第7話 古株

文字数 8,138文字

朝四時半。陽の昇らないうちに、ジャスミンは、我が街Wの外れのアパートメントのベッドで目覚めた。
朝七時にホテルに居ればいいのだから、時間はまだ十分にある。
しかし、ジャスミンは、二度寝するわけでも、ベッドを出るわけでもなく、枕元にあったスマートフォンに手を伸ばした。
毎日少しずつ見進めてきた恋愛ドラマがシーズン12に入り、急展開を見せているせいである。
主人公の女性の恋人がシーズン10で死に、シーズン11で、主人公は今まで彼女を支えてきた親友と付き合い始めた。それが、シーズン12で、死んだ筈の恋人が実は生きていたことが分かる。
彼は、主人公の元に戻るために、幾多の試練を乗り越えようと全力を尽くす。
主人公が前向きに生きようとして、新しい恋人との仲が深くなる度、そして、二人が紙一重の所でもすれ違う度、ジャスミンは永遠に応援する恋の危機に、スマートフォンの前で身もだえするのである。
今日も、新しい恋人とのラブ・シーンをスキップし、何度か号泣した彼女は、アラームに急かされてベッドを出た。
洗顔にブラッシング、朝食の準備にもスマートフォンを持ち歩いたジャスミンは、窓際の小さな丸テーブルに移った。
並べるのは、スムージーにオートミールのポリッジ、スマートフォンである。
窓を開け、ドラマを見ながら、朝食。
準備にかけた時間より短い時間で食べ終わると歯磨き。
リップを塗ると、玄関に置いていたシルバー・メタリックの折り畳み自転車を手に取って出発。
それが、最近一か月の彼女の変わらないルーティンである。

数分でホテルに着くと、夜勤のフレデリックとの何の連絡事項もない引継ぎを済ませ、誰も来ないフロントからレストランのエントランスに移り、疎らな客をエスコートする。
いつものことである。
一時間後。どこか冷たいロレンツォは今日もレストランを素通りしたが、優し気なニコーラは顔を見せた。
「おはよう。」
「おはよう。」
笑顔で挨拶を交わしたジャスミンは、いつもの様に窓際に座るニコーラのために、新聞を運び、オレンジを絞った。
ワイアットの滑らせたプレートを運ぶと、ニコーラは探し物でも探す様に料理を眺め、香りを楽しんだ。
ジャスミンが見る限り、この辺りの仕草はロレンツォと同じ。おそらく彼の真似である。
美味しい事だけは保証できる。何故なら、高いから。
同じ値段を出せば、他の店ならもっといいものが食べられる。それも保証できる。
最近、勢いで値上げしたばかりという事も、きっと二人は知らない。
ジャスミンにとって、ロレンツォより一食多く食べるだけで、ニコーラは本当にいい客に見えるのである。
そのニコーラも、二十分も経てば朝食を終えてしまう。
ジャスミンは、全力の笑顔でニコーラを見送った。手も大きく振ってみる。
ジャスミンは、ニコーラから、そのぐらいの金をもらっているのである。

その日のロレンツォとニコーラは、一番に、テントのダビデを訪ねた。
管理官を初めとする連邦捜査局の一団が、捜査のために村に来ることを告げたのである。
ダビデは、表情を変えずに頷くと、杭で囲われた集会場に向かって歩きながら、皆を集めた。ダビデの掛け声は、彼の後ろに、見る間に行列をつくっていく。
数十人の住人がすべて集会場に集まるのに、大した時間はかからなかった。
特別な事を言うわけではない。彼は、ロレンツォに言われたことを、そのまま復唱した。
「皆、聞いてほしい。連邦捜査官からの連絡だ。今日、彼らの捜査団が村に来る。皆に話を聞きたいんだそうだ。時間は分からないが、来れば分かる。何かを聞かれたら、何でも答えてほしい。」
異論は聞こえない。皆、ダビデを見つめるだけである。
ロレンツォとニコーラが微笑む中、ダビデは言葉を続けた。
「俺は、皆が誘拐されたと警察に訴えた。皆は記憶がないかもしれないが、それは事実だ。俺は知ってる。警察を呼んだのはこっちだ。悪いが我慢してくれ。」
何人かが口を開いた。
「大丈夫。」
「謝らないで。」
「気にするな。」
「ありがとう。」
優しい村人達の顔を眺めるダビデを見ると、ロレンツォは小さく微笑んだ。

押収品から選りすぐったSUVやピックアップ・トラックが、パトカーを連れて、乗り込んできたのは、それから二時間後。
ダーク・スーツにブラックの肌が映える管理官は、鼻に指をあてながら、ロレンツォとニコーラに近寄った。先に口を開いたのは管理官。
「いいキャンプだ。」
「泊まりますか。」
ロレンツォの冗談に、管理官は口元を緩めたが、二秒で本題に入った。全体の指揮をとる彼の時間は貴重なのである。
「状況は?」
ロレンツォは、小さく頷くと説明に入った。
「誘拐事件の通報者はダビデ・ガルシア、四十三歳男性。自給自足の生活を送るこの村のボス格です。この村で、記憶のない状態で一人だけで目覚め、村の様子から誘拐を疑い、Wまで歩き、保安官に相談をしたと供述していますが、証拠はありません。昔、ここにあった研究所に勤務していた父親の代から、この地に住んでいると言っていて、住民票も戸籍もありません。父親は他界して、裏付けはとれませんが、経営難で研究所が取り壊されたのは事実です。研究所の当時の代表も他界していて、現在の土地の所有者は息子のイクサック・エプシュタインです。彼は謎の人物で、最近、姿を見た者はいません。弁護士が税金の支払いだけはしている状態です。」
ロレンツォは、管理官が頷くと、言葉を続けた。
「次に動きがあったのは一昨日です。リア・フローレスという村の住人が現れました。年齢は三十歳前後です。大人になってから、ここに連れてこられた様ですが、身分証明書も持っていません。村を存続させるために、時々、外部の血を入れていた様です。余所者ですが、ダビデと同じ村のボス格で、やはり記憶がないと主張しています。」
管理官が小さく笑うと、ニコーラも微笑みを返した。喋るのはロレンツォ。
「同じことを言う人間を二人保護したので、事件性が高いと判断し、昨日、この一帯を仕切るギャングのグザヴィエ達を訪問しました。」
口を挟んだのは管理官。
「グザヴィエか。どうだった?」
「グザヴィエ本人はよく喋ります。頭は悪くないと思います。仲間の中にはガラの悪いのもいますが、見た限りは、可哀そうな子供の域を出ません。」
管理官が頷くのを待つと、ロレンツォは説明に戻った。
「その帰りに立ち寄ったこの村で、住人のほぼ半数を見つけ、管理官に応援を依頼しました。全員、記憶がないと言っています。」
管理官は、首を傾げた。
「お疲れだな。」
口を挟んだのはニコーラ。
「あと、一度だけ、サングラスをかけた二人に車で尾行されました。その後、接触はありません。身元も不明です。」
管理官はニコーラに微笑んだ。
「ありがとう。君はどう見る?」
管理官が話しかけたのはロレンツォ。
「悪戯の線はありません。記憶がないという主張は、やはり異常です。脅されて、記憶を失った振りをしている可能性が高いと思いますが、それなら、ダビデが警察に通報した理由が分かりません。」
管理官が何度か頷くと、ロレンツォは言葉を続けた。
「薬物を使用した可能性もあります。失神させて村から連れ出し、記憶のないまま元に戻せば、出来ない事はありません。グザヴィエ達は薬も売っています。ただ、それなら、この村の住人を襲う理由が分かりません。車の二人も絡む何かが、この場所に潜んでいると思います。」
ロレンツォは、捜査官として忘れてはならない、ウェットなコメントを付け足した。
「一番、重要なのは、まだ戻ってきていない住人が、どこかで監禁されている可能性があるという事です。存在も疑わしい状況ですが、まずは被害者の特定を進め、一人の犠牲者も出さない様に全力で臨みます。以上です。」
管理官は、ロレンツォを見つめると、短い答えを口にした。
「正しいだろう。」
ロレンツォが何を言っても、管理官は同じことを言った筈。管理官は、ロレンツォにすべてを任せているのである。
ロレンツォの肩を叩いた管理官は、ニコーラに視線を移した。
「大変だな。」
話しかけられたニコーラは、軽く肩をすくめた。
ニコーラの内部告発で昇進した管理官は、ニコーラには極めて寛大。それだけである。
管理官は、右手を高く挙げて、皆の注目を集めると、指示を出した。
「保安官、保安官補には森の捜索を頼みたい。詳細はオリバーに任せるが、残りの住人が帰ってくる可能性も視野に入れてほしい。連邦捜査官は、二人一組で住人の聴取。彼らは今のところ被害者だ。世帯単位でいい。以上。」

ロレンツォとニコーラは、ダビデの選んだテントで、聴取を開始した。
クッションを並べて、最初に迎えたのは、アシェリとサマンサの夫婦。村のすべてを知るキー・パーソンである。
グレーの髪と髭、コバルト・グリーンの瞳。現れたのは、ダビデが口にしたアシェリの特徴通りの老人。服装は、ダビデと全く同じ。がっしりとした体格が、第一世代の彼が生き残った理由を物語っている。
アシェリは、ロレンツォと目が合うと、知的な笑みを浮かべ、クッションに腰を下ろした。
後から入ってきたサマンサは、最初から笑顔。ロール・アップしたグレーのロング・ヘアは艶やかで美しい。アシェリに似て、体格はいい。シャツはアシェリと同じだが、パンツと同じ生地のロング・スカート。若い日は美しかったことの分かる彼女は、アシェリに倣い、クッションに座った。
好感が持てる夫婦。何かが始まり、長く続く時には、最初にこういう人物が関わっているものである。
ニコーラがレコーダーのスイッチを入れると、簡単な自己紹介。話を聞くのはロレンツォ。事件を信じ始めたこともあるが、素敵なアシェリへの言葉遣いは丁寧になる。
「ミスター・アシェリ。ご職業は?」
「村人の一人だよ。」
アシェリの穏やかな返しに口元を緩めると、ロレンツォは質問を重ねた。
「ダビデから聞きました。この村を最初につくられたメンバーなんですよね。」
アシェリは小さく頷いた。
「ああ、そうだよ。彼の親と一緒だった。」
ロレンツォの質問のペースは速い。
「きっかけは何ですか。」
アシェリは、サマンサを一瞥してから、答えを口にした。
「この土地には、昔は研究所が建っていた。皆、そこに勤めてたんだが、潰れてしまって、建物もなくなってしまって。皆、一度、散り散りになったんだが、行き場のない仲間が出てきてね。ダビデの父親が金を出して、この土地に村を開いたんだ。」
ロレンツォには、譲れない一線がある。
「違法ですね。」
アシェリは首を傾げ、小さく笑ってから答えた。
「知らない人が聞けば、そう思うだろうね。ただ、あの時の研究所の潰れ方。あれは酷かった。まだまだやれた筈だが、経営者が無能だった。退職金もろくになかった。この土地だって、遊びっ放しなんだ。私達は、当然の権利だと思ったよ。」
アシェリは、サマンサと顔を見合わせて、また、小さく頷いた。
アシェリの言葉に村の実態を感じ始めたロレンツォは、静かに話を進めた。
「それが事実と証明できれば、占有権があるでしょうから、もう何も言いません。話は変わります。御出身はどちらですか。」
アシェリは、やはり小さく微笑んでから答えを口にした。
「二人ともWの出身だ。調べてくれれば、戸籍がある筈だよ。」
喋る二人の横で、ニコーラとサマンサの視線が合うと、サマンサは微笑み、ニコーラも彼女に倣った。
ロレンツォの質問は尽きない。
「他の皆は戸籍がないらしいですね。何故ですか。」
アシェリは、初めて、真剣な眼差しを見せた。
「ダビデから聞いている筈だよ。私達は、科学を捨てた世捨て人だ。自給自足で、自分達だけのルールで生きていた。」
ロレンツォは、無責任な響きに眉を潜めた。
「子供達から戸籍を奪う理由がありますか。いつか大人になる彼らに、外の世界の全てが間違ってるとでも教えたんですか。」
アシェリが慌てないのは、彼自身、十分に考えたことだから。
「少なくとも、私達がそこで生きるのは間違っていたから、拘らなかったんだよ。外の世界の全てを気にしなかった。」
ロレンツォの言葉は終わらない。
「そんな生活は続きません。ここから出れば、すぐに問題が起きます。そう思いませんでしたか。」
アシェリに悪びれる所はない。
「この生活がいつまでも続いて、この世界が広くなればいいと思ったけどね。」
確かな非常識である。喋るのはロレンツォ。
「それは、いつか、この村の生活が外の世界に広まると?」
アシェリは微笑んで見せた。
「幻想かな?」
「幻想です。間違いない。」
ロレンツォが短く答えると、アシェリは小さく笑った。
ロレンツォは、不意に語気を強めた。
「今回の捜査がおかしくなるのは、その幻想が原因だ。戸籍もない人間が大量に誘拐されたなんて聞いて、誰がまともに取り合うんだ。」
ロレンツォの微妙な怒りを感じとったアシェリは、無駄な微笑みを消した。
「そうだね。悪かった。犯罪が起きるなんて、想像もしなかったんだ。」
サマンサは、親子ほど年の離れた男に謝る夫の肘に手を添えると、静かに口を開いた。
「あなた達には分からないかも知れないけど、私達は、本当に仲良く暮らしてただけなの。皆で食べ物をつくって、困った事があったら、皆でどうするか考えて。暇な時間が出来れば、皆で遊んで。惹かれあった二人のために、結婚式を挙げて。子供が産まれたら、皆でお祝いして。それだけなの。自分の仕事が上手くいかないとか、雇ってもらえないとか、そんな悩みはなかった。ただ、生きるために、近くにいる人が皆で力を合わせただけ。それが、あっという間に時間が過ぎてしまって。それが今、今日よ。とにかく、忙しくって。幻想とか、そんな事じゃなかったのよ。」
サマンサの言っている事は、本人の感情としては正しい。
急に気の毒になってきたロレンツォは、捜査の話に戻った。
「それなら本題ですが、誘拐された時の状況を説明してもらえませんか。」
アシェリは、ロレンツォを真っ直ぐ見据えた。
「信じないかもしれないが、何の記憶もないんだ。」
サマンサも聞かれる前に頷く。
ロレンツォの頬が強張ると、ニコーラは小さく笑った。

ロレンツォとニコーラが次に迎えたのはアイザック。
ダビデ曰く、彼と同世代の筈の彼は、グリズルド・ヘアを後ろに流し、小柄で童顔に見えるが皺は多く、年齢不詳。皆と同じ服を着ている筈が、どことなくだらしない。
ダビデの様に村を切り盛りしている様には、決して見えない。
アシェリ達夫婦とは逆に、そこはかとない不快感が漂うアイザックは、ニコーラがレコーダーのスイッチを入れるのを見届けると、目を輝かせた。喋るのは彼。
「息子にアイザックと名付ける科学者をどう思う?」
不意な無駄話にロレンツォが沈黙を選ぶと、ニコーラが笑顔で答えた。
「天才の名前だ。素直に有難いと思えばいい。あのプリンキピアは君のだろう。」
アイザックは、分かり易く嫌そうな顔をした。
「人の家に勝手に入ったのか。俺の権利は?」
ニコーラが首を傾げたまま見つめると、アイザックは言葉を続けた。
「まあ、いい。あの本は俺のだ。奴が、誰もいない教室であれを朗読し続けたのかと思うと、何度読んでも笑いが止まらない。」
笑うニコーラの横で口を開いたのはロレンツォ。ロレンツォは、人を笑っていい人間には決して見えないアイザックを、人差し指で差した。
「偉人には敬意を払うべきだ。彼がどんな思いでその屈辱に耐えたかを思い、泣くべきだ。」
アイザックは、ロレンツォを真似て人差し指を立てると、頭の横で大きく回した。
「親を焼き殺すと言った錬金術師を?」
喋るのはロレンツォ。
「その〇〇〇〇雑学を披露する理由を言ってみろ。それを調べた時点で、不快感しかない。」
ロレンツォが下品な言葉を使うことは滅多にない。
小さな事件を感じたニコーラの視線は、自然とロレンツォの顔に注がれた。
奇妙なアイザックは、しかし、目の前の二人が醸し出す空気を彼なりに感じ取った。
「いや。それは違うな。俺が何でも知ってるだけなんだ。あんたが、どうとかじゃない。俺は頭がいいからな。気にするなよ。いいんだ。」
アイザックは、目線を下げると口を閉じ、小さい体を更に縮めた。
気にしているのは、明らかにアイザックの方。申し訳なさそうにすればするほど、不気味さが増していく。
顔を歪めたロレンツォが沈黙を選ぶと、ニコーラが後を受けた。ロレンツォは撤退である。
「ヘイ、アイザック。仕事は?」
アイザックは、明るく話しかけられると、背筋を大きく伸ばした。それはそれで不気味である。
「仕事?別に。俺は好きに話すだけさ。頭がいいからな。それだけでいいんだ。」
ニコーラは、微笑みながら、言葉を続けた。
「さっきの話だ。君に天才の名前をつけた御両親は、どんな人だったのかな。」
アイザックは、時々、詰まりながら、早口で答えた。
「俺にこんな生活を教えた奴らだ。研究所が潰れた後、仕事がなくなって。皆で科学を捨てて、やり直したのに、子供にアイザックと名づける様な奴らだ。俺は似てないけどな。」
ニコーラは、大きく頷いた。
「そうだろう、アイザック。君の頭がいいのはよく分かる。だから、教えてほしい。他の人間は頼りにならない。」
アイザックは、心の底からうれしそうにニコーラを見つめた。喋るのはニコーラ。
「この村には、一体何があるんだ。」
単純な質問である。しかし、アイザックは、何故か難しい顔になった。
「この村って、どの村だ。村なんて、あったか。」
村の中にいて、村の存在を問う人間はいない。
謎の答えに、沈黙を守るロレンツォは姿勢を変えた。
ニコーラが取出したのは、昨日のうちにつくり上げたテントの配置図。
ニコーラは、住人の名前の部分を折り込むと、アイザックの前に置いた。
「いいかい。ここが集会場だとすると、ダビデの家は?」
アイザックは迷わず一点を指差した。正しい情報である。
「じゃあ、リアの家は?」
「知って、どうする。」
「いいから。」
アイザックは、また、正しいテントを指さした。ニコーラは折り目を変えた。
「アシェリの家は。」
また、正しい場所である。ニコーラは、質問を変えた。
「ダビデの家のクッションの数は?」
「三つだ。一つはイーサンがゲロを吐いたから捨てた。」
イーサンが誰かは分からないが、数だけは正しい。ニコーラの質問は終わらない。
「リアの家の赤い陶器のカップはどこに置いてある?」
「持ってるか?テントの中で使ってても、俺は知らない。入ったことないからな。当たるかどうか、言ってみるか?今は、当たりそうな気がする。」
無駄な答えが多いが、調べた限り、村にそんなものは存在しないので、これも正しい。
ロレンツォとニコーラは、顔を見合わせた。
変な話だが、アイザックは、この村に確かに住んでいる。
この場合、アイザックが村を村と思っていないのが正解。
彼の中で、この村は、そのものずばりのキャンプか、背伸びをして街。あるいは、宗教めいた謎の概念があるのかもしれない。
ニコーラは質問を続けた。
「話を戻そうか。村っていうのは、君がご両親と住み始めたこのテントの群れだ。この村に何があるんだ。僕の質問の意味は分かるよね。君は頭がいいから。」
アイザックは、魔法が解けた様な表情を浮かべた。
「ああ、ああ、ああ。そりゃあ、ダビデにでも聞いてくれ。何があるかなんて、全部が全部、知ってるわけじゃないんだ。」
ニコーラが苦笑いを浮かべると、アイザックは答えを付け加えた。
「ただ、俺にはここしかない。他に行く場所はない。俺にはそういう所だ。」
それだけは、絶対にそうである。
少しの沈黙が生まれると、黙っていたロレンツォが、もはや呪文に近い言葉を唱えた。
「アイザック。誘拐された時の状況を説明してくれないか。」
二人とも答えは分かっていたつもりだが、アイザックの言葉は無駄にねじれた。
「その時の記憶はない。俺は嘘をつかない。いつも、そう言うことにしてる。ほとんどの場合、それは本当で、今言っていることは正しい。」
アイザックは、不器用なつくり笑いを浮かべたが、ロレンツォの表情は変わらなかった。
彼が冷たい目でニコーラに合図を送ると、アイザックへの質問は、早めに終わった。
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