星神祭の夜 *2*

文字数 2,558文字

 一方、フウリもまた一枚の手巾を懐に隠し、シュマリ湖のほとりに唯一立っているセンリュオウジュの木の下へ来ていた。
 隣にはカケルの姿がある。シャラのところへハヤブサを置いてきたその足で、湖へ行かないかと思い切って誘ったのだった。
「これを、俺に?」
「ああ。その……ぞ、雑巾(ぞうきん)にでも使ってくれると、嬉しい……」
 暗い場所で渡せば下手な刺繍をごまかせると思っていたのだったが……フウリのその考えはあっさりと打ち砕かれた。携帯用の蛍石に照らし出された手巾は、縫い目がボロボロなのが丸見えだ。しかも、先日、カケルに教えてもらった七芒星文様からは、ほど遠い出来になっている。
 しばし手巾を見つめたまま目を瞬かせていたカケルだったが、やがて何かを察し、フッと柔らかい笑みを浮かべた。
「これ、手巾なのだろう? キミが一生懸命作ってくれたものを雑巾になんてしないよ。ありがとう、大切に使わせてもらうね」
「あ、いや……その……それで、だな……」
 手巾を渡すということは、相手に想いを寄せていることを伝えているに等しい行為だ。
 フウリはカケルの返答を待ちながら、速くなっていく鼓動を感じていた。
 しかし、いつまでたっても返ってこない反応にフウリは首を傾げ……そこでようやく、あるひとつの可能性にたどり着き、気まずくなって視線を泳がせた。
「も、もしかして、もしかしなくても、カケル殿は、センリュオウジュの言い伝えを知らないのか……?」
 センリュオウジュの下で、相手の文様の入ったものを想い人に贈り、その恋が成就すると、その二人は末永く幸せになれるという――。
 カケルが随分と村に馴染んでしまっていたから、当然のようにそういう習慣や言い伝えがあることを誰かに聞いて知っているものだと思っていた。
 が、どうやらまったく知らなかったらしい。
「言い伝え? なんだい、それ?」
 真顔で問い返され、フウリは苦い笑みを浮かべながら小さなため息をついた。
「……いや、知らないのならいいんだ。気にしないでくれ」
 勇気を振り絞って想いを告げたというのにまったく伝わらない、というのは結構辛いものだ。
 しかし、この想いはまだ伝えてはいけなかったのだ、とフウリは思い込むことにして、すぐに気を取り直した。
 晴れ渡った秋の夜空を見上げれば、南のひとつ星が今日も赤く、小さく輝いている。
 その時、暗闇を過ぎるものがあった。
「あっ!」
 まるでフウリの感嘆を引き金にしたかのように、南の空を数え切れないほどの星が流れ始めた。
 いくつもの光跡が、赤く輝く南のひとつ星を目指し、川のように夜闇を流れゆく。
「本当だ……これは確かに、独りじゃないって言われている気がするね」
 夜空を見上げたまま、隣で囁かれたカケルの言葉に、フウリは小さく頷き返す。
 自分の話を覚えていてくれたことが嬉しくて、思わず口元を綻ばせ、こっそりとカケルを見つめていると、突然、星を映していた黒い瞳がフウリに向けられた。
「何? どうかした?」
 視線に気づかれて焦ったフウリは、思わず口を滑らせた。
「……あ、ええと、そのー……、カケル殿の瞳は、綺麗だなと思って……」
 不覚にもこぼれ落ちてしまった言葉に、フウリは頬が紅潮していくのを感じ、慌てて両手で顔を押さえる。
 こんな時に何を言ってるんだと自分にツッコミを入れつつ、なぜだか向けられた瞳から目が逸らせなかった。
 カケルは一瞬驚いた表情を見せ、それからすぐに照れくさそうに頬を掻くと、その場にしゃがみ込んでしまった。
「あの……カケル殿? その、変なことを言ってすまない……」
 戸惑い混じりに謝るフウリに、しかしカケルは困惑気味に首を振った。
「……違うんだ。なんていうか、こんな感情を(いだ)いたらいけないのに、キミを見てたら俺は、その、(いと)しさが溢れてきて……いや、だから、なんて言うか、そのっ……」
 嬉しさのあまり、思わず抱き締めそうになっていたのだ、とは言えなかった。
 暗闇に紛れてその顔はフウリから見えなかったが、彼もまた顔が火照(ほて)っているのか、しゃがんだまま、手で顔を(あお)いでいた。
 しかし、そこでフウリはある言葉にひっかかりを覚え、首を傾げた。
「……そういえば、なぜカケル殿は私のことをいつも『キミ』と呼ぶのだ? ハヤブサやシャラや、村の皆のことは名前で呼んでいるだろう?」
「……あれ? 本当だ……なんでだろう?」
 カケルも無意識だったようで、指摘されて初めて気付いたようだった。が、かといってすぐに呼び方を改めるでもなく、ようやく頭が冷えたのか、立ち上がって再び星空を見上げ始めた。
 フウリはその様子になんとなく疎外感を感じつつ、カケルに(なら)って視線を星空へ戻す。
 そして、音もなく流れ続けている星々を二人で眺めているうちに、フウリはなぜだか懐かしさが込み上げてくるのを感じていた。
 前にも誰かとこうして、流れる星を見たのではなかっただろうか――?
 いつ?
 どこで?
 誰と? 
 考えようとすればするほど、頭の中に霧がかかったようになってしまい、フウリは唇を噛んだ。
 おそらくこれが、エミナのかけた(しゅ)の効果なのだろう。ならば、呪を解いてもらえば、このもどかしい感じは(ぬぐ)い去れるかもしれない。
 怖いけれど、このまま思い出さずにいるのは、いけない気がしてくる。
 とても大切な何かを……誰かと交わした約束を、思い出さなければ――。
 ふいに、夢の中で白狼(はくろう)ガセツに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。
「私はどうしたいのか……。ああ、わかった気がする」
「何の話?」
「そうだな……もし、私が泣いていたら、カケル殿は慰めてくれるだろうか?」
「それはもちろん。でも俺は、キミの泣き顔を見るような状況にはなって欲しくないな」
「……ありがとう。さて、そろそろ戻るか……」
 フウリは心配そうに見つめてくるカケルに微笑み返すと、湖に背を向け、村に向かってゆっくり歩き出す。
 星と共に舞い降りてくる、亡くなった者たちからの励ましの声に混ざって、どこか遠くから、哀しげな狼の遠吠えが聴こえていた――。
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登場人物紹介

●フウリ(女 16歳)

風のように駆け抜けていく女サムライ。

10年前に故郷のユゥカラ村がエランクルに攻め込まれた際、村で唯一生き残った少女。

村の警備を任されており、男たちの間では、フウリに敵う者はいないと言われている。

男勝りで、縫い物や料理は苦手。

●カケル(男 年齢不明)

傷を負って倒れていたところをフウリに助けられ、センリュ村で過ごすことになった謎の青年。

●シャラ(女 16歳) 

心を癒す美声の神謡姫(しんようき)。

センリュ村の長である長老の孫娘。村一番の美声を持つ。その声は人の心のみならず、動物や自然にまで好影響を与える。

守獣として白狼のガセツを連れている。裁縫が得意。

●ハヤブサ(男 17歳)

弓使い。

フウリとシャラの幼馴染。幼い頃は弱虫のいじめられっ子で、いつもフウリに庇ってもらっていたが…。

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