南のひとつ星 *5*
文字数 2,586文字
翌朝。
すっかり元気を取り戻したフウリは、数刻おきの赤子への授乳で疲れの溜まっているユィノや、儀式の疲れが出て具合が悪そうなシャラのために、思い切って料理に挑戦することにしたのだった。
が――。
「……やはり一人では無理だな。何をどうしたらいいのか見当もつかないとは、我ながら情けない」
厨 でしばし食材と睨 み合いをした後、潔 く負けを認めたフウリは、料理の得意な誰かに助けを求めに行くことにした。
そうしてまっすぐに向かったのは、ノンノの家だった。
「あら、フウリちゃん、こんな朝早くからどうしたんだい、珍しいねぇ? これから刀の稽古には行くところなのかい? ああ、もしかして、カケルさんを迎えに?」
「あっ、いや、違うんだ……今日は刀の稽古は休もうと思って……」
料理を教えてもらいに来た――と、なかなか言い出せずにうろたえていると、そこへ寝グセで髪がボサボサのハヤブサがあくびをしながらやってきた。
「うはよーっす……って、フウリっ!? なんでウチにフウリが来てんの!? ぎゃーっ!」
「そんな言い方することないじゃないか……」
早朝から訪ねて迷惑なのは承知していたが、幼馴染にそう言われると、正直フウリは少しへこんだ。
「あーもぅ、だらしないったらありゃしないねぇ、バカ息子! とっとと顔洗っといで! ああ、フウリちゃん、みっともないところを見せちまって悪いねぇ」
ハヤブサはノンノの小言を浴びるよりも先に、恥ずかしい姿を見られたことに焦って、一目散 に奥の室へと戻っていってしまった。
入れ替わるようにして、今度は身なりをきちんと整えたカケルが顔を見せた。
「おはようございます、ノンノさん。あれ? なんでキミが来てるの? どうかした?」
「……それが、その……料理、を教えてもらいに来たのだが……」
恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めてつぶやいたフウリに、ノンノとカケルはしばし目を瞬かせ、顔を見合わせると噴き出した。
「なんだ、そんなことだったのかい? でも、ユィノちゃんやシャラちゃんはどうしたんだい? まさか具合でも悪くしてるのかい?」
「いえ、悪いってほどではないんです。ただ、二人とも疲れが溜まっているみたいだったので、たまには私が作ってみようかな、と思ったんですが……その……」
「あぁ、はいはい。フウリちゃんは料理苦手だものねぇ。うーん、そうだね……あたしゃ、これからウチの家族の分をたくさん作らないといけないからねぇ。となると、カケルさん、ちょっとこの子たちの家に行って、手伝ってあげたらどうだい?」
「えっ、あ……その……カケル殿が?」
てっきりノンノが来てくれると思っていたフウリは、思わぬ提案に目を見開いた。
「構いませんよ。キミが俺でいいっていうのなら、手伝うよ」
笑顔で答えたカケルは――かくして、フウリの家の厨 までやってくることになった。
「カケル殿はすごいな。一体どこで料理を覚えた……というより、やはり、少しずつ記憶が戻ってきているみたいじゃないか?」
手際 よく野菜の皮が剥かれていくのを横目に、真似をしようと奮闘中のフウリはため息を漏らした。
「この前、ハヤブサ殿が朝餉を盛大にひっくり返した時に、作り直さなきゃって唐突に思い立って、試しに廚を借りてみたらできてしまったんだ」
できてしまった、でこれほどの腕では、フウリとしては少々肩身が狭くなる。
野菜の次は、村人たちから赤子誕生のお祝いに贈られた新鮮な魚――エシク川を上ってきたシャケが、素早く丁寧に捌 かれていく。太った腹から出てきた紅 色の卵は、栄養がたっぷりで、粟粥 にかけて食べると絶品だ。
脂の乗った身の方は、鹿肉を叩いて作ったトゥレ団子や秋野菜と一緒に大鍋で煮込み、味噌を溶かせば、フウリの大好物でもあるノチウ鍋になる。
「ああ、前にハヤブサが騒いでいたのはその事だったのか? アイツは結構そそっかしいところがあるからな。他にも何か言われて嫌な思いとかはしていないか?」
「彼が悪意でもって色々言ってるわけではないのはわかってるから、全然平気だよ。あ、そっちの茄子 はヘタにトゲがあるから気をつけて」
「……痛っ!」
「ごめん、言うのが遅かったね。大丈夫?」
「こっ、これくらい大したことないさ!」
ぷくぅとトゲの刺さったところから血が盛り上がってくるのを見つめながら、フウリは少しだけむくれた。
今までまったく料理をしたことがありませんでした、と言わんばかりの失態に、自己嫌悪に陥りそうだ。
が、子どもみたいなその様子をカケルは面白そうに眺め、目を細めた。それから何を思ったのか、フウリの傷ついた指に顔を近づけ、小鳥がついばむような口づけを落とした。
「……っ!?」
柔らかくて温かな感触に、フウリは一瞬何をされたのかわからず、身を固くする。
しばしの沈黙を破ったのは、戸口から聞こえた小さな物音だった。
「……!?」
誰か来たのだろうかと振り返るが誰もおらず、フウリはどきまぎとしながらカケルの様子を窺った。
カケルもわずかに動揺しているようで、気を紛らわそうとするかのように、切った野菜やシャケの切り身を木皿に並べている。
「えっと、あの、カケル殿?」
「……ごめん、気にしないで。なんかその、身体が自然に動いただけだから……」
それもまた意味が分からない説明だったが、混乱状態のフウリは納得してしまった。
「あ、そうだ、このシャケのノチウ鍋って、私の大好物なんだ。カケル殿も作り方が記憶に残っていたってことは、す……好きだったのかな?」
「ああ、それは俺の好物というより、妹の好物で……。……妹!?」
カケルは自分の口から唐突にこぼれ落ちてきた記憶の欠片に、驚いて首を傾げる。
ここのところ、フウリとの会話中にそれがよく起こるので、フウリは慣れた様子で問い返した。
「カケル殿には、妹がいたのだな……」
「どうやら、そのようだね。さて、食材の下準備は終わったから、後はこの鍋を囲炉裏 のところへ持っていこうか」
「ああ……」
互いにぎこちない空気を漂わせながら頷き合うと、二人は居間へと向かったのだった。
すっかり元気を取り戻したフウリは、数刻おきの赤子への授乳で疲れの溜まっているユィノや、儀式の疲れが出て具合が悪そうなシャラのために、思い切って料理に挑戦することにしたのだった。
が――。
「……やはり一人では無理だな。何をどうしたらいいのか見当もつかないとは、我ながら情けない」
そうしてまっすぐに向かったのは、ノンノの家だった。
「あら、フウリちゃん、こんな朝早くからどうしたんだい、珍しいねぇ? これから刀の稽古には行くところなのかい? ああ、もしかして、カケルさんを迎えに?」
「あっ、いや、違うんだ……今日は刀の稽古は休もうと思って……」
料理を教えてもらいに来た――と、なかなか言い出せずにうろたえていると、そこへ寝グセで髪がボサボサのハヤブサがあくびをしながらやってきた。
「うはよーっす……って、フウリっ!? なんでウチにフウリが来てんの!? ぎゃーっ!」
「そんな言い方することないじゃないか……」
早朝から訪ねて迷惑なのは承知していたが、幼馴染にそう言われると、正直フウリは少しへこんだ。
「あーもぅ、だらしないったらありゃしないねぇ、バカ息子! とっとと顔洗っといで! ああ、フウリちゃん、みっともないところを見せちまって悪いねぇ」
ハヤブサはノンノの小言を浴びるよりも先に、恥ずかしい姿を見られたことに焦って、
入れ替わるようにして、今度は身なりをきちんと整えたカケルが顔を見せた。
「おはようございます、ノンノさん。あれ? なんでキミが来てるの? どうかした?」
「……それが、その……料理、を教えてもらいに来たのだが……」
恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めてつぶやいたフウリに、ノンノとカケルはしばし目を瞬かせ、顔を見合わせると噴き出した。
「なんだ、そんなことだったのかい? でも、ユィノちゃんやシャラちゃんはどうしたんだい? まさか具合でも悪くしてるのかい?」
「いえ、悪いってほどではないんです。ただ、二人とも疲れが溜まっているみたいだったので、たまには私が作ってみようかな、と思ったんですが……その……」
「あぁ、はいはい。フウリちゃんは料理苦手だものねぇ。うーん、そうだね……あたしゃ、これからウチの家族の分をたくさん作らないといけないからねぇ。となると、カケルさん、ちょっとこの子たちの家に行って、手伝ってあげたらどうだい?」
「えっ、あ……その……カケル殿が?」
てっきりノンノが来てくれると思っていたフウリは、思わぬ提案に目を見開いた。
「構いませんよ。キミが俺でいいっていうのなら、手伝うよ」
笑顔で答えたカケルは――かくして、フウリの家の
「カケル殿はすごいな。一体どこで料理を覚えた……というより、やはり、少しずつ記憶が戻ってきているみたいじゃないか?」
「この前、ハヤブサ殿が朝餉を盛大にひっくり返した時に、作り直さなきゃって唐突に思い立って、試しに廚を借りてみたらできてしまったんだ」
できてしまった、でこれほどの腕では、フウリとしては少々肩身が狭くなる。
野菜の次は、村人たちから赤子誕生のお祝いに贈られた新鮮な魚――エシク川を上ってきたシャケが、素早く丁寧に
脂の乗った身の方は、鹿肉を叩いて作ったトゥレ団子や秋野菜と一緒に大鍋で煮込み、味噌を溶かせば、フウリの大好物でもあるノチウ鍋になる。
「ああ、前にハヤブサが騒いでいたのはその事だったのか? アイツは結構そそっかしいところがあるからな。他にも何か言われて嫌な思いとかはしていないか?」
「彼が悪意でもって色々言ってるわけではないのはわかってるから、全然平気だよ。あ、そっちの
「……痛っ!」
「ごめん、言うのが遅かったね。大丈夫?」
「こっ、これくらい大したことないさ!」
ぷくぅとトゲの刺さったところから血が盛り上がってくるのを見つめながら、フウリは少しだけむくれた。
今までまったく料理をしたことがありませんでした、と言わんばかりの失態に、自己嫌悪に陥りそうだ。
が、子どもみたいなその様子をカケルは面白そうに眺め、目を細めた。それから何を思ったのか、フウリの傷ついた指に顔を近づけ、小鳥がついばむような口づけを落とした。
「……っ!?」
柔らかくて温かな感触に、フウリは一瞬何をされたのかわからず、身を固くする。
しばしの沈黙を破ったのは、戸口から聞こえた小さな物音だった。
「……!?」
誰か来たのだろうかと振り返るが誰もおらず、フウリはどきまぎとしながらカケルの様子を窺った。
カケルもわずかに動揺しているようで、気を紛らわそうとするかのように、切った野菜やシャケの切り身を木皿に並べている。
「えっと、あの、カケル殿?」
「……ごめん、気にしないで。なんかその、身体が自然に動いただけだから……」
それもまた意味が分からない説明だったが、混乱状態のフウリは納得してしまった。
「あ、そうだ、このシャケのノチウ鍋って、私の大好物なんだ。カケル殿も作り方が記憶に残っていたってことは、す……好きだったのかな?」
「ああ、それは俺の好物というより、妹の好物で……。……妹!?」
カケルは自分の口から唐突にこぼれ落ちてきた記憶の欠片に、驚いて首を傾げる。
ここのところ、フウリとの会話中にそれがよく起こるので、フウリは慣れた様子で問い返した。
「カケル殿には、妹がいたのだな……」
「どうやら、そのようだね。さて、食材の下準備は終わったから、後はこの鍋を
「ああ……」
互いにぎこちない空気を漂わせながら頷き合うと、二人は居間へと向かったのだった。