悔いの涙
文字数 1,898文字
佳代に額を割られ、逆上した与左衛門は興奮して目を釣り上げ、その形相は悪鬼のようだった。刀の鞘を捨て、右手には中脇差の切っ先を下げ、ズカズカと廊下を荒々しく蹴って佳代の部屋に戻ってきた。
「おのれっ! 佳代……お前をぶった切ってやる!」
佳代はそうなることを予想し、すでに覚悟をしていた。武士の娘らしく、凛とし潔 く畳の上に正座して座っていた。両手を胸の前で合わせ、目を瞑 り合掌をしていたのである。
(どうせこのまま生きていても、わたしには何も良いことなど望めない、それならば、いっそ大好きだった父と母が眠るあの世やらへと行ってみたい)
まだ十七歳という、うら若い少女は心の中でそう覚悟を決めていた。佳代は、この家に来てからというもの、心から幸せと感じたことがなかった、それほどにこの屋敷に佳代の居場所は無かった。
(あの時に死んでおけば良かった……)と悔やまれる。
「私を殺すがいい、しかしこの恨み、忘れませぬぞ、与左衛門……」
佳代は目を開け、与左衛門の顔をじっと睨み付けて言った。それが生前の最後の佳代の言葉となった。その佳代を見て与左衛門は一瞬怯 んだが、額の痛みと怒りはまだ収まってはいなかった。もし、佳代が自分に許しを乞えば、あるいは与左衛門とて許したかもしれない。
しかし、観念し落ち着き払った佳代を見ると、与左衛門はその怒りを鎮 めることができなかった。
合掌し正座している佳代の手を足で蹴り、思わず姿勢を崩した佳代の開いた左胸を与左衛門は中脇差しで思いっきり突いたのである。刀は佳代の着物の上から胸を貫き、そこから血潮が噴水のように噴き出した。
「ぎゃ!」と断末魔の声を上げ、佳代は絶命した。
佳代の眼は与左衛門を睨み付けていた。その眼の恐ろしさに与左衛門は一瞬たじろいたが、気を取り直して刀を抜くと再び大上段に構えた。佳代のその凄まじい形相を振り払うように、与左衛門の太刀は佳代の首を刎 ねようとした。しかし、刀は一太刀で首を落とすことができなかった。
よほどの達人で無い限り、首を一太刀で落とすことは難しい。絶命したはずの佳代の首は、与左衛門を嘲笑っているようだった。
「おのれっ!佳代!」
与左衛門の三太刀めで、ようやく佳代の首は胴体から切り離され、床に転げ落ちた。与左衛門の息は荒く手が痺れていた。斬首された佳代の眼は引きつり、与左衛門を睨みつけているようである。それを部屋の隅で見せ付けられたお佐和は、あまりの恐怖のために腰を抜かしており、この部屋から抜け出ることができなかった。
この見たくもない凄惨な情景を見てしまったのである。
(こ、このような恐ろしいことを!)
与左衛門は、怒りに任せて自分が囲った若い女を殺害したことにふと我に返った。
そして、慄き震えているお佐和をみて言った。
「お佐和、このことは誰にも言うでないぞ、言うてはならん、分かるな!」
「は、はい! もちろんでございます、旦那様」
この時ほど、お佐和は与左衛門の目を恐ろしく感じたことはなかった。お佐和はまるで蛇に睨まれた子兎のようだった。養女を殺害したことが知れ渡ると、与左衛門としてはまずいことになる。
その夜、部屋は清められ、佳代の死骸は、たっぷりと金を弾まれた二人の下人に運ばれて人知れず葬ることになった。時間も遅いことだし、お佐和の説得で始めは断った下人だったが、その額を聞いてしぶしぶ承諾した。それは、奥深い人の住んでいない山寺の裏だった。その確認のためにお佐和は下人に付き添っていった。
処理が行われたことを、与左衛門に報告しなければならないからだ。夜道を歩きながら、お佐和は思った。一度、死にかけた佳代を無理に生き返らせ、その結果、更に酷い仕打ちを佳代にさせてしまったことを後悔していた。その時初めて、お佐和は心から佳代に心で詫びたのである。
(佳代様、私が余計なことをしたばかりに、佳代様に酷いことをさせてさせてしまいました、お許しください……)
お佐和は胸に手を当てて、初めて佳代に詫びた。その顔からは大粒の涙が溢れていた。佳代を死なせたこと、その片棒を担いだ自分であることに激しく自分を責めたのである。夜中に下人の二人が担いでいる丸い棺桶と歩きながらお佐和は考えていた。
(わたしはこのまま、あのお屋敷にいてもいいのだろうか? もし、何かあれば今度は私の身に……)
お佐和はそう思うと、このまま屋敷に戻ることが恐ろしくなってきた。佳代は下人が穴を掘り、佳代の死骸を寺の裏山に埋めたのを確認するとそのまま下人と別れた。そのまま、お佐和は屋敷に帰らず何処かへ消えて、再び屋敷に戻ることはなかった。
「おのれっ! 佳代……お前をぶった切ってやる!」
佳代はそうなることを予想し、すでに覚悟をしていた。武士の娘らしく、凛とし
(どうせこのまま生きていても、わたしには何も良いことなど望めない、それならば、いっそ大好きだった父と母が眠るあの世やらへと行ってみたい)
まだ十七歳という、うら若い少女は心の中でそう覚悟を決めていた。佳代は、この家に来てからというもの、心から幸せと感じたことがなかった、それほどにこの屋敷に佳代の居場所は無かった。
(あの時に死んでおけば良かった……)と悔やまれる。
「私を殺すがいい、しかしこの恨み、忘れませぬぞ、与左衛門……」
佳代は目を開け、与左衛門の顔をじっと睨み付けて言った。それが生前の最後の佳代の言葉となった。その佳代を見て与左衛門は一瞬
しかし、観念し落ち着き払った佳代を見ると、与左衛門はその怒りを
合掌し正座している佳代の手を足で蹴り、思わず姿勢を崩した佳代の開いた左胸を与左衛門は中脇差しで思いっきり突いたのである。刀は佳代の着物の上から胸を貫き、そこから血潮が噴水のように噴き出した。
「ぎゃ!」と断末魔の声を上げ、佳代は絶命した。
佳代の眼は与左衛門を睨み付けていた。その眼の恐ろしさに与左衛門は一瞬たじろいたが、気を取り直して刀を抜くと再び大上段に構えた。佳代のその凄まじい形相を振り払うように、与左衛門の太刀は佳代の首を
よほどの達人で無い限り、首を一太刀で落とすことは難しい。絶命したはずの佳代の首は、与左衛門を嘲笑っているようだった。
「おのれっ!佳代!」
与左衛門の三太刀めで、ようやく佳代の首は胴体から切り離され、床に転げ落ちた。与左衛門の息は荒く手が痺れていた。斬首された佳代の眼は引きつり、与左衛門を睨みつけているようである。それを部屋の隅で見せ付けられたお佐和は、あまりの恐怖のために腰を抜かしており、この部屋から抜け出ることができなかった。
この見たくもない凄惨な情景を見てしまったのである。
(こ、このような恐ろしいことを!)
与左衛門は、怒りに任せて自分が囲った若い女を殺害したことにふと我に返った。
そして、慄き震えているお佐和をみて言った。
「お佐和、このことは誰にも言うでないぞ、言うてはならん、分かるな!」
「は、はい! もちろんでございます、旦那様」
この時ほど、お佐和は与左衛門の目を恐ろしく感じたことはなかった。お佐和はまるで蛇に睨まれた子兎のようだった。養女を殺害したことが知れ渡ると、与左衛門としてはまずいことになる。
その夜、部屋は清められ、佳代の死骸は、たっぷりと金を弾まれた二人の下人に運ばれて人知れず葬ることになった。時間も遅いことだし、お佐和の説得で始めは断った下人だったが、その額を聞いてしぶしぶ承諾した。それは、奥深い人の住んでいない山寺の裏だった。その確認のためにお佐和は下人に付き添っていった。
処理が行われたことを、与左衛門に報告しなければならないからだ。夜道を歩きながら、お佐和は思った。一度、死にかけた佳代を無理に生き返らせ、その結果、更に酷い仕打ちを佳代にさせてしまったことを後悔していた。その時初めて、お佐和は心から佳代に心で詫びたのである。
(佳代様、私が余計なことをしたばかりに、佳代様に酷いことをさせてさせてしまいました、お許しください……)
お佐和は胸に手を当てて、初めて佳代に詫びた。その顔からは大粒の涙が溢れていた。佳代を死なせたこと、その片棒を担いだ自分であることに激しく自分を責めたのである。夜中に下人の二人が担いでいる丸い棺桶と歩きながらお佐和は考えていた。
(わたしはこのまま、あのお屋敷にいてもいいのだろうか? もし、何かあれば今度は私の身に……)
お佐和はそう思うと、このまま屋敷に戻ることが恐ろしくなってきた。佳代は下人が穴を掘り、佳代の死骸を寺の裏山に埋めたのを確認するとそのまま下人と別れた。そのまま、お佐和は屋敷に帰らず何処かへ消えて、再び屋敷に戻ることはなかった。