている。
すべてが十分に古いことは、生地に幾重にも重なるシミを見れば、一目瞭然である。
ロレンツォは、一度溜息をつくと、ハンカチをしまい、両手に手袋をつけた。
田舎の臭いだけではない。
他人の部屋を見るのは、彼にとって、苦痛以外の何物でもないのである。
一番手前のテントの前でしゃがんだロレンツォは、スライダーを勢いよく開けた。
中は思ったより広い。
ブランケットとマットレス、棚や小さなテーブル。
棚には食器類が並び、テーブルの上には本や雑誌も積んである。
雑誌の日付は新しいので、彼らが街に出ている事は確か。
まずは目にする全てが整然としている。重要な点である。
争った形跡はないということ。
大人数を無理に連れ出すには、何かしらの暴力が不可欠である。
誰も知らない森から、全員を連れ出したのに、暴力の痕跡を断つ理由はない。
写真を撮るロレンツォを避け、先に足を踏み入れたニコーラは、ブック・カバーに包まれた一冊の本を見つけると、手を伸ばした。
表紙を開き、現れたタイトルはプリンキピア。アイザック・ニュートンの名著である。
村をつくったのは元研究者の家族。
ダビデの言葉を裏付ける証拠の品の一つである。
続いたロレンツォは、食器に手を伸ばした。
どれも仕上りが粗いので、おそらくは手製。
これだけの数を揃えるには、かなりの時間がかかる。
ロレンツォは、体毛を見つけると、証拠品袋に納めた。DNA鑑定のためである。

そのテントで出来ることを終えた二人は、中を覗き込んでいたオリバーを避けて外に出た。テントの数は四十七張り。先は長い。
オリバーは、二人が出たテントのスライダーを下ろすと、二人の背を追った。
オリバーが黙っているのは、この事件に入れ込むつもりがないから。
意見が割れた時、自分が間違っていると格好がつかない。相手が連邦捜査官なら、すべてにおいて傍観者でいるのが正解。それが、過去の経験から導き出した、オリバーの答えである。
ロレンツォが次のテントの前で腰を下ろした時、立っていたニコーラの目の端を、何かが過った。
ニコーラが見つけたのは、よろめく女。
ダーク・ブロンドのロング・ヘア。服装はダビデとほぼ同じに見える。
ケガをしている様には見えない。
ニコーラは、迷わず声を上げた。
「ヘイ、ダイム!」
十点満点の女性の誉め言葉である。
ロレンツォとオリバーは、声を上げたニコーラを見ると立ち上がり、彼の視線の先を探した。
三人にターコイズ・ブルーの瞳を向けた女は、オリバーのキャンペーン・ハットを見つけると、ゆっくり歩み寄って来た。

陽が沈んだシレーネのレストラン。
今日は他にも利用客が数組いる。昨夜は、奇跡の夜だったのである。
ロレンツォは、オリーブ・オイルの香る、程よい塩加減のタルタル肉を口に運ぶと、アルヌーのピノ・ファンで口をすすいだ。
生肉には抵抗があったが、ジャスミンが、アリは入ってないと残念そうに言ったので、好奇心に負けたのである。
結果、ロレンツォは今日の一皿に感謝した。
客がいるせいか、レストランのスタッフも増えてはいるが、ジャスミンは、今日も、ロレンツォ達のテーブルに座りこんだ。理由は知らない。
「それで、その女は何なの?」
ジャスミンに聞かれたニコーラは、グラスを置いて、口を開いた。勿論、問題のない範囲である。
「リア・フローレス。ダビデの仲間だ。記憶喪失になってるとこまでお揃いだ。」
「カモン。」
ジャスミンが笑っても、ニコーラの調子は変わらない。
「落ち着いたもんなんだ。連邦捜査官と言っても、表情一つ変えない。村の仲間の名前も、聞く限りはダビデから聞いた名前ばっかりだし。あと、アシェリの特徴。」
ジャスミンが口を挟んだのは、正確な会話を求めているから。
「アシェリって?」
ニコーラは、笑顔で説明を加えた。
「村の長老なんだ。ロレンツォが、ダビデから特徴を聞いたんだけど…。」
名前を出されたロレンツォは、ニコーラを少し見ると、また、グラスを傾けた。今日のピノ・ファンは美味い。口を開いたのはジャスミン。
「全部、当てたの?」
「そう、当てた。」
ニコーラが短く答えると、ジャスミンは小さく笑った。
嬉しそうなジャスミンの態度は、ロレンツォの期待とは少しだけ違う。
「じゃあ、君はリアのことは知らないんだな。この女だけど。」
ロレンツォは、胸元からスマートフォンを取出し、リアの顔写真を見せた。
スマートフォンの角度に合わせて、首を傾げたジャスミンの答えは、自由である。
「女優みたいね。」
知らないと言ったのと同じである。口を開いたのはニコーラ。
「見たことも?」
ジャスミンは、ニコーラを一瞥すると、写真を見ながら、短く答えた。
「ないわね。」
ニコーラは何度か頷いた。
「この人の少ない街でも知られてないんだから、彼女はあのキャンプに籠っていたか、別の所から来たと考えるのが正しいね。」
ロレンツォが声を被せた。
「それが正しい。ダビデは、別の場所からリアを連れて来たと言ってた。いつとも言ってない。」
ジャスミンの口から洩れたのは、捜査とは関係ない言葉。
「どんな人?いい人?」
ロレンツォは、眉を上げると、ワイン・グラスに手を伸ばした。答えるのは、微笑んだニコーラ。
「あの村に行って、友達になるといいよ。」
ロレンツォは笑った。
照れたジャスミンは、連邦捜査官に相手にしてもらえそうな言葉を選んだ。
「じゃあ、誘拐事件は本当にあったのね?村の人全員の。街のすぐ近くで。」
ロレンツォは、まじめに答えた。無駄な不安を煽らないのは、彼の義務である。
「二人が口裏を合わせて、練習してただけかもしれない。仮に誘拐があったとしても、まだ、大人数とは限らない。無茶をした痕跡もない。」
ニコーラも言葉を加えた。
「そもそも、ギャングの街の隣りで誘拐事件が起きたとして、今までと何か状況が変わるかい。」
ジャスミンは、難しい表情のまま、ポン・レヴェックを口に運んだ。深く考えてはいない。
口を開いたのはロレンツォ。
「そう、それと…。」
ロレンツォは、スマートフォンで別の写真を選んだ。オリバーから転送された写真である。
「この男達を知らないかな。」
ジャスミンは、ロレンツォのスマートフォンに手を添えると、二人の顔を拡大した。
ニコーラは放っておかない。
「見ての通り、ミックとキースだ。」
懲りない冗談に、ロレンツォはニコーラを指差した。感想を口にしたのはジャスミン。
「そう言われてみれば、似てるかも。」
ロレンツォは、はっきりと言い切った。
「違う。全くの別人だ。」
何を言われてるのか分からないジャスミンが写真に目を戻すと、ロレンツォは言葉を続けた。
「見る限り、Eの奴らじゃない。奴らは、スーツは着ないだろう。」
取敢えず、自分とは関係ないと判断すると、ジャスミンはワインを口に運んだ。
グラスの角度が変わるのを見ながら、口を開いたのはニコーラ。
「二人の姿を見たら、僕達に連絡を入れてほしい。」
ジャスミンはスマートフォンを出し、三人は連絡先を交換した。
ジャスミンの笑顔の理由は、人と知合う機会が少ないからで間違いない。
何となく雰囲気の出てきたジャスミンが口にしたのは、捜査への協力。彼女は、連邦捜査官の仲間なのである。
「保安官に言って、防犯の速報を流してもらわないの?写真とかも、すぐに配れた筈よ。」
ロレンツォは、優しいジャスミンに微笑んだ。当然、連邦捜査官はすべてを知っている。
「今はいい。この二人は、まだ何もしてない。どちらかと言うと、君さえ、気をつけてくれればいい。部屋に銃弾を置かれたりすると、気になって仕方ない。」
ジャスミンが目を丸くすると、ニコーラは小さく笑った。
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