第15話 パチンコ屋

文字数 2,133文字

 春になると仕事が減ってきて、社長が現場に出なくても済むようになった。私は以前お世話になった親方と、またコンビを組んで現場を回る。一度辞めたのに、また世話になる以上、前よりもっと頑張らなくてはと思った。
 そんな折り、義父が京都に転勤することになった。「空き家になるから住まないか、家賃は要らないから」という連絡がきたと妻が言う。
 私は二つ返事で承諾した。
 坂戸市に引っ越して来て、半年でまた千葉県柏市へ移住する。家賃は要らないと言われても、毎月二万位は払おう、と妻が言った。

 収入が安定し、家庭が落ち着くと、私は仕事帰りに足しげくパチンコ屋へ行くようになった。妻は専業主婦になったので、安心してパチンコ屋へ行くことができたのだ。
 日常生活の中で、「自分で選んで、やっている」という意識を、私はパチンコ屋でしか感じることができなかった。仕事へは、金稼ぎのために行く。家には、私の帰る場所として帰る。この二つの場所は、絶対的にある点と点のようなもので、自分はその間を忠実に行き来する「線」になりたくない ── そんな意識もあった。

 だが、パチンコ依存症だったのだと思う。朝起きて、行ってきますを言って家を出る、その時点で、すでに私の気持ちはパチンコ屋へ飛んでいた。前の晩に寝る布団の中でも、頭の中は明日のパチンコのことで一杯になっていた。
 今日は隣りの台が当たっていたから、明日はあそこに座れば、大当たりするだろう。二、三万は儲けられるかもしれない。そうしたらすぐに換金して、妻の好きなお菓子や寿司でも買って帰ろう…そんな夢を見ていた。私は、パチンコで勝ったお金でビールを飲みたかった。

 そして仕事帰りに、嬉々としてホールへ行く。当たらず、一万、二万が消えていく。こんなはずではないと焦り出し、いやな汗が滲み出し、吐き気を堪えながら台に向かう。菓子や寿司どころではなくなって、失くしたお金を取り戻すことに必死になる。途中、妻に、「今、大渋滞で車が動かないんだ。何時に帰れるか分からない」と電話をかける。

 死にもの狂いで座り続けるパチンコ屋は、ドラマチックな空間だった。千円くらいで大当たりすると感激する。逆に、二、三万も我慢して注ぎ込んで、やっと大当たりすると、それまでの労苦が報われた気になり、感激も倍加する。
 少ない投資で当たれば、まだこれしかお金を使っていないと思い、そのまま打ち続ける。多額の投資をすれば、元を取ろうとして、やはりそのまま打ち続けてしまう。
 そして結局赤字になっても、そうだよ、こんなもんだ、と不本意に納得しながら、「明日こそ勝ってやる」と心に誓って店を出る。
 資金が無くなると、親方に借り、月末の給料日に返済する。

 一日で十万円を失った時は、死にたくなった。もう終電も近く、妻の声を聞いてから死のうと思った。公衆電話の受話器から、事情を察した妻の、「…まあ、帰っておいでよ」の言葉に涙ぐむ。(妻は、私が

パチンコをしていることは知っていた)
 内緒で毎日パチンコをしている引け目は、私の中で「せめて休みの日くらいは家族に尽くしたい」というバネにはなった。日曜は朝から弁当をつくり、みんなで近くの県立公園に行き、芝生の上で一日中子どもと遊ぶ、その程度の「尽くし」であった。妻が私のために何かしてくれようものなら、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 十年近く私が中心にやってきた「脱学校の会」とは、疎遠になっていた。私が土岐市に移住した時から、友人とそのまた友人が後を引き継ぎ、通信紙は送られてきていた。だが、その通信紙に、
「わたしは自分の体験を生かして、カウンセラーになりたい。不登校をして苦しんでいる人達のために、何かしてあげたいと思っています」
 と書いていた女性に、私が否定的な文を書いて、会に送ってしまった。

「人のために何かしてあげたい、というのには、上から下へのベクトルを感じてしまいます。上から手を差し伸べるのではなく、同じ場所で人と向き合って、つきあっていけたらいい…人のためを思ってすることが、される当人にとって、ほんとうに “ためになる” ことなのかどうか、分かりません」そんな内容だった。
 すると、「筒井さん、個人攻撃はやめようよ。不登校者、学校に問題意識を持つ人は、少数派なのだから、とにかく仲良くやっていこうよ」
 会の中心的な人から電話でそう言われ、この「とにかく仲良く」という言葉に強い異和感を感じた。

 仲良くするのは望むところだった。だが、「とにかく仲良く」するために人と関係するのなら、学校や会社と変わらないではないかと思った。
 私は二十七になり、今、この会の中心は二十歳の人達だった。もう自分の出る幕ではないのかなと思うと、悔しい気がした。その反動もあって、自分でこのような会をつくろうと思い立った。「脱学校・柏の会」という名で、親しい人達三十名ほどに通信紙を送り始める。
「人とのつきあい、トゲトゲしていても大丈夫」という意味で、「サボテン通信」と妻が名づけた。
 月に一回、家で月例会を開く。家族と仕事以外で、人と交流時間を持つことで、パチンコに染まった自分の頭と生活が、少しは変えられるのではないかとも考えていた。
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