第13話 境界を越える歌

文字数 6,837文字

 二人による護衛が決まった、その日の夕方。
 未佳は校門前で、自宅が反対方向の生徒に手を振り、別れたところだった。友達が背を向けるのを見送ってから、校庭沿いの帰途を歩き出す。
 昼過ぎに、雨が降り始めた。傘を持ってきてなかったので帰りはどうしようか悩んでいたが、下校時にはすっかり止んでいた。
 澄み切った空を吹き抜ける風が、洗いたての空気を運んでくる。未佳は清々しい気分で、大きく息を吸い込んだ。
(いつも、帰り道は一人だったけど)
 未佳、愛実、紗利奈の三人は、性格もばらばらであれば、部活もばらばらだった。
 バスケ部の紗利奈は、最後の大会に向けて練習に励んでいる。吹奏楽部の愛実も、相変わらず日々の練習が大変そうだ。そして美術部の未佳は、二人ほど忙しくはないが文化祭までは作品制作している。三人で登校はすれども、揃って下校するのはテストの日くらいだった。
 けれど、
(明日から、叶ちゃんと帰れるんだ)
 護衛とかいう大層な話は置いておいて、未佳は叶と帰れることが楽しみだった。涼也は毎日のように顔を合わせているが、叶とは学年も違うし、なかなか話す機会がなかったからだ。
 もっと話したいなんて言ったら、使命に忠実な少女は今朝のように渋い顔をするに違いない。でも二人きりなら、好きに話しかけても怒られないだろう。
 叶の好きなものは何だろう。ファッションの話は好きかもしれない。お菓子は何が好みだろうか。好きな飲み物は? 音楽やドラマは嗜むんだろうか。あと、髪の手入れや服のこだわりも聞いてみたい。
 わくわくしながら歩くうち、街路樹が途切れた。
 視界が開け、やおら眩しくなって目を細める。
 遠くの高層ビルに挟まれた建物の向こうで、夕焼けが燃えていた。風景にべったり絵の具を塗りたくったように、すべてが紅色に染まっている。
 見惚れるほど赤い夕日は、商店街で出会った真っ赤な瞳を思い起こさせた。

 ——『境界者(ニアルタ)は、遠くない未来に滅びる』

 あれは、どういう意味だったんだろう。
 言葉通りだとして、まったく現実味がなかった。涼也も叶も綺咲も暁斗も、まだ生きているのに。
 ましてや、境界者(ニアルタ)である暁斗自身が言うなんて。
 それに、普通の人間に、境界者(ニアルタ)を認知させる方法があると言っていた。
 涼也と叶は、知っているのだろうか。
 もし、方法があることを知った上で、使命のために関わらない生き方をしているのだとしたら、なんて切ない選択だろう。
(……そう思うのは、私が普通の人間だからかな)
 本人たちは、今のままで良いと思っているのだろうか。
 未佳が寂しい気持ちで歩いていると、ふと正面から来る通行人に気が付いた。
「——姐サンってば厳し~ッス。コッチも頑張ってるんスよぉ~」
 独特の口調と中性的な高音。
 ホログラムステッカーが貼られた派手なピンクのスマートフォンを見ながら、ゆらゆら歩いてくる細長い人は、遠くからでは男なのか女なのか分からなかった。
 もうすぐ五月になるというのに、鮮やかなミントグリーンのロングカーディガンを着ているのが印象的だった。
「総力を上げて捜索中ッスよぉ。パパが。ま、入ってきたコトに気付けなかったんで、探せる気がしないんスけど~」
 独り言かと思えば、三歩ほどの距離まで近付いたところで、耳にワイヤレスイヤホンをつけているのが見えた。どうやら通話中らしい。
 夕焼け色で遠目には見えづらかったが、その人物は、すみれの花のような紫色のショートヘアをしていた。巻かれた黒いバンダナは後頭部で結ばれ、歩くたびに端が揺れる。
 叶がモノトーン、綺咲がナチュラルカラーなら、この人はカラフルでポップなカラーパレットだろう。いくつもの色彩が破綻なく同居している様は、我が強い者達が、この人を介したら言うことを利くようでもあった。
 近距離で見ても、性別は判然としない。男と言われれば男だし、女と言われれば女に見える。恐らく二十代の若者であることだけが分かった。
(どちらにしても、可愛くて、おしゃれな人だな……)
 思わず目で追うと、すれ違う瞬間に目が合った。
 ……いや、正確には、


 若者の目は、長い前髪が覆い隠していて、まったく見えなかったからだ。
 それでも、なんとなく、見られたという気がした。
「……あれ?」
 そう思っていたら、若者が足を止めた。
 つられて未佳も立ち止まると、若者はイヤホンを外して「やっぱり!」と詰め寄ってきた。
「キミ、目が合ったッスよね! 見えてるッスよね!?」
「え……そ、そうですね?」
「ッスよねぇ! うわ~~、見える人に会うの、久しぶりッス! 祝うしかないッス! あ、そーゆーワケで姐サン、また後で!」
 一方的に言い放って通話を切ると、若者は未佳の手をとって、来た道を戻り始めた。
「えっ、あの!?」
 見知らぬ人に手を掴まれたのは、これで二度目だ。暁斗の時と違い、人懐こい気配だったからつい油断したが、少し怖くなった途端、若者がにやりと振り返った。
「これからハルのお祝いライブやるんで、ぜひ見てってほしいッス!」
「ら、ライブ? この辺りで?」
 急な展開に戸惑う未佳そっちのけで、若者は携帯電話を軽く操作すると、新たな相手に電話をし始めた。
「あ、パパ? 中央公園でライブするから、トラック頼むッス。なる早で! ……え~~、良いじゃないッスかぁ。警察が来る前には終わらせるッスよぉ」
(へ、変な人に捕まった……)
 数分後、未佳の帰宅ルートからやや逸れた場所にある公園に着いた。
 区の中心部にある唯ヶ丘中央公園では、普段からイベントや祭りが行われるため、車両を入れやすいように入口の大広場はコンクリート舗装されている。
 がらんとしたそこに、一台の中型トラックが乗り込んでいた。
 いわゆる、ステージトラックと呼ばれるものだろう。荷台の側面が大きく開かれており、中は空っぽだった。壁面と上部に持ち上がったパネルには照明が並んでおり、二色のライトがステージを彩る。舞台の左右にはスピーカーが立っていて、簡易ながらしっかりとしたステージのようだった。
「さっすがパパ、仕事が早い~! ステージ前で待っててッス!」
「は、はあ……」
 とりあえず指示された通り、ステージ前に立つ。若者は、鼻歌を歌いながら慣れた手つきで準備していく。
 午後五時になろうとしている園内には、未佳と同じく帰宅途中の学生や、ジョギングする男性などがいて、静かで穏やかな雰囲気だった。時折、ステージトラックに気付いて何かイベントがあるのかと様子を窺ってくる通行人もいる。
(み、見られてる……)
 一人、ステージ前で何かを待っている未佳は、結構目立っていただろう。自分も何が始まるか分かっていないので、居たたまれない気持ちでそわそわしてしまう。
 若者はライブと言っていたが、ギターのような楽器もなければ、マイクスタンドもない。若者が片手に持っているのはマイクだけで、ライブというより屋外カラオケのような体だ。友人たちのカラオケに付き合うようなものかと思うと、急に微笑ましく思えてきた。
 準備が終わったらしい若者が、ひょいとステージに乗り上がり、くるりと未佳を振り返った。
「そんじゃ、始めるッスよ~! ハイ、パチパチ~!」
「わ~」
 促されるまま手を叩くと、ぱちぱちと控えめな音が空虚に響く。
 スマートフォンを操作し、若者は、すぅと息を吸った。
 ——ゆるりと、空気が変わった。
 スピーカーから流れ出したクールなイントロは、知っていた。
(『エニグマ』だ……)
 巷で人気、未佳も友人たちも聞いている『ハルカナタ』の新曲。疾走感のあるリズムとミステリアスな雰囲気に満ちたドラマの主題歌だ。未佳も、耳に馴染むほどリピートした曲である。
 ほどなく歌い始めた若者の歌声は、音源で聞き慣れた声とよく似ていた。
 『ハルカナタ』の特徴である不可思議な音階、男声にも女声にも聞こえる声。歌い方の癖までそっくりで、生歌だからこその揺れさえある。
 これじゃ、まるで……
(——本物……!?)
 サビが終わった頃には、若者のつくる空気に呑み込まれていた。
 その事実以上に、若者から放たれる圧倒的なオーラが心を掴んで離さない。のびのびと自由に歌う若者の姿は、煌びやかなステージでスポットライトを浴びる歌手そのものだ。
 感動と驚きで放心している間に、二曲目が始まって、いつの間にか周囲に大勢のギャラリーができていたことに気が付いた。
 未佳の真横で目を輝かせていたのは、ちょうど部活帰りだったらしい愛実だった。
「ミカリン! あの人、絶対『ハルカ』だよね!?」
「だ、だよね! やっぱりそうだよね!?」
「絶対そう! あんな声、他にいるわけないよ! 紫の髪がめっちゃ『ハルカ』って感じ! うそ~~! 信じらんない~!」
 頬を紅潮させる愛実と手を取り合って、興奮のままはしゃいだ。
 即席の大勢の観客たちと、一緒に手拍子してひとつになる。
 二曲目が終わり、存分に喝采と指笛が響き渡った。そのまま三曲目が始まり、歓声が上がる。
 だが、きらめくような時間は突如、終わりを告げた。
「——あ、やば!」
 歌の途中で、若者が突然、空を仰いだのだ。
 しん、と音が止んだ。
 世界から音が消えたようだった。
 辺りを見渡すと、あんなに熱狂していた人々は、まるで夢から覚めたように呆然としていた。それぞれ首を傾げながら、散り散りに立ち去ろうとする。
 隣にいた愛美でさえ、ぱちくり瞬きをして、不思議そうに未佳を見た。
「あれ? ミカリン、まだ帰ってなかったの〜?」
「え……」
「あああ、キミも早く帰った方が良いッス!」
 慌てた様子で駆け寄ってきた若者が、未佳に話しかける。
 途端、こちらを覗き込んでいた愛美の表情が消えた。友人は視線を外すと、無言で立ち去った。
 まるで、突然、未佳を忘れたような素振りだ。
 心がぞっと冷え込むと同時に、混乱する。
 だって、この現象は——
「キミも、聞いてくれてありがとうッス! じゃあ、キミも忘れましょーッス!」
 若者は口早に言うと、未佳の両肩を掴んだ。
 近距離で、長い前髪の向こうから見つめられたことだけは感じた。
 アシンメトリーの髪型がおしゃれだなと眺めていたら、若者が一人で飛び上がった。
「えええッ、記憶封印が効いてないじゃないッスか! 眠り花(ドローズ)!? じゃあキミが、噂のミカちんッスかぁ!?」
「み、みかちん? 確かに私は未佳ですけど……、?!」
 反射的に答える途中で、若者は少女の手を取って駆け出した。つられて未佳も走り出すも、運動部でもないから引っ張られる形になる。
 だが、先ほどライブが終わって、何も知らない観客たちが解散している最中だ。人混みを無理やり泳いでいくが、なかなか前に進めない。
「あああ~~~タイミング最悪ッス! こーなったら……」
 すぅ、と若者が息を吸った。
「——スミマセン!! 自分たちド田舎に住んでて、あと五分で駅に行かないと終電に間に合わないんです! 道を開けてくださーい!!!」
 大声が響き渡って、この場にあふれていた人々全員が、若者を振り返った。
 ややあって、前方の人垣が徐々に道を開けてくれ、なんとか通り抜けられそうな道ができた。
 「ありがとッス! サンキュッス!」と言いながら駆け抜ける若者に引っ張られ、未佳はいろんな声を聞いた。
「あの人、紫の髪が綺麗だね」
「なんでこんなに人がいるんだろう?」
「あれ、ミカリン?」
「なんか空に何か見えなかった?」
「暑いよ~」
(空……?)
 耳に残った単語につられて、後ろを肩越しに見た。
 通ってきた道は、すでに人混みに埋められ跡はない。大勢の人がこちらを注目していて、その人垣の向こうの空に何か影が横切った。
 そうしているうちに人混みを抜け、公園の外に出た。人気がない方に走りながら、若者が大きく息を吐き出した。
「っはあ~!! さすがに連チャンはしんどいッス! ああ、距離が近すぎるから一撃は覚悟しないといけないッスね。さ、ここからが本番ッスよ!」
 スマートフォンを一瞥してポケットにしまうと、若者は言った。
 本番と言われても、状況がまったく理解できていなかった。
 若者に急かされて、促されるまま引っ張られてきただけだ。しかも、どうも若者は好きな歌手らしいし、変な現象も起こっている気がするし、とにかく未佳は混乱していた。
 走りながらぐるぐる考えて、尋ねた。
「……しゅ、終電、間に合いそうですか?」
「エッ、天然ちゃんッスか!? この状況で大物ッスねぇ! あれは道を開けてもらう方便ッスよぉ~!」
「な、なるほど?」
「あと本番は、五分で駅に行くより大変ッス。今に、ほら——来たッスよ!」
 若者は猛然と振り向くと、未佳の肩を抱いて横に飛び退いた。
 さっきまでいた場所を、ごおっと凄まじい熱風が撫でた。まるで、突っ込んできた自動車を避けたような感覚だった。
「上ッス!」
 顔を上げると、前方の空に大きな影があった。
 ——鳥だった。道向こうのマンション中層階の横を飛んでいるのに、ここから見ても人の頭ほどある。


 広がった翼と長く伸びた尾羽は、沈みかけの夕陽を跳ね返して赤く輝き、炎をまとうよう。赤い孔雀のような美しい鳥は、伝説の火の鳥のようだ。
 それを理解して、ようやく事態を呑み込んだ。
 有り得ざらぬ獣。夢の力をもとに、現実に生まれ落ちた異界の獣。
 ——(アニマ)
「今日の(アニマ)ガチャは、引きが最高ッスねぇ! 鳥種のSSRと見たッス。きっと図体がデカいから、急な旋回ができないんスねぇ。今のうちに移動するッスよ!」
 呆然と座り込んでいると、若者が手を差し出してきた。
 未佳はその手のひらを見つめてから、若者を見た。
 さまざまな疑問はあるけれど、若者に話しかけられた瞬間、愛実に認知されなくなったことが印象的だった。
「あの、貴方も……境界者(ニアルタ)なんじゃ?」
「ん? そーッスけど……ああ、ハルは(アニマ)をどうこうする力はないッスよ? 逃げるしかないッス!」
「え……ええっ!?」
 これまで出会った境界者(ニアルタ)は皆、何かしら対処する術を持っていたから、あっけらかんと希望を打ち砕かれて、未佳は泣きそうになった。
 東から迫る紺碧の空を切り裂いて、巨鳥は舞い戻る。宵天に翔ぶ炎の鳥は、一枚の絵画のように美しかった。
 若者は、どんどん近付いてくる鳥を見上げて……それから何かに気付いて、安心したように肩で息を吐いた。
「あ、やっと来たッスね」
「な、何が?」
 未佳が手をとって立ち上がると、若者は笑った。
「お疲れさんッス。もう逃げなくて大丈夫ッスよ。ほら」
 すっと指差したのは、こちらに向かってくる炎の巨鳥。眩しくて熱くて、まるで太陽が落ちてくるようだった。
 その背後に、同じような影が大きく弧を描いたのが見えた。
「狩人が来たから」
 火の鳥と自分たちの間に、大きな影が割り込んだ。
 太い影はうねり、巨鳥を掻き抱くように巻きつく。それは一本、二本、どんどんと数を増やしていき、まるで蛸に捕獲されたように、鳥はがんじがらめになっていく。何本も見えた腕には、びっしりと吸盤が並んでいたような気がした。
 存分に締めつけられた巨鳥の形が歪んで、動きを止める。
 やがて、するりと触手が引くと、鳥は白い光に分解されて崩れていった。巨大な姿が一斉に光になると、まるで星を散りばめたようだった。
 さっきまで怖くて、一歩間違えたら本当に死んでいたかもしれないのに、のん気にその光景に見惚れた。
 (アニマ)は、夢の力で生まれる。
 それなら、この光も「夢」なんだと思うと、なんだか幻想的に思えた。
 星のきらめきに見入っていると、真横に羽ばたきとともに影が着地した。さらにその上から、細身のシルエットが地面に下り立つ。
「何をやっているの、(ハルカ)
 乗ってきた飛竜の姿を解除し、若者に近付いたのは、見知った青灰髪の女性だった。
「き、綺咲さん」
「姐サン、助かったッス~! 『アニマップ』で近くにいるのは見えてたッスけど、SSRをどうするのかと思ってたッス! さすがベテラン!」
 スマートフォンで地図アプリを見せて若者が親しげに声をかけると、綺咲は嘆息した。
「どうせまた、ライブでもして(アニマ)を呼び寄せたんでしょう。いつもなら記憶を消して自分だけ逃げればよかったけれど、今回は未佳ちゃんだった。事の重大さ、分かってるの?」
 綺咲が厳しく冷ややかに言う内容は、未佳にはよく分からなかった。
 しかし、若者は途端に顔を真っ青にさせたのだった。
「あああ、ノーエ婆サンには秘密にしてほしいッス……! パパにもめっちゃ怒られるッス! ハル、めちゃくちゃ反省してるんで! ってコトで、ミカちん!」
「は、はい!」
 急にばっと振り返った若者の語気に圧倒されて、反射的に元気よく返事をする。
 若者は、ぐっと拳を握って言った。
「回らない寿司屋に行くッスよ!!」
「……はい?」
 未佳は、今日一番の疑問符を浮かべた。
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登場人物紹介

仁井谷未佳(にいたに みか)

中学三年生/14歳

誕生日 2/25 魚座

身長 155cm

睦月涼也(ムツキ スズヤ)

中学三年生/14歳

誕生日 8/31 乙女座

身長 168cm

風切叶(カザキリ カノ)

中学二年生/14歳

誕生日 4/5 牡羊座

身長 159cm

睦月綺咲(ムツキ キサキ)

37歳

誕生日 10/13 天秤座

身長 167cm

凛廻暁斗(リンネ アキト)

28歳

誕生日 11/10 蠍座

身長 181cm

彼名方 遥(カナタ ハルカ)

22歳

誕生日 5/28 双子座

身長 175cm

睦月ノーエ(ムツキ ノーエ)

58歳

誕生日 5/2 牡牛座

身長 160cm

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