センリュオウジュの下で *8*
文字数 3,633文字
「カケル殿がいなくなった? どういうことだ、それは」
夜――センリュ村に帰還したフウリがハヤブサと共に村会議での事情説明を終え、シュンライの工房にいるはずのカケルを訪ねると、しかしそこに彼の姿はなかった。
シュンライは夕刻に戻ってきたカケルが無言のまま室に入っていくのを見届けてから、鍛冶の仕事をしていたのだという。
「疲れてるだろうと思って、そっとしとこうと思ってたんだがよ。刀の具合だけでも見ておこうと思って室に入ったら……空っぽだったのさ。本当に申し訳ない」
「いや……私も、彼の様子がおかしいことには気付いていたんだ……シュンライ殿のせいではないよ」
トゥキや助けられなかったニタイの多くの者についてや、報告すべきことなど、様々なことで頭がいっぱいになっていて、カケルのことをつい後回しにしてしまったのだ。
「私、その辺を探してくる。もしかしたら戻ってくるかもしれないから、シュンライ殿はここにいてくれるか? あと、村の人にはできればまだ黙っておいて欲しいのだが……」
「ああ。でも、明日の朝まで見つからないようだったら、その時は……」
「わかっている。その時は、覚悟を決めるよ」
フウリはそう言って、工房を飛び出すと、暗い山道を蛍石の小さな灯 りだけを頼りに歩き始めた。
いつもなら、工房には馬で来ているのだが、今は歩きだ。
長旅で疲れている愛馬を休ませようと思い、仕方なく歩いてきたのだったが、広い山の中や、それ以外も探すとなれば、歩きでは厳しいかもしれない。
そう考え、一度村に戻ろうかと、山道の奥へ踏み出した足を方向転換させる。
と、フウリの目の前に、ほのかに輝く白い被毛を夜風になびかせた獣が姿を現した。
「ガセツ、どうしたんだ? 君がシャラのそばにいないなんて、珍しい……」
言いかけて、フウリはハッとした。
「まさか、村に何かあったのか?」
ガセツはまるでフウリの言葉を理解しているかのように金色の双眸 を細めると「着いてこい」と言わんばかりに駆け出した。
しかし、彼が駆け出した方向は、村とは正反対だ。
「待ってくれ、ガセツ! どこへ行く気だっ?」
フウリが仕方なくその後を追いかけていくと、唐突にガセツは足を止めた。
「ガセツ? こんなところで止まって、どうした……って、カケル殿!?」
ふと見れば、この山では珍しい、緑の葉を茂らせたセンリュオウジュの樹の下で、カケルが座り込んでいるではないか。
驚きつつ駆け寄った瞬間、かざした蛍石の光を受けて、カケルの手元にあった刀が妖 しく煌 き、フウリは目を見開いた。
「何をしているっ!?」
飛びつくようにしてカケルの握っていた刀を叩き落すと、フウリは彼の頬を思い切り張る。
パンッ、と痛そうな音が静かな夜の山の中に小さく響いた。
「……キミ、は……」
ようやく我に返ったらしいカケルに、フウリは怒りを顕 わにする。
「カケル殿、これは何の真似だ?」
彼は今、どう見ても刀で自らの命を絶とうとしていた。しかし、フウリには彼がそうすることの意味が、さっぱりわからなかった。
しかしそんな中、思い出されたことがあった。
「カケル殿……ひとつ聞きたいことがある。なぜ、あの時……ニタイ村で、振り下ろされる剣を避けようとしなかった?」
一度はぐれてしまい、ニタイ村の広場で再びカケルの姿を見つけた時のことだ。
確かにあの男の強さは尋常ではなかった。足が竦 んで動けなかったのだとしても仕方のないことだと、フウリも斬られそうになった瞬間思った。
けれど、後から冷静になって状況を思い返してみれば、カケルは敵の強さにひるんで動けなくなっていたというより、完全に戦意を喪失し、生 を諦めていたように見えた。
「死にたかった、のか……?」
そう考えたのは、あの時、カケルが己の身を守る最大の盾でもある刀を、握ってすらいなかったからだ。
「あの時、一体あの男との間に何があった?」
「…………」
青ざめたまま、一向に口を開こうとしないカケルに、フウリはため息をついた。
すると、カケルはようやく、今にも泣きそうな笑みを浮かべて、つぶやいた。
「俺は……あの時、斬られていた方が良かったんだ……」
「え?」
「考えても考えても、思い出せない……。あの男のこと、俺はどこかで知っている気がした。もしかしたら俺は、エランクルの仲間だったかもしれない。あの村が襲われたのも、俺のせいだったかもしれないんだ……」
「まさか……」
確かにニタイ村には密偵がいたかもしれない。それが、カケルだったということか?
「そんなわけ……」
フウリは浮かんだ考えを否定するように首を横に振った。
「わからない。でも、もしそうだとしたら、俺は、たくさんの人の命を……」
「……それで、償 いに、死のうと思ったのか?」
フウリの問いに、カケルは小さく頷くと、呆然としたまま言葉を続ける。
「この村に戻ってくる途中、ずっと考えてた。戻ってくるべきじゃないかも……って。俺がいたら、次はこの村もニタイ村みたいになるかもしれない。どうしようって……」
その、どこか寂しげに肩を落としているカケルの姿に、フウリは胸が締め付けられるように苦しくなった。
そういえば、幼い頃のフウリもまた、村を失った衝撃から自刃 しようとしたことがあるというのを、長老エミナに聞いたことがあった。
なるほど、もしかしたら彼は自分に似ているのかもしれない。だから親近感に似た、何かを抱いているのかもしれない。
フウリはふとそう思い、微笑みを浮かべた。
それから、カケルの隣に腰を下ろすと、センリュオウジュの太い幹に背を預け、力なく土の上に投げ出されていたカケルの左手に、自分の右手をそっと重ねた。
「私もな、カケル殿と同じように、死のうとしたことがあったらしい」
「……キミが?」
驚いて顔を上げたカケルに、フウリは頷き返す。
「私は幼い頃、故郷の村を、家族皆を……エランクルに奪われた。なぜ、自分だけが生き残ったのかはわからない。その時は、なんの取り得もない自分だけが生き残ってしまったことを、許せなかったのかもしれない。自分も死んで、早く家族の元へ逝 きたかったのかもしれない。ただ、命を絶とうとしたことを、エミナ殿とユィノ殿の二人にひどく叱られたことだけは、不思議とよく覚えているんだ」
――おまえを守ろうとしてくれた者たちの想いを、すべて無駄にする気か。生きたくても生きられなかった多くの同胞たちの分も、残された自分の命は大切にして生き抜くべきだ、強くなれ――!
幼いフウリはそう言われ、それから力一杯、抱き締められた。
その言葉の重みと、温かい村の人たちの献身的な支えもあって、フウリは今こうして生きている。
「強くなれ……か……」
「ああ。それで、私は刀を手に取った。皆が守ってくれたこの命を、今度はこの村の皆を守るために使おうと決めたんだ」
「キミは女の子なのに……?」
「ははっ、昔はよくそう言われたよ。最初は、女がサムライになりたいだの、刀を教えてくれだの言ったら、そりゃあ驚かれたよ。でも、シュンライ殿が私の手を見て、『この子は刀を使ったことがあるみたいだ』とか言い出してさ、試しに刀を持ってみたら、それが本当だってのがわかって……」
記憶はなくとも、身体が太刀捌 きを覚えていたのだろう。
意外と筋も良かったらしく、今は亡き、長老エミナの夫でありシャラやユィノの祖父が、毎日のように稽古をつけてくれていたのだった。
「だから……カケル殿も、もう死のうなんて考えたらダメだ。それに、カケル殿はエランクルから逃げてきたのだろう? 人の命より自分の命を捨てようと考えてしまうような者が密偵をしていたかもしれないなんて、私には到底思えないよ……」
「……すまない。キミには二度も、いや三度も助けられてしまったな」
一度目は川辺で、二度目はニタイ村でエランクルの男の剣から、そして今また。
当然の事をしただけだと小さく首を横に振るフウリに、カケルはふと何かを思い出したかのように、懐かしげに目を細めた。
「助けてくれて、本当にありがとう……」
翌日――。
上弦の月が輝く夜空の下、村の中央広場では亡くなったニタイ村の多くの人々や村長トゥキの魂を送る儀式が、厳 かに執り行われた。
ノチウの祖先や亡くなった魂が向かう場所と云われている『月』に向かって、神謡姫による葬送 の神謡が捧げられる。と同時に、その優しく清らかなシャラの美声は、傷ついた多くの村の人々の心を温かく包み込み癒していく。
参列者の中には、フウリの隣で静かに儀式を見つめるカケルの姿もあったのだった――。
夜――センリュ村に帰還したフウリがハヤブサと共に村会議での事情説明を終え、シュンライの工房にいるはずのカケルを訪ねると、しかしそこに彼の姿はなかった。
シュンライは夕刻に戻ってきたカケルが無言のまま室に入っていくのを見届けてから、鍛冶の仕事をしていたのだという。
「疲れてるだろうと思って、そっとしとこうと思ってたんだがよ。刀の具合だけでも見ておこうと思って室に入ったら……空っぽだったのさ。本当に申し訳ない」
「いや……私も、彼の様子がおかしいことには気付いていたんだ……シュンライ殿のせいではないよ」
トゥキや助けられなかったニタイの多くの者についてや、報告すべきことなど、様々なことで頭がいっぱいになっていて、カケルのことをつい後回しにしてしまったのだ。
「私、その辺を探してくる。もしかしたら戻ってくるかもしれないから、シュンライ殿はここにいてくれるか? あと、村の人にはできればまだ黙っておいて欲しいのだが……」
「ああ。でも、明日の朝まで見つからないようだったら、その時は……」
「わかっている。その時は、覚悟を決めるよ」
フウリはそう言って、工房を飛び出すと、暗い山道を蛍石の小さな
いつもなら、工房には馬で来ているのだが、今は歩きだ。
長旅で疲れている愛馬を休ませようと思い、仕方なく歩いてきたのだったが、広い山の中や、それ以外も探すとなれば、歩きでは厳しいかもしれない。
そう考え、一度村に戻ろうかと、山道の奥へ踏み出した足を方向転換させる。
と、フウリの目の前に、ほのかに輝く白い被毛を夜風になびかせた獣が姿を現した。
「ガセツ、どうしたんだ? 君がシャラのそばにいないなんて、珍しい……」
言いかけて、フウリはハッとした。
「まさか、村に何かあったのか?」
ガセツはまるでフウリの言葉を理解しているかのように金色の
しかし、彼が駆け出した方向は、村とは正反対だ。
「待ってくれ、ガセツ! どこへ行く気だっ?」
フウリが仕方なくその後を追いかけていくと、唐突にガセツは足を止めた。
「ガセツ? こんなところで止まって、どうした……って、カケル殿!?」
ふと見れば、この山では珍しい、緑の葉を茂らせたセンリュオウジュの樹の下で、カケルが座り込んでいるではないか。
驚きつつ駆け寄った瞬間、かざした蛍石の光を受けて、カケルの手元にあった刀が
「何をしているっ!?」
飛びつくようにしてカケルの握っていた刀を叩き落すと、フウリは彼の頬を思い切り張る。
パンッ、と痛そうな音が静かな夜の山の中に小さく響いた。
「……キミ、は……」
ようやく我に返ったらしいカケルに、フウリは怒りを
「カケル殿、これは何の真似だ?」
彼は今、どう見ても刀で自らの命を絶とうとしていた。しかし、フウリには彼がそうすることの意味が、さっぱりわからなかった。
しかしそんな中、思い出されたことがあった。
「カケル殿……ひとつ聞きたいことがある。なぜ、あの時……ニタイ村で、振り下ろされる剣を避けようとしなかった?」
一度はぐれてしまい、ニタイ村の広場で再びカケルの姿を見つけた時のことだ。
確かにあの男の強さは尋常ではなかった。足が
けれど、後から冷静になって状況を思い返してみれば、カケルは敵の強さにひるんで動けなくなっていたというより、完全に戦意を喪失し、
「死にたかった、のか……?」
そう考えたのは、あの時、カケルが己の身を守る最大の盾でもある刀を、握ってすらいなかったからだ。
「あの時、一体あの男との間に何があった?」
「…………」
青ざめたまま、一向に口を開こうとしないカケルに、フウリはため息をついた。
すると、カケルはようやく、今にも泣きそうな笑みを浮かべて、つぶやいた。
「俺は……あの時、斬られていた方が良かったんだ……」
「え?」
「考えても考えても、思い出せない……。あの男のこと、俺はどこかで知っている気がした。もしかしたら俺は、エランクルの仲間だったかもしれない。あの村が襲われたのも、俺のせいだったかもしれないんだ……」
「まさか……」
確かにニタイ村には密偵がいたかもしれない。それが、カケルだったということか?
「そんなわけ……」
フウリは浮かんだ考えを否定するように首を横に振った。
「わからない。でも、もしそうだとしたら、俺は、たくさんの人の命を……」
「……それで、
フウリの問いに、カケルは小さく頷くと、呆然としたまま言葉を続ける。
「この村に戻ってくる途中、ずっと考えてた。戻ってくるべきじゃないかも……って。俺がいたら、次はこの村もニタイ村みたいになるかもしれない。どうしようって……」
その、どこか寂しげに肩を落としているカケルの姿に、フウリは胸が締め付けられるように苦しくなった。
そういえば、幼い頃のフウリもまた、村を失った衝撃から
なるほど、もしかしたら彼は自分に似ているのかもしれない。だから親近感に似た、何かを抱いているのかもしれない。
フウリはふとそう思い、微笑みを浮かべた。
それから、カケルの隣に腰を下ろすと、センリュオウジュの太い幹に背を預け、力なく土の上に投げ出されていたカケルの左手に、自分の右手をそっと重ねた。
「私もな、カケル殿と同じように、死のうとしたことがあったらしい」
「……キミが?」
驚いて顔を上げたカケルに、フウリは頷き返す。
「私は幼い頃、故郷の村を、家族皆を……エランクルに奪われた。なぜ、自分だけが生き残ったのかはわからない。その時は、なんの取り得もない自分だけが生き残ってしまったことを、許せなかったのかもしれない。自分も死んで、早く家族の元へ
――おまえを守ろうとしてくれた者たちの想いを、すべて無駄にする気か。生きたくても生きられなかった多くの同胞たちの分も、残された自分の命は大切にして生き抜くべきだ、強くなれ――!
幼いフウリはそう言われ、それから力一杯、抱き締められた。
その言葉の重みと、温かい村の人たちの献身的な支えもあって、フウリは今こうして生きている。
「強くなれ……か……」
「ああ。それで、私は刀を手に取った。皆が守ってくれたこの命を、今度はこの村の皆を守るために使おうと決めたんだ」
「キミは女の子なのに……?」
「ははっ、昔はよくそう言われたよ。最初は、女がサムライになりたいだの、刀を教えてくれだの言ったら、そりゃあ驚かれたよ。でも、シュンライ殿が私の手を見て、『この子は刀を使ったことがあるみたいだ』とか言い出してさ、試しに刀を持ってみたら、それが本当だってのがわかって……」
記憶はなくとも、身体が
意外と筋も良かったらしく、今は亡き、長老エミナの夫でありシャラやユィノの祖父が、毎日のように稽古をつけてくれていたのだった。
「だから……カケル殿も、もう死のうなんて考えたらダメだ。それに、カケル殿はエランクルから逃げてきたのだろう? 人の命より自分の命を捨てようと考えてしまうような者が密偵をしていたかもしれないなんて、私には到底思えないよ……」
「……すまない。キミには二度も、いや三度も助けられてしまったな」
一度目は川辺で、二度目はニタイ村でエランクルの男の剣から、そして今また。
当然の事をしただけだと小さく首を横に振るフウリに、カケルはふと何かを思い出したかのように、懐かしげに目を細めた。
「助けてくれて、本当にありがとう……」
翌日――。
上弦の月が輝く夜空の下、村の中央広場では亡くなったニタイ村の多くの人々や村長トゥキの魂を送る儀式が、
ノチウの祖先や亡くなった魂が向かう場所と云われている『月』に向かって、神謡姫による
参列者の中には、フウリの隣で静かに儀式を見つめるカケルの姿もあったのだった――。