第22話 発端

文字数 9,155文字

月のない夜。ダビデは、テントの前の椅子で、うたたねから目覚めた。
今よりも髪は長く、髭は濃い。
焚火台にくべた薪は既に白く、風が吹くと火が色づくぐらい。暖は取れない。
取敢えず口に運んだ手作りのマルド・ワインも、すっかり冷えている。
焚火の周りの椅子に座る者は他にいないが、声は聞こえる。
背後のテントの中は明るい。
それは、皆がダビデのテントで勝手に話しているから。きっとアイザックの仕業である。
ダビデは、僅かに残ったワインを空にすると、テントのスライダーを開いた。
溢れ出してきたのは、マルド・ワインに入れたシナモン、バニラ、ジンジャーが香る温かい空気。
中にいたのは、アイザックにアシェリにリア。いつもの三人である。
軽快に喋るのはアイザック。
「俺はカーソン派だ。そう、俺はグループをつくった。俺は、何があっても、カーソンの味方だ。この村に居れば、確かに食うには困らない。俺がいるからな。でも、そりゃあ、どうなんだ。外を見ればいい。そう、外だ。俺達の生活は、外の奴らに比べりゃあ、空っぽだ。ハリボテだ。分かるか?何もないんだ。ダビデが持って帰る本も、逆効果だ。ない方がマシ。もう夢の世界だ。羨ましくて、羨ましくて、我慢できない。そう、本当に夢さ。この俺でもそうだから、若い奴なんて、絶対に無理だ。この村にずっと居ろって言うんなら、夢を見させてやらなきゃ。そう、夢だ。夢。いいな、夢。」
相変わらず、癖が強い。
笑いながらダビデがクッションに座ると、リアが笑顔で応えた。
口を開いたのはアシェリ。いつにもまして注意深く話し始めたのは、とっておきの話を口にするから。
「そんなに夢と言うんなら、それらしい話もなくはない。君達は、お父さんから聞いたことはないか。カリホルニウムの事を。」
薄々、知ってはいたが、事実と思っていなかったダビデとアイザックは、ゆっくりと顔を見合わせた。アシェリの話は続く。
「私達は、研究所に居た頃、放射性物質を扱っていてね。非破壊検査や医療関係の専門家が大勢集まっていた。私達の研究のために、研究所はいろんなものを買ってくれた。」
ダビデとアイザックは、目を輝かせて耳を傾けた。
村の住人は、こういう時は、皆、子供に戻った様な顔をする。
リアの好きな時間である。
「研究に必要なものを、決められた財布の範囲で買う。それだけなら良かったんだけどね。ある時、研究所の代表が、一人で大風呂敷を広げたんだ。内容も、誰にも理解できない。難しいんじゃない。漫画の様な話だった。空間に歪みを設けたいと言ってたと思う。多分、年齢のせいだ。学会や業界の順位を気にすることのない年齢になって、若い日に心に浮かんだ思い付きを、本当にやろうとしたんだ。今まで、本を読んで、頭に詰め込んだ全てを捨てて、実験してみたい。それだけだったんだよ。当然、反対はしたんだが、研究所をつくったのも彼だ。私達の人生は、金持ちの彼の遊びに付き合ってる様なものだったし、最後には、皆、黙ってしまった。」
リアが口を挟んだ。
「その時、買ったのがカリホルニウム?」
アシェリは頷いた。
「ああ。高価な買い物だった。皆、驚いたんだ。物の値段には疎いが、今でもグラムで数億ドルはするんじゃないかと思うよ。それが、量も相当にあった。」
ダビデとリアは喜びの声を上げたが、アイザックは冷静だった。
「昔は羽振りが良かったって話になるんじゃないか。俺は、そんな夢は嫌だぜ。それは、夢じゃない。思い出さ。別物だ。」
アシェリは、そんな話をするつもりはない。
「話には続きがあるんだよ。代表は、物凄いお金を、その妙な研究につぎ込んでたんだけど、それでは足りなくてね。彼の希望を叶えるには、国の協力が必要だった。でも、国の審査官の反応は、私達と同じで惨憺たるものだった。当然だよ。無茶だったし、例えば、彼の言う通り、空間の正体に近付けるとしても、安全が保証できなかった。その結果だ。国の支援は得られずに研究は中止。中途半端な設備投資だけに終わった。その年、研究所は大赤字になった。でもね、まだやれた。代表が少しずつ増やしていた遊びみたいな研究は、他にもあったから。そういう無駄な金を削ぎ落せば、何とかなる。皆がそう思ってたんだ。でも、彼は違った。やる気が完全になくなった。髪も抜けて、本当に呆けた様になった。その後だ。彼の個人の資産は十分にあったのに、皆の生活の糧だった研究所を、潰してしまった。簡単に。ある日、突然に。」
重い話である。黙って聞くだけだった三人の顔は、自ずと暗くなった。
皆の顔を順番に見渡したアシェリは、優しく微笑んでから、再び口を開いた。
「その時、私達は一つの悪戯をすることにしたのさ。放射性物質を、研究所のいろんな場所に隠してしまうんだ。」
三人は、尊敬するアシェリが口にした無茶に、笑いが抑えられなくなった。
小さく揺れていたダビデはやがて声を出して笑い、リアもアイザックも続いた。
喋るのは、自分でも笑いが抑えられないアシェリ。
「だって、腹が立つじゃないか。自分の勝手で借金をして、好きなものを買って、金がないと言って、研究所を潰すなんて。酷過ぎる。退職金もないに等しかったんだよ。だから、隠した。言い出したのが誰かは、忘れたけどね。皆、思った。必死で探せばいい。探すだけで、私達の半分ぐらいは被曝するだろうと言ってね。」
アシェリは、皆の笑顔を楽しんだ後、静かに微笑みを消した。
この話は、楽しいだけではないのである。
「ただ、隠したものが見つかったかどうかは、確認しなかった。当然、見つけると思ったからね。国も放っておく筈がないし。ただ、代表は同じ敷地に住んでたんだが、その後に産まれた、年をとってからの子供が、気の毒な子だったと聞いてね。皆、最初は天罰だと言ったけど、それもその子に悪くてね。すぐに悪く言う者はいなくなった。でもね。それで、大体、皆、分かったんだ。」
ダビデとアイザックは黙り込んだが、明るい空気を求めたリアが口を開いた。
「でも、グラム数億ドルなんて、凄いじゃない。それが、まだ、その土地にあるってことよね。そうでしょ?」
アシェリは頷いた。
「多分ね。」
それなら、話が違ってくる。口を開いたのは、明らかに目の色が変わったアイザック。
「俺はよく分からないけど、それはどのぐらいの価値なんだ。」
こういう時のアイザックは可愛い。ダビデが、笑って答えた。
「何でも願いが叶うぐらいだ。」
アイザックの疑問は止まらない。
「本当に、何でも願いが叶うぐらい儲かるのか。」
「ああ。」
ダビデは笑顔で頷いた。アイザックの目は真剣である。
「シボレー・コルベットZR1も?」
「在庫があればな。」
ダビデの答えで会話が成立してしまうと、眉を潜めたリアが口を挟んだ。
「ロールス・ロイスやポルシェじゃないの。」
アイザックの言葉には迷いがない。
「ZR1だ。最高だって書いてた。」
本の話が全て。ダビデは、リアに微笑んだ。口を開いたのは、実は車が好きなアシェリ。
「ZR1はいい。」
ダビデが小さく驚くと、アシェリは目で謝った。
アイザックの質問は終わらない。
「ロッシーニ風のステーキも?」
ダビデは、愛すべきアイザックに笑顔で答えた。
「ああ。でも、フォアグラは要るか。俺は塩で十分だ。とにかく、ステーキに限らず、どんな高いものでも食えるさ。」
リアとアシェリは唾を飲んだ。ステーキを食べたのは、遥か昔の事である。
アイザックも、肉のありがたさを思い出した。それは、本を見て、夢見たものではない。遠い記憶の中にある、自分が美味いと思ったもの。熱と香りと味が、蘇ってくる。
アイザックは、恍惚とした表情を浮かべた。
「言われてみりゃあ、俺は肉があればいい。レアだ。いいウシなら、頭を殴って、倒れた腹を割いて、レアで食う。俺は頭がいいからな。本物が分かるんだ。」
「イヌイット。」
「サムライ。」
ダビデとリアが、エンジンのかかってきたアイザックを、半ば笑いながら揶揄った。
アイザックの確認は続く。
「ミント・ジュレップも?」
「ああ。ブラック・ルシアンも飲み放題だ」
一緒に読んだ記事を思い出したダビデの相槌に、アイザックが感想を加えた。
「コーヒーはそうでもない。」
意に沿わなかった様である。アイザックの疑問は終わらない。
「女もか?」
ダビデは、笑いながら頷いた。
「まあ、それは人によるがな。」
アシェリは嫌な予感に眉をひそめ、視線を逸らしたリアは小さく呟いた。
「フッカー。」
反応したのはアイザック。
「何だ、それは。」
アイザックは、アシェリやダビデの持ち帰る本に書いてあること以外は知らない。
答えたのはダビデ。
「金で言うことを聞いてくれる女だ。間違ってはいない。」
分かり易いシンキング・タイムをとったアイザックは、大きく頷いてから口を開いた。
「じゃあ、それだ。俺は、世界中のフッカーを集めて、俺のものにする。」
アイザック以外の三人は、耐えきれずに吹き出した。
もしも、彼の夢が実現すれば、どう考えても地獄が待っている。
その日のうちに、金をむしり取られるに違いない。
驚いたアイザックは、皆を見ながら、つられて少しだけ笑った。
忠告したのはダビデ。
「考え直せ。世界中だぞ。皆が美人とは限らない。年齢も幅が広い。全員は無茶だ。」
しかし、アイザックはもう止まれない。
「顔は関係ない。子供だ。俺の子孫を山の様につくって、この村を大きくするんだ。皆、俺にケツを向けてくれればいい。俺は、俺の帝国をつくるんだ。」
「ヘイ。」
下品なジョークに声を上げたのはリア。
アイザックには関係ない。
「〇〇〇〇・ユーと言えば、商談成立だ。本当か?〇〇〇〇・ユー。サンク・ユー。〇〇〇〇・ユー。サンク・ユー。〇〇〇〇・ユー・オール。ヘイ!外の世界に何が起きたんだ?俺は間違って言葉を覚えたのか?皆、騙してたのか?」
最低の冗談に、笑いをかみ殺したダビデは、人差し指をアイザックに向けた。
「アイザック。これ以上、下らんことを言ったら、俺はお前を殴る。リアに謝れ。」
こういう時のダビデは本当に殴る。
不安になったアイザックは、少しだけ目を伏せた。
「悪かったリア。ケツで謝ってもいい。前から出来るんじゃないかと思ってたんだ。」
リアは鼻で笑った。
「シャーーット・アーーップ!」
アイザックは、肩をすくめると、ダビデの方に視線を戻した。
「それで、どうする?」
それは予想外の問いかけ。
皆の眉間にゆっくりと皺が入ったが、アイザックの調子は変わらない。
「いつやる?」
止まったままのアシェリを見つめていたアイザックの顔に、失望の色がうっすらと滲んだ。
「嘘なのか。」
アシェリは、可愛そうなアイザックのために答えた。
「いや、嘘じゃない。あれは、まだ、あそこにある。」
アイザックは、語気を少しだけ荒げた。我慢できないのである。
「じゃあ、何でだ。なんで、やらない。まだ、夢の初めだ。取りに行って、最後まで夢を見ようぜ。」
アシェリは、リアの顔を見てから、アイザックを優しくたしなめた。
「アイザック。あれは、そもそも他人のものだ。グラム数億ドルと聞いただけで、冗談を言って笑えた。それが夢。十分だろう。お金なんて、そういうものだよ。」
ダビデも、リアを一瞥すると、アシェリに同調した。
「そうだ、アイザック。確かに金持ちになれたら、楽しい時間が待ってるかもしれない。でも、そんな生活が正しいんなら、俺達はこんな暮らしをしてない。お前が欲しがってるのは、俺達の親が捨てた生活だ。」
アイザックの顔は、見る間に皺だらけになった。
「まただ。俺は、そこがいつも気になるんだ。違うって。捨てたんじゃない。そもそも金は持ってなかった。研究所は潰れたしな。俺は頭がいいから覚えてる。負け犬が、手に入らなかったものを、要らないって吠えたんだ。」
アシェリの表情が曇ると、ダビデは心を決めた。酔っているのは分かるが、アイザックは黙らなければならない。
「アイザック。確かにカリホルニウムはいい金になる。ただ、アシェリが言う様に、まず他人の物だ。売る時にも足がつく。仮に見逃してもらえたって、村の皆が一生遊んで暮らせる金じゃあない。年をとってから、ボロボロになった村に皆で戻ってもやり直せない。」
アイザックは、身を仰け反らせた。
「何で、皆なんだ。人数は絞ればいいだろ。金には限りがあるんだ。そうだろ?」
ダビデにとって、皆が一緒である事は絶対に譲れない。
「イーサンも死んだ。これ以上、誰か一人でも抜けたら、この村は終わりだ。皆が、産まれて、育って、支えてきた村が、なくなるんだ。お前は外の世界ではやっていけないし、俺だって同じだ。でも、皆が一緒に居れば、今まで通りに生活できる。夢を見られる日だってある。お前や俺、一人一人のためにも、皆が一緒じゃないと駄目なんだ。」
アイザックの頭は、きちんと回っている。
「金を持って、戻ってくればいい。皆の生活の足しにするんだ。金はないよりはあった方がいい。そうだろ?」
もっともな言い様だが、ダビデは答えを持っている。
「盗んだ金で、ZR1に乗って、ミント・ジュレップを飲みながら、畑を耕して、子供に説教するのか。何なんだ。その世界は。お前は、そんな世界を子供達に見せたいのか。」
アシェリとリアは頷くことでダビデを応援したが、アイザックは怯まない。
「外の世界と何が違う。」
確かに正しいが、ダビデは負けられない。
「俺は、今の生活が正しいと思う。アイザック。お前を最初に見たのは、俺が五歳の頃だ。夏の朝の集会場に、ミルクの匂いのするお前が、タオルに包まれて連れてこられた。俺達の新しい家族だと言われた時、親父の腕に抱かれたお前を、背伸びして覗き込んだ。お前が俺の指を握ったのを忘れない。大切な思い出だ。俺には、村の皆、一人一人と、そんな思い出がある。きっと、皆もそうだ。どの時間が、誰の思い出になってるかは分からない。だから、俺は、生きている限り、全ての時間を、皆がいつ思い出しても恥じない様に、大切に暮らしたいと思う。」
アイザックが目を反らすと、ダビデは言葉で追いかけた。
「集会場の横の樫木。杭を打ってよく登ったが、それだけじゃない。幹から漂う匂いや真っ黒の実、テカった紅葉に、クスノキハクボミフシだって。覚えてるだろう?あんなのは俺達しか気にしない。樹の皮みたいな蛾だって、俺達しか追わない。知ってる筈だ。外の世界の奴らは、蛾を見れば、大騒ぎして逃げるんだ。でも、俺達はいつも自然と一緒だ。ほんの小さな出来事にも感動して、愛することが出来る。それは、俺達の生活が、自然の流れとして正しいからだ。大切な事なんだ。」
口を挟んだのはアイザック。但し、声は小さい。
「それは、俺達にはあの木ぐらいしかなかったからだ。畑も水場も牧場も、皆のものだったから。あの木ぐらいしか自由に出来なかった。」
ダビデは、優しい微笑みを浮かべた。
「でも、あの木にナイフを投げたり、木の上に隠れて、唾を落としたり、夜にイザベラを待ったり。」
アイザックは、懐かしむ様にダビデの顔を見た。
「ああ。ダンと結婚するとは思わなかった。」
ダビデは小さく笑った。
「後はカーリしかいなかったからな。ショックだった。」
声を出して笑ったのはアイザック。
ダビデのこの類の冗談は珍しいので、リアは二人の顔を覗き込んだ。
アシェリは、当時の大人として、正しい言葉を選んだ。
「カーリも素敵な娘だったよ。」
元より、アイザック向けの冗談である。ダビデは、優しい目で頷いてから、アイザックに語り掛けた。
「何もなかったけど、一つ一つの思い出が濃い。そう思わないか。イザベラが、毎日変わっていった感動を思い出さないか。」
アイザックは、記憶を辿る様に口を開いた。
「そうさ。毎日見てた。ダンと結婚して、あんなに太るとは夢にも思わなかった。」
「あれがなきゃ、ダンとはまだ喧嘩してる。」
四人は笑った。今度はアシェリも我慢できなかった。
ダビデの話はようやく本題である。
「覚えてるだろ。親父の手伝いをしようとしても出来なくて、親父が格好良く見えたろ。巻き網漁にくくり罠に。でも、いつの間にか覚えた筈だ。親父の真似をしてたら、その日の飯が手に入って。獲物がとれなきゃ、理由を考えて。暇なんかなかった。他に何をしたわけじゃないが、親父達が年をとって、そのうち死んで、俺達の順番が自然にやって来た。それが今だ。今、俺達は、お前は、あの時の格好良かった親父なんだ。俺達は、ケイデン達にあるべき姿をあるがままに見せるんだ。」
アイザックは俯き、小さくなった。
ダビデは、村人なら皆が知るアイザックの急所を、静かに突いたのである。
アイザックの父親は、再就職に失敗して、ダビデの父親に泣きついた研究者の一人。
あの男が、格好良かった事など、一度もない。
皆を巻き込んだ、だらしない男。
獲物がとれない日が続くと、家族そろって、本当に肩身の狭い思いをした。
アイザックは、親の話になると、決して笑えないのである。
つまり、それは黙れの合図。時間をかけ、冗談も交えて持ち出されたせいで、怒鳴ることも出来ない。
ダビデは、駄目を押した。
「ケイデン達に、俺の正しいと思う生活を受け継いでほしい。親父達が教えてくれた生活だ。外の世界に住む人にも、交わる日が来るかどうかは知らないが、そんなことがあれば、俺達の生活に魅力を感じてほしい。そういう気持ちだ。これまでの生活を、俺は変えたくない。」
言葉を添えたのはリア。
「夢は夢だからいいのよ。そんなに今の生活が不満?お腹も空いてないし、誰にも殴られないし。あなたの最悪の冗談で、皆、笑ってくれるのに。」
アイザックが可愛そうになったダビデは、言葉を急いだ。
「確かに何もない村だ。でも、皆を食わせないといけない。皆で楽しく生活したい。毎日の忙しさは、全部、皆の幸せを祈ってるのと同じだ。俺は、それに気付いてから、死んだ大人達が好きで仕方がない。俺はそんな生活を皆で続けるのが夢だ。この先もずっと、一緒に夢を見よう。」
元気をなくしていたアイザックは、しかし不意に顔を引き締めた。
「違うぞ。ダビデ。俺もよく考えたが、俺の夢は、多分、〇〇〇〇だ。〇〇〇〇みたいだけどな。そうじゃないと、死んだら全部終わりだ。俺達の時間は、もうすぐ終わっちまう。だから、俺はただ子供が欲しい。今の時間が、この後もずっと繰り返されて、俺の分身が生き続ける。それしか、俺が終わらない方法はないんだ。お前だってそうだ。俺が〇〇〇〇と言うと、皆、すぐ怒るけどな。そんなルールよりも、ずっと大事な話だ。俺には分かる。生き物には、それは絶対に要るんだ。そうだろう。」
確かに真理かもしれないが、女性の前でする話ではない。
呆れたリアが首を傾げると、見かねたアシェリが口を挟んだ。
「リア。ケイデンの様子を見て、そのままテントに戻るといい。きっと、天使の様な寝顔だよ。」
リアは、優しいアシェリに微笑んだ。
「ありがとう。アシェリ。」
リアは、自分でスライダーを上げ、漆黒の世界に踏み出すと、スライダーを下げ、三人の視界から姿を消した。

テントに残されたのは、男達三人。花がなくなったテントの中に、静かな時間が訪れた。
ダビデがアイザックを見つめて、小声で話しかけたのは二十秒後。
「アイザック。カリホルニウムの事は、俺もアシェリも一度は考えた。」
さっきまでとは、明らかに調子が違う。
アシェリも頷く。
小さくなっていたアイザックは、背筋を伸ばして、また大きくなった。
喋るのはダビデ。
「でも駄目なんだ。まず、施設が解体された後、整地されてる。カリホルニウムを掘り出すのには、かなり時間がかかる。重機を入れた上に、何なら数年越しだ。」
アイザックの目は、それでも輝きを増した。
「整地されてるんなら住めばいい。ここと変わらない。」
ダビデは、顔を横に振った。
「それも考えた。当たり前だろ。この間、偵察に行った時は、大きな空き地だった。古い井戸もあった。テントでも張れば、すぐに暮らせる。皆で柵を打って家畜を放して、畑を耕したら、一か月もしないうちに村になる。」
アシェリが説明を添えた。
「研究所は安い土地を買い占めて建てたんだ。井戸はその名残だよ。」
どっちでもいい話だが、リアリティがある。アイザックは目を大きく見開き、何度も頷いた。
「じゃあ、いいじゃないか。そうすれば。住もう。何が駄目なんだ。」
ダビデは、やはり顔を横に振った。
「駄目なんだ。そう遠くないところにギャングの街がある。それも、かなり酷い奴ららしい。俺達の目的が知れたら、ただじゃ済まない。これは本当だ。嘘じゃない。」
アイザックは、目の前にぶら下がる夢が諦めきれない。
「ギャングなんか、追っ払えばいいじゃないか。悪い奴らなら簡単だ。俺が正義の鉄槌を下してやる。任せろ。」
一体、どこから自信が湧いてくるのか分からない。ダビデとアシェリは笑い、アイザックもつられて笑った。
何なら、すぐにでも出発しそうな空気を、しかし、ダビデがかき消した。
「それでも無理だ。皆、ここを捨てられない。昔なら違う。でも、今は、俺が村の外に出るなと、言い聞かせてきた奴ばっかりだ。カーソンが酷い目に遭った話も、皆の頭にこびりついてる。余程の理由が要る。奇跡でも起きないと、ここを出る事には誰も賛成しない。」
奇跡。
滅多に起こらないのが奇跡である。
ダビデの言葉を最後に、三人は顔を寄せたまま沈黙した。
アイザックは、今まで以上に、老け込んだかと思うほど小さくなった。
アシェリが見せたひと時の夢は、アイザックの中でも完全に終わったのである。

間もなく、静寂に耐えられなくなったアイザックが、意味もなく微笑みを浮かべた時、それは起きた。
テントの外で、銃声が一発。
驚いたのは人間だけではない。鳥の声が幾重にも続いた。
一瞬、硬直した三人は、女の叫び声が短く響くと、そのままではいられなくなった。
「リアだ。」
声を出したのはダビデ。
目を覚ました住人達のざわめきは次第に大きくなっていく。
銃を持っているのは、村の中にはカーソン一人。
リアが向かったケイデンのテントには彼がいる。
短い間に、最悪のストーリーが、ダビデの頭の中で出来上がった。
使命感に駆られた彼が、恐怖を殺して、スライダーに手をかけた時、外の声は続いた。
「オー・マイ・ゴッド。オー・マイ・ゴッド。」
リア。
リア。
リアは、泣いている。
ケイデンは無事なのか。
カーソンは何をしたのか。いや、リアが無事なら、誰が誰に何をしたのか。
村の住人を、これ以上、一人も失う事は出来ない。
助けなければ。
ダビデが外に出ると、アイザックとアシェリも続いた。
三人は、灯りを探すテントの並ぶ漆黒の世界へと、注意深く足を進めた。
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