奉行所にて

文字数 2,803文字

 その町奉行所の中庭には、白砂利が並べたように綺麗に敷き詰めてある。
 外には、それらを覆い包むように黒い塀が巡らされていて、内側を窺うことは出来ない。そこには青々とした苔が生えて、見事に白い砂利を浮き上がらせている。

 春になり、そこには葉がついた松や梅等の枝振りの良い木々が植えられており、その小枝に何やら鶯が停まり、ホーホケキョと鳴いて新しい春を告げている。
 暖かさが少しだけ感じられるが、風が何処と無く吹いてくるとまだ肌寒い。

 しかし、外からそれを垣間見ることができない。その場所はお白州と呼ばれ、罪人を裁く場所である。白い砂利を敷いてあるのは、裁判の公平さと神聖さを示す為の色であるからだ。

 裁かれる罪人は、砂利の上にゴザを敷かれ、その上に座らさせられていた。石は所々に尖っていて痛く、そして冷たい。罪人は手を後に重ねて回され、縄できつく縛られている。

 更に肩から袈裟懸けに縄が走り、それが腰に巻いた荒縄に括られていた。その胴には長い縄が三重に巻かれ、その端を下っ端役人が握っている。

 浪人が狼藉や脱走を防ぐためであるが、この場に及んでは一般的にはそれは不可能ではある。その周りに、武具で装束を固めた役人が包囲しているからである。
 しかし、今回の罪人が相当に剣の腕が立つ武士となれは、それも致し方ないのかもしれない。

 檜造りの舞台の正面は、三段の階段になっており、その上段の真ん中にはこれから罪人の裁きをする奉行が座る。今、その下段よりも後ろに位置する砂利の上に罪人が座り、奉行が来るのを待たされていた。罪人を取り囲むように、少し距離を置いて四、五人の役人が腰に脇差を差し、槍を持って立っていた。

 その日、裁かれる罪人は侍であり、白装束と裸足で目を瞑り既に覚悟は決めていた。着物と縄以外には、身に付けているものは何もない。もし、その侍が本気を出せば、すぐ様、縄を外し役人の槍か刀を奪って暴れるかもしれない。

 その罪人の罪状は、義父殺しである。どんな些細な理由があったとしても、それは死罪と決まっている。恐らくは切腹した後に、打ち首になるだろう。だが、奉行が聞く所によると、この件に関してはやむを得ない事情があるらしい。

 切腹を言い渡す前に、武士の情けとして、罪人の言い分を聞いてやろうという奉行の計らいなのだ。いかに、罪が重いということを、皆に知らしめるという目的もあるからだ。

 奉行は裁く前から、この罪人に興味を持っていた、その真実がこれから分かる。
 それに、何故にあの山越与左衛門がこの播磨に殺害されたのか……。
 その理由を自分の目で確かめ、その本質を知りたいからでもある。

 お白州の後方の端には、罪人で侍の妻がこの裁きの行方を見守ることが許され、控えていた。隣には女の母がハラハラしながら付き添っている。
 やがて、裁きが始まる合図の太鼓の重い音が庭に響く。
 ドーン、ドン、ドーン………。

「これよりお奉行様のお裁きのが始まりまする、皆の者、こうべを垂れませい……」
 奉行の淡路肥後の守が裃姿で、与力や同心等を数名引き連れてさっそうと登場した。
 全てのものが平伏して合図がするまで、その姿勢で待たなければならない。そして、奉行は袴をひるがえし、おもむろに扇子を握りしめ、上座にどかっと座った。

「皆のもの、おもてをあげい」
 凛とした声で奉行が言い、皆が恭しく顔を上げる。

「では、今日の裁きを始めようぞ」
「ははっ、では、罪人は、も少し、前へいでよ」

 役人の言葉にうながされて、侍は膝を立て、二、三歩前へ進む。
 それに連れられ、縄を引く係りの者も緊張して前へ進んだ。

「そこでよし、罪人、お前の名を述べよ」

 奉行の淡路肥後の守が、ゆっくりと罪人を見つめながら言った。
 肥後の守は「名奉行」と称されており、民からの人望も厚く、裁きも適切で巷の評判が良い。

 罪人の妻の八重は、夫の死罪を覚悟はしていた。
夫の裁きと、最後に夫の無念の思いのたけを奉行に、そして兄を非難する人に聞いて欲しかったのである。

「はい、わたくしは、服部但馬の守様の家来で青山播磨と申しまする」
「あいわかった、では、矢之輔、この者の罪状をくまなく述べよ」
「承知つかまりましてございます、では……」
 矢之輔と呼ばれた与力は、懐から取り出した書状を浪々とした声で読み上げた。

「服部但馬の守、家来の青山播磨は、幼い頃に引き取られた妹の佳代の義理の親である山越与左衛門の屋敷に忍び込み、三日前の夕刻に与左衛門に斬りつけ、死なせたものなり。
 そのときは家来達が見廻りに出掛けている間を計り、周到に計画し、与左衛門を一刀のもとに頭から刀を浴びせ、即死にいたらしめたものにて候。

 しかし、斬りつけた後騒動に気がついた主人の妻には、(これは怨恨にてのこととて、お許し下され)とだけ告げて、そのまま帰宅せり。その後、数人の家来が見廻りから帰り、気がついた時、夫人は恐怖に気が触れ未だに病に伏されており、その下手人の名前さえも告げられぬほどにて候。
 その鮮やかな切り口と、日頃からの行方により、下手人がここにて座す青山播磨と判明し、家来達が播磨の屋敷に主の仇討ちとばかりに駆けつけしが、藩一番の剣の達人の播磨が相手となっては、歯が立たず、いた仕方なく後日、奉行所に届けたるものなり」

 矢之輔は会を赤くし一気に読み上げた。これは昨日、何度も口に出して暗唱していたのだ。
「それに、相違ないな、播磨」
 奉行が播磨に問いかける。

「はい、間違いございませぬ、しかし……」
「しかし、とな、ふむ、言うてみい」

「釈明の言葉をお許し下され、ありがたき幸せに存じます。出来得ればもう一通、お調べのときに、何故にわたくしが与左衛門を殺めたかの理由を聞かれ、そのわけを申し述べてありますゆえに、その仔細をお聞き下されたく願いまする」

 今まできちんと姿勢正しく、お白州に座っていた若い侍が始めて身体を震わせ、目に涙を溜めて訴えたのである。

「うむ、わかっておる、お前のことは大凡には既に聞き及んでおる、それはお主の妹が酷い仕打ちを与左衛門から受けたのであろうな」


「はい、さようにござりまする……」そう言うと播磨は、おいおいと泣き崩れた。
「そのうえの遺恨だと申すのじゃな」
「はい。この思いを告げずにして、たとえ打ち首になろうとも、死にきりませぬゆえ」

 そう言って、播磨は更に声をあげて泣き出した。その姿をずっと後で見つめている播磨の妻の八重も激しく嗚咽していた。
(あぁ、あなた……)

 取り調べで調書にしたため、その時の事情を知っている矢之輔の目にも涙がにじんでいた。
(拙者とて、妹が引き取られたとは言え、同じことをされれば、その家の主人を斬りつけるかもしれぬ、しかし、その後に残された妻や子供のことを思うと、果たして……)という思いが頭の中を去来して、矢之輔は思わず身震いするのだった。


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