第13話 「フリーライター」

文字数 2,002文字

 私は家で、登校拒否をしていた自分について書き始めた。なぜそんな自分だったのか、突き詰めて考え、自分に向かい、私なりに「ケリ」をつけようとしていた。
 妻はハウスクリーニングのバイトを始め、しかしそれでは生活が成り立たず、親に電話をかける。
「お金がないのかい。困ったもんだねえ…」
 母は、涙声だった。
「いや、今度、プロのライターになろうと思うんだ。K先生から紹介された会社で、修行をする。プロになるまでは、誰にでも貧乏な時があるらしい。今が、その時で、申し訳ないんですけど」
「で、いくら必要なんだい」
「二十万」

 モノの書き方を教わる場は、「マスコミ塾」と名づけられ、毎週一回開かれた。予備校職員、女子大生、この会社で働くアルバイトの女の子、私の四名が「塾生」になった。ボランティアで教えてくれる人は、「フリーランサー」の名刺を持つNさんで、大手出版の編集者と関係しているようだった。
 具体的に書き方を教わるというより、何を書きたいかに重点が置かれ、何に今最も興味があるかをみんなで話し合い、Nさんがそれを「企画書」として大手出版社に持って行ったりした。
 各人に課題も与えられた。私の課題は、Nさんが昔取材した録音テープを再生し、ワープロに打ち込む「テープおこし」という作業だった。

 この作業は、会社で徹夜になることがしばしばだった。音声を文字に変えて原稿用紙が一枚埋まる、その都度ファックスで会社からNさんに送るためだった。家にはファックス機がなかった。
 二日ぶりに家に帰ると、疲れた妻の顔があった。ひとりでハウスクリーニングの仕事をし、保育園の送り迎えをし、家事もこなしていれば、やつれて当然だ。私は、将来必ずライターとして独立し、妻を楽にさせたいと思った。
 だが、それはあくまでも未来の話で、現実は親に仕送りを頼み、妻に労働を強い、苦労をかけていることが全てだった。

 今、妻にばかり働かせては、いけない。今、オレもお金を稼がなければと思った。
 家の近くの電柱に「ゴミ収集車の助手募集」の貼り紙を見て、面接に行く。採用され、週に三日、そこで働き始める。八時から四時位までの作業で、日給六千円だった。
 ゴミ臭くなった体を風呂で洗い流してから、新宿の会社へ行き、徹夜して朝に帰る ── そんな毎日を送っていると、
「S社の編集者から、ダム建設問題で取材に行く話が来ている。筒井、行ってみるか」
 Nさんに言われた。
 雑誌に掲載されることが前提の仕事だった。S社から取材費が出て、カメラマンと社長と一緒に、岐阜県の村へ行く。

 ダム建設に反対する村の人達と、推進する人達の話を聞き、山奥にある建設現場を実際に見に行く。二泊三日の取材旅行。帰ってきてからは、建設省へ行ってダムに関する取材をし、資料を集める。テープ録音した現地の人達の話をワープロに打ち出し、Nさんに夜な夜な会社からファックスを送る。
 私は原稿用紙十枚にまとめたが、これがダメであれば、Nさんの原稿が掲載される、とのことだった。
 発売された雑誌には、二ページに渡って記事が掲載され、取材・文/筒井サトシ、と明記されていた。しかし、私の書いた原稿が掲載されたのではなかった。Nさんと社長が書いてくれていたのだった。
 ただ、山を痛々しく削って、ダムを建設しようとする現場を目の当たりにして、
「なんてことしやがるんだ!」
 と書いた私の言葉だけは、そのまま載っていた。

「この言葉は、現場を取材した筒井っていう人間から出てきた言葉だ。この言葉がある以上、この文は筒井が書いたものだ」
 Nさんが言う、
「この雑誌を片手に、いろんな出版社に自分を売り込むこともできる」
 フリーライターとして、私の生きる道が、かすかに開かれたかのようだった。協力してくれる、ありがたい人達がいる。

 その後、Nさんの紹介で、S社の雑誌の「企画会議」に参加した。神保町の立派なビルの中で、私とほぼ同年代の五、六人と、会議室のテーブルを囲んだ。
「“ 若いやつらへのメッセージ ”として、小沢一郎にインタビューはどうだろう?」
「立川談志にしよう、スパッと。誰が行く?」
「スポーツはどうする?」
 活発に意見が飛び交う。それを企画書という形にし、上の人に提出する。OKが出たら取材費をもらい、アポをとり、現場に向かう準備をする。却下されたら、また会議をする。

 私は、政治や芸能、スポーツに、真剣になれるほどの興味を持てなかった。また、このマスメディアの世界が胡散臭く感じられた。そして、タフでなければやって行けないと思った。
 結局私は、「ライター」という職業に本気で取り組むことができず、「マスコミ塾」に行かなくなった。実家からの送金は二ヵ月で途絶え、これ以上親に無心するのも気が引けた。
 私の名前の載った雑誌を両親に持って行くと、
「よく書けてるじゃないか」
 父がそう言い、嬉しそうに笑ってくれた。
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