第16話 八百屋の誘い

文字数 2,749文字

 日曜日に自宅を開放すると、高校を中退した十六歳の女の子や、二十歳前後の五、六人の人達が集まった。
「柏なら、僕の家と近いし、また一緒にお酒でも飲みませんか」
 Iさんから、久し振りに連絡をもらった。私が二十歳の頃に参加した、「親の会」で知り合った小児科医だった。
「柏の近くに、Aさんっていう映画監督やってる人がいるんですよ。お子さんを学校に通わせていないんです。筒井君と、一度会わせたいなあって」

 そうして知り合ったAさんは、四十代前半の、実直で情熱的な人だった。無農薬の八百屋を営んでいて、初対面でいきなり「筒井君、八百屋をやらないか」と言われた。ドキュメンタリー映画で賞も取っていたAさんは、映画づくりに専念し、店を私に任せたいということだった。店と引き売り用の軽自動車を五十万で譲ってくれ、「商売のやり方のイロハは全部教える」とも言ってくれた。
 私は、「やりたいです」と答えた。小学校がたくさんある町中で、子を学校に行かせない、強い信念を持ったAさんに、畏敬の念も抱いた。日頃、農薬づけの野菜を子どもに食べさせていることに、どうにかならないかとも思っていた。

 この八百屋の話に、妻はあまり気が進まない様子だった。まず運転免許をとるために三十万、そして五十万が必要だ。またいつ辞めるかもしれない私に、そんな投資はしたくなさそうだった。
 私には、妻を説得させる熱意もなかった。何だかんだいっても、私は日々の生活に満足していたのだ。
 妻はパートで始めた玩具メーカーの下請け会社が続いていたし、子どもは近くの保育園に通い、私はその広い実家に二万円の家賃で住み、「脱学校・柏の会」で人との出会いも確保できた。このまま暮らしていけば、自分のパチンコ中毒以外は特に問題もなく思えた。

 私は、もし八百屋を途中で辞めたら、せっかく出会えたAさんとの関係も続かなくなるんだろうなと考えた。貯水槽なら、一日一万五千円は確実に手に入るが、八百屋はそうはいかないだろうな、とも考えた。そうして、やりたいですとは言ったものの、なかなか行動に移さずにいた。
 Aさんの設定してくれる状況に入り込めないことは、私という人間をつくる決定的な要因のようだった。「これで、人生決まってしまうかもしれない」という場面に逢着した時、いつも私はその中へ飛び込むことができない。

 なかなか動き出さない私を、いつまでもAさんが待ってくれるはずもない。結局、私のほかに「やりたい」という人が現れ、その人が八百屋を継ぐことになった。
「まだ、筒井君と “結婚” するのは早かったかな。もっと、“デート” を重ねよう」
 そう言われ、私は電話越しに頭を下げた。

 京都に転勤していた義父が、また東京勤務になる知らせが来たのは、その年の師走だった。
 タダ同然で借りていた妻の実家から、私達家族はまた引っ越すことになる。妻の職場と子どもの保育園の関係上、実家のすぐそばのマンションを借りることにした。3DKで七万五千円。
 年が明け、私と妻子が引っ越すまでの一週間、義父母と一緒に生活をする。義父母が、私のことをどう思っているのか、想像するしかなかったが、少なくとも良くは思われていないことは感じていた。
 四年前、同棲生活を始める際に挨拶に行った時、「お母さん、出刃包丁を研いでいたのよ」と妻が教えてくれたし、結婚の際に挨拶に行くと、義父から「現場仕事なんかしている人間を親戚にしたくない」と面と向かって言われていた。

 子どもの育て方についても、義父母には奇異に映ったことと思う。
 私達夫婦は子どもに、「お父さんお母さん」ではなく、「サトシ、ヨシコ」と呼んでいいよ、と言っていた。
「なんで?」子どもに聞かれ、
「トモミが、サトシのことを、オトウサンって呼ぶのは、サトシがトモミのことを、コドモって呼ぶのと同じなんだ。トモミは、コドモではなくて、トモミだろ?」私は答えていた。

 しかし子どもは、私のことを「お父さん」と呼んだ。「オトウサンのほうが、サトシよりカッコいいんだもん」というのがその理由だった。母のことは、いつも「ヨシコ」と呼んでいた。オカアサンより、カワイイから、とのことだった。
 義父母にとって、そんな呼び方をさせることは、不可解なようだった。
「なんで、そう呼ばせたいの?」
 義母に笑って聞かれたが、説明すると理屈っぽいヤツだと嫌われそうで、
「いや、なんでもいいんですけどね」
 と曖昧に笑って済ませてしまった。これはこれで、自分の考えを持たない、いい加減な奴だと思われたことだろう。

 義父母は、休みの日でも朝六時に起床し、ジョギングや詩吟の活動をしていた。私と妻子は九時か十時に起床し、二階の寝室から一階の居間へ行き、おはようございますを言う。
 義父が庭の手入れをしているのを見ると、私も手伝わなければと思った。しかし、庭いじりなどやったこともない私が手を出しても、足手まといになると思い、しなかった。
 義母が食器を洗っていると、私も手伝おうとした。だが、いいわよいいわよ、と笑顔で言われると、あっさり引き下がった。食器棚の、皿の然るべき置き場所が、私には分からなかった。一緒に夕食をしていても、私と義父母に積極的な会話はなかった。

 正月が過ぎても、貯水槽の仕事はまだ休みが続いていた。
 私は、義父母の布団がずっと干されていないことが、気になっていた。義母は極度の冷え性だったのだ。冷たい布団では身体に悪かろうと思い、晴れた日の朝、干そうとしていた。
 布団干しましょうか、とでも聞いたら、きっと遠慮されてしまうので、私は勝手に義父母の布団をあげ、ベランダに運んでいた。義母が、その私を見つけた。
「あなた、何やってるの」
 驚いた様子だった。
「いえ、布団を…」
「いいわよ、そんなことしなくて。あなたは、他にやることがあるでしょう!」
 厳しい口調で、怒鳴り声に近かった。

(家のことをするよりも、定職につきなさい! うちの子を働かせないで、あなたの稼ぎだけで、やっていけるようになりなさい!)
 私には、義母がそう言っているように聞こえた。
 妻が、何事か、と二階へ駆け上がって来た。私はフテくされて下へ降りた。そんなに怒らなくてもいいじゃないか、と妻の涙声が聞こえ、義母との口論が始まったようだった。
 私は「タバコを買ってきます」と庭先の義父に告げ、家を出て電車に乗った。翌日が引っ越しの日だったが、私はパチンコ屋とカプセルホテルで過ごした。
 二日後、妻子が引っ越しを済ませているはずのマンションへ行く。チャイムを鳴らすと、妻が笑顔で出てきた。父母と私の、ぎこちない関係に挟まれて、いちばん大変な思いをしていたのは、妻だったのだ。私は笑えないまま、部屋に入った。
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