第14話 出戻り

文字数 2,263文字

 ゴミ収集車助手のバイトを、このまま続けていても、仕方がないように思えた。
「一生、この仕事を続ける気はない」── この思いが、どんな仕事をしても、常に私の中で頭をもたげ、くすぶり続けていた。
「運転免許を取って社員にならないか」と言われても、ライター修行の身なんです、と嘘をついて断っていた。そしてモノ書きに専念したい、と言って辞めてしまった。

 妻は、近所のコンビニでバイトを始めた。ハウスクリーニングは、一ヵ月ほどで辞めていた。一緒に仕事をする、社長との相性が合わなかったらしい。男と同じ仕事をこなしても、「女だから」という理由で、男よりも二百円も低い時給に憤懣があったようだ。
 K先生からは、「元気かい、何やってんの」と、よく電話をもらった。私は冷や汗をかきながら平身低頭していた。
「鎌倉市にある選挙事務所で、二ヵ月位の住み込みのバイトをしないか」という話をしてくれたが、妻の合意が得られず、断念した。一緒に暮らさないで、何が家族か、というのが妻の言い分だった。

 経済的に不安定で、貧乏な状態のとき、よく夫婦喧嘩になった。
「あなたばかりやりたいことをやって、わたしは何もできないんだよ」
 涙ながらに訴えられると、何も言えなくなった。その口を封じ込めようとして、カサで叩いたこともある。
 確かに、私は「家族を幸福にさせよう」とは思っていなかった。
 妻と子どもと私、それぞれ勝手に好きなことをやっていれば、それが即ち「幸せな家庭」になる、と思っていたのだ。

 私は、あまり親に干渉されずに育ってきた人間だった。日曜の朝など、父母も兄も好きな時間に起き、勝手に朝食を食べていた。とりたてて仲良くもなく、といって不仲な家族でもなく、個々のペースで生活をしていた。それが私にとっての家庭だった。
 妻の育ってきた家庭は、私と百八十度、異なっているようだった。日曜の朝でも皆で朝食を食べ、父は絶対的な存在で、帰宅すれば必ず「おかえりなさい」を玄関で正座して言い、態度が悪いと厳しく叱られたという。

 それは、「家族」の中に、具体的な価値を見い出さざるを得ない状況だったと思う。そして妻には、「自分は自分のペースでやりたいんだ」ということを実際に両親に口を出し、戦ってきた歴史もあるようだった。
 私には、家族と面と向かってぶつかってきた過去がなかった。一つ屋根の下に暮らしてれば、見たい・見たくないに関わらず、顔を合わせることになる。その顔、雰囲気から、相手の体調や心情を自分の中で想像していく、そんなふうに私は家族と暮らしていた。

 家族どうしで、積極的に相手の顔を見つめたり、深刻な話をすることなどなかった。それがそのまま、そうやって私と接して欲しい、という妻への要求になっていた。
「そんなこと、言われないでも分かるだろう」という思いが先走って、真剣に話をすることに耐えられなくなってしまうのだ。
 妻が私に求めるものと、私が妻に求めるものが一致せず、それがいつも喧嘩の根本的な土台になっていた。
「お前も好きなことをやれよ。いやいや金のために働いて、つらい顔されると、こっちもつらくなる」
「お金は? お金はどうするの? わたしも働かなくなったら、生活をどうするの」

「子どもの学資保険の百万円があるだろう。払っていない年金代わりとして、毎月三万、貯金してきたお金もあるだろう。金なんて、先のために取っておいても仕方ない。それを使えよ」
「あれを使うの? あれは無いものだと思ってよ」
 涙ながらに言われると、ぐうの音も出なかった。あのお金に手をつけたら、なし崩し的にどんどんお金がなくなっていく予感がした。それに私が貯めたのではなく、妻が家計をやりくりして、やっと貯めていたお金だったのだ。

「前やってた貯水槽の仕事は、長く続いたよね。あれ、もう一回やってみたら。筒井君がいなくなって、困っているかもしれないし」
 K先生からそう言われ、その気になった。一度辞めた仕事に戻ることは気が引けたが、求人雑誌で見るどんなバイトよりも、日給が良かった。背に腹は替えられぬ思いで、親方に電話をかける。
「社長んとこに電話かけてみてくれ。仕事が一杯あって、困ってるからさ」

 社長に電話をする。一年前、岐阜へ行くという話をした時、「つっつちゃん、そんな知らない所へ行ったら、ホームシックになるぞ。田舎暮らしなんて退屈だぞ。またこっちへ戻ってきても、この会社、あるかどうか分からないし」と言われていたのを思い出す。
「すいません。また雇って頂けないでしょうか。社長の言ってた通りでした。田舎暮らし、退屈でしたし、ホームシックにもなりました」
「そうだろう。オレの言ってた通りだろう。人の言うことは聞いておくもんだよ、つっつちゃん。いや、今、忙しくてさあ。来てくれたら助かるよ。一度、会社に来てくれ。辞めた時と同じ日当を払うよ」

 一日やれば一万五千円だ。しかし、また親方になれ、と期待されてはたまらない。
 私の名前の載った雑誌を社長に見せ、
「将来、フリーライターになりたいんです。出版会社にも、行かなければなりません。二足のワラジみたいになりますけど、現場で手を抜くようなことは絶対にしません」
 と嘘をついた。
 社長は、しばらく雑誌を見つめ、
「モノ書いてメシを食っていけるほど、甘くないぞ、つっつちゃん。フリーライターなんて、この世にゴマンといるんだからな。…でも、夢を追うのも大切だよな」
 そう言ってくれた。
 あくまでもアルバイトという形で、私は社長と一緒に現場を回り始めた。
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