第11話 発作

文字数 5,908文字

保安官事務所は、昨日から開設以来の忙しさに見舞われている。
村の二十四時間の警護に、十人一班の二班体制で当たることになったばかりか、住人全員の食糧と電離放射線健診の手配を任されたからである。
昨夜一晩、九人の保安官補達を率いたマシューは、事務所に戻ると皆と別れ、執務室の休憩スペースに向かった。
オリバーが、二十四時間、詰めているのである。
キャンペーン・ハットを脱いだマシューは、額に張り付いたブロンドを手櫛で解きながら、口を開いた。
「おはようございます。」
ソファでうたた寝をしていたオリバーは、浅い眠りから覚めると静かに立ち上がり、自分のデスクに歩いた。
「お疲れ。お前のもあるぞ。一緒に食おう。」
「ありがとうございます。」
ドーナツである。
マシューは、コーヒー・サーバーに歩くと、二人分のブラック・コーヒーを淹れた。

二人でテーブルを挟んで座ると、オリバーはドーナツの箱を開けた。
オリバーが買ってくる、卵を使わないドーナツは、二人の間では好評である。
今日、マシューが選んだのはチョコ・ドーナツ。
チョコレートを練り込んだケーキ生地に、チョコレート・クリームを詰め込んだ上、ヴァローナのチョコレートまでまぶす。とろける様な甘さである。
マシューは、チョコの欠片をこぼしながら、ドーナツを頬張ると、コーヒーで口の中をすすいだ。
オリバーも続くと、甘さに目じりを下げたマシューが口を開いた。
「今日は、何か予定が入ってますか。」
徹夜明けのバディが、口の周りをチョコで汚すのを見ると、オリバーは小さく笑った。
「ロレンツォ達がもうすぐ来る。村をもう一度見たいんだそうだ。昨日の夜に電話があった。」
マシューは、しつこい甘さを消すために、もう一度、ブラック・コーヒーを口に運んだ。
喋るのはマシュー。
「今更、何を見るんでしょうね。」
オリバーは、箱の中のドーナツを物色しながら、答えを口にした。
「あれだ。帰って来てない奴らのテントの調査だ。もう一回な。帰って来てる奴らとの違いを探すんだ。」
甘さがなくなると、また、ドーナツに手が伸びる。マシューは、ドーナツを頬張ると、噛みながら話を進めた。
「そりゃあ、グザヴィエ達が全員を誘拐するよりは、住人同士のケンカの方がありえるって事ですか?」
オリバーは首を傾げた。
「まあな。でも、分からんよ。グザヴィエ達にとっての価値の違いを見たいのかも知れん。ただ、変に考えない事さ。関わっても、得はしない。」
マシューは、前に州警察が来た時の事を思い出した。オリバーの言う通り、何かを見つける度に怒鳴り合うのは、もう御免である。
マシューが残りの欠片を口に押し込むと、オリバーは言葉を続けた。
「まあ、知りもしないで、グザヴィエ達にカマかけたんだから、連邦捜査官は余程の大物なんだぜ。森の捜査や警備は俺達で、自分達はシレーネで豪遊だ。」
マシューは、コーヒーでドーナツを流し込むと、感想を口にした。
「シレーネには、高い物しかないですからね。」
「そうでもない。」
エントランスから聞こえた声の主はロレンツォ。
オリバーとマシューは、苦笑いを浮かべて、挨拶をした。幸い、ロレンツォには、マシューの最後の言葉以外、聞こえていない。
「マシューは疲れてるだろうから、休んでくれ。オリバー。一緒に行こう。君の出番だ。」

三人を乗せたSUVは、間もなく、森の村に乗込んだ。
警護の保安官補達の停めた三台のパトカーの周りには子供達の群れ。物珍しいのである。
ロレンツォは、クラクションを小刻みに鳴らしながら子供達を蹴散らし、パトカーの隣りに車を滑らせた。
追われるのが楽しかったのか、笑顔の子供達は、車から降りたロレンツォ達の様子を伺っている。
笑顔のニコーラが本当に子供達を追いかけ始めると、ロレンツォは、可愛らしい面々の中に、ケイデンの姿を探した。
求めて探したというより、見えないのが気になったのである。
テントへ歩きながら探し続けると、ロレンツォは、牧場の柵にケイデンを見つけた。
とにかく、じっと、こちらを眺めている。
ロレンツォが小さく手を振ると、二人の目は合ったが、ケイデンはすぐに顔を背けた。
彼は他の子供とは全く違う。
ロレンツォは、何とはなしに、気になる彼を眺めたが、視界に入る光景の隅々に気持ちが入り始めると、ゆっくりと、しかし、猛烈な違和感に襲われた。
大人の住人が、一人もいないのである。
不安に駆られたロレンツォは、ダビデのテントに向かって駆け出した。頼るべきは彼。
家畜達の臭いを通り過ぎ、目当てのテントに辿り着いて、スライダーに手をかける頃には、ニコーラとオリバーも追い付いていた。
「ダビデ、開けるぞ!」
返事を待たずに、スライダーを引き上げて中に入ると、ダビデは、マットレスの上に横たわっていた。
震えている。寝間着は汗で濡れ、地肌には玉の様な汗が浮かんでいる。
人の気配を感じて、顔の向きを変えたダビデの眉や鼻、頬から、大粒の汗がマットレスに垂れる。息苦しいのか、ダビデは寝間着の首周りを大きく伸ばした。
ロレンツォは、横たわるダビデの傍に跪いた。
「どうした!」
ダビデは、大きく体の向きを変えると、うなされる様に呟いた。
「暑い。暑い。」
もう一度、寝間着の首を引っ張ったダビデは、とうとう寝間着を脱ぎ、大きな息をした。
汗に濡れる肌が苦手なロレンツォがただ見ていると、ダビデは、脱いだ寝間着を口元にあて、不意に這い出した。
入り口のニコーラとオリバーを押しのけて、顔だけテントから出したダビデは、堰を切った様に嘔吐した。
三人の頭に真っ先に浮かんだのは食中毒。
昨日の食事は、保安官事務所の被災時用の常備品だったが、傷んでいたのかもしれない。
目を背けたニコーラは、二秒だけ考えると、走り出した。
食中毒なら、リアはどうなのか。
リアのテントについたニコーラは、キャノピーに向かって話しかけた。
「リア!大丈夫か!」
返事はなく、呻き声だけが漏れてくる。迷っている暇はない。
ニコーラは、スライダーに手をかけた。
「開けるぞ!」
「開けないで!」
リアの大きな声が聞こえると、ニコーラはスライダーから手を離したが、間もなく中から嘔吐する声が聞こえてきた。
心配で離れられないが、聞いているのも申し訳ない。
立ち上がったニコーラは、ついさっきまで居たダビデのテントに目を向けた。
ロレンツォは、もうテントから出ている。
目が合ったロレンツォは、小さく頷くと、隣りのテントに移った。リアの状態は伝わった様である。
ニコーラは、スマートフォンを手にした。救急車を呼ぶのである。

やはり、呻き声が漏れる隣りのテント。ロレンツォは、ニコーラの様な遠慮を持ち合わせていない。
「連邦捜査官だ!開けるぞ!」
ロレンツォが一気にスライダーを上げると、中には夫婦がいた。妻の背をさすっていた夫と目が合う。しかし、介抱している夫の額にも大粒の汗。
二人とも発症している。間違いない。
子供は大丈夫そうなので、対象は大人全員と考えた方がいい。
被害の規模を把握したロレンツォの頭は、自然と次の詮索へと向かった。
もしも食中毒ではなかったら。
血だらけの夜を思い出したロレンツォは、静かに恐怖した。

一方、テントの外に居たオリバーは、まったく別の不安を抱えていた。
こうしている間にも、何人かの住人が東の森へ消えた。東にはトイレがあるので、普通に考えれば、下している。
昨日の昼食以降、人によっては朝食から、オリバーが手配した食べ物を口にしている。
かなりの確率で、やってしまったのは彼。責任が問われるまで、そう時間はかからない筈である。
ただ、それは先の話。まずは救助活動。この場の仕切りが遅れて、罪状が増えるのは御免である。
オリバーは無線を手にした。メッセージを伝えた相手は、愛すべき保安官補達。
「全員、ダビデのテントに集まってくれ。住人が大量に体調を崩している。コピー。」
「了解。コピー。」
「了解。コピー。」
心強い仲間達の声が続く。
ニコーラが呼んだ救急車が来るまでの数分に、出来る限りの事をやるのである。
オリバーの指示で持ち場を離れた保安官補達は、必死で救護に当たった。
責任を感じたのは、オリバーだけではないということ。
程度に差はあるが、皆の症状はほぼ似通っている。
水を配るか、背中をさするか、トイレにエスコートする以外に、出来る事はない。
汚物の掃除は後。
保安官補が集まる物々しさに、騒動に気付いた子供達も集まる。親の異変に気付いた子供の声は甲高い。
森に姿を消す住人の数は、見る間に増えていく。急ぐ余り、他の住人とぶつかる者もいる。
汗と唸り声、異臭、汚物、絶叫、衝突に砂埃。
救護に没頭していたロレンツォ達の魔法を解いたのは、救急車のサイレンだった。

テントから出たロレンツォは、西へと続く道に救急車の姿を見つけると、安堵の吐息を漏らした。
取敢えず、三台。まだまだ、必要である。
周囲を見渡したロレンツォは、別のテントから顔を出していたニコーラを見つけた。
口を開いたのはロレンツォ。
「プロに任せよう!」
連絡を入れた当人であるニコーラは、小さく手を挙げると、救急車に向かって歩いた。

残されたロレンツォが顔を向けたのは東。救急車とは逆の方向。
救急車を見ていると、搬送が終わるまで気が抜けない気がする。
もう十分頑張ったロレンツォは、自分の中のスイッチを切ったのである。
しかし、東は東で、森の中にトイレがあるので、あまりいい気はしない。
森の中から帰ってくる住人が見える。
すっきりしたのか、背筋は伸び、口元に手をやるわけでもない。
出すものを出せば、救急車は要らなかったのかもしれない。
平穏を取り戻した住人の数は、徐々に増え始めている。
微笑んだロレンツォは、皆の顔を眺めた。
これだけの住人が回復した。
これだけの住人。こんなにも大勢の住人。
その時、ロレンツォの中で、静かな不安が込み上げてきた。
気のせいではない。
多すぎる。
知らない顔は一つや二つではない。見えるだけでも二十人かそれ以上。
ロレンツォは、周囲を見渡した。そうは言っても、かなりの数の住人が、その場に倒れている。すべてを吐き出したダビデもそのまま。
確かに何人かはトイレに行ったが、森から出て来ている人間の数の比ではない。
服装から考える限りは残りの住人。
しかし、タイミングが不可解。油断は出来ない。
ロレンツォは、IDを取出すと、声を張り上げた。
「連邦捜査官だ!全員、それ以上近付くな!その場で一列に並ぶんだ!早く!」
救急車に向かっていたニコーラが振り向き、保安官補達もロレンツォに目をやった。
問題の一団は、ただ歩き続けている。
普通ではない。
業を煮やしたロレンツォは、シグ・ザウエルP220を取出した。
「早く!」
P220を構えたまま、ロレンツォが見知らぬブルネットの女に近寄った時、ダビデが顔を上げた。
「よせ、ケガじゃ済まない。」
絞り出す様に話しかけた先はどちらか。
ロレンツォがダビデの方に振り返った瞬間、女は走り出し、住人達に動きが出た。
ロレンツォの前に残ったのは、特別、体格のいい三人の男。
ロレンツォが順番に銃口を向けると、隣りに駆け付けたニコーラも続いた。
素手の三人と、武装した二人。
ロレンツォに引金を引く気は毛頭ないが、銃を前にして動じない三人は不気味そのもの。
撃たれることを相手が気にしていないとすると、ニコーラと一緒に二人を撃っても、一人が残るので、どちらかが殴られる。
痛いのは面倒である。
ロレンツォの苦悩を終わらせたのは、オリバーと保安官補達。
キャンペーン・ハットの彼らが、ロレンツォ達の後ろに揃うと、三人は顔を見合わせ、両手を挙げたのである。
やがて、新しい異変に気付いた子供達が三人の名前を口々に呼び始めると、ロレンツォとニコーラは、ゆっくりと銃を降ろした。

騒動の最中、ケイデンは、森を東に抜け、草がないだけの道の上を歩いていた。
当然、行く宛はないが、少なくとも、村を出てはいけないという掟など、彼には関係なかった。
小さな歩幅で、ひたすら足を進める。
何の変化もない時間が静かに過ぎると、強い風が吹き、砂埃が舞った。
思わず目を瞑ったケイデンに訪れたのは音だけの世界。
何も急がない彼は、やがて、風の音の中に、重低音が際立つブラック・ミュージックが混ざるのを感じた。
何かが来る。
涙とともに目を開けたケイデンは、さっきまで何もなかった道を、一台の車が走ってくるのを目にした。
メタリック・パープルのダッジ・ラム・バン。決して、上品には見えない。
涙を袖で拭いたケイデンは、今までと同じ様に歩き始めた。
どこか怖いが、通り過ぎてしまえばいいのである。
程なく、間近に迫ったバンは、ケイデンの横で綺麗に止まった。
空気が揺れているのは、重低音のせい。
ケイデンが視線を向けた後部座席のパワー・ウィンドウが、ゆっくりと開いていく。
現れたのは、撫でつけたブルネット。額の色はダーク・ブラウン。
目、鼻、口、顎。そして、黒い服。
グザヴィエである。
口を開いたのは、微笑むグザヴィエ。
「ヘイ、ヌーブ。」
ケイデンは、グザヴィエを見つめた。
奥から顔を覗かせたのはアイヴァー。ホワイト・ブロンドが、ネオンに照らされている。
「見ない顔ね。」
グザヴィエは、固まったケイデンを見て小さく笑った。
「その恰好は、森の中の奴だろ。知ってるぞ。」
ケイデンの反応は、ロレンツォへのそれと変わらない。喋るのはグザヴィエ。
「挨拶がまだだったな。俺はグザヴィエ。こっちはアイヴァー。お前は?」
ケイデンのいつも通りの沈黙は、グザヴィエの声を荒げさせた。怒られたのは、運転席のルーク。
「ボリュームを下げりゃ、もう少し楽に話せるぜ。足りないのは、俺のテレパシーか。」
すぐにボリュームが下がると、グザヴィエはケイデンに静かに話しかけた。
「俺の知る世界じゃ、名乗られたら、自分の名前を言うぜ。お前ら皆、宇宙人って訳じゃないんだろ。」
ケイデンの表情は少しだけ険しくなったが、沈黙を選ぶのは同じ。
可愛いプライドを、グザヴィエは小さく笑った。
「好きにしろ。俺もガキの頃はそうだった。いいか、ヌーブ。フクロウは見てる。村に帰って、ボスにそう言え。」
アイヴァーは、グザヴィエに覆いかぶさり、身を乗り出すと、ケイデンに顔を近づけた。
ケイデンと比べると、アイヴァーはあまりに大きい。その差は力の強さのまま。
バンがゆっくりと動き出し、アイヴァーが車内に姿を消すと、代わりにグザヴィエが身を乗り出した。
笑顔のグザヴィエは、ケイデンに向かって、片手で銃を撃つ真似をした。
グザヴィエは、はぐれた子供が放っておけないのである。
ケイデンは、重低音が遠ざかるのを、静かに見つめた。
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