第2話 向こう側

文字数 3,173文字

 授業が終わり、各々が部活動などに移動する中、涼也は早々に下校していた。
 駅前に続く道を、なんとはなしに歩く。いつもは()()()()で帰っているのだが、なんとなく徒歩を選んだのは、昼間の気の迷いのせいか。
(……友達か)
 とっさにそう言ったのは何故だろう。
 そういうことにしたら、ちょっとは許される気がしたからかもしれない。
 それは、些細な始まりで、小さな「約束」。
 常人の周りには、意識せずとも“始まり”が溢れている。チャンスを逃がしていたり、放棄していたりするだけで、“始まり”とはもっと身近なものだ。
 けれど、自分は違う。
 そもそも、“始まり”すらないから。
 学校の清掃時間になると、涼也はすぐに下校するのが常だった。
 人と合わせること自体が難しいのに、掃除当番などの連携作業は特に歩調を合わせづらい。参加しない方が——関わらない方が無難なのだ。
 仕方ない。
 自分は意識されることのない存在。いや、()()()()()()()()()()存在だから。

「——何故ですか」

 よく通る綺麗な声がして、足を止めた。
 前を向くと、ビルに挟まれた真っ赤な空が見えた。世界を燃やす炎のようなそれを見つめていると、その熱に燃やされて自分も溶けていくように思えた。
 駅前通りには大型商業施設が面し、それも相まって大きな通りとなっている。この時間帯は帰宅途中の学生やサラリーマンでごった返し、雑踏が絶えることはない。
 それでも誰一人、道のど真ん中に突っ立っている涼也に目を向けることはない。
 そんな中、ただ一人、じっと彼を見つめている少女がいた。
 絵画から抜け出してきたような、美しい少女だった。差し出した脚が颯爽とさばいた裾は、漆黒のプリーツスカート。闇色のゴシックワンピースに、腰まで伸びた金髪が鮮やかに映える。計算され尽くした造形の顔は無表情で、気高い姫人形のようだった。
 そんな美少女が道を歩いていたら、非常に注目を集めるだろう。
 それなのに、誰も彼女に目を留めない。
 かつかつと、ヒールの音が響く。
「……ここ、嫌いだと思ってた」
「あなたの次に嫌いです」
「……うん。俺も、好きじゃない」
 きっと、理由は同じだ。
 こんなに人が溢れている中に立っていると、嫌でも思い知らされる。この世界で、自分たちがどれほど透明であるか。
 やがて、ヒールの音は真横で止まった。
 束の間、雑踏が流れた。
「どういうつもりですか」
「何が」
「あなたが見えている方がいるでしょう」
 無表情の少女が端的に指摘したそれに、涼也は口を閉ざした。
「何故、記憶を消さないのですか」
「………………」
「いつもと何が違うのですか」
「………………」
「涼也さん」
 冷ややかな追及には、一切答えなかった。
 やがて黒の少女は、呆れたように息を吐いて、人混みに溶けていった。
(……分かってる)
 心の中でそれだけ返答して、歩き出した。
 憂鬱を抱えたまま、駅の正面にやって来た涼也は、聞いたことがある曲を耳にして顔を上げた。
 見上げたのは、交差点向かいに建つビルの大型ビジョン広告。そこでは、人気のシンガーソングライター『ハルカナタ』の抽象的なミュージックビデオが流れていた。
(そういや、今日リリースだったっけ)
 涼也にとって、世界は『向こう側の世界』だった。
 確かに自分はこの世界に立っているが、誰にも意識されることがない。
 テレビの中の情景を眺めているようなもので、世界と自分との間には、常に透明な壁があった。
 そんな『向こう側の世界』から、唯一届いていたのが音楽だった。数え切れないほどの人々が歌に乗せる想いが、直接語りかけてくるようで好きだった。
 長めの映像をぼんやり見つめていると、
「……もしかして涼也?」
 雑踏の中から名前を呼ばれた気がした。
 ——しばし、間を置く。
 普段まったく声をかけられないから、自分にかけられた言葉なのかすぐに判断ができないのだった。経験上、ほぼ聞き間違えだ。
 だから未佳に話しかけられた時も、返答までに必ず間があった。こればっかりはどうしようもない。
「涼也でしょ。髪の色、目立つし。ねえ、聞いてる?」
「……未佳」
 少女の声は真横までやってきて、有り得ないほど近くで名前を呼んでくる。
 やっと振り向くと、学校で隣の席の少女は無視されたと思ったのか、少しだけむっと眉を寄せていた。
 意識されないはずの自分を、まっすぐ直視してくる少女。

 これは、いわば()()なのだ。

 本当は、黒の少女に指摘されたように、この欠陥を修復しなければならない。
 一度目の会話は、驚きを宥めるので精一杯だった。
 二度目の会話でも、まだ半信半疑だった。
 三度目の会話で、ようやく理解して、これはまずいと思った。
 四度目の今、まっすぐ見つめられて、修復なんてできないと悟った。
 こんなにも直視されると——以後、その目がこちらを向かなくなると思うと、胸の奥が凍えるようだった。
「さっき、『ハルカ』のMV見てなかった? 好きなの?」
「うん」
「そっか! 仲間だね」
 少女の顔が、初めて見るくらい嬉しそうだったので、思わず食い気味に聞き返していた。
「好きなの?」
「うん、デビューした時から好きだよ。歌うのは全然だけど」
「………………」
 「カラオケに行くのは好きなんだけど」と、未佳は照れくさそうに笑った。
 涼也も『ハルカナタ』は好きだったけれど、余計なことを言いそうだったので、いろんな言葉を飲み下した。
「さっきの曲、ドラマの主題歌でしょ? 前作から好きだから、今回は『ハルカ』が主題歌って聞いて楽しみにしてたんだ」
「ああ……『Mr.ハロウィン』。途中、見損ねたから最後まで見てない」
 ざっくり思い出すと、Mr.ハロウィンという相手から届いた怪文書を巡るミステリードラマだったと思う。用事があって一話分見逃したのだった。録画するほど熱心に見ていたわけではないが、少し残念ではあった。
 苦い気持ちを思い出してつい饒舌に返すと、未佳は意外そうに目を丸くした。
「なら、DVD貸そっか? 持ってるよ?」
「え……」
「お母さんが大好きで、家にあるんだよ。全然貸してくれるよ」
 雷に打たれたような衝撃だった。
 家族や友人と普通の生活をしている少女は、気付きもしないだろう。
 物の貸し借りは、「約束」のひとつだ。
 約束は、未来があるからできる。
 彼女はこれからも、自分と関わるだろうと疑っていないのだ。
 そんな未来——
「……いいの?」
 気が付いたら問い返していた。
 でも、戸惑って『友達』とか先に言い出したのは自分の方か。
 未佳はただ、『友達』と約束をしただけだ。
「うん、もちろん。じゃあ、明日持ってくるから」
 未佳は、待ち合わせでもするように気安く頷いた。
 こっちの声音には多分、一生分の期待や、願望や、祈りが、ぐらぐらと不安定に乗っていたというのに。
 なんだかおかしくなって、涼也は小さく笑った。
「ありがと」
 自然に、言葉が転がり出た。
 未佳は少し目を丸くしてから、同じように笑った。
 ——今はまだ。
 ——もう少しだけ。
 だが、脳裏に浮かんだ淡い想いは両断された。
 生まれた時から身に刻まれている感覚が、反応する。
 何よりも優先される役目の前に、幻想は脆く崩れ去った。
(……(アニマ)の、気配)
「涼也? どうしたの?」
 少女が怪訝そうに声をかけてくる。
 だが、涼也は何も答えず、足早にその横を通り過ぎた。
 様子がおかしい少年を、未佳は反射的に追いかけようとする。
「えっ? 涼也、急にどうしたの?!」
(——来ないで)
 涼也が振り返ると、少女は怯えた顔で足を止めた。
 まるで少年の視線が境界を引いたように、二人の間には微妙な距離が残った。
 優しい時間は、終わりを告げた。
「俺に関わらないで」
 厳しい声音でそれだけを言い捨て、涼也は駆け出し、ビルの隙間の闇に消えていった。
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登場人物紹介

仁井谷未佳(にいたに みか)

中学三年生/14歳

誕生日 2/25 魚座

身長 155cm

睦月涼也(ムツキ スズヤ)

中学三年生/14歳

誕生日 8/31 乙女座

身長 168cm

風切叶(カザキリ カノ)

中学二年生/14歳

誕生日 4/5 牡羊座

身長 159cm

睦月綺咲(ムツキ キサキ)

37歳

誕生日 10/13 天秤座

身長 167cm

凛廻暁斗(リンネ アキト)

28歳

誕生日 11/10 蠍座

身長 181cm

彼名方 遥(カナタ ハルカ)

22歳

誕生日 5/28 双子座

身長 175cm

睦月ノーエ(ムツキ ノーエ)

58歳

誕生日 5/2 牡牛座

身長 160cm

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