第2話 会社

文字数 935文字

 私は、ここが会社であることを、思い知っていくようだった。この「会社」というイメージは、すでに私の頭の中にできあがっていた。向かい合ってデスクが並び、そこでは必ず電話が鳴る。OLが受話器に向かい、傍らでネクタイが書類に目を通し、別のネクタイはパソコンにかじりつき、また別のOLも机に向かい、別の誰かはコピーを取るために歩いている。
 この教務室はドラマや映画のようで、「オフィス」と呼ぶにふさわしい場所だった。
 そして登場人物たちは、顧客と取引をしたり、部長や課長に平身低頭するのだ ── お金のために。

 予備校では、「受験生」という人間が、だいじな客だった。私は、掛かってきた電話の相手に、新商品「ユニバース」を売り込む営業マンになるべきなのだと思った。
 すると、突然かかってくる電話に、私はうまく反応できなくなった。電話応対ぶりを、「コイツは仕事、デキるのか?」と、斜め向かいの社員などから注視されている気がした。隣りに座るSさんが、たいてい電話を取り、応対した。

 革命でも起こしかねない情熱的な講師達と、この教務室での会社的な雰囲気が、私の中で結びつかなかった。
 私は、人間の可能性を伸ばすためには、お金なんてどうでもいいと思っていた。親と一緒に暮らし、生活費の心配と無縁だったことが大きい。
 カネなんかより、人間だ。だのに、自分はここで会社の歯車となり、営利目的に人との交流を計ろうとしている……講師達と、廊下ですれ違うと、私は自分をミジメに感じた。

「開校してから出社します。それまでは休ませていただきます」と上司に電話で伝える。生徒が毎日通うようになって、初めて自分の仕事が始まるのだ。今は休んだっていいと思った。開校まで数日しかなかったが、この数日間が自分の人生最後のモラトリアムだと思った。
 K先生も週に何日か講義に来る。ヤル気のある講師達と、素晴らしい場づくりに励むことができる。これ以上、自分に合った職場はないはずだった。
 四月になり、生徒達が来校を始め、私は通勤を始める。大学受験科の入っていない、「ユニバース」だけの校舎だった。
 しかし、生徒達を目の前にしても、電話受付をしていた時と同じように、私の身体はギブスがハマったようにぎこちなく動いていた。
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