第30話 正社員登用試験

文字数 2,884文字

 夏休みが終わり、正社員登用試験の日がやって来た。
 算数の問題、漢字の読み書きが各十問、「会社用語」(仕事でよく使われる言葉)の意味を問う選択問題五問、「今後の抱負について述べよ」というペーパーテスト。それに面接があった。
 受験者は私を含む九人が横に一列に座り、教壇に座る面接官二人に向かう。私は、八丈島旅行の尾を引いていた。もし合格して正社員になったとしても、妻子と一緒に暮らせそうにない。何か、腰が据えられず、ふわつくようだった。社宅で、家族と再出発することが、この社員試験の目的であるはずだった。

 一人の面接官が足を組み、片足の靴を脱ぎ、ぶらぶらさせているのを見て、だらしないなぁと思った。私の気持ちは、何かに抗い始めた。
「休日には、何をしていますか」
 面接官に問われると、そんなのお前に関係ないだろう、という気になった。
「自分の長所と短所を言って下さい」
 そんな難しいこと分かるか、まずお前らが言ってみろ、と思った。
 受験者は皆、すぐ手を挙げて答えていた。私は最後のほうになって、やっと手を挙げた。
「志望動機を言って下さい」
 この質問に、二十代が手を挙げて、
「大企業だからです」
 と答えた。
 この答を聞いて、私は、
 ── おい、ほんとにそれでいいのか。お前、ほんとにそんなんでいいのか。
 念を押したい衝動に駆られた。

 私は、彼の次に手を挙げて、
「もちろん大企業ではありますが…」と言い、「大企業という大きな船に乗って生きるのもいいんですけど、」と言い出していた。
 大企業ということで、それに甘えた姿勢で仕事をしたくない。下請け会社で働く人達のことも考えて、驕らずに働きたい、と言いたかったのだが、言葉に詰まった。あわてて、「採用して頂ければ、ありがたいです」と言った。

 私は、この試験場にいる人間達にイチャモンをつけたい気分になっていた。だが、一番イチャモンをつけたいのは自分自身に対してだった。
 給料が高くなったからって、それで何になるんだと思いながら、「いま三十歳の人は、基本給が三十万になります」と待遇面が説明された時、うわあ、欲しい! と思った自分もいた。一体、何なんだ、お前は、と、自分自身がわけわからず、試験場にいた。
 職場へ行くと、
「筒井さんは大丈夫。きっとうかりますよ」
「筒井君、今日からよく眠れるのう」
 上司達が微笑みながら言ってきた。
「いや、算数が、分数が分からなくて…」と言うと、「そうそう、なんでこんな簡単な問題ができないんだ、って思うんよね」班長が笑って言った。

 そして私が自分の持ち場で作業をしている時、組長より上の地位にいる工長が、ものものしい雰囲気で歩いてきた。
「おはようございます」
 私が言うと、工長は鋭い、怒ったような眼を向けて私の肩に手を置き、
「頑張れ!」
 ひとこと、そう言って去っていった。

 一週間後、手招きする組長のもとへ行くと、
「こないだの試験の結果なんだけど、残念だが…」
 人事部からの通知書を見ながら言った、「残念だったな…」
「いえ、ありがとうございました。試験を受けれただけでも、よかったです」私は明るく言い、それがポーズなのか本心なのか、自分でも分からないまま、その後も「明るく」職場の人達と接し続けた。

 毎週日曜日に電話をしていた妻は、八丈島以来あまり私と話したくなさそうだった。電話もかけづらくなり、手紙も書かなくなっていたが、試験に落ちたことは伝えた。
「まあ、うかっても、どうせ辞めただろうから」
 笑って言うと、
「まあ、しょうがないわね」
 と妻。
 そして、トモミやみんなは元気かと聞いても、うん、と答えるだけで、すぐに気まずい沈黙になった。

 私は休まず働き続けたが、毎月の妻への送金がトータル百二十万になる頃、あぶなくなってきた。職場へ行こうとすると、頭が痛くなり、気持ちが悪くなってくるのだった。行ってしまえばどうにかなるのだが、行くまでが、ひどい時間だった。
 ── あと二ヵ月ちょっとじゃないか。あと二ヵ月ちょっと働けば、期間満了、ボーナスのような六十六万円がもらえるじゃないか。
 そう思っても、頭の痛みは消えなかった。精神的なものに由来することは、分かっていた。
 公衆電話から、東京の友人UさんへTELする。(部屋にも備え付けの電話はあったが、これは寮の外へは繋がらなかった。外からかかってくる場合のみ、事務室の人が交換手になって、外の人と話すことができた)

「脱学校の会」で知り合ったTさんは、「一流」大学を出て「一流」企業に就職したが、「天気のいい日にビルの中にいるのが耐えられなくなって」辞めたという人だった。今は、K先生の紹介で予備校の講師をしている。
 テレホンカードが切れる頃、私の落ち込みようが気になったのか、「こっちからかけ直すね」と言ってくれた。そして、一、二時間、喋ったと思う。

「ひとつのことを続けられなくて、どうしようもない。訓練…」
 訓練、と言った時、私はぼろぼろ泣き出した。「学校で、我慢をする訓練が、できて、こなかったんだと思う…」
 Tさんは、相槌を打ち、たまに笑って、うん、うんと聞いてくれていた。
 長く話してごめんね、と礼を言って電話を切ると、胸のつっかえが取れた気がした。そして翌日から、通勤前の頭痛と吐き気もなくなった。

 工場に配属される時、バスの中で話し、ご飯を一緒に食べたM君と、再び急接近したのもこの時期だった。風呂場の洗濯場で、バッタリ会ったのだ。M君は塗装課に配属され、私が夜勤のとき彼は昼勤だった。
「どおりで顔を合わせないわけだね」
「筒井さん、サボテン通信、読みましたよ」

 いつか、コンビニで通信をコピーした帰りに、下駄箱のところで偶然すれ違った時、何ですかそれ、と聞かれ、渡したことがあった。
「悪いスけど、笑って読んじゃいました。僕も、閉じこもっていたときがありましたから」
 M君は、どこにでもいるような二十五歳の青年に見えた。しかし、ここに来る前の半年間、何もする気が起きず、「ほんとにただ自分の部屋で寝起きするだけだった」という。

「親からは、なんか言われなかったの?」
「ええ、特に何も。ほんとはどう思っていたか、分からないスけどね」
「よく、登校拒否児は社会に適応できないとか言われたりするけど、M君は学校行ってたんでしょ?」
「ええ、ばつに何も考えずに。たぶん、学校行く・行かないは、関係ないですよ」
 笑って話すM君は、「ぼく、詩を書いているんです」と言い、「あ、読みたい」と言った私と、どちらからともなく「文通」をするようになった。
 下駄箱の脇にある、おたがいのポストに、今日は職場でこんなことがありました、とか、こんな感じの心象風景です、とか、便箋に書いて、入れ合った。そんな「手紙」のやりとりは、帰寮してからのささやかな楽しみとなった。

 サッカー場に連れていってくれるWさんにも、「サボテン通信」を渡した。私が灯油で焼身自殺を図った箇所のことを、「何やってんスか」と大笑いされた。自分の汚点のような文章を、笑ってくれる友達が、ありがたかった。
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