南のひとつ星 *1*
文字数 4,309文字
実りの秋――。
ワッカ山の木々の葉が少しずつ赤や黄色に色づきだし、エシク川にシャケが上り始めると、センリュ村では機織 りや楽 の音 が響き始める。
これは、その年の収穫、大地の恵みに感謝を捧 げると同時に、流星群と共に降臨 すると云 われている星の神様をお迎えする『星神祭 』が行われるからだ。
皆、神様を迎えるにあたって失礼があってはならないと、衣服を新調したり室を片付けたりと忙しくなる。
二日間に渡る星神祭で最も盛り上がるのは、一日目の夜、月光が射す頃だ。
中央広場に設けられた舞台で、神謡姫 が楽の音に合わせて奉納舞 を披露することになっている。
そんなわけで、この時期のシャラは、家の裏手で一人、舞の稽古をするのが朝の日課になっていた。
当然そういう事情を知っていたフウリは、刀の稽古を終えて帰宅しても室に彼女の姿がないのを確認すると、すぐに家の裏手へと足を向けた。
「シャラ、ただいま戻ったよ」
声をかけながら、壁際から覗くように顔を出す。
するとシャラは、秋風に銀髪をユラユラとなびかせながら、静かに、軽やかに、まるでセンリュオウジュの花びらのように、可憐に舞っていた。
朝の光を浴びた彼女の肌は透き通るように白く、手足は折れてしまいそうなほどか細い。今は普段着の裾 が長めの女物のチゥレ織を着ていたが、その動作はすでに奉納舞の時の特別な衣装に身を包んでいるかのように優雅に見えた。
思わずため息が出てしまう美しさだ。
「あら、フウリさま、おかえりなさいませ……もしかして、ずっとそこにいましたの?」
「ん……少しだけどな、やはりシャラの舞には見惚 れてしまうよ」
「まぁ、フウリさまったら、恥ずかしいですわ……」
「本当のことだよ。でも、毎年舞っているのだから、そんなに根 を詰めて練習しなくても良いのではないか? 本番前に体調でも崩したらどうするんだい?」
もともとそんなに身体が強くはないシャラのことだから、冷たい秋風に当たったら熱でも出してしまうのではないかと、フウリはつい心配になった。
が、その心配がシャラにはあまり嬉しくなかったらしい。
シャラはフウリの言葉にぷぅっとリスのように頬をふくらませた。
「もう子どもではありませんもの、大丈夫ですわ。それに、毎年踊るのが同じ舞であろうと、星の神様には少しでも美しい舞をお見せしたいと思っているから……そう、フウリさまの刀のように、日々の稽古を怠 ってはならないのですわ!」
「……すまない、気を悪くしたのなら謝る。本当に心配だっただけなんだ」
反論されて困ったような表情を浮かべたフウリに、シャラはクスクスと笑った。
「ちょっと言い返してみたかっただけですわ。さ、朝餉 にしましょう? ユィノ姉さまたちを待たせてはいけないですもの」
「シャラったら……」
二人は顔を見合わせ笑みを交わすと、朝餉の香り漂う室内へと入っていった。
ユィノはいよいよ出産が近づいてきたこともあり、実家であるフウリたちの家へと一時的に戻ってきていた。ユィノが新居に移ってからの朝食作りは主にシャラが担当していたため、身重の姉を心配してシャラが作ると言っていたのだが、そこはユィノ、舞の稽古を優先させなさいと言って譲らなかったのだ。
家の中央にある居間に入ると、囲炉裏 にかけられた鍋から湯気が立ち上り、おいしそうな匂いがしてきた。
「おかえりなさい、二人とも。今できるから、ちょっと待ってね」
鍋をかき混ぜていたユィノが入ってきた二人に笑いかけると、すでに座って待っていたエミナも顔をフウリたちの方へ向けて目尻を下げた。
「シャラや、今朝の稽古は、時々わずかに気が乱れておったようじゃが……大丈夫かね?」
「え、ええ……大丈夫ですわ」
「なら良いのじゃが。今日の暮れにはリュートがリコントの稽古に来ることになっておるから、一緒に合わせてみたらどうだね?」
「はい、お願いいたしますわ」
リコントというのは、アユシという軽くて丈夫な樹をくりぬいて作られた竪琴 の一種で、今この村ではユィノの夫であるリュートが若手で最も期待されている奏者だ。
エミナも、リムクという竹製の口琴 の名奏者であったから、星神祭を控えたこの時期に、楽(がく)を習いにくる者は特に多かった。
「ふむ……フウリはとてもご機嫌じゃな。何か良いことでもあったのかね?」
エミナの問いに、フウリはユィノがお椀によそってくれたルル汁――川で採れた新鮮なシャケの身や、村で育てた野菜がたっぷり入った味噌仕立ての汁で、フウリの好物のひとつだ――を受け取りながら、思わず頬が緩ませた。
が、そのことを言っているわけではない。エミナは目が見えない分、空気の流れや人の感情を敏感に察することができるらしい。
時々、何も話さなくてもすべてお見通しなのではないかと思うフウリだったが、エミナの問いに頷くと、今朝の刀の稽古での微笑ましい光景を語って聞かせることにした。
「その……カケル殿が子どもたちに刀を教えてくれるようになってから、村の者たちにも随分と慕 われるようになったな、と思いまして。今朝などは、いつも子どもたちに刀の稽古をつけてくれてありがたいと、パシクル殿が礼に見えられて……」
カケルはニタイ村の件があった後 、村の警備を固める意味でも必要な人材だと村会議で認められ、村の方にあるシュンライの家に居候 させてもらうことになった。
当初はハヤブサの猛反対があったのだが、ならば室の空きがあるフウリたちの家に……という流れになった途端、それだけはダメだと言って認めたのだった。
そうして、ユィノとの新居に引っ越した長兄リュートの室を、カケルに使ってもらうことになったという。
「それは良かったねぇ。にしても、彼はとても面倒見が良いようじゃのぅ」
「ええ、カケル殿は小さな子の扱いに慣れているというか……懐 かれやすいというのか……」
「そうかいそうかい。で、カケル殿はどうだい、あの家でも仲良くやっとるのかい?」
これには思わず、フウリはシャラと顔を見合わせて渋い笑みを浮かべた。
「うーん……ハヤブサ以外とは、ですね。それにしても、どうしてハヤブサはカケル殿につっかかるのだろうな。私は二人に仲良くして欲しいのに……」
フウリは真剣にそう考えていたのだが、その理由 を知っているユィノは吹き出す。
「ユィノ殿、なぜ笑う?」
「だって、それは……ねぇ。そういえば、フウリは星神祭で誰かに刺繍 入りの手巾 を渡したりしないの?」
「えっ、いや、だって、私はその……」
「フウリさまは刺繍が苦手ですものね?」
「うっ、その……。シャラぁぁ……」
フウリは図星を指され、うろたえるあまり、思わず椀を落としそうになった。
確かにフウリは幼い頃から刀の稽古や乗馬ばかりしていて、刺繍や料理といった細やかなことが苦手なのだった。
「なんじゃ、フウリ。ここに良い師 が二人もおるではないか。今からでも習えばよかろう?」
確かに、舞の時に着る衣装をすべて自分で縫っているシャラと、いつもとびきり美味しい料理を作ってくれるユィノ、この二人に敵う師は村中探し回ってもいないだろう。
しかしフウリは、前にも習おうとして何度か挫折 したことを思い出した。
「いや、でも、人には向き不向きというものが……」
「フウリさま、大切なのは見た目ではなくて、心ですわよ!」
「そうよフウリ、料理だって、大事なのは食べてもらいたいっていう気持ち……あっ!」
「ユィノ殿?」
会話の途中で突然声を上げたユィノに、三人の視線が集まる。
すると、ユィノは恥ずかしそうに皆を見回しながら微笑むと、そっと自分のお腹に手を当てて優しく撫でた。
「うふふ、お腹を蹴られちゃった。この子、本当に元気みたいだわ~」
「まぁ。きっとユィノねえさまに似たのですわね」
見ている者にまで、ヒシヒシと伝わってくるその幸福感に、しかしフウリは心の奥に、チリッとしたかすかな痛みを覚えた。
「フウリ、どうかした?」
「いや、その……己 の身に命を宿すというのは、どういう感覚なのだろうと思って……」
思い出せない記憶の中にいる、母親はどんな人だったのだろう。どんな声で、どんな顔で笑っていたのだろう。村が滅ぼされる前、こんな風に幸せに暮らしていた時期があったのだろうか――と、フウリは遠き過去に想いを馳 せる。
そんな想いを察したのか、ユィノはフウリを手招きした。
「こっちへいらっしゃい、フウリ。シャラも……あたしのお腹に触ってみて?」
フウリとシャラは空 になったお椀と箸 を置くと、言われるままにユィノのそばに腰を下ろす。
それから恐る恐る、大きく膨らんだユィノのお腹に手を伸ばした。
触れた瞬間、トクントクンと小さいけれど、確かな命の音が手のひらを通して伝わってくるのがわかった。
「この子を身籠 った時ね、あたし、不思議な夢を見たのよ。大きな樹の枝に座って夜空を見上げていたら、急に小さなお星様が降ってきてね。キラキラと輝いていてすごく綺麗で……思わず手を伸ばしたら、それが突然お腹に飛び込んできたの」
「もしかして、それが……その子?」
「そうかもしれないわ。お星様が飛び込んできた途端、お腹がじんわりあったかくなってきてね、すごく幸せで、嬉しくて、涙が溢れてきて……」
その夢を見た直後にユィノは、エミナから懐妊 を告げられたのだった。
「愛 しくて、愛しくて……この子は何があっても、あたしが守らなきゃって思ったわ。例え自分の身がどうなろうとね。だからきっと、フウリのお母様も、あなたがこうして元気に育ったのを、月の世界から見守っていると思うわよ」
「ユィノ殿……」
「もちろん、シャラとあたしの母さんだって、ね」
二人の母親はもともと病弱だったらしく、シャラを生んですぐに亡くなってしまったのだという。
母親との思い出がないという点においては、シャラもフウリと同じような感情を抱 いていたらしい。
ユィノが付け加えた言葉によって、そのことに気づかされたフウリは、少しだけ恥ずかしくなったのだった――。
ワッカ山の木々の葉が少しずつ赤や黄色に色づきだし、エシク川にシャケが上り始めると、センリュ村では
これは、その年の収穫、大地の恵みに感謝を
皆、神様を迎えるにあたって失礼があってはならないと、衣服を新調したり室を片付けたりと忙しくなる。
二日間に渡る星神祭で最も盛り上がるのは、一日目の夜、月光が射す頃だ。
中央広場に設けられた舞台で、
そんなわけで、この時期のシャラは、家の裏手で一人、舞の稽古をするのが朝の日課になっていた。
当然そういう事情を知っていたフウリは、刀の稽古を終えて帰宅しても室に彼女の姿がないのを確認すると、すぐに家の裏手へと足を向けた。
「シャラ、ただいま戻ったよ」
声をかけながら、壁際から覗くように顔を出す。
するとシャラは、秋風に銀髪をユラユラとなびかせながら、静かに、軽やかに、まるでセンリュオウジュの花びらのように、可憐に舞っていた。
朝の光を浴びた彼女の肌は透き通るように白く、手足は折れてしまいそうなほどか細い。今は普段着の
思わずため息が出てしまう美しさだ。
「あら、フウリさま、おかえりなさいませ……もしかして、ずっとそこにいましたの?」
「ん……少しだけどな、やはりシャラの舞には
「まぁ、フウリさまったら、恥ずかしいですわ……」
「本当のことだよ。でも、毎年舞っているのだから、そんなに
もともとそんなに身体が強くはないシャラのことだから、冷たい秋風に当たったら熱でも出してしまうのではないかと、フウリはつい心配になった。
が、その心配がシャラにはあまり嬉しくなかったらしい。
シャラはフウリの言葉にぷぅっとリスのように頬をふくらませた。
「もう子どもではありませんもの、大丈夫ですわ。それに、毎年踊るのが同じ舞であろうと、星の神様には少しでも美しい舞をお見せしたいと思っているから……そう、フウリさまの刀のように、日々の稽古を
「……すまない、気を悪くしたのなら謝る。本当に心配だっただけなんだ」
反論されて困ったような表情を浮かべたフウリに、シャラはクスクスと笑った。
「ちょっと言い返してみたかっただけですわ。さ、
「シャラったら……」
二人は顔を見合わせ笑みを交わすと、朝餉の香り漂う室内へと入っていった。
ユィノはいよいよ出産が近づいてきたこともあり、実家であるフウリたちの家へと一時的に戻ってきていた。ユィノが新居に移ってからの朝食作りは主にシャラが担当していたため、身重の姉を心配してシャラが作ると言っていたのだが、そこはユィノ、舞の稽古を優先させなさいと言って譲らなかったのだ。
家の中央にある居間に入ると、
「おかえりなさい、二人とも。今できるから、ちょっと待ってね」
鍋をかき混ぜていたユィノが入ってきた二人に笑いかけると、すでに座って待っていたエミナも顔をフウリたちの方へ向けて目尻を下げた。
「シャラや、今朝の稽古は、時々わずかに気が乱れておったようじゃが……大丈夫かね?」
「え、ええ……大丈夫ですわ」
「なら良いのじゃが。今日の暮れにはリュートがリコントの稽古に来ることになっておるから、一緒に合わせてみたらどうだね?」
「はい、お願いいたしますわ」
リコントというのは、アユシという軽くて丈夫な樹をくりぬいて作られた
エミナも、リムクという竹製の
「ふむ……フウリはとてもご機嫌じゃな。何か良いことでもあったのかね?」
エミナの問いに、フウリはユィノがお椀によそってくれたルル汁――川で採れた新鮮なシャケの身や、村で育てた野菜がたっぷり入った味噌仕立ての汁で、フウリの好物のひとつだ――を受け取りながら、思わず頬が緩ませた。
が、そのことを言っているわけではない。エミナは目が見えない分、空気の流れや人の感情を敏感に察することができるらしい。
時々、何も話さなくてもすべてお見通しなのではないかと思うフウリだったが、エミナの問いに頷くと、今朝の刀の稽古での微笑ましい光景を語って聞かせることにした。
「その……カケル殿が子どもたちに刀を教えてくれるようになってから、村の者たちにも随分と
カケルはニタイ村の件があった
当初はハヤブサの猛反対があったのだが、ならば室の空きがあるフウリたちの家に……という流れになった途端、それだけはダメだと言って認めたのだった。
そうして、ユィノとの新居に引っ越した長兄リュートの室を、カケルに使ってもらうことになったという。
「それは良かったねぇ。にしても、彼はとても面倒見が良いようじゃのぅ」
「ええ、カケル殿は小さな子の扱いに慣れているというか……
「そうかいそうかい。で、カケル殿はどうだい、あの家でも仲良くやっとるのかい?」
これには思わず、フウリはシャラと顔を見合わせて渋い笑みを浮かべた。
「うーん……ハヤブサ以外とは、ですね。それにしても、どうしてハヤブサはカケル殿につっかかるのだろうな。私は二人に仲良くして欲しいのに……」
フウリは真剣にそう考えていたのだが、その
「ユィノ殿、なぜ笑う?」
「だって、それは……ねぇ。そういえば、フウリは星神祭で誰かに
「えっ、いや、だって、私はその……」
「フウリさまは刺繍が苦手ですものね?」
「うっ、その……。シャラぁぁ……」
フウリは図星を指され、うろたえるあまり、思わず椀を落としそうになった。
確かにフウリは幼い頃から刀の稽古や乗馬ばかりしていて、刺繍や料理といった細やかなことが苦手なのだった。
「なんじゃ、フウリ。ここに良い
確かに、舞の時に着る衣装をすべて自分で縫っているシャラと、いつもとびきり美味しい料理を作ってくれるユィノ、この二人に敵う師は村中探し回ってもいないだろう。
しかしフウリは、前にも習おうとして何度か
「いや、でも、人には向き不向きというものが……」
「フウリさま、大切なのは見た目ではなくて、心ですわよ!」
「そうよフウリ、料理だって、大事なのは食べてもらいたいっていう気持ち……あっ!」
「ユィノ殿?」
会話の途中で突然声を上げたユィノに、三人の視線が集まる。
すると、ユィノは恥ずかしそうに皆を見回しながら微笑むと、そっと自分のお腹に手を当てて優しく撫でた。
「うふふ、お腹を蹴られちゃった。この子、本当に元気みたいだわ~」
「まぁ。きっとユィノねえさまに似たのですわね」
見ている者にまで、ヒシヒシと伝わってくるその幸福感に、しかしフウリは心の奥に、チリッとしたかすかな痛みを覚えた。
「フウリ、どうかした?」
「いや、その……
思い出せない記憶の中にいる、母親はどんな人だったのだろう。どんな声で、どんな顔で笑っていたのだろう。村が滅ぼされる前、こんな風に幸せに暮らしていた時期があったのだろうか――と、フウリは遠き過去に想いを
そんな想いを察したのか、ユィノはフウリを手招きした。
「こっちへいらっしゃい、フウリ。シャラも……あたしのお腹に触ってみて?」
フウリとシャラは
それから恐る恐る、大きく膨らんだユィノのお腹に手を伸ばした。
触れた瞬間、トクントクンと小さいけれど、確かな命の音が手のひらを通して伝わってくるのがわかった。
「この子を
「もしかして、それが……その子?」
「そうかもしれないわ。お星様が飛び込んできた途端、お腹がじんわりあったかくなってきてね、すごく幸せで、嬉しくて、涙が溢れてきて……」
その夢を見た直後にユィノは、エミナから
「
「ユィノ殿……」
「もちろん、シャラとあたしの母さんだって、ね」
二人の母親はもともと病弱だったらしく、シャラを生んですぐに亡くなってしまったのだという。
母親との思い出がないという点においては、シャラもフウリと同じような感情を
ユィノが付け加えた言葉によって、そのことに気づかされたフウリは、少しだけ恥ずかしくなったのだった――。