南のひとつ星 *4*
文字数 3,776文字
新月が近づいたその夜、普段は皆、寝静まっている真夜中に、ユィノの息子は元気な産声 を上げた。
昼頃に産気づいてから深夜までかかったものの、シャラによって水の神様に安産を祈る神謡が捧げられ、多くの村の女たちの助けもあり、無事に男児が誕生したのだ。
それから数日は星神祭の準備もそこそこに、フウリの家は生まれたばかりの赤子に振り回される日々を送っていた。
が、それも新月の夜を迎えると、落ち着きを見せ始めた。
柔らかな産着 に包まれた赤子 は、新月の夜に初めて外へ出ることを許され、蛍石 のわずかな光の中で、村人たちに見守られながら、誕生の儀式が行われる。
儀式では赤子の健 やかなる成長をを星の神様に祈り、その子だけの文様 と名前が神謡姫から与えられる。
この儀式が敢 えて暗い新月の夜に執 り行われるのは、月の神様が、可愛さのあまり赤子を月へと連れ去ってしまわないように、という考えからだった。
「いよいよだな……」
シャラによって歌われた祝いの神謡が、月のない満天の星空に静かに溶けてゆく――。
それを多くの村人と共に見届けたハヤブサが、緊張の面持ちでつぶやいた。
と、白いチゥレ織の衣装に身を包んだシャラは、赤子を抱いて頭 を垂れているユィノの前に立ち、錫杖 をシャンと打ち鳴らした。そして、女神が降りてきたような優しい微笑を浮かべたシャラは、その場で屈み込んだかと思うと、地にサラサラと指を滑らせていく。
村人たちが息を呑んで見守る中、やがて赤子だけの文様が、土の上に描 き記 された。
「この子の名は――チユク。豊かな秋の恵みをその身に受け、立派な男子 に育つよう、星の神様、水の神様、火の神様、皆々様 に願います――」
高らかに、歌うように紡がれたシャラの言葉 を最後に、儀式が終わりを告げると、村人たちはユィノとリュート、赤子の周りに群がっていく。
お祝いの言葉をかけられ、温かな雰囲気に包まれているその輪を眺めていたフウリは、一人そっと、その場から離れた。
――新しい命の誕生は、もちろん嬉しい。
しかもそれが姉のように慕っているユィノの子ということだから、フウリにとっては、姪が生まれたようなもので、なんだかくすぐったいような気もする。
それでもやはり、どうしてだか寂しさも感じてしまうのだった。
こんな時、フウリには必ず一人で向かう秘密の場所があった。
センリュ村の北のはずれにあるシュマリ湖のほとりまでやってくると、早くも色鮮やかに黄葉 しているセンリュオウジュの根元に腰を下ろした。
秋の夜風に、サワサワと揺れるススキの音に耳を澄ませ、静かに揺らぐ湖面を見つめていると、澱 んでいるようだった心が次第に洗われ、澄んでいくようで心地良い。
ふと空を見上げれば、月明かりがない分、星たちの瞬きがいつもより賑やかに見えた。
そういえば、ここはイコロの夢で見た光景に少し似ている気がする。
などと物思いに耽 っていたせいか、フウリは近づいてきていた気配に気付かず、突然、頭上から降ってきた声に驚いて振り返った。
「何を見ていたの?」
「カケル殿っ!?」
「驚かせてすまない。ついて来ない方が良いのかもと思ったんだけど、夜に女の子が一人でこんなところまで来たら危ないんじゃないかなって。……隣、いいかい?」
「あ、ああ……」
普段は村一番の刀の使い手である筆頭サムライとして、あまり女の子として扱われることがないフウリは、カケルの言葉に新鮮なものを感じながら、頷き返した。
それからしばらく、二人の間には、星を見つめているだけの静かな時が流れた。
カケルは、フウリのことを気遣ってくれているようだった。
そんな優しさが心地良かったせいだろうか。フウリは今まで誰にも、親友のシャラにすら話したことがなかったことを、自然と話し始めていた。
「……カケル殿は、『南のひとつ星』がどれか知っているか?」
「いや?」
「ほら、向こうに見えている山の頂き付近に、ポツンとひとつだけ、周りの星より明るく輝いている赤い星があるだろう?」
フウリの指さした空の方向に視線を流し、見つけたカケルは「ああ」と小さく頷く。
「私は、あの星が好きなんだ。最初は、いつも独りぼっちに見えて寂しそうな星だなって思ってた……」
まるで、滅んだ村に独りだけ取り残されてしまった自分みたいだと、親近感を持った。
「でも、ある時、気がついたんだ。あの星は独りぼっちじゃなかったんだって」
「……独りじゃない?」
「そう。星神祭 の夜に、星が降るというのは知ってる?」
「それなら、なんとなく……前に誰かと見たことがある気がするよ。すごく綺麗だよね」
その年に亡くなった人々の魂が、輝きを放ちながら、星神祭の夜にだけ、地上に還 ってくるのだとも云 われている、とても幻想的な光景だ。
「ああ。それで、ある時、その星たちは、なぜか皆、南のひとつ星に向かって流れていくことに気がついたんだ。その光景が、私にはまるで『独りじゃないよ』って言っているように見えたんだ」
記憶にはないけれど、きっと大好きだった家族や、ユゥカラ村の人たち、他にも失われてしまったたくさんの人たちが、皆で励ましに来てくれている気がして――そう考えたら、涙が止まらなくなった。
「この前、ニタイ村のトゥキ殿が亡くなった時、とても悲しかった。他にも、助けられなかったニタイ村のたくさんの人たちのことも、本当に悔しくて……」
この世に生まれてくることはものすごく大変なことで、生まれてからも皆、大変な思いをしながら生きているのに、死ぬ時はあんなにもあっけないなんて。
「この胸の痛みや決して忘れないようにしようと思った。そしてユィノ殿に子どもが生まれて……嬉しくて。なのにやっぱり、どうしてか……」
「寂しい?」
カケルに問われ、フウリは折り曲げていた膝に、いじけるようにして額をつけた。
「こんなことを考えたら……私をここまで育ててくれた村の皆に失礼なのはわかってる。皆とても優しくて、本当の家族のように接してくれるのは嬉しい。でもやっぱり……何かが違うんだ……。家族のことを思い出せたら、こんな気持ちにはならないのだろうか?」
「それは……どうなんだろうな。もし思い出せたとしても、その人が近くにいないことには変わりないわけだろう? そしたら余計に会いたくなって、でも会えなくて。寂しさは逆にもっと増えるかもしれないよ」
――逢いたい人がいる。
きっと、それが誰だか、どんな人だかわからなくても、求める心は変わらないし、実際に逢えるまでは満たされることがないのだろう。
カケルの言葉は不思議と胸にストンと落ちてきた。と同時に、フウリはその言葉を聞いて、あることを思い出した。
「そういえば、カケル殿は前に『誰か』を探していたかもしれないと言っていたよな? それが誰だか思い出せないままで、気になったりはしないのか?」
六花文様の入った手巾の持ち主を、探してるのではなかっただろうか。
しかし、カケルの口からそのことについて聞いたのは、最初に会った夜だけだった。
「あぁ、そういえば……なんでだろうな。この村へ来てから、不思議と気にならなくなったというか。前は、探さなきゃって必死になってて、彼女に会うまでは絶対に死ねない……なんて考えてた気がするんだけど……」
「……彼女? 探していたのは女性だったんだ?」
「あー……そう、みたいだね。何だか最近、キミと話していると、ポロポロと記憶の欠片 が零れ落ちてくるみたいだ」
照れくさそうに笑ったカケルの横顔を盗み見てしまったフウリは、なぜだか急に胸が締めつけられるような痛みを覚えた。
なぜだろう――フウリは、自分に似た六花文様を持っているカケルの探し人の女性のことが、少しだけ羨ましいと思ってしまった。
そんな浅ましい考えをした自分が嫌になり、思わずカケルからプイッと顔を背けた。
「……どうかした?」
「なんでもな……っくしゅん」
どうやら、秋の夜風に当たり過ぎて身体が冷えてしまったらしい。フウリは肩を縮めてわずかに身震いをした。
と、次の瞬間、ふわりと肩に温かい重みを感じたフウリは驚いて顔を上げた。
見ると、カケルが自分の羽織っていた上着を脱ぎ、それをフウリにかけてくれていた。
「カケル殿、そんなことをしたら、そなたが風邪を引いてしまうではないか!」
「俺はそんなにヤワじゃないから平気。あ、でも、埃 臭かったらごめん。昼間、畑仕事の時に持っていって、荷物の上に置いてたやつだから」
「……本当だ」
「えっ、うわ、本当に? ごめん!」
「いや……あったかい陽 の匂いがするな……」
安堵のため息をついたカケルに笑い返しながら、フウリはキュッとカケルの上着を握り締める。
その匂いは、なんだかとても懐かしくて、フウリは思わず涙がこぼれそうになったのだった――。
昼頃に産気づいてから深夜までかかったものの、シャラによって水の神様に安産を祈る神謡が捧げられ、多くの村の女たちの助けもあり、無事に男児が誕生したのだ。
それから数日は星神祭の準備もそこそこに、フウリの家は生まれたばかりの赤子に振り回される日々を送っていた。
が、それも新月の夜を迎えると、落ち着きを見せ始めた。
柔らかな
儀式では赤子の
この儀式が
「いよいよだな……」
シャラによって歌われた祝いの神謡が、月のない満天の星空に静かに溶けてゆく――。
それを多くの村人と共に見届けたハヤブサが、緊張の面持ちでつぶやいた。
と、白いチゥレ織の衣装に身を包んだシャラは、赤子を抱いて
村人たちが息を呑んで見守る中、やがて赤子だけの文様が、土の上に
「この子の名は――チユク。豊かな秋の恵みをその身に受け、立派な
高らかに、歌うように紡がれたシャラの
お祝いの言葉をかけられ、温かな雰囲気に包まれているその輪を眺めていたフウリは、一人そっと、その場から離れた。
――新しい命の誕生は、もちろん嬉しい。
しかもそれが姉のように慕っているユィノの子ということだから、フウリにとっては、姪が生まれたようなもので、なんだかくすぐったいような気もする。
それでもやはり、どうしてだか寂しさも感じてしまうのだった。
こんな時、フウリには必ず一人で向かう秘密の場所があった。
センリュ村の北のはずれにあるシュマリ湖のほとりまでやってくると、早くも色鮮やかに
秋の夜風に、サワサワと揺れるススキの音に耳を澄ませ、静かに揺らぐ湖面を見つめていると、
ふと空を見上げれば、月明かりがない分、星たちの瞬きがいつもより賑やかに見えた。
そういえば、ここはイコロの夢で見た光景に少し似ている気がする。
などと物思いに
「何を見ていたの?」
「カケル殿っ!?」
「驚かせてすまない。ついて来ない方が良いのかもと思ったんだけど、夜に女の子が一人でこんなところまで来たら危ないんじゃないかなって。……隣、いいかい?」
「あ、ああ……」
普段は村一番の刀の使い手である筆頭サムライとして、あまり女の子として扱われることがないフウリは、カケルの言葉に新鮮なものを感じながら、頷き返した。
それからしばらく、二人の間には、星を見つめているだけの静かな時が流れた。
カケルは、フウリのことを気遣ってくれているようだった。
そんな優しさが心地良かったせいだろうか。フウリは今まで誰にも、親友のシャラにすら話したことがなかったことを、自然と話し始めていた。
「……カケル殿は、『南のひとつ星』がどれか知っているか?」
「いや?」
「ほら、向こうに見えている山の頂き付近に、ポツンとひとつだけ、周りの星より明るく輝いている赤い星があるだろう?」
フウリの指さした空の方向に視線を流し、見つけたカケルは「ああ」と小さく頷く。
「私は、あの星が好きなんだ。最初は、いつも独りぼっちに見えて寂しそうな星だなって思ってた……」
まるで、滅んだ村に独りだけ取り残されてしまった自分みたいだと、親近感を持った。
「でも、ある時、気がついたんだ。あの星は独りぼっちじゃなかったんだって」
「……独りじゃない?」
「そう。
「それなら、なんとなく……前に誰かと見たことがある気がするよ。すごく綺麗だよね」
その年に亡くなった人々の魂が、輝きを放ちながら、星神祭の夜にだけ、地上に
「ああ。それで、ある時、その星たちは、なぜか皆、南のひとつ星に向かって流れていくことに気がついたんだ。その光景が、私にはまるで『独りじゃないよ』って言っているように見えたんだ」
記憶にはないけれど、きっと大好きだった家族や、ユゥカラ村の人たち、他にも失われてしまったたくさんの人たちが、皆で励ましに来てくれている気がして――そう考えたら、涙が止まらなくなった。
「この前、ニタイ村のトゥキ殿が亡くなった時、とても悲しかった。他にも、助けられなかったニタイ村のたくさんの人たちのことも、本当に悔しくて……」
この世に生まれてくることはものすごく大変なことで、生まれてからも皆、大変な思いをしながら生きているのに、死ぬ時はあんなにもあっけないなんて。
「この胸の痛みや決して忘れないようにしようと思った。そしてユィノ殿に子どもが生まれて……嬉しくて。なのにやっぱり、どうしてか……」
「寂しい?」
カケルに問われ、フウリは折り曲げていた膝に、いじけるようにして額をつけた。
「こんなことを考えたら……私をここまで育ててくれた村の皆に失礼なのはわかってる。皆とても優しくて、本当の家族のように接してくれるのは嬉しい。でもやっぱり……何かが違うんだ……。家族のことを思い出せたら、こんな気持ちにはならないのだろうか?」
「それは……どうなんだろうな。もし思い出せたとしても、その人が近くにいないことには変わりないわけだろう? そしたら余計に会いたくなって、でも会えなくて。寂しさは逆にもっと増えるかもしれないよ」
――逢いたい人がいる。
きっと、それが誰だか、どんな人だかわからなくても、求める心は変わらないし、実際に逢えるまでは満たされることがないのだろう。
カケルの言葉は不思議と胸にストンと落ちてきた。と同時に、フウリはその言葉を聞いて、あることを思い出した。
「そういえば、カケル殿は前に『誰か』を探していたかもしれないと言っていたよな? それが誰だか思い出せないままで、気になったりはしないのか?」
六花文様の入った手巾の持ち主を、探してるのではなかっただろうか。
しかし、カケルの口からそのことについて聞いたのは、最初に会った夜だけだった。
「あぁ、そういえば……なんでだろうな。この村へ来てから、不思議と気にならなくなったというか。前は、探さなきゃって必死になってて、彼女に会うまでは絶対に死ねない……なんて考えてた気がするんだけど……」
「……彼女? 探していたのは女性だったんだ?」
「あー……そう、みたいだね。何だか最近、キミと話していると、ポロポロと記憶の
照れくさそうに笑ったカケルの横顔を盗み見てしまったフウリは、なぜだか急に胸が締めつけられるような痛みを覚えた。
なぜだろう――フウリは、自分に似た六花文様を持っているカケルの探し人の女性のことが、少しだけ羨ましいと思ってしまった。
そんな浅ましい考えをした自分が嫌になり、思わずカケルからプイッと顔を背けた。
「……どうかした?」
「なんでもな……っくしゅん」
どうやら、秋の夜風に当たり過ぎて身体が冷えてしまったらしい。フウリは肩を縮めてわずかに身震いをした。
と、次の瞬間、ふわりと肩に温かい重みを感じたフウリは驚いて顔を上げた。
見ると、カケルが自分の羽織っていた上着を脱ぎ、それをフウリにかけてくれていた。
「カケル殿、そんなことをしたら、そなたが風邪を引いてしまうではないか!」
「俺はそんなにヤワじゃないから平気。あ、でも、
「……本当だ」
「えっ、うわ、本当に? ごめん!」
「いや……あったかい
安堵のため息をついたカケルに笑い返しながら、フウリはキュッとカケルの上着を握り締める。
その匂いは、なんだかとても懐かしくて、フウリは思わず涙がこぼれそうになったのだった――。