第24話 出稼ぎ

文字数 2,374文字

 朝、家に帰ると、妻が私の朝食を用意してくれていた。私はコンビニで買ったビールを飲み、妻に行ってらっしゃいを言い、子どもを保育園に送り、布団にもぐる。
 夕方、五時頃に子どもを迎えに行き、五時半に私は家を出る。妻は六時頃帰るので、その間、子どもは一人でお留守番をする。
 そして十日目の朝。正月手当、皆勤手当などがついて、十二万五千円の給料をもらった。
「すごいじゃん。わりと、しっかりした会社だったんだね」
 給与明細書を見て、妻が言う。
「いろいろと、ごめん。十万あれば大丈夫だと思うから」
 二万五千円を妻に渡そうとした。
「向こうに行ったら、最初は物入りでしょ。お金かかるわよ」
 妻は受け取らなかった。

 出発の前日、私達家族は一緒にボーリングをし、デパートのファミリーレストランで夕食をした。これで最後になるかもしれない、家族との時間。妻の、私と子どもへの「思いやり」だったのだと思う。
 一週間後には、住んでいた賃貸マンションを引き払い、妻と子は実家に戻って行く。
 私は義父母に、挨拶に行かなければ、と思っていた。出稼ぎに行ってきますので、その間よろしくお願いします、と言いたかった。
 だが、義父母は私が妻に苦労をかけてきたことを知っている。そしてこれから先、私達夫婦がどうなるのか、自分達にもわからない状態で、挨拶に行くことはできなかった。

 出発の日、妻は私のためにお弁当をつくり、仕事を休んで、子どもと一緒に東京駅まで見送りに来てくれた。
「お父さん、ちょっと旅に出る」
 子どもに、私はそう言っていた。
 新幹線が動き出し、私は座席から投げキッスを送った。子どもは恥ずかしそうに笑っていた。妻は私と目を合わせようとせず、涙ぐんでいるようだった。
 離ればなれになって、けっして悪い結果にさせない、悪いようにはさせない。涙ぐみながら、そう思えてならなかった。

 名古屋駅に着き、新幹線出口の広場に行くと、TOYOTAの旗を持った男の周りに、四、五十人の人だかりができていた。大きなバッグを持った男ばかりの集団を、往来する人達が珍しそうに見ていた。
 時間になり、旗に引率されてぞろぞろと送迎バスへ歩く。知らない土地へ行く不安があったが、暖かいバスに揺られ始めると、うとうと眠ってしまった。
 一時間ほどで豊田市内の寮に着き、案内された「講堂」に行くと、すでに百人位が座っていた。われわれは後ろの方の席に座ったが、前でマイクを持って喋る男の声は、全く聞き取れなかった。

 ただ座っているだけの時間が終わる。部屋の鍵とシーツ、食券と洗面器、湯飲み茶碗が手渡され、部屋に行く。歪んだ六畳と、小さなテレビ、ちゃぶ台があった。押し入れの中の布団も、歴史を感じさせた。雨風しのげるだけでも、ありがたいんだと思った。吹きざらしの廊下にある、共同便所だけが新しかった。
 食堂に行くと、赤飯が出た。共同風呂が旅館の大浴場のようで、ちょっとした旅行気分になった。外を歩くと、ぽつんぽつんと飲食店、パチンコ屋、コンビニ。

 翌日は、健康診断。血液検査、尿検査、心電図、レントゲン。男ばかりが約百五十人、パンツ一丁で列をつくる。背筋、握力の測定もやった。
「なんか、軍隊みたいですね」と話しかけてきた人と、少し話す。三十五歳で、前はホンダ自動車で期間従業員をしていたという。熊本から来たのだそうだ。
 昼の食堂では、アジの開きが出た。冷たくシケていたが、食べられるだけでもありがたいのだ、と必死に食べる。

 二日目に、「教育」。私の、最も恐れていた時間だった。それこそ軍隊のように、「ジブンはカイシャのために、一生懸命ハタラキます!」と直立不動で連呼するような「教育」を受けるのだろう、と想像していた。
 だが、単なる入社手続きを一斉に行なうだけだった。給料の振り込み先、ここに来るまでの交通費などを用紙に書き込む。
 午後になると、「田原工場」「衣浦工場」に配属される人だけ決まる。黒板に、従業員番号が書かれた。
 その夜、風呂から帰って部屋でテレビを見ていると、ドアの上に付いているスピーカーが鳴り、
「××号室の筒井サトシさん、××号室の筒井サトシさん、用件があります。至急、事務室まで来て下さい」
 と、呼び出された。
 ああ、体力測定で、握力が30しかなかったから落ちるのか。それとも、履歴書の職歴を省いたのがバレたのか。どきどきしながら行くと、
「ああ、急で悪いんやが、田原工場で急に欠員が出てな。今日、田原に決まった人達と一緒に、明日、そっちへ向かってほしいんや。田原は、最新のロボットもおるし、寮も新しい。ええで」

 三日目も「教育」。ずっと座って、机に置かれた煙草を吸い(喫煙OKだった)、何を言っているか聞き取れない声を聞くだけで、日給九千円が給料に振り込まれる。
 午後、作業上着と安全靴が支給され、バスに乗り込む。約三十名、誰も、誰とも話をしない。バスの中で喋っていたのは、隣り合わせの席に座った、神奈川から来たというM君と私だけだった。

 寮に着き、事務員から寮生活についての説明を受ける。座敷にみんなで座り、寮の事務員がニコニコと「ようこそ来て下さいました」と話をする。私は、やはりどこかの旅館に来たような気がした。
 部屋番号が印字された名札を受け取ると、荷物を持って皆さっさと部屋へ向かって行く。一向に言葉を発さない「無言の人達」に、M君も何か異様さを感じていたのか、「筒井さん、一緒にメシ食いません?」と、苦笑いしながら誘ってくれた。

 この三日間、私は毎晩手紙に書き、妻に送った。今、こんな環境にいる。まわりにはこんな人達がいる。そして文末には必ず、「愛するヨシコへ」と書いた。
「脱学校・柏の会」に毎月来てくれた人達に、しばらく会を休む旨を書き、コンビニで葉書に30枚コピーして送った。
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