センリュオウジュの下で *7*

文字数 5,553文字

 センリュ村から東へ向かって馬を走らせること二日。
 村を出てた日の夕刻に小雨に見舞われた以外の行程は順調に進み、やがてニタイ村のあるホロの森に差しかかった時だった。
 カケルの馬、ユヅキが突然、(いなな)いたかと思うと、先へ進むのを拒むように足を止めた。
「どうした、(へび)でも出たの?」
 先頭を駆けていたフウリはすぐに馬首を返すと、カケルの様子を窺う。最後尾のハヤブサもカケルに前方を(はば)まれる形になり、不満げに手綱を引いた。
「おいおい、そんなことくらいでビビってんじゃねーぞ?」
「いや……蛇が出たわけではないよ。ただ、ユヅキが……何かに(おび)えているみたいだ」
「怯えている?」
 フウリは胡乱(うろん)げに、周囲を探るように見回し、そして振り仰いだ。
 陽は山の()に沈みかけ、空は燃えるような(あかね)色に染まっている。細長く横に伸びた雲は、ゆっくりと流れゆき、わずかに湿り気を帯びた生温かい風は東から西へ……。
「なぁフウリ、イザヨイも怯えだしてる。この森……何か変だ。嫌な気配がする……」
 ハヤブサがつぶやいた次の瞬間、大地が鳴動した。
 バサバサバサ――ッ!
 不気味なほど静まり返っていたホロの森に不自然な音が響き、息を潜めていた鳥たちが一斉に飛び立った。
「地震かっ!?
 ハヤブサの叫びに、しかしフウリとカケルは同時に森の奥に視線を走らせた。
「違う、これはっ……」
「銃声だっ!」
 目前に迫っていたニタイ村が、エランクルからの襲撃を受けている――!?
 三人は目配せし合うや、怯える馬の腹を蹴り、霧が出始めている森の奥へと駆け出した。
 やがて見えてきた村は、幻想的な白い霧ではなく、黒煙と赤い炎に包まれていた。
 かつての静かで平和な村の姿はなく、畑はひどく荒らされ、家屋は中が見えるほどに壊されている。道端には、すでに事切れているものの姿。遠くからは女子(おんなこ)どもの泣き叫ぶ悲鳴が聞こえてきた。
 三人がその光景に呆然としたのは一瞬で、村の入り口付近で怯えて動けなくなった馬から下りると駆け出した。
「ハヤブサ、私は敵の総大将(そうだいしょう)を探しに行くから、お前は村長(むらおさ)のトゥキ殿とイコロの元へ! カケル殿は私についてきてくれ!」
「おう! 撤退の合図は鏑矢(かぶらや)で。道が塞がっていなければ、東の沼伝(ぬまづた)いに退()くぞ!」
「了解した。そちらは頼んだぞ!」
 手短に言うや、ハヤブサは東へと駆け去り、残る二人は刀を抜くと、村の中央へと向かった。が、その途中、出くわしたエランクルの兵と切り結んでいるうちに、フウリはカケルの姿を見失ってしまった。
 しかし彼をゆっくり探しているほどの余裕はなく、次から次へと湧くように現れる敵から、逃げ遅れている女子どもを助けていく。
 そしてようやくフウリが中央広場に辿り着いたその時、飛び込んできた光景に目を疑った。
「カケル殿っ!?
 中央広場の端で、カケルはまるで神に懺悔(ざんげ)するかのように、男の前に膝をついていた。なぜか、その手に刀は握られておらず、ただならぬその様子にフウリは眉を寄せる。
 さらに、頬に傷のある長身の男が大剣を振りかぶるのを、カケルはすべてを諦めたような表情を浮かべ、その身で受け止めようとしているではないか――。
「ダメだ! 避けろ、カケル殿っ!」
 フウリの立っている場所から、カケルのところまでは、助けに入ろうとしても絶対に間に合わないはずの距離だった。
「カケル殿……っ!」
 悲鳴のような呼びかけにもカケルは応えず、大剣が彼の身体を断ち斬る様が見えた気がした――その瞬間、フウリの周りに風が生まれた。
 途端、フウリは自分の体がフワリと軽くなるのを感じ、一歩踏み出していた。
 二歩めは力強く大地を蹴り――そうして風のごとく広場を駆け抜け、一気に間合いを詰めると、次の瞬間には、カケルに向かって振り下ろされた大剣を、フウリが(おのれ)の刀で受け止めていた。
 ギィィィンッ!
 刀と大剣がぶつかり、火花が散った。
「なっ!?
 まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう男の目が、驚愕(きょうがく)に見開かれる。
 そのわずかに生まれた隙を見逃さず、フウリは素早く刀を横一線に薙いだ。
「……っ」
 無念にもその攻撃は紙一重でかわされてしまったものの、膝をついたカケルの前に立ちはだかり、再び刀を構えるのには十分な時間だった。
 フウリは、自分よりも頭一つ分以上は背が高い、黒髪の男を睨みつけた。
「…………」
 スウッと深呼吸をし、相手に闘気(とうき)をぶつけるようにして、足狙いの斬撃(ざんげき)をくり出した。
 が、それもまた、敵の男の見事な大剣さばきによって受け流されてしまった。
 ――強い。
 しかし、剣を交えた瞬間、フウリには気づいたことがひとつあった。
 この男、ノチウがエランクルに(かな)わないと最も恐れている武器である『銃』ではなく、『剣』を持っている。少なくとも、遠距離から無差別に相手を殺めるだけの卑怯者とは違い、サムライの精神に通じる心を持っている。とすれば、対話のできる者かもしれない。
 フウリは一瞬の間にそう判断を下すと、切先(きっさき)を相手の膝頭(ひざがしら)のやや下につけ、守りの構えに入った。
貴公(きこう)総大将(そうだいしょう)!? なぜっ、そなたたちは、我らが同胞、罪もない人々を(あや)め、村を、自然を壊してゆくのだ! 一体何が目的なのだっ!」
 それは、かねてからフウリが抱いていた疑問だった。
 十年前から、ジワジワと領土を広げ、今ではノチウの大陸の半分以上が彼らの支配下にある。噂では、木々を燃やし、山を切り開き、動物たちを狩りつくしているという。
 それはなぜ、何のために?
 フウリはエランクルの民に接触することがあれば、問おうと決めていた。
「…………」
「…………」
 わずかな沈黙が落ちる。
 男はフウリを値踏みするように、漆黒(しっこく)の瞳を向けてくる。が、フウリはそんな視線にまったく怯むことなく見つめ返した。
 と、やがて男は何を思ったか、目元にかすかな笑みを浮かべ、口を開いた。
「……(われ)は、ラグド様の望むままに動くのみ」
「……なるほど。では、貴公が総大将というわけではないのだな」
 その身から(にじ)み出ているような気迫(きはく)は、今この近くには、目の前の彼以外からは感じられない。てっきり彼が総大将かと思っていたフウリは唸り、そして続けた。
「見たところ、そのラグドとやらはここにいないようだが……自らも足を運ばぬようなこの辺境の地に、一体何を求めておられるのだ。単なる支配欲か? まさか人殺しが趣味などとは言うまいな?」
 フウリは挑発ともとられかねない言葉を勢いに任せて放ったが、男はそれを余裕の笑みで受けた。
「では単刀直入に言わせてもらう。この村の宝、イコロとやらを差し出してもらおうか」
「……なるほど」
 男の言葉から、彼らの目的がイコロだということは判明したが、その言い方から察するに、ニタイ村のイコロが『神鳴の弓』であることは知らないようであった。
「どうした。早く差し出さねば、そこに転がっている村人のような(むくろ)になるまでぞ」
 視線だけ動かせば、そこには男が二人、無惨に打ち捨てられていた。
 フウリは逡巡(しゅんじゅん)した。
 決して自分がそうなるのを恐れたからではない。ここで素直にイコロを差し出したからとて、本当に彼らがこのまま引いてくれるとは限らないからだ。
 『神鳴の弓』は、おそらくニタイの村長が隠し持っているのだろう。ハヤブサが村長とうまく合流できていれば、村を捨て、ここから逃走できる可能性はグンと上がる。
 フウリが今ここで目の前の男を倒すのは、相当厳しい。呆然と膝をついたままのカケルが正気に戻ってくれれば、あるいは……。
 しかしそれは期待できそうになかったので、すぐに諦める。
 残るは、カケルを連れてこの場から逃げるための隙を、どう生み出すか――。
 フウリは、いちかばちかの賭けに出ることにした。
「…………」
「おい、お前、何が可笑(おか)しい」
 男に指摘され、フウリは自分が口元に笑みを浮かべていたことに気づいた。
「いや……無駄だと思ってな。貴公はイコロがなんであるか知らないのだろう? あれは、貴公たちに扱えるようなモノではないぞ」
「ほう、扱えぬ? 我らがノチウどもより劣るとでもいうのか?」
「……では聞くが、同じ人間という種族同士、優劣なんてあるのか? あるとするならば、どこで誰がそれを決めたのだ? 貴公のいう、ラグド様とやらか? その者は、自分で欲しいものすら取りに来れぬような軟弱者なのだろう?」
 フウリは、男が今度こそ挑発に乗ってくれると信じ、またその瞬間に生まれる隙を求めていたのだったが、男は予想外の反応を見せた。
 大剣をブンと振り回して地に突き刺すと、豪快に笑い出したのだ。
「……っ!?
 フウリはその男の言動の意味を掴みあぐね、眉間に深い皺を寄せた。
「さてはおぬし、この村の者ではないな? おぬしのような者がいるとの報告があれば、ラグド様は御自(おんみずか)らここへ参られたはず。敵ながらその気概(きがい)、見事だ」
「……報告?」
 それは、誰かが事前にこの村のことを調査して、エランクル側に知らせた者がいるということか、とフウリはすぐに推察する。
 しかも、村の内情を知っているということは、ノチウの民、もしくはノチウの民になりすました密偵(みってい)が村に潜り込んでいたか、内通者(ないつうしゃ)がいたか、ということだ。
 そういえば、以前、村会議に出た際、滅ぼされたはずの村の者が他の村に現れたという噂がある、と聞いたのを思い出し、フウリは唇を噛んだ。
 しかし男はフウリの様子などお構いなしに、話を続ける。
「確かに我らはこの村の宝、イコロとやらがなんであるかは知らぬ。扱うこともできぬかもしれん。しかし、それならば、扱い方を知る者を共に連れて行けば済む話だ……。そう、例えば――」
 と、男の闘気が膨れ上がっていくのを感じ、フウリの背を冷たい汗が伝った。
 逃げなければ、と頭の隅で激しく警鐘(けいしょう)が鳴り響く。が、フウリはここへ来て初めて、足が(すく)んで動けなくなっていた。
 先のカケルもそうだったのだろうか、と思い、最悪の事態を覚悟したその時――鏑矢の音がフウリの耳に飛び込んできた。
「なんだっ!?
 男の気がわずかに緩んだその瞬間を、フウリは見逃さなかった。
「……っ!」
 今だとばかりにカケルの腕を引くと、全力で駆け出した。
 そしてフウリは、まるで風の加護を受けたかのように、吹いてきた追い風に背を押され、村の東へと一直線に向かっていく。
 二人をすぐに追いかけようとした男は、突風に(あお)られ飛んできた火の粉と、燃えて崩れてきた家屋に(はば)まれ、踏鞴(たたら)を踏んだ。
 その後――。
 フウリは、なんとかカケルと共に村長や数名の村人を連れたハヤブサと合流し、村から離れることに成功したのだった。
 
 が――追っ手を()くことに成功し、順調に歩みを進めて二日が経とうとした頃、まもなくセンリュ村が見えてくるというワッカ山の薄暗い山道を進んでいる時だった。
 共に逃げてきたニタイの村長トゥキが突然、ハヤブサの馬上で胸の痛みを訴え、苦しみだした。
 トゥキは村一番の弓の使い手として名高かったが、センリュ村の長老エミナと同じく(よわい)六十を過ぎた老体だ。ハヤブサの馬に同乗させてもらっていたとはいえ、険しい山道続きの逃走の道のりはさすがに堪えたらしい。
 ハヤブサはすぐにトゥキを馬から下ろすと、竹筒に入れた水を飲ませてやった。
 すると、ニタイ村で生き残り逃げることができたわずかな者たちも、皆一斉に長老のもとへと駆け寄ってきた。すぐそばの樹の上には、ニタイ村の守獣であるという白い(ふくろう)も、どこか心配そうな様子でとまっている。
「トゥキ様、しっかりしてください!」
「……ワシのことは置いて、行くのじゃ……ワシぁ、もうもたぬ……」
「トゥキのじっちゃん、何そんな弱気なこと言ってんだよ! あと少しでオレらの村に着くんだから、がんばってくれよ! オレ、じっちゃんに、弓の腕を見てもらうの楽しみにしてるんだからな!」
 ハヤブサは昨年、ニタイ村を訪ねた際に、トゥキから直々(じきじき)に弓術の手ほどきを受けたことがあり、弓の達人である彼のことを尊敬していた。
「そうですよ、トゥキ様! 私たちニタイの生き残りは、村だけでなく(おさ)まで失ったら……この先どうしたらよいのですか!」
 まだあどけなさを残した青年がトゥキの手を握り、涙ぐみながら叫ぶ。
「すまぬ……村なくして……もう村長では…ないのじゃが……ワシぁ……村と共に……()く……」
「トゥキ様!」
 どんどん弱々しくなっていく心音(しんおん)に、追打ちをかけるように降り出した夕立に体温を奪われた彼の身体は、皆で必死に温めようとさすっても、さすっても、冷たくなっていく。
 もう誰にもなす術はなく――やがて、無情な雨が過ぎ、木々の合間から見える空が燃えるような赤に染まる頃、トゥキは静かに息を引き取った。
 それは、あまりにもあっけない、ニタイ村の長の最期(さいご)だった――。
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登場人物紹介

●フウリ(女 16歳)

風のように駆け抜けていく女サムライ。

10年前に故郷のユゥカラ村がエランクルに攻め込まれた際、村で唯一生き残った少女。

村の警備を任されており、男たちの間では、フウリに敵う者はいないと言われている。

男勝りで、縫い物や料理は苦手。

●カケル(男 年齢不明)

傷を負って倒れていたところをフウリに助けられ、センリュ村で過ごすことになった謎の青年。

●シャラ(女 16歳) 

心を癒す美声の神謡姫(しんようき)。

センリュ村の長である長老の孫娘。村一番の美声を持つ。その声は人の心のみならず、動物や自然にまで好影響を与える。

守獣として白狼のガセツを連れている。裁縫が得意。

●ハヤブサ(男 17歳)

弓使い。

フウリとシャラの幼馴染。幼い頃は弱虫のいじめられっ子で、いつもフウリに庇ってもらっていたが…。

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