第32話 期間満了、それから

文字数 2,515文字

 十二月は、毎週末、東京へ行った。
「福生」という名前に惹かれ、青梅線の福生駅周辺の不動産屋を巡る。二万五千円で古いアパートがあった。
 陽あたりの良い六畳一間に、台所と和式のトイレ、小さなベランダが付いていた。風呂はなかったが、近くに銭湯があった。
 これから無職になる私に、不動産屋は「保証人がしっかりしていて、ちゃんと家賃を払ってくれればいいんですよ」と言ってくれた。実家に行き、兄に連帯保証人の証明用紙に署名と捺印をしてもらう。

 住む場所が決まり、安心して迎えた期間満了日。
 組長から、「試験、残念だったな…」と、また言われ、「お世話になりました」と頭を下げ、握手した。
 夜は、サッカー選手志望のWさんに誘われ、焼肉とカラオケ。
「筒井さん、これからどうするの?」
「モノ書きでも目指すわ。Wさんはサッカー。オレはサッカ…」
「あはは。オレ、子どもできたし、家買っちゃったからなー」
 アドレス交換、握手をして別れる。

 退寮日は、「一緒に帰りましょう」と、中古のトヨタ車を買ったM君が声を掛けてくれた。
 労働期間を無事に終えた、嬉しさと開放感。車中、M君と私は、ずっと笑っていた。
「映像に、詩を付ける、っていう仕事があるんです。やってみたいなぁと思って。ビデオカメラで風景とか撮って、そこに詩を付けていく…」
「へえ、そんな仕事もあるんだ。そういえば、お正月、初日の出、見に行く人多いけど、一年の最後の日没って、あんまり騒がれないよね」
「あ、そうですね」
「綺麗だと思うんだけどね、地平線とか水平線に、でっかい太陽がジュッって沈んでいくの。けっこう早いんだよね、あれ」
「うん、早いですね。あ、いいなぁ、それ、いいなあ…」
 
 途中、ファミリーレストランに立ち寄る。明るい店内に、家族連れやカップルがテーブルを囲んでいる。店内が、とても眩しく見えた。世の中に戻ってきた、そんな実感が湧いてくる。
「刑務所で、刑期を終えて出所するって、こんな感じかな」
「ぼくも、同じこと考えてました。きっと、そうでしょうね」
 笑い合いながら、ランチを食べた。デザートに出きたアイスクリームが、とてつもなく美味しかった。
 東京駅で降ろしてもらって、アドレス交換、握手…。

 ────────────
 
 私の下宿先の、一階は大家さん一家が住んでいる。錆びた階段を上ってすぐが私の部屋。三部屋しかない小さなアパートだ。隣りは無人。借り主は、蔵書の置き場にしているそうだ。その隣りはマンガ家が住んでいるらしいが、それでは食っていけないので、近くのスーパーで働いているとか。何回か挨拶に行ったが、いつも留守だった。
 年が明け、「脱学校の会」で出会って以来、ほとんど親友化している、「青年の主張」のS君から賀状。「どんなに筒井君が悪くなっても、僕は筒井君の味方だから」との一文に、涙ぐんでしまった。

「出社拒否」しそうになった時に泣きの電話を入れた、予備校講師のUさんから、「よかったら使って下さい」と電気ストーブが届いた。嬉しかった。そのUさんと、ひきこもりのYさんと新宿で飲み会。
 やはり不登校関係で知り合った、「会社勤めがどうしてもできない」Dさんとも、久しぶりに会った。「これでダメだったら一家心中」と始めたビリヤード場の経営は順調とのこと。小学生のお嬢さんを抱っこして、「この子も、学校行ってないのよ」とNさん、朗らかに笑って言った。

 よく晴れた、静かなお正月。電車の中や町の中、多くの家族連れとすれ違った。私の子どもと同じくらいの子を見ると、涙ぐんだ。自分が妻子を連れて歩いていた頃は、道をひとりで行く人が、とても羨ましく見えていたのに。
 一月の半ばに、十二月分の給料と満了慰労金、合わせて八十四万円が振り込まれた。
 別れた妻に、五十万送金する。養育費十ヶ月分の先払いのつもりだったが、「こんないっぱい、ありがとう。でも、毎月の方が嬉しい」と連絡をもらう。「生存確認」の意味もあるかもしれない。

「サボテン通信、面白いよ。僕、大好き。calling、っていうのがあるの知ってる? この世に生まれてきた人は、皆、呼ばれているものがある、って。あなたは、会社員じゃなくて、モノを書くことが、あなたの calling なんじゃないかな」
 やはり不登校関係で知り合っていた、塾経営のCさんと久しぶりに会い、そんなことを言われた。

 部屋に籠って、この「出社拒否体験」を書いている間、階下の大家さんのことが気になった。築三十五年の木造アパート、トイレの流す音も聞こえるだろう。動くたびに、ミシミシいう音も聞こえるだろう。大家さんは思うだろう、「働かないで、あの人、何してるのかしら」
「不審者に見られているんだったら、うちの会社の名刺を作ってあげるよ。家賃持って行く時、『在宅の仕事をしています』って言えばいい」
 数学のコンピューターソフト会社をつくったK先生が、電話で笑って言ってくれた。そのお気持ちだけで、ありがたかった。

 六月になると、トヨタから「期間従業員募集」の封書が届いた。
「一般公募する前に、優先的にご案内させて頂いている次第です」との書面。前回の雇用期間中、優秀だった方を優先して雇用します、というような文面もあって、嬉しかった。
 私はアパートを引き払い、また愛知へ行った。工場の通勤圏内にマンションを借り、期間満了→ 好きなことをする、期間満了→ 好きなことをする、を繰り返し、暮らした。

 私は、何ひとつ、長続きすることのできない人間だったと思う。唯一「やり遂げた」と言えるのは、契約期間通りに働き、その十年間、妻に約束した送金をし続けたことだけだった。
 父は、「お前がお腹にいた時の、お母さんの状態が良くなかったんじゃないか」と考えている。長男が17歳で突然心臓発作で亡くなり、母は毎日泣いていた。その母体の中で私が育ったことも、私が妙な人間になった原因の一つだったろう、と考えている。
 どんな理由であれ、私が私であることには変わらない。タイムマシンで戻れたとしても、同じことを繰り返す、情けない自信がある。私は私のままで、これから一体、何をしようとすることやら。
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