第7話 歓迎会

文字数 1,328文字

 そして年が明け、春先に彼女が妊娠した。
 私は喜んだ。これは喜ばねばならぬと思った。これから大変になるんだろうな、とも感じたが、子どもができたことを、めでたいとしないでどうすると思った。
 だが、彼女は慌てふためいていた。「二十歳までは子どもをつくらない」と親に宣言して家を出てきていた。未成年で結婚・出産となると、法的に親の承諾が必要になる。何より、宣言を反故してしまったことが、不本意であるようだった。
 べつに結婚しなくてもいいじゃないか、と私は言った。だが、婚姻届を出さないと、生まれる子どもは私生児となり、将来差別を受ける可能性がある、と彼女は言った。
 そして、子どもを育てることがどういうことなのか、あなたにその大変さが分かるのか、ということを訴え始めた。

 一体どうしたら、彼女が安心するのか分からなかった。子どもを育てる大変さも、私にはほんとうには分からなかった。ただ、彼女を安心させるためには、とにかく自分が頑張らないとダメだ、ということだけは分かった。
 社長から、「もう現場は辞めて、うちの正社員にならないか。オレが会社を切り盛りしてきた、全ての知識をつっつちゃんに伝授する」と電話で言われる。社長には一人息子がいたが、後を継ぐ気がないとのことだった。
 私は、その気になった。正社員になることで、彼女も少しは安心してくれるだろう。一日ナンボの日雇い労務ではなく、一ヵ月払われる給料も固定もする。
 そもそも、この仕事は私に合っていたのだと思う。中島みゆきが大好きで、温厚で真面目な親方との相性も良かった。この仕事をしていなかったら、今の現実もあり得ない。この会社に就職することは、当然の流れのように思えた。

 さっそく歓迎会が開かれ、社長とパートのおばさん、元請け会社の部長や社員など、五人が飲み屋に集まった。私は縮こまりながらビールを飲み、ウイスキーを飲んだ。話といえば、「あのマンションの管理人は」とか「今度の学校の貯水槽工事は」など、仕事のことばかりだった。仕事のつきあいなのだから、当然のことだった。
 そしてこの歓迎会が終わった後、ああヤレヤレ、やっと終わった、とみんな疲れて帰っていくのだろう……私は、そう想像した。すると、気持ちが悪くなった。

 トイレに行って吐き、戻ってくると、「筒井さん、気持ち悪い? ここに吐いていいぞ、しっかり受け止めますよ」と、親会社の部長が両手でお椀をつくった。
 ── 嘘をつけ、この野郎。どうせ会社だけのつきあいじゃないか。俺のゲロ受け止めて、会社どうしの親密加減を計ろうって魂胆かよ。
 内心でそう思ったが、顔は笑ってばかりいた。本心を隠して、人と応対していくことこそ会社員、オレがこれから生きる道なんだ、と肝に命じようとしていた。
 宴が終わり、一人で家路に向かう時、また吐いた。友達と一緒に飲んでいる時は、もっともっと飲めていたのに、あのくらいの量でこんなに吐くなんて、と自分が情けなくなった。
 家に帰ると、彼女が「おかえり」と綺麗な笑顔で出迎えた。
 その時、突然、私に涙が込み上げてきた。彼女の前にひざまずいて、止めどもなくわんわん泣き出していた。自分が、汚い、汚れた人間になってしまったと思ったのだ。
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