第21話 運動会の後

文字数 1,721文字

 九月には、子どもの運動会があった。朝から私はレジャーシートで陣地を確保し、義父母を交えて弁当をつまむ。義父母は、昼間私が何をしているのか、聞いてこなかった。義父母にとって、いちばん気掛かりだったのは、一人娘の疲労度だったろうと思う。
 もともと妻は、顔に吹き出物が出やすい体質らしかったが、「ちゃんと、いいもの食べてるのか?」と、義父が妻を気づかっていた。

 運動会が終わる頃、子どもが泣き出した。お友達に、誤って足を蹴られたというのである。保母さんになだめられても、妻になだめられても、泣き止まなかった。
 ── この子を、オレは甘やかし過ぎたのだろうか。
 妻が、子どもと多く関わっていた生活の頃は、そんなに駄々をこねる子ではなかった。私が子どもと多くの時間を費やすようになってから、妙に聞き分けのない子になってしまった気がした。
 ものを書くにも、子育てにも、自分が何の能力もない人間のように思えた。

「ねえ、なんでそんな変な顔しているの?」
 運動会が終わり、家に帰ってから妻が言う。
「えっ、変な顔してる?」
「ずっと、イヤそーな顔してたわよ。そんなイヤな顔されると、みんながイヤな思いをする」
 みんなとは、義父母、そしてレジャーシートのまわりにいた他の家族達のことを指すのだろうと思った。
 私は、むっとした。そして洗濯物を回し始めた妻を尻目に、生活費の入った封筒からお金を抜き取り、家を出た。近所のパチンコ屋へ行ったのである。
 ここなら、みんな、自分の台に向かっているので、私の「変な顔」も誰の迷惑にもならない。救われる思いで、閉店までいた。二、三千円の負けで済んだ。

 家に戻ると、妻子が「リ」の字で眠っていた。私は居間でうつらうつらしながら、夜明けの電車の音を聞くと、また家を出た。まだ、十万円が財布にあった。
 予備校を「出社拒否」していた頃に通いつめていた、池袋の大きなパチンコ屋へ入り、閉店近くまでいた。十万円、勝った。吉祥寺に住む友人に電話をして、居酒屋、カラオケボックスに朝までいた。そのまま一人で再びパチンコ屋へ行くと、また十万勝った。

 やっと家に帰ろうと思い、妻子のいるはずのマンションへ。
「おとーさん、どこ行ってたの」
「あちこち、電話したのよ」
「すいません。でも、稼いできました」
 私は二十万円を、持ち出した十万円とともに炬燵に並べた。子どもには「お仕事をしてきた」と言い、妻には正直にパチンコ屋へ行ったことを告げた。

 だが、運というものを、自分の味方につけるのも、敵にまわすのも、自分次第だった。私は、この宝くじに当たったような二十万円に、よからぬ味をしめてしまった。
 妻に行ってらっしゃいを言い、子どもを保育園に送った後、近所のパチンコ屋へ開店とともに入り浸るようになる。
 どうせ、自分の体験など書き終えたところで、金になる見通しも何もないのだ。カタギの仕事につくことも、どうせすぐに辞める自分が目に見えた。私が収入を得て、妻子に「いいものを食わせる」手立ては、もうパチンコ屋しかないと思えた。

 そして、私のホームページを読んでよくメールをくれる年上の女性と、恋愛的な関係になっていた。おたがいにメールを送り、送り返されるうちに、わざとのようにそうなってしまったのである。
 彼女は、夫からあまり愛されていないようなことを憂いていた。私は、妻から愛されていたが、その妻に何も報いることができぬ自分を憂いていた。
 電話でも話し、実際に会いもしたが、肉体的な関係にまではならなかった。しかし、これは「浮気」であろうと思った。

 私は、まるで家庭を壊していくようだった。
 はじめは勝っていたパチンコも、当然負けがこんでいく。そして勝っても、夕食を豪華なものにできなかった。なんで夕食にこれだけお金をかけられるのか、妻に不審がられてしまうからだ。せっかく儲けたお金も使い道がなく、またパチンコ屋へ行った。
 妻と一日一緒にいる土曜・日曜は、ほんとうに胸が苦しく、呼吸ができなくなる時があった。大袈裟でなく、このまま死ぬのではないかと思った。妻が、その私の心配をしてくれればくれるほど、息が詰まり、現実に胸の痛みがよけいに大きくなるのだった。
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