第3話 黒の少女

文字数 4,201文字

 朝、賑やかな声が反響する教室に入る。
 周りの生徒たちに挨拶しながら机に鞄を置き、席につくと、未佳は隣を振り向いた。
「おはよう、涼也」
 涼也は、いつも未佳より早く席にいる。今日も例外ではなかった。
 机に突っ伏していた少年は、間があって、のそりと起き上がる。その目は少しだけ困惑しているように見えた。
 小さく安堵して、未佳は、鞄の中から取り出した()()を差し出した。
「はい、これ」
 それは昨日、貸す約束をしたドラマのDVDボックスだった。
 鳩が豆鉄砲を食らったよう、とはこのことを言うのだろう。涼也は、ぽかんと未佳を見上げた。昨日の今日だったからこそ、余計に混乱していたと思う。

 ——『俺に関わらないで』

 あの時の涼也の目は、刃の切っ先のようだった。
 固く、冷たく、拒絶する瞳。
 ナイフを突きつけられたら怖いし、拒否する言葉をかけられてもつらいのは本当だ。
 でも、涼也は寸前まで笑っていた。
 だからきっと、自分が嫌いになったとかじゃなくて、どちらかと言うと……
(わざと怖い顔をして、()()から遠ざけた……みたいな……)
 とにかく、変な別れ方をして心がもやもやするので、何食わぬ顔で声を掛けてみることにしたのだが、そこそこ当たっていたらしい。
 涼也は、すべての息を吐き出すように長い長い溜め息を吐いた。
「………………未佳は、変」
「え、なんで? 変なのは涼也の方でしょ」
「じゃあ不思議。……それだ。不思議。未佳は不思議。ありがと、借りる」
 物を受け取って呪文のようにそれを連発する少年。
 よくお節介とは言われるが、不思議と言われるのは初めてで、未佳は首を傾げた。
「不思議? 何処が?」
「………………」
 涼也は、受け取ったDVDのジャケットを静かに眺めていた。何かを躊躇っているようでもあった。
 しばし、二人の間を朝の喧騒が通り過ぎる。
 やがて少年は、ゆっくり口を開いた。
「……未佳、俺のこと怖くないの? 気付いてるでしょ。みんな、俺のこと()()()()()って」
「あ……うん。さすがにね」
「俺と話してる時、未佳も意識されてないし」
「そういえば……」
 言われてみれば、涼也と話している間は、周りから声をかけられたことがない。どうやらその間は、彼の影響を受けて自分も見えなくなっているらしい。
「変な奴なのに……怖くないの?」
「……確かに」
 そう問われ、逆に納得した。
 人間は、想像が及ばないものに恐怖を抱く。未来や対人関係の不安などを筆頭に、よく知らないものはとにかく怖いのだ。
 誰にも意識されない少年なんて、特に未知の存在だろう。
 けれども——
「今、言われて初めて、確かに普通は怖いよねって思ったよ」
「……どういうこと?」
「うーん、どっちかと言うと……今まで見えてなかったものが、ようやく見えたって感じで……むしろ嬉しいかな。なんて……」
 自分なりの言葉で言ってみたが、なんだか上手く言えなかった。ちょっと恥ずかしくて、笑ってごまかした。
 それは、通い慣れた道にひっそりと咲く可愛い花に気付けたような。
 それは、日常で見落としていた綺麗なものを見つけられたような。
 怖いというより、毎日の楽しみが増えたようだった。
「それに、涼也と話してると楽しいし」
 勝手に友達にされたのもあるけど、と思いながら未佳が言うと、今度は涼也は驚いた顔をした。
「……楽しいの?」
「うん。会話が噛み合ってないこともあるけど、ちょっと慣れたかな。涼也はどうなの?」
 おもむろに質問を返されて、さらに驚いたらしい。少年は目を丸くして黙り込んで、ぽつりと答えた。
「……楽しい。あと、嬉しい」
「そっか、よかった」
「うん」
 そこで初めて、涼也は安心したように小さく微笑んだ。
 そのまま溶けて消えてしまいそうな儚さまで感じて、思わず息を呑んだ。
 少年は、小さく囁いた。
「まだ、友達でいたいな」
(——()()?)
 まるで、そのうち友達じゃなくなるみたいだ。
 変な言い回しが気になって、口を開きかけた。
「無理でしょう」
 ——例えるなら、眼前に剣を突き立てられたようだった。
 真横からしたのは、上品な少女の声だった。
 でも、涼也と話している時は、誰にも意識されないはずなのに。
 声の主は、いつの間にか未佳の隣に立っていた。
 そちらを振り向いて、未佳は世界が変わったかと思った。
(お人形さんみたい)
 およそ校内にいるべきではない少女だった。
 身長も年齢も、恐らく同じくらい。こんなに近くにいるのに、漆黒のゴシックワンピースも、それに映えるまばゆい金のストレートロングヘアも、おおよそ同世代とは——ましてや、同じ地面に立つ人間とすら思わせない。
 映画の劇中から抜け出してきたかのような、作り物めいた美少女だった。
「……えっと……あなたは?」
 なんとか声を絞り出すと、黒の少女の目がこちらを向いた。
 涼也の瞳がサファイアなら、彼女はアメシスト。紫の瞳は真摯で、ぼやけた少年のそれより雄弁だった。
「初めまして、仁井谷未佳さん。二年三組の風切叶(カザキリ カノ)です」
「あ……初めまして」
 黒の少女——叶に流されるように、小さく頭を下げる。何故自分の名前を知っているのか疑問に思ったが、少女の迫力に押されて、彼女なら把握していてもおかしくないと妙な納得をする。
「では、()()()()()
 叶は、ふわりと腕を上げ、手を差し出した。
 一挙手一投足、どのシーンを切り取っても絵になる。もしカメラマンがいたら、賛美のように彼女に惜しみないシャッターを浴びせるだろう。
 見とれていると、少女の手のひらは未佳の肩に近付き——指先が触れる寸前、ぴたりと止まった。
「余計なことしないで」
 少女の手首を、涼也が掴んでいた。いつもぼんやりしている顔は、今は少しだけ怒っているように見えた。
 叶は掴まれた手を一瞥し、不機嫌そうに振り払った。
「何故、止めるのですか。涼也さんが対応しないなら代行しようとしただけです。この人が認知して、三日ほど経っているでしょう。(アニマ)が出現してからでは手遅れです」
「……もう一週間、経ってるよ。(アニマ)も昨日来てたし」
 詰められた少年がさらりと暴露すると、叶の周囲の空気が氷点を下回った。今にも斬りかからん気配に未佳が青ざめるが、涼也は何食わぬ顔だ。
(アニマ……?)
 人の名前だろうか。内心で反芻すると、急に二人の様子が変わった。
 冷戦を打ち切り、何かを振り返るように窓の方を見たのだ。
「ど……どうかした?」
 ただならぬ様子に恐る恐る声をかけてみると、黒の少女は無表情のまま、忌々しそうに呟いた。
「……未佳さんの件は後で。随分、大きい気配ですが」
「………………」
「涼也さん」
「……竜種上位」
 先を促された涼也は、未佳を一瞥してから少し遠慮がちに答えた。
 未佳が呆然と立ち尽くしていると、叶は生徒たちを避け、開いていた窓へ歩み寄った。おもむろに、ヒールの高いブーツで窓枠に乗り上げる。
 ばさりと金髪をなびかせた叶を見て、ぞっとした。
 ここは校舎の三階。真下は、コンクリート舗装のエントランスだ。
「先に行きます」
 青ざめた未佳を気にすることなく、叶は窓から身を躍らせた。
「か、叶ちゃん!?」
 窓下へ消え去った黒いワンピースを追って、慌てて窓に駆け寄って見下ろした。
 だが、そこには血はおろか、影すらなかった。そういえば、地面にぶつかる音も聞こえなかった。
「な、何で……?」
「未佳」
 残っていた少年に呼ばれ、呆けたまま振り返る。
 涼也は席から立ち上がり、昨日のあの拒絶する目で言った。
「絶対、ついてこないで。ここにいて」
 言い捨てるなり、彼も身を翻して教室から飛び出していった。
 未佳は、それをただ見送るしかできなかった。
 思い出したように、ざわざわと教室の賑やかさが聞こえてきた。二人が遠ざかったせいなのか、今まで自分も周りを意識してなかったせいなのか、まったく聞こえなかった。
「ミカリン? そんなとこに立って、どうしたの〜?」
 真横から声をかけられて、振り向くと愛実だった。彼女は、窓際の席の女子生徒とおしゃべりをしていたらしい。
 叶が消えた窓を正面にしている二人は、不思議そうにこちらを見てくる。
 目の前で人が飛び降りたのに。
(本当に、見えてないんだ)
 じわじわと実感が湧いてくる。
 胸の底が冷え込んで、何も答えられずにいると、愛実と一緒にいるショートヘアの女子生徒が声をかけてきた。
「そうだ未佳、『ハルカ』の新曲聞いた?」
「あ……紗利奈(さりな)……う、うん」
「今、サリーとどうやって歌うか作戦してたとこだよ!」
 愛実は、「今回も難しい曲だね~」と難しい顔した。
 『ハルカナタ』は覆面シンガーだが、中性的な歌声も相まって性別さえ不明だ。そのせいか男性でも女性でも、原曲キーで歌うのが絶妙に難しいらしい。カラオケが好きな愛実と皆森(みなもり) 紗利奈(さりな)は、新曲が出るたびに攻略会議をしている。
「それよりもさ、歌詞が意味深だと思うわけよ。今回の『ハロウィン』って、もしかしてちょっと不穏じゃない?」
「え……ミステリードラマだし、元々不穏じゃない?」
「サリーは、『ハロウィン』をお笑いだと思ってるとこあるよね~」
「いやギャグだろあれは。『ハルカ』もポイッターで、『天才たちが踊る喜劇』って言ってたし」
「それはマナ的には、謎に包まれてるってことだよ〜!」
「未佳、明日の帰り、カラオケ行くから空けといて」
「うん、いつもの楽しみにしてるね」
 新曲が出るたび、二人が会議をしてカラオケに突撃する流れはいつものことだ。
 未佳は、笑って頷いて——胸の冷えに気が付いて、我に返った。
(……そうだ。涼也、叶ちゃん)
 友人二人が、何事もなかったように——実際、何事もなかった認識の世界から——話しかけてきて、あっという間に日常に呑み込まれていた。
 気が付いてしまうと、違和感は膨張していく。
 さっきまで話していたのに、涼也も叶も存在しない世界に放り込まれた気分だった。
 いや、元々はこれが「普通」なのだろう。
 一週間前まで、自分もそうだったはずだ。
(……でも、私はもう)
 「認識できない人間」が存在することを知ってしまった。
 彼らが、自分たちと変わらない等身大の人間であることも。
 何処か泣きそうに微笑んだ少年を、忘れるなんてできない。
「えっ、ミカリン!? もうHR始まるよ? ねぇ〜!」
 慌てた愛実の声が背中で聞きながら、未佳は教室を飛び出した。
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登場人物紹介

仁井谷未佳(にいたに みか)

中学三年生/14歳

誕生日 2/25 魚座

身長 155cm

睦月涼也(ムツキ スズヤ)

中学三年生/14歳

誕生日 8/31 乙女座

身長 168cm

風切叶(カザキリ カノ)

中学二年生/14歳

誕生日 4/5 牡羊座

身長 159cm

睦月綺咲(ムツキ キサキ)

37歳

誕生日 10/13 天秤座

身長 167cm

凛廻暁斗(リンネ アキト)

28歳

誕生日 11/10 蠍座

身長 181cm

彼名方 遥(カナタ ハルカ)

22歳

誕生日 5/28 双子座

身長 175cm

睦月ノーエ(ムツキ ノーエ)

58歳

誕生日 5/2 牡牛座

身長 160cm

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