第4話 未知との遭遇
文字数 2,389文字
涼也が何処へ向かったかは分からないが、叶が窓から飛び出したから恐らく外だ。
玄関で外靴に履き替え、学校の外へ出た。新緑の木漏れ日を浴びながら、校舎の脇を走っていく。
向かう先は、二人が見つめていた先——校庭。
グラウンドは広いが、遮蔽物はない。行けば二人を探せるだろう。
あの校舎の角を曲がれば、校庭はもうすぐだ。
「……っ、はあ、はぁ……!」
その寸前で、未佳は立ち止まった。
運動部でもない少女の体は、ここに来て休息を求めていた。暴れる心臓を、胸に手を当てて宥めながら、肩で激しく息をする。
——考えなしに駆け出したことを、少しだけ反省していた。
涼也と叶は、単純に教室から立ち去っただけだ。人間は、消えたりなんかしない。
なのに、世界からいなくなったとか、忘れてしまいそうだとか、妙な不安に襲われて、居ても立っても居られず教室を飛び出していた。
今思うと、なんて思い込みだろう。恥ずかしくて、二人に会ったらどんな顔をしようか悩んでしまう。
息が少し整ってから、ゆるりと歩き出す。
突然、足元が陰った。
(……え?)
鳥のように羽ばたき、通りすぎた影はあまりに大きかった。雨上がりにコンクリートに刻まれる自動車のシルエットほどはあった。それが、飛行機のように飛び去ることもなく、ぐるぐると未佳の上を動いている。
恐る恐る顔を上げて、絶句した。
それは、伸ばした前脚に蝙蝠の翼を生やしていた。蛇の如き角張った頭には、縦に割れた目がはまっており、口の端からは鋭い牙が覗いていた。
——竜だ。
作品上でしか見たことがない存在が、狙いを定める猛禽類のように、未佳の真上を旋回していたのだ。
本物なのかという疑惑は、飛竜が引き起こす風を浴びた今、もはや浮かんでこなかった。
(なんで……誰も、気付かないの!?)
こんなに大きければ、車からだって、校舎からだって見えるはずだ。
でも、誰にも見えていない。
悲しくも、未佳は解ってしまった。
涼也や叶と同じように、飛竜も見 え な い 存在なのだ。
あの竜に狙いすまされている今、同じように自分も見えなくなっているのだろう。
——逃げなければ。
がくがくと震える脚は、地面に縫い留められたように動かない。自分のものじゃないようだった。
岩を引き抜くようにして、やっと一歩、足が下がった。
だけど、それが精一杯だった。
その瞬間、飛竜が急降下してきた!
「いやああーーーっ!?」
嘘のように呪縛が解け、無我夢中で駆け出した。
全速力だったが、瞬く間に追いつかれる。飛竜は脚で少女を捕らえ、物凄いスピードで上空に舞い上がった。
悲鳴は、風鳴りに掻き消された。
ジェットコースターのように上空へ飛び上がる感覚がした。凄まじい風と荒々しい羽ばたきにもみくちゃにされ、内臓が暴れ、舌を噛みそうになる。
鷲掴みにされた胴体にかかる鉤爪が、骨を軋ませ、皮を食い破らんと突き立つ。見下ろした地面は、目が眩むほど遥か遠い。この爪に引き裂かれそうになっているのに、これが開かれたらと思うと血の気が引いた。
「だ、誰か! 助けて! 気付いて!!」
あまりに高空すぎて、飛竜の不認知効果がなくても、声は何処にも届きそうになかった。
引き裂かれそうな痛みよりも、落下の恐怖よりも、誰にも気付かれないことが一番恐ろしかった。
「誰か……助けて……っ」
涙が溢れて、ぽろぽろ落ちる。
このまま誰にも気付かれないで死ぬなんて、そんなの嫌だ。
「誰か、助けて——!!」
祈るように、掠れた声で声を上げた。
滲む視界で、落ちる涙を目で追った。
その先で黒い影のようなものが見えた。
すり切れた真っ黒のローブをまとい、身の丈ほどの漆黒の大鎌を持った骸骨。
——すなわち、死神。
(……死ぬのかも)
幻なのか、本当に死神なのか、もう何もわからない。
空洞の眼窩と目が合った気がした。
死神は、大鎌を振り上げ、まっすぐこちらに向かって飛んできた。
あっと言う間だった。
瞬き一つで距離が縮まり、大鎌は唸りを上げて振り抜かれた。
未佳の上——飛竜に向かって。
空気が裂ける音がして、鉤爪が緩まった。
空中に放り出され、空を見上げる形になった未佳は、翼が根元からなくなった竜を見た。
その飛竜が白い粒子に変わり、砂でできていたように霧散するまでを、見つめていた。
(……夢……?)
ぼんやりした気持ちは、背中に走った衝撃で吹き飛んだ。
息が詰まったが、咳き込んですぐ回復する。
「助、かった……?」
のんびりとそんな声を漏らしてから、違和感に気付く。
相当な高所から投げ出されたはずだ。地表に着くには早すぎるし、地面に着いたところでさすがに死んでいるはずだ。大体、人間は頭から落下するというが、背中から着地するなんて変だ。
自分は、何かに乗っている。
体を起こすと、硬い鱗に覆われた何かの動物の頭が見えた。両側で動くのは、蝙蝠のような一対の翼。
さっきまで、未佳を捕まえていたはずの飛竜だった。
「なっ、なんで……?!」
飛竜はさっき、粒子に砕けて消えたのを確かにこの目で見た。それなのに、なぜか翼も再生して復活している。
混乱するが、この高さから飛び降りるわけにも行かない。未佳は怯えながら、竜が向かう先に大人しく連れて行かれる。
飛竜は少女を威嚇するでも振り落とすわけでもなく、物静かな馬のように、元の場所——唯ヶ丘中学校の屋上に着地した。
ここで食われるかとも思ったが、飛竜はそれ以上、動こうとしない。
「……お、下りていいの?」
あんまりに静かなので、つい遠慮がちに問いかけたが、やはり返答はない。
おずおずと彼(?)の背中から下りると、仕方なさそうな声がした。
「……だから言ったじゃん」
振り向くと、青灰色の髪の少年——涼也の姿があった。
厳しい拒絶をしていた瞳は、今は、何処か戸惑っているように見えた。
玄関で外靴に履き替え、学校の外へ出た。新緑の木漏れ日を浴びながら、校舎の脇を走っていく。
向かう先は、二人が見つめていた先——校庭。
グラウンドは広いが、遮蔽物はない。行けば二人を探せるだろう。
あの校舎の角を曲がれば、校庭はもうすぐだ。
「……っ、はあ、はぁ……!」
その寸前で、未佳は立ち止まった。
運動部でもない少女の体は、ここに来て休息を求めていた。暴れる心臓を、胸に手を当てて宥めながら、肩で激しく息をする。
——考えなしに駆け出したことを、少しだけ反省していた。
涼也と叶は、単純に教室から立ち去っただけだ。人間は、消えたりなんかしない。
なのに、世界からいなくなったとか、忘れてしまいそうだとか、妙な不安に襲われて、居ても立っても居られず教室を飛び出していた。
今思うと、なんて思い込みだろう。恥ずかしくて、二人に会ったらどんな顔をしようか悩んでしまう。
息が少し整ってから、ゆるりと歩き出す。
突然、足元が陰った。
(……え?)
鳥のように羽ばたき、通りすぎた影はあまりに大きかった。雨上がりにコンクリートに刻まれる自動車のシルエットほどはあった。それが、飛行機のように飛び去ることもなく、ぐるぐると未佳の上を動いている。
恐る恐る顔を上げて、絶句した。
それは、伸ばした前脚に蝙蝠の翼を生やしていた。蛇の如き角張った頭には、縦に割れた目がはまっており、口の端からは鋭い牙が覗いていた。
——竜だ。
作品上でしか見たことがない存在が、狙いを定める猛禽類のように、未佳の真上を旋回していたのだ。
本物なのかという疑惑は、飛竜が引き起こす風を浴びた今、もはや浮かんでこなかった。
(なんで……誰も、気付かないの!?)
こんなに大きければ、車からだって、校舎からだって見えるはずだ。
でも、誰にも見えていない。
悲しくも、未佳は解ってしまった。
涼也や叶と同じように、飛竜も
あの竜に狙いすまされている今、同じように自分も見えなくなっているのだろう。
——逃げなければ。
がくがくと震える脚は、地面に縫い留められたように動かない。自分のものじゃないようだった。
岩を引き抜くようにして、やっと一歩、足が下がった。
だけど、それが精一杯だった。
その瞬間、飛竜が急降下してきた!
「いやああーーーっ!?」
嘘のように呪縛が解け、無我夢中で駆け出した。
全速力だったが、瞬く間に追いつかれる。飛竜は脚で少女を捕らえ、物凄いスピードで上空に舞い上がった。
悲鳴は、風鳴りに掻き消された。
ジェットコースターのように上空へ飛び上がる感覚がした。凄まじい風と荒々しい羽ばたきにもみくちゃにされ、内臓が暴れ、舌を噛みそうになる。
鷲掴みにされた胴体にかかる鉤爪が、骨を軋ませ、皮を食い破らんと突き立つ。見下ろした地面は、目が眩むほど遥か遠い。この爪に引き裂かれそうになっているのに、これが開かれたらと思うと血の気が引いた。
「だ、誰か! 助けて! 気付いて!!」
あまりに高空すぎて、飛竜の不認知効果がなくても、声は何処にも届きそうになかった。
引き裂かれそうな痛みよりも、落下の恐怖よりも、誰にも気付かれないことが一番恐ろしかった。
「誰か……助けて……っ」
涙が溢れて、ぽろぽろ落ちる。
このまま誰にも気付かれないで死ぬなんて、そんなの嫌だ。
「誰か、助けて——!!」
祈るように、掠れた声で声を上げた。
滲む視界で、落ちる涙を目で追った。
その先で黒い影のようなものが見えた。
すり切れた真っ黒のローブをまとい、身の丈ほどの漆黒の大鎌を持った骸骨。
——すなわち、死神。
(……死ぬのかも)
幻なのか、本当に死神なのか、もう何もわからない。
空洞の眼窩と目が合った気がした。
死神は、大鎌を振り上げ、まっすぐこちらに向かって飛んできた。
あっと言う間だった。
瞬き一つで距離が縮まり、大鎌は唸りを上げて振り抜かれた。
未佳の上——飛竜に向かって。
空気が裂ける音がして、鉤爪が緩まった。
空中に放り出され、空を見上げる形になった未佳は、翼が根元からなくなった竜を見た。
その飛竜が白い粒子に変わり、砂でできていたように霧散するまでを、見つめていた。
(……夢……?)
ぼんやりした気持ちは、背中に走った衝撃で吹き飛んだ。
息が詰まったが、咳き込んですぐ回復する。
「助、かった……?」
のんびりとそんな声を漏らしてから、違和感に気付く。
相当な高所から投げ出されたはずだ。地表に着くには早すぎるし、地面に着いたところでさすがに死んでいるはずだ。大体、人間は頭から落下するというが、背中から着地するなんて変だ。
自分は、何かに乗っている。
体を起こすと、硬い鱗に覆われた何かの動物の頭が見えた。両側で動くのは、蝙蝠のような一対の翼。
さっきまで、未佳を捕まえていたはずの飛竜だった。
「なっ、なんで……?!」
飛竜はさっき、粒子に砕けて消えたのを確かにこの目で見た。それなのに、なぜか翼も再生して復活している。
混乱するが、この高さから飛び降りるわけにも行かない。未佳は怯えながら、竜が向かう先に大人しく連れて行かれる。
飛竜は少女を威嚇するでも振り落とすわけでもなく、物静かな馬のように、元の場所——唯ヶ丘中学校の屋上に着地した。
ここで食われるかとも思ったが、飛竜はそれ以上、動こうとしない。
「……お、下りていいの?」
あんまりに静かなので、つい遠慮がちに問いかけたが、やはり返答はない。
おずおずと彼(?)の背中から下りると、仕方なさそうな声がした。
「……だから言ったじゃん」
振り向くと、青灰色の髪の少年——涼也の姿があった。
厳しい拒絶をしていた瞳は、今は、何処か戸惑っているように見えた。