星神祭の夜 *8*
文字数 5,273文字
「ハヤブサ、お前すごいな……本当に助かったよ。ありがとう」
肩を貸し合って丘の上にいたハヤブサの元へ合流したフウリとカケルは、しかし二人とも傷を負っていた。
「フウリ、おまっ、その血はどうしたんだよ! 大丈夫なのかっ?」
口元にべっとりと付いた血を口から吐いたものと勘違いしたらしいその言葉に、ふと嫌なことを思い出してしまったフウリは眉をひそめた。
無言のまま、袖口でゴシゴシと何度も唇をこすり、滲んできた涙を拭う。
が、その行動を傷の痛みを堪えているせいだと思ったハヤブサはサッと青ざめた。
「そうだ、ユィノ姐さんから薬草貰ってきてるんだ。どこをやられた?」
「……私は手首の傷だけだから。それよりも、カケル従兄 さまの方を。いや、それよりも今は一刻も早くここから遠ざかるべきかな」
と、ハヤブサの乗ってきた馬の隣には、なぜかここへ来る途中で森に放したはずのフウリの愛馬の姿があった。
「ミコゼ?」
「そうそう、来る途中でたまたま出くわしたからさ、一緒に連れてきたんだ。主人想いのいい馬だよな!」
「……まったくだ。村に戻ったら、ご馳走をやらないとね……と、センリュ村の方はどうなった?」
「ああ、それについては、移動しながら話すよ」
ハヤブサはそう答えるや、ぐったりとしているカケルを己の愛馬イザヨイに乗せ、自分もヒラリと跨った。
フウリもすぐさまミコゼの背に飛び乗ると、雷鳴が轟 く中を駆け出した。
エランクルの拠点から夜通し走り続け、ある程度離れた山中で夜明けを迎えると、フウリたちはそこでカケルの傷の手当てをするため、手綱を引いて立ち止まった。
明るくなってみれば、カケルの傷は酷いものだったことがよくわかり、二人は顔を見合わせて顔をしかめた。
「これは……ひでぇな……」
鞭のようなもので強く打たれたのか、赤くただれて腫れあがった痕や数え切れないほどの青痣 は全身に、そして、ラグドが面白半分にフウリの前で引き金を引いた時にできた足の銃創……これが一番痛々しかった。
ハヤブサが消毒用に持ってきていた酒を容赦なく傷に振りかけると、それまで意識を失っていたカケルがうめき声を上げて目を覚ました。
「悪いなカケル、痛いだろうけど我慢しろよ」
「……う、ああ。その……色々と、すまない……」
「阿呆 、謝るくらいなら最初からこんな無謀なことすんじゃねぇよ!」
「……ハヤブサ殿、ありがとう」
「んだよ、お前に礼なんて言われても気持ち悪いだけだからやめろよ」
「ハヤブサ、そんな言い方しなくてもいいだろうが! 貸せ、お前がやると従兄さまの痛みが増しそうだからな」
「あ、なんだよそれ……フウリの言い方も十分ひでぇよ!」
フウリは割り込むようにして二人の間に入ると、酒の入っている竹筒をそっと傷口にかけ、消毒しはじめる。が、痛みはどちらが手当てしようと変わらないようで、カケルが苦しげにうめくたびにフウリは謝り、自分まで顔を歪めた。
一番深い傷のところには、フウリが自分の服の裾を切り裂いて包帯代わりにし、なんとか手当てを終えると、ようやく深い安堵のため息をついたのだった。
「んでさ、センリュ村の方なんだけどさ、とりあえずエミナばーちゃんの提案とシャラの予知夢で、大陸最北端にある山に移ることに決まったよ」
「そうか……」
フウリはハヤブサの説明に、二つの意味で安堵のため息を漏らした。
村の場所のこともだが、シャラはまだ神謡姫としての力を失わずにいるらしい。
「オレが村を出る頃には引越しの準備も大分進んでたから、たぶん今頃はもう移動し始めてると思う」
「ところで、その新しい村の場所には、ちゃんと辿り着けるのか?」
最北端と一言で言っても、ノチウ大陸は広い。うまく合流できなかったらどうする気だと、フウリは不安げに問うた。
が、ハヤブサは得意げな笑みを見せると、唐突にピュイっと口笛を鳴らした。
すると、上空を旋回していた白梟が口笛に応えるようにして舞い降りてきた。彼に随分と懐いた様子で、伸ばした腕に大人しくとまると、ホゥ、とひと鳴きしてみせた。
「ほら、チカップ がいるから道案内はバッチリさ!」
「なるほど……やはり、あの時見たのは幻ではなかったのか。頼りになる守獣だな」
それからは三人はひたすら北上を続けた。
北へ上っているせいもあるが、周囲の風景は晩秋から初冬へとめまぐるしい速度で移り変わっていく。
山越えの時には、雨はみぞれに変わり、焚き火用の枝を探すのに苦労するようになっていった。それでも天候には比較的恵まれたこともあり、当初の予想よりも早く、新しいセンリュ村のあるだろう場所へ近づいてきていた。
しかし、満ちていた月が欠けゆき、新月を迎える頃になって、フウリはある異変に気がついた。
カケルの傷が一向に回復していかないのだ。
消毒用の酒は早々に底を付き、薬草は傷に効くものを自力で探し集めて使った。以前、川辺で倒れていたのを助けた時は、今回ほどの傷ではなかったにしろ、数日で動けるようになっていたというのに。
それどころか、フウリは時折、カケルの存在そのものが薄れていっているような、妙な感覚に襲われるようになった。
そういう時は大抵、彼が意識を失ったように眠っている時で、フウリは不安をまぎらわそうと冷たいカケルの手を握り締めていた。
「カケル従兄 さま、このまま消えてしまったりなんて……しないよな?」
「何言ってんだ、フウリ。人が消えるわけねぇだろ」
フウリが何気なくつぶやいた独り言に返事があったことに驚いて振り返ると、小枝と薬草を集めて戻ってきたハヤブサが白い息を吐き出しながら苦笑いを浮かべて立っていた。
「ハヤブサ……。だけどほら、シュンライ殿が聞いた話だと、カケル従兄さまの魂の半分は人ではなく守獣だということだったし……」
「いや、でもさぁ、守獣だっていうなら神様の遣いなんだし、余計に心配することないんじゃね? どうせ今までの疲れとか色々なのが一気に出てるだけだろ?」
ハヤブサはそう言うと、フウリの好きな甘酸っぱい木の実を差し出した。
安心させようとして言っているのかもしれなかったが、フウリは少しだけ気が緩むのを感じた。
「……ありがとう。そうだな、弱気になるなんて私らしくないよな」
ふと、カケルによく言われていた「笑って」という言葉が過ぎり、フウリは半ば無理やりに笑みを浮かべてみせた。
「さてと、空模様も怪しくなってきたことだし、この先に見えてる森の方まで進んでおくとするか?」
「そうしたほうが良さそうだな。あ……雪?」
頬に冷たいものが触れて空を振り仰ぐと、みぞれではなく、本格的な雪がチラチラと舞い降りてきた。
「うっわー、降ってきやがったか! 急ぐぞフウリ!」
頷き立ち上がったたフウリだったが、ふとカケルのまぶたが震えたことに気付き、再び膝をつく。
「カケル従兄 さま?」
目を覚ましたのかとホッとしたのはつかの間、カケルの手を取ったフウリは、異変に気付いて青ざめた。
「やだ、カケル従兄さま!? 起きて、目を開けて!」
「何、フウリ? どうかしたのか……!?」
フウリの視線の先を辿ったハヤブサも絶句した。
雪のように青白くなったカケルの指先が、まるで風に吹かれて溶けていくかのように、少しずつ消え始めていたのだ。
「どうしよう、ハヤブサ! このままじゃ、従兄 さまが死んでしまうよ! ねぇ、どうしたらいい!? 誰か、助けてっ……」
「お、落ち着けって……えっと、息は? 息はまだしてるのかっ?」
フウリはハヤブサの声にハッと我に返ると、カケルの胸に耳を押し当てた。
トクン、トクン……と、弱々しいけれど、鼓動が聞こえ、ハヤブサに頷き返す。
「やだよ……カケル従兄さま、お願いだから、もう一度目を開けて……」
カケルの肩を抱き起こすと、フウリは必死に呼びかけた。
ハヤブサもフウリの反対側に膝をつくと、一緒に支えるように手を添えながら叫んだ。
しかし、カケルの返答はなく、その存在はどんどん希薄になっていく。
「お前、こんなとこでくたばってんじゃねぇぞ! 村までもう少しなんだからな! それに……まだフウリに返事してねぇじゃねーかよ! そのまま逝くなんて、オレはぜってぇに認めないからな!」
「カケル従兄さま!」
「カケル!」
と、二人の悲痛な叫びが届いたのか、カケルはうっすらと目を開けた。
「……フウリ? ごめ……ん、約束、守れそうに……ないよ。キミのこと、守るって……言ってたのに」
つぶやくごとに、カケルの体はどんどん薄れ、空気に溶けて消えていく。
それを留める術 を二人は知らず、どうすることもできないまま、無情にも時は流れていく。
ただできるのは、見守り、祈ることだけだけだった。
「カケル従兄 さま……いやだ。もう独りにしないで……っ!」
「だいじょ…ぶ、ハヤブサ殿……や、村の皆がいる……だろう?」
「ふっざけんなよ、カケル! フウリは……フウリはなぁ、お前じゃなきゃ、ダメなんだよ!! ほらコレ、この小刀お前にやるから、今すぐフウリの想いに応えてやれよ!」
ハヤブサはずっと持ち歩いていたのか、懐から六花文様入りの小刀を取り出すと、消えかけているカケルの手にそれを無理やり握らせようとした。
が、カケルのその手はサラリと音もなく消えてしまい、小刀はストンと地面に転がった。
うっすらと開かれていたカケルのまぶたも、再びゆっくりと閉ざされていく。
容赦なく空から降りてくる雪は、早くも辺り一面に積もり始めた。
まるで、黒い瞳をもつカケルの存在をすべて塗りつぶそうとするかのように、世界は静かに、少しずつ白一色に染まってゆく。
「ありが……とう……」
最期にそんな言葉を残して、やがて音もなくカケルの存在は空気に溶けて消えていった。
まるで、雪の花が風に舞うように、キラキラと小さな輝きを放ちながら――。
「あ……あ……カケル従兄 さま――っ!!」
フウリの魂の叫びが、静まり返った白い世界に響き渡った――その時。
どこからか、歌声が聞こえてきた。
次いで、顔を上げたフウリとハヤブサの瞳に、雪を蹴り上げ近づいてくる一頭の馬の姿が映った。
馬上には、銀色に輝く長い髪を揺らし、胡桃 色の瞳を空に向け、細い両手を広げているシャラと、彼女を抱 えるようにして手綱を握っているレオクの姿があった。
嘶 きと共に歩みを止めた馬から下り、シャラは歌い続けながら、まっすぐにフウリとハヤブサの座り込んでいるところまで近づいてくる。
かと思うと、たった今、カケルが消えてしまった空間に両腕を伸ばし、器を形作った両手で見えない何かを掬 い取ると、それを天に掲げた。
清らかなその声で紡がれていくその歌は――荒ぶる月の神に引き離されてしまった恋人同士の神様が、多くの苦難や障害を乗り越え星降る夜に運命的な再会を果たす恋の物語――神謡恋歌 。
恋することを知ったシャラは、恋人同士の抱く切なさと愛しさ、その想いを歌に込め、見事に謳 いあげていった。
シャラの声がすべて空に上っていった瞬間、それは唐突に生じた。
鈍色 の雲の隙間から、まるで星が降るように小さな光の欠片 たちが舞い降りてくる。
まるで、南のひとつ星を目指して集まってくるあの流星たちのように――。
やがて光の欠片はひとつに集まり、白く輝く球体となって地上に近づいてきた。
「フウリさま、空に手を伸ばしてくださいませ」
フウリが呆然としたまま、シャラに言われたとおりに両手を伸ばすと、輝く球体がその手の中にフワリと収まった。
「……あったかい」
その温もりとフワフワとした毛玉のような柔らかな感触に、フウリは懐かしさを覚えてハッとする。
それは次第に、見覚えのある――イコロの夢の中でいじめられているところをフウリが助けてあげた、あの白い子犬の姿へと変わっていった。
「……お前、リッカ?」
丸くて愛らしい瞳は、星空のような綺麗な黒……カケルと同じ色をしていた。
「違うな……。お前、もしかして、カケル従兄 さま?」
子犬はクーンと甘えるように鳴いた。まるで、気付いてもらえて嬉しいと言わんばかりに、尻尾 をパタパタと元気よく揺らしている。
雪のように真白 く、柔らかな感触。
確かに感じるその温もりに、フウリの瞳からは透明な涙がポロポロと零れ落ちる。
それを掬い取るように舐めてくる子犬に、フウリは微笑み返すと、そっと囁いたのだった。
――もう二度と、私を独りにしないでくれよ。
肩を貸し合って丘の上にいたハヤブサの元へ合流したフウリとカケルは、しかし二人とも傷を負っていた。
「フウリ、おまっ、その血はどうしたんだよ! 大丈夫なのかっ?」
口元にべっとりと付いた血を口から吐いたものと勘違いしたらしいその言葉に、ふと嫌なことを思い出してしまったフウリは眉をひそめた。
無言のまま、袖口でゴシゴシと何度も唇をこすり、滲んできた涙を拭う。
が、その行動を傷の痛みを堪えているせいだと思ったハヤブサはサッと青ざめた。
「そうだ、ユィノ姐さんから薬草貰ってきてるんだ。どこをやられた?」
「……私は手首の傷だけだから。それよりも、カケル
と、ハヤブサの乗ってきた馬の隣には、なぜかここへ来る途中で森に放したはずのフウリの愛馬の姿があった。
「ミコゼ?」
「そうそう、来る途中でたまたま出くわしたからさ、一緒に連れてきたんだ。主人想いのいい馬だよな!」
「……まったくだ。村に戻ったら、ご馳走をやらないとね……と、センリュ村の方はどうなった?」
「ああ、それについては、移動しながら話すよ」
ハヤブサはそう答えるや、ぐったりとしているカケルを己の愛馬イザヨイに乗せ、自分もヒラリと跨った。
フウリもすぐさまミコゼの背に飛び乗ると、雷鳴が
エランクルの拠点から夜通し走り続け、ある程度離れた山中で夜明けを迎えると、フウリたちはそこでカケルの傷の手当てをするため、手綱を引いて立ち止まった。
明るくなってみれば、カケルの傷は酷いものだったことがよくわかり、二人は顔を見合わせて顔をしかめた。
「これは……ひでぇな……」
鞭のようなもので強く打たれたのか、赤くただれて腫れあがった痕や数え切れないほどの
ハヤブサが消毒用に持ってきていた酒を容赦なく傷に振りかけると、それまで意識を失っていたカケルがうめき声を上げて目を覚ました。
「悪いなカケル、痛いだろうけど我慢しろよ」
「……う、ああ。その……色々と、すまない……」
「
「……ハヤブサ殿、ありがとう」
「んだよ、お前に礼なんて言われても気持ち悪いだけだからやめろよ」
「ハヤブサ、そんな言い方しなくてもいいだろうが! 貸せ、お前がやると従兄さまの痛みが増しそうだからな」
「あ、なんだよそれ……フウリの言い方も十分ひでぇよ!」
フウリは割り込むようにして二人の間に入ると、酒の入っている竹筒をそっと傷口にかけ、消毒しはじめる。が、痛みはどちらが手当てしようと変わらないようで、カケルが苦しげにうめくたびにフウリは謝り、自分まで顔を歪めた。
一番深い傷のところには、フウリが自分の服の裾を切り裂いて包帯代わりにし、なんとか手当てを終えると、ようやく深い安堵のため息をついたのだった。
「んでさ、センリュ村の方なんだけどさ、とりあえずエミナばーちゃんの提案とシャラの予知夢で、大陸最北端にある山に移ることに決まったよ」
「そうか……」
フウリはハヤブサの説明に、二つの意味で安堵のため息を漏らした。
村の場所のこともだが、シャラはまだ神謡姫としての力を失わずにいるらしい。
「オレが村を出る頃には引越しの準備も大分進んでたから、たぶん今頃はもう移動し始めてると思う」
「ところで、その新しい村の場所には、ちゃんと辿り着けるのか?」
最北端と一言で言っても、ノチウ大陸は広い。うまく合流できなかったらどうする気だと、フウリは不安げに問うた。
が、ハヤブサは得意げな笑みを見せると、唐突にピュイっと口笛を鳴らした。
すると、上空を旋回していた白梟が口笛に応えるようにして舞い降りてきた。彼に随分と懐いた様子で、伸ばした腕に大人しくとまると、ホゥ、とひと鳴きしてみせた。
「ほら、
「なるほど……やはり、あの時見たのは幻ではなかったのか。頼りになる守獣だな」
それからは三人はひたすら北上を続けた。
北へ上っているせいもあるが、周囲の風景は晩秋から初冬へとめまぐるしい速度で移り変わっていく。
山越えの時には、雨はみぞれに変わり、焚き火用の枝を探すのに苦労するようになっていった。それでも天候には比較的恵まれたこともあり、当初の予想よりも早く、新しいセンリュ村のあるだろう場所へ近づいてきていた。
しかし、満ちていた月が欠けゆき、新月を迎える頃になって、フウリはある異変に気がついた。
カケルの傷が一向に回復していかないのだ。
消毒用の酒は早々に底を付き、薬草は傷に効くものを自力で探し集めて使った。以前、川辺で倒れていたのを助けた時は、今回ほどの傷ではなかったにしろ、数日で動けるようになっていたというのに。
それどころか、フウリは時折、カケルの存在そのものが薄れていっているような、妙な感覚に襲われるようになった。
そういう時は大抵、彼が意識を失ったように眠っている時で、フウリは不安をまぎらわそうと冷たいカケルの手を握り締めていた。
「カケル
「何言ってんだ、フウリ。人が消えるわけねぇだろ」
フウリが何気なくつぶやいた独り言に返事があったことに驚いて振り返ると、小枝と薬草を集めて戻ってきたハヤブサが白い息を吐き出しながら苦笑いを浮かべて立っていた。
「ハヤブサ……。だけどほら、シュンライ殿が聞いた話だと、カケル従兄さまの魂の半分は人ではなく守獣だということだったし……」
「いや、でもさぁ、守獣だっていうなら神様の遣いなんだし、余計に心配することないんじゃね? どうせ今までの疲れとか色々なのが一気に出てるだけだろ?」
ハヤブサはそう言うと、フウリの好きな甘酸っぱい木の実を差し出した。
安心させようとして言っているのかもしれなかったが、フウリは少しだけ気が緩むのを感じた。
「……ありがとう。そうだな、弱気になるなんて私らしくないよな」
ふと、カケルによく言われていた「笑って」という言葉が過ぎり、フウリは半ば無理やりに笑みを浮かべてみせた。
「さてと、空模様も怪しくなってきたことだし、この先に見えてる森の方まで進んでおくとするか?」
「そうしたほうが良さそうだな。あ……雪?」
頬に冷たいものが触れて空を振り仰ぐと、みぞれではなく、本格的な雪がチラチラと舞い降りてきた。
「うっわー、降ってきやがったか! 急ぐぞフウリ!」
頷き立ち上がったたフウリだったが、ふとカケルのまぶたが震えたことに気付き、再び膝をつく。
「カケル
目を覚ましたのかとホッとしたのはつかの間、カケルの手を取ったフウリは、異変に気付いて青ざめた。
「やだ、カケル従兄さま!? 起きて、目を開けて!」
「何、フウリ? どうかしたのか……!?」
フウリの視線の先を辿ったハヤブサも絶句した。
雪のように青白くなったカケルの指先が、まるで風に吹かれて溶けていくかのように、少しずつ消え始めていたのだ。
「どうしよう、ハヤブサ! このままじゃ、
「お、落ち着けって……えっと、息は? 息はまだしてるのかっ?」
フウリはハヤブサの声にハッと我に返ると、カケルの胸に耳を押し当てた。
トクン、トクン……と、弱々しいけれど、鼓動が聞こえ、ハヤブサに頷き返す。
「やだよ……カケル従兄さま、お願いだから、もう一度目を開けて……」
カケルの肩を抱き起こすと、フウリは必死に呼びかけた。
ハヤブサもフウリの反対側に膝をつくと、一緒に支えるように手を添えながら叫んだ。
しかし、カケルの返答はなく、その存在はどんどん希薄になっていく。
「お前、こんなとこでくたばってんじゃねぇぞ! 村までもう少しなんだからな! それに……まだフウリに返事してねぇじゃねーかよ! そのまま逝くなんて、オレはぜってぇに認めないからな!」
「カケル従兄さま!」
「カケル!」
と、二人の悲痛な叫びが届いたのか、カケルはうっすらと目を開けた。
「……フウリ? ごめ……ん、約束、守れそうに……ないよ。キミのこと、守るって……言ってたのに」
つぶやくごとに、カケルの体はどんどん薄れ、空気に溶けて消えていく。
それを留める
ただできるのは、見守り、祈ることだけだけだった。
「カケル
「だいじょ…ぶ、ハヤブサ殿……や、村の皆がいる……だろう?」
「ふっざけんなよ、カケル! フウリは……フウリはなぁ、お前じゃなきゃ、ダメなんだよ!! ほらコレ、この小刀お前にやるから、今すぐフウリの想いに応えてやれよ!」
ハヤブサはずっと持ち歩いていたのか、懐から六花文様入りの小刀を取り出すと、消えかけているカケルの手にそれを無理やり握らせようとした。
が、カケルのその手はサラリと音もなく消えてしまい、小刀はストンと地面に転がった。
うっすらと開かれていたカケルのまぶたも、再びゆっくりと閉ざされていく。
容赦なく空から降りてくる雪は、早くも辺り一面に積もり始めた。
まるで、黒い瞳をもつカケルの存在をすべて塗りつぶそうとするかのように、世界は静かに、少しずつ白一色に染まってゆく。
「ありが……とう……」
最期にそんな言葉を残して、やがて音もなくカケルの存在は空気に溶けて消えていった。
まるで、雪の花が風に舞うように、キラキラと小さな輝きを放ちながら――。
「あ……あ……カケル
フウリの魂の叫びが、静まり返った白い世界に響き渡った――その時。
どこからか、歌声が聞こえてきた。
次いで、顔を上げたフウリとハヤブサの瞳に、雪を蹴り上げ近づいてくる一頭の馬の姿が映った。
馬上には、銀色に輝く長い髪を揺らし、
かと思うと、たった今、カケルが消えてしまった空間に両腕を伸ばし、器を形作った両手で見えない何かを
清らかなその声で紡がれていくその歌は――荒ぶる月の神に引き離されてしまった恋人同士の神様が、多くの苦難や障害を乗り越え星降る夜に運命的な再会を果たす恋の物語――
恋することを知ったシャラは、恋人同士の抱く切なさと愛しさ、その想いを歌に込め、見事に
シャラの声がすべて空に上っていった瞬間、それは唐突に生じた。
まるで、南のひとつ星を目指して集まってくるあの流星たちのように――。
やがて光の欠片はひとつに集まり、白く輝く球体となって地上に近づいてきた。
「フウリさま、空に手を伸ばしてくださいませ」
フウリが呆然としたまま、シャラに言われたとおりに両手を伸ばすと、輝く球体がその手の中にフワリと収まった。
「……あったかい」
その温もりとフワフワとした毛玉のような柔らかな感触に、フウリは懐かしさを覚えてハッとする。
それは次第に、見覚えのある――イコロの夢の中でいじめられているところをフウリが助けてあげた、あの白い子犬の姿へと変わっていった。
「……お前、リッカ?」
丸くて愛らしい瞳は、星空のような綺麗な黒……カケルと同じ色をしていた。
「違うな……。お前、もしかして、カケル
子犬はクーンと甘えるように鳴いた。まるで、気付いてもらえて嬉しいと言わんばかりに、
雪のように
確かに感じるその温もりに、フウリの瞳からは透明な涙がポロポロと零れ落ちる。
それを掬い取るように舐めてくる子犬に、フウリは微笑み返すと、そっと囁いたのだった。
――もう二度と、私を独りにしないでくれよ。