第18話 誰もやりたくないような仕事

文字数 1,858文字

 誰もやりたがらないような、汚い、いやな仕事をやってみたいと思った。どうせ働くのなら、半端にラクな仕事をしたくなかった。とことんイヤな思いをして、お金を稼ぎたかった。
 貯水槽のときに知り合っていた、トイレの詰まりなどを直す会社の社長に電話する。この社長はその本業のかたわらで、貯水槽の現場で人手が足りない時、たまに手伝いに来ていた。

 私は、雇われる自信があった。ここなら、いつでも人を募集していると思ったのだ。
「すいません、人、募集してませんか」
「うん、してますよ。じゃあ、来週の×曜日くらいから、来てもらおうかな。給料のことも、そのとき話しましょう」
 あっさり決まった。ただ、
「申し訳ありませんが、日給は一万以上でないと生活ができなくて…」と言い、「あくまでもバイトでお世話になりたい」と言った。家の近くで就職先を探していることも、正直に言った。
 雇われる身であるくせに、まずこちらの希望と現状を伝えた。社長は、少し残念そうな顔をしながらも、受け入れてくれた。

 仕事は、たしかに汚かった。人の家の、台所の詰まりならラクだったが、駅やビルなどのトイレになると、まず、自分との格闘だった。便器から排泄物が溢れているのを見ると、気持ちが悪くなり、その場から逃げ出したくなった。しかし詰まりを直し、車の中でげんなりしていると、社長が声をかけてきた。
「しょうがないなァ、あれくらいで」
「いやあ、覚悟はしてたんですけど…」
「カレーでも食いに行くか、カレーでも」
「いや、ちょっと勘弁して下さい」
 私は、社長と一緒に現場を回ることが多かった。社員は二人いて、それぞれの作業車で現場を回る。最初は、恐れおののいた排泄物だったが、だんだん慣れてきた。

 この仕事は、朝八時に社長宅の駐車場で待ち合わせることから始まる。夕方五時までの勤務(拘束)時間。元請け会社から送られてきたファックスで、朝一の現場はすでに決まっている。そこへ行って詰まりを直すと、元請け会社へTELをする。次に行くべき現場を知らされ、そこへ向かう。その繰り返しだ。
 現場がないときは、車の中で待機。元請け会社からの「仕事発生」の連絡を待つ。携帯電話が鳴るのを、ひたすら待つ。多い日は五、六件、少ない日は一、二件だった。

 仕事で使う機材は、「カンツール」という名の、電動ワイヤーマシンだった。詰まりを「貫通」させるという、的を得た面白いネーミングだと思った。円錐形をした、プラスチックか何かでできた「箱」の中に、十メートルのワイヤーがトグロを巻いている。その下に車輪がついていて、持ち運ぶ際は、ちょうどおばさんが買い物車を引っ張る恰好になる。

 スイッチをONにすると円錐が回りだし、手袋をはめた手でワイヤーを便器の中にゆっくり入れていく。先端には「コ」の形をした鉄製の器具がついていて、たとえば生理用品なんかが詰まっていたら、そいつが「コ」にからんで回転が止まるので、引き抜く。引き抜くときは逆回転ボタンを押す。円錐の中にワイヤーがトグロを巻いて納まっていく。
 駅での詰まりの原因は、財布が多いとのことだった。スリが現金を抜いた後、財布を便器に流していくのだそうだ。

 このバイトを始めて二ヵ月経った頃、新聞の折り込み求人広告に、良さそうな会社を見つけた。家から自転車で二十分くらいのところにある印刷会社だった。
 家の近くで働きたい理由は、子どもの保育園の送り迎えを、妻だけにさせたくなかったからだ。
 汚い仕事も悪くなかったが、朝も夕も、私は送り迎えができなかった。共働きである以上、送り迎えの片方だけでも、やるべきだと思っていた。

 履歴書を持って面接に行き、即決。バイトではなく、社員である。見習い期間が三ヵ月あった。給料は二十一万。勤務時間は八時半から五時半。隔週で週休二日制。
 短い間だったけれど、二ヵ月お世話になった社長に、この旨を伝える。社長は残念そうに、できれば社員になって欲しかった、と言ってくれた。

「労働」に対する考えが、自分の中で少し変化し始めていた。どうせ金を稼がないと生きて行けないのなら、社員だろうがバイトだろうが、何だっていい。ただ、「家庭」というものに重きを置いて、仕事が終わったら真っ先に帰ってきて、ビールで乾杯でもして妻子と笑いあおう。一日一日、精一杯やれば、それでいい…そう思えていたのだ。
 ずっと、そこに勤めなくてもいい。辞めたくなったら、辞めればいい。それまで、ガムシャラにやろう。後先のことは考えずに。
 私は二十九歳になっていた。
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