罪な行為
文字数 1,962文字
十六歳になったばかりの佳代は獄門町の家を出て、お佐和に連れられて遠い親戚である山越与左衛門の屋敷にやってきた。その日、始めて佳代に会った与左衛門は上機嫌だった。
「おぉ、そなたが佳代と言う娘か、美しいのう、幾つに相成るのじゃな?」
「はい、十六歳になりました佳代と申します、よろしくお願いいたします」
「そうかそうか、しかし、お前の帰る家はもう無いと思いなさい、故にこの家をお前の家だと思うが良いぞ」
「はい、ありがとうございます、あの……」
「何かな?」
「わたしは、あなた様をどうお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「そうだな、旦那様、とでも言えばいいだろう」
「はい、わかりました、旦那様」
「うむ」
こうして佳代は、山越家に住みつくことになった。佳代にとっては複雑な心境だった。生まれ育った実家では不幸な出来事で両親が亡くなり、何人かいた奉公人もいつの間にかいなくなっていた。
意気消沈し、身も心も生きる希望を失いかけていたときに、救いの手を差し伸べてくれたのが、遠い親戚に当たるこの家の主の山越与左衛門だった。
一時は、死をも覚悟していた佳代だったが、生きながらえることが出来た。しかし、心からそれを願っていたわけでは無い。可愛がって育ててくれた亡くなった両親の元へ行きたいという思いがある一方で、他方に引き取られた兄を残して死ねなかったのである。
優しいお佐和に連れられて、佳代は山越家の養女としてこの屋敷に来てから半月ほどが経っていた。ようやく佳代は、この屋敷にも慣れてきたようである。
しかし、自分が住み慣れた家とは違い戸惑うことも少なくない。その頃から、お佐和は佳代に与左衛門に接する機会を意識的に作った。もちろんそれは、与左衛門の言いつけによるものである。
始めは、茶や食事を運ぶことだったが、次第にその度合いは強くなって行く。始め佳代は戸惑ったが、気持ちを入れ替えた。
(もう自分は山崎家の人間では無い、あの家はもう無いのです)と諦め、自分に言い聞かせていた。
(家が変われば、自分も変えなければいけない、心さえしっかりしていれば、きっと亡くなった父も母も自分をどこかで見守ってくれるに違いない)
そう健気に思う佳代だったのだが。佳代が見た与左衛門は、どっしりとして恰幅が良かった。とりたてて愛想は良くも悪くもないが、何故か自分を異質な目で見てるような気がする。
それは多感な娘の複雑な感情かも知れない。
或る日、佳代はお佐和から言われたことがある。
「佳代様、旦那様が入浴されます時に、今宵から佳代様がお世話するようにとの仰せでございます」
「えっ?」
佳代は、始めその意味がわからなかった。
「あの、お世話とはどういうことをするのでしょうか?」
「はい、お風呂場で旦那様のお背中をお湯で流したり、身体を洗って差し上げることでございます」
「はあ、そうですか……それで今まではどうしていたのですか?」
「はい、わたくしが今までしていましたが、旦那様は佳代様をご所望でございますので……」
お佐和はじっと佳代の顔色をうかがっていたが、明らかに佳代は動揺しているようだった。
「では、なぜお佐和さんからわたしに?」
「いえ、それはわかりません」
(それは、好色な旦那様が若いあなたを好まれたからですよ、その果てにはあなた様もいずれ……その為にあなたはこのお屋敷に招かれたのですから)
お佐和は皮肉を込めて、そう言いたかったが、堪えてその言葉は胸の中に押し込んだ。その果てには、あなたもわたしのように………一時は与左衛門に愛され、やがて蹂躙された自分を慰めるような冷たい目で、佳代を見つめていた。
その夜、桧作りの風呂場で与左衛門は風呂に浸かっていた。たっぷりとした湯がこぼれる。そこに佳代が、風呂場にやってきた。お佐和に言われたとおりに従ったのである。
「旦那様、お背中を流しに参りました」
「おお、きたか、入りなさい」
「はい、失礼いたします」
この行為は、いやしくも元武士の娘がすることでは無く婢のすることである。
屈辱と羞恥の入り混じった気持ちで、佳代は湯殿の扉を開けた。この時代に於いては、将軍が風呂で湯に入って浸かり、湯船から出ると、湯殿係りの女中がまっている。
そして女達は将軍の身体を糠袋で洗うのである。その後、湯を流してもらい再び湯に浸かるのだ。最後に入浴が終わり、上がり場に移動する。
その後、女中が白木綿の浴衣を将軍の体に一枚かけ汗を拭き取る。
それを何度となく繰り返すのだ。その浴場で、ときに将軍が欲情すれば、女中と及ぶこともある。
こうして生まれた子供は「御湯殿の子」といわれ、その女中は何がしかの恩恵に浴することになる。どうやら与左衛門は、こんな風潮を真似したようだった。
この時を契機にして、佳代の悲劇が始まる。
「おぉ、そなたが佳代と言う娘か、美しいのう、幾つに相成るのじゃな?」
「はい、十六歳になりました佳代と申します、よろしくお願いいたします」
「そうかそうか、しかし、お前の帰る家はもう無いと思いなさい、故にこの家をお前の家だと思うが良いぞ」
「はい、ありがとうございます、あの……」
「何かな?」
「わたしは、あなた様をどうお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「そうだな、旦那様、とでも言えばいいだろう」
「はい、わかりました、旦那様」
「うむ」
こうして佳代は、山越家に住みつくことになった。佳代にとっては複雑な心境だった。生まれ育った実家では不幸な出来事で両親が亡くなり、何人かいた奉公人もいつの間にかいなくなっていた。
意気消沈し、身も心も生きる希望を失いかけていたときに、救いの手を差し伸べてくれたのが、遠い親戚に当たるこの家の主の山越与左衛門だった。
一時は、死をも覚悟していた佳代だったが、生きながらえることが出来た。しかし、心からそれを願っていたわけでは無い。可愛がって育ててくれた亡くなった両親の元へ行きたいという思いがある一方で、他方に引き取られた兄を残して死ねなかったのである。
優しいお佐和に連れられて、佳代は山越家の養女としてこの屋敷に来てから半月ほどが経っていた。ようやく佳代は、この屋敷にも慣れてきたようである。
しかし、自分が住み慣れた家とは違い戸惑うことも少なくない。その頃から、お佐和は佳代に与左衛門に接する機会を意識的に作った。もちろんそれは、与左衛門の言いつけによるものである。
始めは、茶や食事を運ぶことだったが、次第にその度合いは強くなって行く。始め佳代は戸惑ったが、気持ちを入れ替えた。
(もう自分は山崎家の人間では無い、あの家はもう無いのです)と諦め、自分に言い聞かせていた。
(家が変われば、自分も変えなければいけない、心さえしっかりしていれば、きっと亡くなった父も母も自分をどこかで見守ってくれるに違いない)
そう健気に思う佳代だったのだが。佳代が見た与左衛門は、どっしりとして恰幅が良かった。とりたてて愛想は良くも悪くもないが、何故か自分を異質な目で見てるような気がする。
それは多感な娘の複雑な感情かも知れない。
或る日、佳代はお佐和から言われたことがある。
「佳代様、旦那様が入浴されます時に、今宵から佳代様がお世話するようにとの仰せでございます」
「えっ?」
佳代は、始めその意味がわからなかった。
「あの、お世話とはどういうことをするのでしょうか?」
「はい、お風呂場で旦那様のお背中をお湯で流したり、身体を洗って差し上げることでございます」
「はあ、そうですか……それで今まではどうしていたのですか?」
「はい、わたくしが今までしていましたが、旦那様は佳代様をご所望でございますので……」
お佐和はじっと佳代の顔色をうかがっていたが、明らかに佳代は動揺しているようだった。
「では、なぜお佐和さんからわたしに?」
「いえ、それはわかりません」
(それは、好色な旦那様が若いあなたを好まれたからですよ、その果てにはあなた様もいずれ……その為にあなたはこのお屋敷に招かれたのですから)
お佐和は皮肉を込めて、そう言いたかったが、堪えてその言葉は胸の中に押し込んだ。その果てには、あなたもわたしのように………一時は与左衛門に愛され、やがて蹂躙された自分を慰めるような冷たい目で、佳代を見つめていた。
その夜、桧作りの風呂場で与左衛門は風呂に浸かっていた。たっぷりとした湯がこぼれる。そこに佳代が、風呂場にやってきた。お佐和に言われたとおりに従ったのである。
「旦那様、お背中を流しに参りました」
「おお、きたか、入りなさい」
「はい、失礼いたします」
この行為は、いやしくも元武士の娘がすることでは無く婢のすることである。
屈辱と羞恥の入り混じった気持ちで、佳代は湯殿の扉を開けた。この時代に於いては、将軍が風呂で湯に入って浸かり、湯船から出ると、湯殿係りの女中がまっている。
そして女達は将軍の身体を糠袋で洗うのである。その後、湯を流してもらい再び湯に浸かるのだ。最後に入浴が終わり、上がり場に移動する。
その後、女中が白木綿の浴衣を将軍の体に一枚かけ汗を拭き取る。
それを何度となく繰り返すのだ。その浴場で、ときに将軍が欲情すれば、女中と及ぶこともある。
こうして生まれた子供は「御湯殿の子」といわれ、その女中は何がしかの恩恵に浴することになる。どうやら与左衛門は、こんな風潮を真似したようだった。
この時を契機にして、佳代の悲劇が始まる。