南のひとつ星 *3*
文字数 3,943文字
「んだよっ、そんなの絶対認めないぞーっ!」
フウリが気分転換に刀の打ち合いでもしようとカケルを誘いにシュンライの家を訪れると、家の中からハヤブサが叫んでいる声が聞こえてきた。
またカケルと何かあったのだろうかと心配になり、フウリは慌てて扉を叩く。
するとすぐにノンノが顔を出し、楽しげな笑みを浮かべて手招きした。
「ノンノ殿? これは何の騒ぎです?」
「いいから、いいから。ちょっと面白いもん見せてあげるから、早く入っておいで」
フウリが腕を引っ張られ、家の中に入っていくと、囲炉裏の周りには美味しそうな料理が盛られた器 がズラリと並べられていた。
「げっ、フウリ! なんでこーゆー時に来るかな!」
「悪かったな、ハヤブサ。しかし私はお前にではなく、カケル殿に用があって来たんだ」
「……俺に用?」
フウリの声が聞こえたのか、奥の室から出てきたカケルは、その手に箸と木の器を持っている。
「ああ、カケル殿。ちょっと気晴らしに刀の稽古に付き合ってもらえないかと思って来たんだが……もしかして取り込み中か? 邪魔してしまったなら、また改めて出直すことにするが……」
「いや、俺は構わないよ。料理はもう作り終わったところだから」
「……料理?」
首を傾げたフウリに、カケルは自分が作ったという料理を指さした。
栗 の実と山菜の和 え物、シャケの朴葉 包み焼き、温泉水で育てられたセンリュ村の特産野菜を香草と一緒に蒸したもの、どれも色鮮やかで見るからに美味しそうだ。
「これ全部、カケル殿が?」
「そうなんだよっフウリ! 信じられるか? 男のくせになんでこんな料理作れんだよ! コイツ、やっぱり怪しいって絶対!」
カケルの代わりに答えたハヤブサは、どうやらそのことに腹を立てていたらしかった。
「えーっと……うん、カケル殿はすごいな。私でもこれは作れないよ。でもなぜ、急に料理なんて?」
「あぁ、それはね、フウリちゃん、このバカ息子が――」
フウリの隣で再び、ノンノが呆れたような、どこか楽しんでいるような笑みを浮かべた。
「うわぁっ……おふくろ、ダメダメ絶対言うなって! フ、フウリは気にすんなっ!」
「……なんでハヤブサが嫌がってるんだ? まぁ、別に無理に聞こうとは思わないけど」
と、いつの間にか自室から刀を取って戻ってきたカケルも苦い笑みを浮かべていた。
「ノンノさん、俺、少し外に出てくるので、よかったらその料理、食べていてください」
「あいよ。手間かけさせちまって、すまなかったねぇ」
「カケル殿、この料理はおぬしたちが食べる朝餉 だったのではないのか?」
「いや、俺はもう食べたから大丈夫だよ。さ、行こう」
朝餉が済んでいたのなら、なぜカケルはわざわざ料理を作っていたのだろう。
ハヤブサの様子を見れば彼が絡んでいることには間違いなさそうだったが、フウリは首を傾げつつ、スタスタと外へ出て行くカケルの後を追いかけた。
「――で、気晴らしって言っていたけど、何かあったのかな?」
いつも刀の稽古をしている東の広場まで来た二人は、刀を構えて向かい合っていた。
カケルの鋭い指摘に、フウリは苦笑する。
一人でグルグルと思い悩むのは性 に合わないと思って外に出て、刀でも振るえばスッキリするかもしれないと考えていたのが、先の一言で見抜かれてしまっていたらしい。
しかし、シャラと話したことはカケルに相談できるような内容ではなかったので、どうしたものかと考え、そこでふと別のことを思い出した。
「カケル殿は……エランクルについて、どう思う?」
問いながら、型稽古 どおりに間合いを詰め、鞘 から抜き放った刀を横一文字に振ると、膝の高さで軽く打ち合わせた。
「どう、というのは?」
カケルは受け止めた刀を、フウリが一歩引いたのに合わせて正面に振りかぶりながら、問い返す。
それをまた、決まった流れ通りに顔の前でフウリは受け止める。
押したり引いたりの刀の打ち合いをしながら、二人は呼吸をするように会話を続けた。
「ニタイ村で……カケル殿を斬ろうとしていた男に会って、私は初めてエランクルの者と話をしたんだが……実は少し意外だった」
「意外……?」
「ああ。これまで多くの同胞 たちを殺 め、村を潰し、自然を壊していった彼らは……人の姿をしながらも、もっと恐ろしい……例えば、星神謡 の中で英雄神 が倒そうとしていた悪神 のような、何もかも飲み込んでしまう闇のような存在なのだと想像していたんだが……」
「違った……と?」
「少なくとも、あの大剣を持った男は……会話ができる、私たちと同じ『人』だと思ったんだ。確かに、恐ろしいほど強かった。けれど、敵わない相手だとして、わたしたちはこのまま延々と逃げ続けているだけでいいのだろうか、とも思ったんだ」
フウリはそう言いながら、カケルが振り下ろしてくる刃をかわすと、今度は果敢に踏み込み、切り上げた。
「そろそろ攻めに転じたい、ということ?」
カケルの問いにフウリは「違う」とわずかに首を横に振りながら、今度は彼の正面からの打ち込みを顔前 で受け止めた。
まっすぐに向けてくるカケルの黒い瞳を見つめ返し、フウリはふと微笑んだ。
「私が求めているのは『対話』だよ。彼らはイコロが何であるかすら知らないのに、その力だけは求めている感じだった。私たちにとって大切なイコロを差し出すことはできない。これは相容 れない考えだけれど、ちゃんと話し合えば何か……そう、解決策というか、落とし所みたいなものが見つかるような気がするんだ」
フウリの言葉に、カケルの瞳がスッと剣呑 に細められる。
「……そんなのは、理想論だ。彼らは話が通じるような奴らじゃない」
「え?」
「ノチウの民もこの大陸も、イコロのことだって、ただの『物』としてしか見ていないんだ。利用価値を見出(みいだ)して、面白そうだと思ったら手を出して、飽きたらすぐに捨てる。暇つぶしの『玩具 』くらいにしか考えていないんだ。特に、アイツ は――」
突然、憎々しげに吐き出されたカケルの言葉に、フウリは驚き、思わず飛び退 った。
「カケル殿、そなた、記憶がっ?」
「……え、あれ? 今、俺は何を……?」
打ち合いを中断し、刀を下ろしたカケルは、その顔に戸惑いの色を滲ませながら、額に手を当てた。
「今し方の言いぶり……まるでエランクルのことをよく知っているようだったぞ? アイツというのは、一体誰のことなんだ?」
動揺しているカケルに、フウリは眉間に皺を寄せながら詰め寄る。
が、カケルは自分でもなぜそんなことを口走ったのかわからない、と頭を振った。
「わからない……。ごめん、確かに今、何か思い出しかけた気がしたんだけど……」
「……そうか。いや、いきなりすべてを思い出そうと無理はしなくていいさ。ただ……もし何か思い出したら、その時はすぐに私に教えてくれるか?」
カケルのことは自分が責任を持つと宣言しているから――というよりも、フウリ自身が、カケルの過去に何があるのか知りたいと思っていた。
「ああ、約束するよ」
頷いたカケルは、その黒い瞳を再びまっすぐにフウリに向けると、いつものように優しく微笑んだ。
「で……ごめん、話が途中でズレてしまったんだけど、キミが俺に聞きたかったのって、エランクルをどう思うかってことだけ?」
「……まぁ、そうだな」
フウリは少し躊躇ってから答え、何気なく前髪をかきあげた。
するとカケルは、何を思ったのか小さく噴き出した。
「な、なぜそこで笑う?」
「うん、その仕草……他に聞きたいことあるのかな、と思って」
「……あ」
フウリはハッとして手を引っ込めながら、頬を赤く染めた。言いづらいことがあるのをごまかそうとして、いつもの癖が出てしまったらしい。
仕方なく、フウリはカケルにずっと聞こうと思っていたことを切り出した。
「あの……カケル殿は、自分の文様がどんなだったかっていうのは、覚えているのか?」
「文様? ……うーん、そうだな……」
カケルは思いがけない問いに目を瞬 かせ、それから少し唸ると、曖昧 に頷いた。
近くに落ちていた小枝を拾い、広場の端にあった竹の長椅子に腰を下ろすと、地面をカリカリと引っかきだす。
フウリがジッと見つめていると、やがてそこに一つの文様が描 かれた。
炎が揺らめいているように見える『七芒星文様 』が鍵括弧 に囲まれている、その複雑な文様に、フウリは思わずため息をついてしまった。
「……難しいなぁ」
もしかすると、六花文様よりも刺繍 に苦労するのではないだろうかと眉を寄せる。
「難しいって、何が?」
「いやっ、こちらの話だ。気にしないでくれ。教えてくれてありがとう、カケル殿」
「あ、ああ。よくわからないけど、どういたしまして」
しかし、その時フウリはふと浮かんだ疑問に目を瞬かせた。
先ほど何気なく納得してしまったが、なぜカケルはフウリがごまかす時の癖を知っていたのだろう。シャラにでも聞いたのだろうか――それを尋ねようと口を開きかけた時、ハヤブサが広場に駆け込んできた。
「ユィノ姐ねえさんが、産気 づいてるって!」
その言葉にフウリは両の目を大きく見開くと、風のように駆け出していった――。
フウリが気分転換に刀の打ち合いでもしようとカケルを誘いにシュンライの家を訪れると、家の中からハヤブサが叫んでいる声が聞こえてきた。
またカケルと何かあったのだろうかと心配になり、フウリは慌てて扉を叩く。
するとすぐにノンノが顔を出し、楽しげな笑みを浮かべて手招きした。
「ノンノ殿? これは何の騒ぎです?」
「いいから、いいから。ちょっと面白いもん見せてあげるから、早く入っておいで」
フウリが腕を引っ張られ、家の中に入っていくと、囲炉裏の周りには美味しそうな料理が盛られた
「げっ、フウリ! なんでこーゆー時に来るかな!」
「悪かったな、ハヤブサ。しかし私はお前にではなく、カケル殿に用があって来たんだ」
「……俺に用?」
フウリの声が聞こえたのか、奥の室から出てきたカケルは、その手に箸と木の器を持っている。
「ああ、カケル殿。ちょっと気晴らしに刀の稽古に付き合ってもらえないかと思って来たんだが……もしかして取り込み中か? 邪魔してしまったなら、また改めて出直すことにするが……」
「いや、俺は構わないよ。料理はもう作り終わったところだから」
「……料理?」
首を傾げたフウリに、カケルは自分が作ったという料理を指さした。
「これ全部、カケル殿が?」
「そうなんだよっフウリ! 信じられるか? 男のくせになんでこんな料理作れんだよ! コイツ、やっぱり怪しいって絶対!」
カケルの代わりに答えたハヤブサは、どうやらそのことに腹を立てていたらしかった。
「えーっと……うん、カケル殿はすごいな。私でもこれは作れないよ。でもなぜ、急に料理なんて?」
「あぁ、それはね、フウリちゃん、このバカ息子が――」
フウリの隣で再び、ノンノが呆れたような、どこか楽しんでいるような笑みを浮かべた。
「うわぁっ……おふくろ、ダメダメ絶対言うなって! フ、フウリは気にすんなっ!」
「……なんでハヤブサが嫌がってるんだ? まぁ、別に無理に聞こうとは思わないけど」
と、いつの間にか自室から刀を取って戻ってきたカケルも苦い笑みを浮かべていた。
「ノンノさん、俺、少し外に出てくるので、よかったらその料理、食べていてください」
「あいよ。手間かけさせちまって、すまなかったねぇ」
「カケル殿、この料理はおぬしたちが食べる
「いや、俺はもう食べたから大丈夫だよ。さ、行こう」
朝餉が済んでいたのなら、なぜカケルはわざわざ料理を作っていたのだろう。
ハヤブサの様子を見れば彼が絡んでいることには間違いなさそうだったが、フウリは首を傾げつつ、スタスタと外へ出て行くカケルの後を追いかけた。
「――で、気晴らしって言っていたけど、何かあったのかな?」
いつも刀の稽古をしている東の広場まで来た二人は、刀を構えて向かい合っていた。
カケルの鋭い指摘に、フウリは苦笑する。
一人でグルグルと思い悩むのは
しかし、シャラと話したことはカケルに相談できるような内容ではなかったので、どうしたものかと考え、そこでふと別のことを思い出した。
「カケル殿は……エランクルについて、どう思う?」
問いながら、
「どう、というのは?」
カケルは受け止めた刀を、フウリが一歩引いたのに合わせて正面に振りかぶりながら、問い返す。
それをまた、決まった流れ通りに顔の前でフウリは受け止める。
押したり引いたりの刀の打ち合いをしながら、二人は呼吸をするように会話を続けた。
「ニタイ村で……カケル殿を斬ろうとしていた男に会って、私は初めてエランクルの者と話をしたんだが……実は少し意外だった」
「意外……?」
「ああ。これまで多くの
「違った……と?」
「少なくとも、あの大剣を持った男は……会話ができる、私たちと同じ『人』だと思ったんだ。確かに、恐ろしいほど強かった。けれど、敵わない相手だとして、わたしたちはこのまま延々と逃げ続けているだけでいいのだろうか、とも思ったんだ」
フウリはそう言いながら、カケルが振り下ろしてくる刃をかわすと、今度は果敢に踏み込み、切り上げた。
「そろそろ攻めに転じたい、ということ?」
カケルの問いにフウリは「違う」とわずかに首を横に振りながら、今度は彼の正面からの打ち込みを
まっすぐに向けてくるカケルの黒い瞳を見つめ返し、フウリはふと微笑んだ。
「私が求めているのは『対話』だよ。彼らはイコロが何であるかすら知らないのに、その力だけは求めている感じだった。私たちにとって大切なイコロを差し出すことはできない。これは
フウリの言葉に、カケルの瞳がスッと
「……そんなのは、理想論だ。彼らは話が通じるような奴らじゃない」
「え?」
「ノチウの民もこの大陸も、イコロのことだって、ただの『物』としてしか見ていないんだ。利用価値を見出(みいだ)して、面白そうだと思ったら手を出して、飽きたらすぐに捨てる。暇つぶしの『
突然、憎々しげに吐き出されたカケルの言葉に、フウリは驚き、思わず飛び
「カケル殿、そなた、記憶がっ?」
「……え、あれ? 今、俺は何を……?」
打ち合いを中断し、刀を下ろしたカケルは、その顔に戸惑いの色を滲ませながら、額に手を当てた。
「今し方の言いぶり……まるでエランクルのことをよく知っているようだったぞ? アイツというのは、一体誰のことなんだ?」
動揺しているカケルに、フウリは眉間に皺を寄せながら詰め寄る。
が、カケルは自分でもなぜそんなことを口走ったのかわからない、と頭を振った。
「わからない……。ごめん、確かに今、何か思い出しかけた気がしたんだけど……」
「……そうか。いや、いきなりすべてを思い出そうと無理はしなくていいさ。ただ……もし何か思い出したら、その時はすぐに私に教えてくれるか?」
カケルのことは自分が責任を持つと宣言しているから――というよりも、フウリ自身が、カケルの過去に何があるのか知りたいと思っていた。
「ああ、約束するよ」
頷いたカケルは、その黒い瞳を再びまっすぐにフウリに向けると、いつものように優しく微笑んだ。
「で……ごめん、話が途中でズレてしまったんだけど、キミが俺に聞きたかったのって、エランクルをどう思うかってことだけ?」
「……まぁ、そうだな」
フウリは少し躊躇ってから答え、何気なく前髪をかきあげた。
するとカケルは、何を思ったのか小さく噴き出した。
「な、なぜそこで笑う?」
「うん、その仕草……他に聞きたいことあるのかな、と思って」
「……あ」
フウリはハッとして手を引っ込めながら、頬を赤く染めた。言いづらいことがあるのをごまかそうとして、いつもの癖が出てしまったらしい。
仕方なく、フウリはカケルにずっと聞こうと思っていたことを切り出した。
「あの……カケル殿は、自分の文様がどんなだったかっていうのは、覚えているのか?」
「文様? ……うーん、そうだな……」
カケルは思いがけない問いに目を
近くに落ちていた小枝を拾い、広場の端にあった竹の長椅子に腰を下ろすと、地面をカリカリと引っかきだす。
フウリがジッと見つめていると、やがてそこに一つの文様が
炎が揺らめいているように見える『
「……難しいなぁ」
もしかすると、六花文様よりも
「難しいって、何が?」
「いやっ、こちらの話だ。気にしないでくれ。教えてくれてありがとう、カケル殿」
「あ、ああ。よくわからないけど、どういたしまして」
しかし、その時フウリはふと浮かんだ疑問に目を瞬かせた。
先ほど何気なく納得してしまったが、なぜカケルはフウリがごまかす時の癖を知っていたのだろう。シャラにでも聞いたのだろうか――それを尋ねようと口を開きかけた時、ハヤブサが広場に駆け込んできた。
「ユィノ姐ねえさんが、
その言葉にフウリは両の目を大きく見開くと、風のように駆け出していった――。