その理由

文字数 1,479文字

 或る夜に、播磨は妻の八重と向き合っていた。播磨は、妹の佳代が惨殺されたことをお佐和からは聞いていたが、その席には八重はいなかった。故に、八重はそのことをまだ知らない。お佐和の雰囲気から、ことの重大さを察した八重が、自から席を外したからである。

 そして、お佐和からことの真相を告げられた播磨は、数日は一人こもり物思いにふけっていたが、ようやく決心したようである。それは、妹の憎っくき仇の与左衛門を討ち果たすことであるが、首尾よく本懐を遂げたとしても、そうすればこの家でそのままいられるわけがない。

 その為の方策を播磨は考えていた。それは、人知れず与左衛門を殺害した後、この家を出奔(しゅっぽん)することである。その言い訳を考えていた。それは自分の身の保身ではなく、青山の家に被害が及ばないことである。
 そして、結論付けた事は、今はこの地では剣の達人とは言われているが、まだまだ未熟者ゆえに、剣の道を極めるために諸国に出ると言う理屈だった。果たしてその理由を、城主が認めてくれるかどうかということである。

 もしそれが認められれば、それを言い訳にして暫く家を出た格好にして、与左衛門を惨殺し、そのまま武者修業に出たという格好にすれば、問題はないだろう。

 しかし、それは大きな賭けだった。
 もし、与左衛門を殺害することに失敗し、自分は痛手を負ったならばその計画は露呈してしまう。自分は痛手を負わなかったとしても、自分の正体を知らないまま逃げ失せることができるだろうか。

 いずれにしても、播磨は縁あってこの青山家に世話になっている。それを恩を仇で返すことはできない。そのためにも周到に計画しなければならないのだ。しかし、これは妻にとっては関係ないことであり、妻を道連れにすることはできない。それほど播磨は妻を愛していたからである。

 その妻に対して、播磨はことを起こす前に、偽りのない自分の心を妻に伝えたいと思った。

「八重、聞いて欲しい」
「はい、旦那様」

 いつも優しい主人のただならない様子に、若妻の八重は何かを感じ取っていた。今、お佐和は帰っており、この家にはいないが、お佐和が来た時から八重は何か不吉な予感がしていたからである。それは、初めて見たお佐和の顔が蒼白だったからである。

「この間、妹の佳代が引き取られた屋敷のお佐和がきたことを覚えているね」
「はい、お佐和さんでしたね、それがどうかしましたか?」
「実は、お佐和が私にとんでもないことを教えてくれたのだよ」
「はい?  その……とんでもないこととは、どういうことでしょうか?」
「八重、聞いておくれ、もう妹の佳代はこの世にはいないのだよ……」

 淡々と話したつもりだったが、いつしか播磨の目には涙が潤んでいた。
「えっ? 本当ですか?」
「そうだ、それも殺されたのだ……」
「えっ?」

 八重は、それ以上の言葉が出なかった。夫の播磨の涙でそれを理解したのである。
 しばらく、夫の元気がないのが心配だったのだが、そういう理由だったのか、と合点した。八重が夫の顔を見つめると、その顔は蒼白でありそれを堪えているようだった。播磨は努めて冷静に話を進めていこうと思っていたのだが、どうやらそれは無理のようである。

 いつも心の優しい夫が、ただ一人だけの肉親である妹の不幸を思えば無理もない。
 八重自身もいつしか、目に涙をためていた。

「ど、どうしてなのですか? 旦那様」

 妻の八重はその言葉を言うのが辛かった。しかし、その訳を夫が自分に言おうとしている気持ちが、八重には痛いほど分かるのだ。その時に、ある種の覚悟が八重にも出来ていたようである。


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