第5話 大蛇

文字数 3,466文字

 涼也は、一度目を閉ざし、口を開いた。
「……言ったよね。ついて来ないでって。本当なら今頃、死んでた」
「……う、うん」
 子供に言い聞かせるような、静かで、厳しい物言い。
 付き合いが浅くても、見た目に現れていなくても、彼がひどく怒っているのは感じられた。
 未佳は、少年の目から逃れるようにうつむいた。
「……ご、ごめん。心配になって……来ちゃった。迷惑かけたよね。ごめんなさい」
 正直に言って謝ると、一拍の後、深い溜め息が聞こえた。
「……そっちじゃない」
「え?」
 顔を上げると、いつもの雰囲気に戻った涼也は、少しだけ呆れた顔をしていた。
「死にかけた人が言う言葉じゃない」
「そ……そうかな?」
「そう。……ちゃんと言わなかった俺が悪かった。ごめん」
 それだけ言うと、この話は終わりとばかりに背を向け、少年は歩いていく。
 行き止まりまで向かい、おもむろに屋上の縁に立った。そこから飛び降りそうな光景に肝を冷やすと、涼也は振り返った。
「隣に来て。一人だと危ないから」
「えっ? な、なんで?」
「移動するから」
「ま、まさか、飛び降りるの?」
「うん。大丈夫、受け止めるから。……急いで。叶を待たせてる」
 反省したのか、涼也は普段より説明を添えてくれたが、やっぱり肝心な部分がわからない。けれど、嘘は言っていないと思った。
 急かされて、未佳も恐る恐る彼の隣——屋上の縁に立つ。
 地上から吹き上げてきた風に煽られ、さっき高所の恐ろしさを体感したばかりなのに、また遠い地面を見下ろしてぞっとする。
 反射的に凍りつくと、手のひらに温かさを感じて、かろうじて振り向いた。
 エスコートするように手をとった涼也は、泣きそうな顔をしている未佳をまっすぐ見つめた。
「大丈夫」
 少年はそれだけ言うと、とんっと跳んだ。
 屋上の外——空中へ。
 手を繋いでいる未佳も引っ張られ、宙に舞う。
 一瞬の浮遊感のあと、すぐ何かの上に着地した。硬い緑の手応えは、さっきと同じく飛竜だ。
 助けてもらったのは二度目とはいえ、この竜との出会いは最悪だった。ひっと身を強張らせると、前に乗っている涼也が振り向かずに言った。
「大丈夫。この飛竜は()だから。さっき襲った奴とは別」
「べ、別?」
「うん。さっき、死神も見たと思うけど、あれも()
「ど……どういうこと? というか、何なの? この竜とか死神とか……生き物なの? 皆には見えてないんだよね? 何で襲ってくるの? 皆は襲われないの?」
 やっと、この不可思議な存在たちについて聞ける流れになって、いつの間にかすべての疑問を投げつけていた。
 涼也は前を見たまま、半分だけ答えた。
「……皆は大丈夫。『夢』の存在は、相手が認知していると襲いかかってくる。気付いてない人は襲わない」
「つまり、私が襲われたのは、竜が見えたから……?」
「そう。……あれを片付けたら、対応するから」
 そう言って、涼也は眼下に広がる校庭を指差した。
 未佳もその先を見て、さすがに夢かもしれないと思った。
 校庭を半分埋めるほどの巨体は青く、蛇のような鱗で覆われていた。千年樹の如き首の先には、車すら丸呑みするだろう頭部がある。それが、ひとつの胴体から九つも生えていたのだ。
 ぼんやりと思い出したのは、子供の頃に読んだ八岐大蛇の絵本だった。あれは、蛇にお酒を飲ませ、泥酔したところを討伐したんだっけ。確かに、酔っ払った頭が十もあれば絡まってしまいそうだ。
(……あれ? さっきより、一つ多い……?)
「未佳。伏せて、しっかり掴まってて」
「う、うん」
 指示されて慌てて伏せると、涼也は飛竜を大蛇に向かって接近させた。
 五十メートルぐらい近付いてから、巨大な蛇の周囲を飛ぶ小さな影に気付いた。
 黒と金の少女——叶だ。
 大蛇の三つの頭が、三面から少女を囲むように顎を開く。口腔から勢いよく噴き出した紫の吐息は、あっと言う間に空間を毒々しく染め上げる。
 だが、黒の少女はそこにはいない。
 すでに、毒の息が届かぬ場所まで移動していた。世界記録を大幅に更新するだろう一足飛びだ。
 叶は再び跳び、瞬く間に大蛇との距離を詰める。
 頭の上に着地すると、襲いかかってきた別の頭をかわし、さらに別の頭に乗る。
 フィギュアスケートの演目のような美麗な跳躍が繰り返され、やがて魔法のように、四つの頭が並んで校庭に伸び切った。
 頭を誘導した少女は、二本の指を揃え、腕を縦に振り下ろした。
 未佳は、そこに剣を見た気がした。
 並んだ頭が、一斉に切り落とされた。
 巨人の剣が振り下ろされたかのようだった。転がった頭は地に転がり、白の粒子に変貌して消える。頭をなくした大蛇の切断面は白く、血も出ない。
 未佳は唖然とそれを見ていたが、次の瞬間、声を上げていた。
 首たちが震え、切断面からそれぞれ二つ、頭が生えてきたからだ。
「えっ……!?」
「……十四になった」
 涼也が面倒臭そうに呟いた。
 叶が大蛇から距離をとった頃に合わせて、二人の乗る飛竜は彼女の隣に着地した。
「遅刻にも程があります」
 前を向いたまま、手ぶらの叶は言う。それから、こちらを一瞥して、猛然と振り返った。
「何故、未佳さんがいるのです?」
 これまで人形のようだった少女の顔に、うっすらと動揺が浮かんでいた。
 涼也は、言いたくなさそうに答えた。
「……未佳が襲われてて」
(アニマ)に? そうですか。涼也さん、弁明はありますか」
「……ない。叶が正しい」
 それ見たことかというふうに嘆息され、涼也は重い石を吐き出すように頷いた。
 そんなことより、未佳は慌てて叶に声をかけた。
「叶ちゃん、大丈夫なの? 落ちて、怪我してないよね?」
「何のことですか」
「ほら叶ちゃん、三階から飛び降りたから……」
「ああ……あの程度で怪我なんてしません。わたしは、あなたがたとは違いますし、そちらの物差しで測られても困ります」
「そっか……よかった。怪我してないんだ」
 その返答を聞いて、未佳はやっと胸を撫で下ろして笑った。
 確かに、さっきの凄まじい跳躍を見ていると、あの程度は準備運動なのかもしれない。これは、彼女の日常なのかもしれない。
 でも直前に、叶は涼也と言い争っていたようだったし、何かと不調の日もあるだろう。
 とにかく、言いたいことはひとつだ。
「無茶しないでね。調子が悪い日もあるかもしれないし」
 叶は、不可解なものを見るような目をしていた。
 これまで切り返すように即答してきた少女が、初めて黙り込んだ。
 まるで、知識にない言葉を投げかけられたヒューマノイドが、回答を検索できずに動作停止(フリーズ)したかのようだった。
「……自分の不手際で怪我をするほど、間抜けではありません」
 沈黙を誤魔化すように、叶は大蛇に向き直った。
 最初、九つだっただろう大蛇の頭は、今や十四となっていた。動きはのろく、今では蛇自身も首が絡まって困っていそうだが、頭の分だけ毒の吐息の範囲は広まるだろう。それに万が一、あの巨体に潰されたらお終いだ。
「未佳は乗ってて」
 涼也は一言言うと、飛竜から降りた。まるでハイタッチでもするように手を上げて、叶に言う。
「叶。もう一回、首を全部落として」
「寝ぼけているなら帰ってください」
「そしたら、体は燃やす」
「……一度に切れるのは四つです」
 明らかに涼也の言葉が足りていないが、叶は渋面のまま、少年と手を打ち合った。
 叶の姿が消えた。
 未佳が慌てて大蛇を見ると、すでに小さな影は、蛇の頭の上に着地していた。
 少女は、長い首の上を疾駆する。
 大蛇が背中の異物を振り落とそうと縦横無尽に暴れるが、叶は首から首へと飛び移り、受け流していく。
 ついに、四つの首が絡まった。
 天に向け伸び切った長い首に向け、少女が手を振り抜くと、さっきと同じように首は両断される。
 だが、そこからはさっきと違った。
 その断面に、突如、炎の手が上がったのだ。
 また首が生えてくるんじゃないかと見守るが、燃やされた断面はそのまま火に包まれ、倒れ伏した。
「……な、なんで燃えたんだろう……」
「……叶の力に、俺の(アニマ)の火を乗せてる」
 思わず呟くと、下の方から涼也が答えて、空を指差した。
 いつの間にか大蛇の上空に、四脚と一対の翼を持つ赤い竜が飛んでいた。大蛇より大きさは控えめだが、それでも校舎の高さを優に超える。びっしり並んだ牙の隙間から、小さく火が噴出しているのが見えた。
「最後です」
 自分たちの傍に下り立った叶が、空を斬る。
 すべての首を落とされた大蛇に向け、待機していた火竜が存分に吼えた。
 竜の炎が、大蛇を飲み込んだ。
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登場人物紹介

仁井谷未佳(にいたに みか)

中学三年生/14歳

誕生日 2/25 魚座

身長 155cm

睦月涼也(ムツキ スズヤ)

中学三年生/14歳

誕生日 8/31 乙女座

身長 168cm

風切叶(カザキリ カノ)

中学二年生/14歳

誕生日 4/5 牡羊座

身長 159cm

睦月綺咲(ムツキ キサキ)

37歳

誕生日 10/13 天秤座

身長 167cm

凛廻暁斗(リンネ アキト)

28歳

誕生日 11/10 蠍座

身長 181cm

彼名方 遥(カナタ ハルカ)

22歳

誕生日 5/28 双子座

身長 175cm

睦月ノーエ(ムツキ ノーエ)

58歳

誕生日 5/2 牡牛座

身長 160cm

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