第26話 出稼ぎ、約一ヵ月後

文字数 2,186文字

 一ヵ月近くが経つと、仕事にも慣れた私が鼻歌を歌いながら作業をしていると、正社員の一人がそばに来て言った、「今日、ピーコンがありますんで、お昼休憩の時、詰所に来て下さい」
「ピーコンって何ですか?」
「パーソナル・コンパゼーション? コンペゼーションだったかな…の略だったかな…」と正社員は笑い、「お菓子とかジュース、用意してますんで」

 行くと、組の人達が楕円形のテーブルを囲んでいた。期間満了退社していくA君と、新しく入った私の、軽い歓送迎会だった。そこで初めて私は知ったのだが、A君は、職場の人達からあまり良く思われていないようだった。まじめで、仕事ぶりも悪くないのに、その肩まで伸びた長い髪と、人と積極的に関わろうとしない内向性が、まわりとの一線を画しているようだった。

 A君が、今までありがとうございました、というようなことを言うと、拍手。私が出身地や趣味などの自己紹介を終わると、拍手。だが、最後にひとりの社員が、「A君には、もっとハキハキ、しゃべってほしかったと思います」と厳しい口調で言った。
 すると、「うん、そうやね、そうやね」とまわりの人達も堰を切ったように同調したのだ。
 帰りのバスの中で、「これからどうするの」と聞くと、「うーん、失業手当をもらいたいですねえ。バイオリンを習うのもいい…。頑張って、って言葉、あんまし好きじゃないけど、筒井さんも頑張って下さいねえ」
 住所と電話番号を教え合い、握手して別れる。

 淋しくなった私は、「ふれあい広場」で今度はひとりの正社員と親しくなった。期間従業員ばかりのこの場所に、社員がいるのは珍しいことだった。
「人間関係がね。この会社、けっこう宗教信じてる人多いんよ。うちの組の半分はそうだし」
 この二十八歳のWさんは、プロのサッカー選手になりたいらしく、入団テストにうかったら、こんな会社さっさと辞めるんだという。
「筒井さん、今度の日曜、ヒマ? アマチュアリーグの試合があって、見に来てくれると嬉しいんだけど」
 わざわざ車で迎えに来てくれて、専用グラウンドらしき場でサッカー観戦をした。Wさんはゴールキーパーをしていた。
 行き帰りの車の中で、自分の生い立ちや、両親との考え方の違いのことを話してくれた。そしてひと月に一、二回、試合のある日は寮まで迎えに来てくれた。私は、試合を観るより話をする時間が好きだった。

 私は仕事に、確かに慣れたが基本的には必死だった。生産数の多い製品は、ロボットだけでは間に合わず、自分の手で部品を付けなければならない。けん引車が来るまでにつくっておかないと、組立工場の作業を遅らせてしまうことになる。
 それこそサッカー選手のように、一台一台のロボットのスイッチを入れ、六台目のロボットまでの十五、六メートルを小走りしていた。
 そして一日の仕事が終わるたびに、「やるべきことをやった」充足感と、心地良い疲労が体を浸していた。

 だが、それだけでは足りなかった。
 私は、おきざりにしてきたワープロを妻に送ってもらい、「サボテン通信」を再びつくり始めた。
「学校拒否体験」を書き、ここでの近況などを書き、近くのコンビニで両面コピーをし、約六十通を知り合いに郵送する。
 K先生、八百屋を勧めてくれたTさん、山の上のSさん…今までつきあってくれた人、友人知人達と、今このまま私が何もしないでいたら、永遠に縁が切れてしまう気がしたからだ。
 すると、二十人位の人達から返信が来た。仕事から帰って、ポストに入った手紙を読むことが、毎日の新しい楽しみになった。

 この寮生活で、「ああ自分は今ほんとうに一人きりなんだ」と実感したのは、テレビを見ていた時だった。
 お笑い番組を見て、思わず笑うと、笑っているのは自分一人なのだった。六畳部屋の中、見渡す限り一人きりだった。
 テレビを見る時、こどもの頃には親がいた。おとなになったら、妻と子がいた。今までは、いつも「家族」と一緒にテレビを見て、ともに笑っていたのだ。
 そして「ひとりごと」を言っても、誰にも聞かれなかった。一人きりの部屋の中では、ほんとうに「ひとりごと」は「ひとりごと」なのだ。「えっ?」と聞き返す人はいなかったからだ。

 食堂で一人で食べ、共同洗面所にある洗濯機で回す衣類も、私一人だけのものだった。
 職場に行けば、誰かと話す。だが、土曜日曜は、話す相手が誰もいなかった。携帯電話もなく、公衆電話から誰かに電話をしない限り、私は一日、人間としゃべることがなかった。
 たまに、寮の自転車を借りて、三十分の道を飛ばし、町なかにあるジャスコや本屋へ行くと、「シャバに出た」という感じがした。
 部屋にいても基本的に何もすることはなく、するべきこともない。しかし、そんな週末を二日も過ごすと、「休み」をお腹いっぱいに食べ尽くした気になって、月曜からガンバッて働こう、という意欲に駆り立てられた。

 私は妻に手紙を書き続け、そして毎月の給料・手取り十九万のうち十五万を、妻の口座に振り込み続けた。日曜の夜には必ず電話をし、子どもと、そして妻と話した。
「元気?」から始まり、それぞれの日常を何となく話すのだ。
「五月の連休には、旅行に行こう」
 妻も快諾し、私はその日を目指して仕事に精を出した。
 なぜ一緒に暮らしている時に、こうなれなかったのだろう。ぼんやり、そう思った。
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