第21話 子供と大人

文字数 3,821文字

 未佳が目の前に立ちはだかった時、体の芯が冷え込んだ。
 飛竜が壊されたのを見て震えていたのに、その瞬間、それでも少女は動いたのだ。
(……なんで)
 幸いにも、未来は少女を生かした。
 からからに干上がった喉では名前しか呼べなかった。暁斗がいなかったらどうなっていたのか、考えたくもなかった。
 結局涼也は、すべてが終わるまで、酷い頭痛と倦怠感でろくに動けなかった。
「涼也!」
「涼也さん……!」
 騎士が完全に消えた後、未佳が泣きそうな顔で、叶が物凄い目つきで駆け寄ってきた。
 そのまま、主に叶の嫌味が始まりそうな空気を、暁斗の声が切り払った。
「涼也も叶も、久しぶり。見違えた」
 男性は、少女たちが近寄ってくるのに合わせ、数歩少年から離れていた。
 そこから敵意も何もない平凡な挨拶をされ、叶はとっさに未佳の前に立った。現在、この男から護衛している旨を考えれば当然だった。
 警戒する黒の少女に、彼はまるで子供に言いつけるように告げた。
「今日……いや、明日までは何もしない。護衛は休んで良い。叶はその子と、学校に帰るんだ」
「……暁斗さん。あなたは今、要注意人物です。そんな相手の指示を聞くとでも?」
「休戦だと言っているんだ。涼也をそのままにしておけないだろう。僕が送るから、君たちは帰るように」
 静かな口調なのに、有無を言わさぬ不思議な迫力があった。
 叶も、そして未佳も何か言いたそうだったが、やがて二人は気が進まない様子で立ち去った。
 残されたのは、涼也と暁斗だけ。
「大きくなったな、涼也」
 暁斗は淡く微笑んだ。さっき未佳に見せたものとは違う、自然な笑みだった。
 彼が最後に見た少年は九歳だったから、当然の感想だっただろう。だが涼也から見ると、暁斗は五年前と何も変わっていなかった。
(……暁斗兄さん)
 未佳が襲われそうになった瞬間、正義の味方のように現れたのは偶然じゃない。
 彼は、自分たちが護衛を始めた頃から、ずっと傍にいたのだ。息を殺し、遠くから好機を窺っていたのだろう。
 涼也が返答せずに用心深く見つめていると、暁斗は仕切り直すように真剣な顔になった。
「一つだけ、言っておく。綺咲さんが心配していた。最近、涼也が夜中に家にいないと」
「………………」
「『そんな生活』では体を壊す。今日のようなことも起こり得る。後悔してからでは遅いだろう」
「……でも」
「夜は何もしないと約束する。今日からは、ちゃんと寝るように」
 落ち着いた声色で紡がれたのは、諭す言葉。
 少女たちを帰らせてから話したのは、寝ずの番を秘密にしている自分を気遣ってのものだろう。
 無茶をした子供に、それではいけないと注意するそれは、懐かしい香りがした。
 埃を被って見えなくなっていた記憶が、一つずつ浮かび上がってくる。
 (アニマ)の使い方を覚えたての頃、強くなった気がして力を使いすぎ、倒れた自分に、彼は同じような声音で言い聞かせた。
 体調が悪い少年を気遣って余分なことは言わないのも、あの時と同じだ。
 暁斗は、真面目で、面倒見が良い人だった。
(……変わってない、のに)
 どうして、こんなにも距離を感じるのか。
 何か決定的なものが、二人の間に横たわっていた。
 少年への心配も、約束も、本当だろう。だが、言外が語るのは、護衛の判断は間違っていなかったということ。
 つまり、彼が未佳を捕らえようとしているのも真実なのだ。
(……でも、ならなんで)
 何故、暁斗は、何もせず未佳を帰したのか。
 暁斗にとって、護衛の片方が動けないことは幸運のはずだ。だが赤い瞳の男性は、あっさり少女を見送った。まるで、未佳を捕縛することより、酷い顔色をしている涼也の方を優先したかのようだった。
 まったく意図が読めない。彼の本心が何処にあるのか分からない。
 答えを求めて暁斗を見ると、その背後にじわりと影が滲んだ。空気を押しのけて形を成したのは、以前涼也が大蛇を倒す際に生成した大きな赤竜だった。
 男性は、上位の竜種を見上げ、溜め息を吐いた。
「……違う。普通のでいい」
 その独り言で巨影は白い光に帰り、今度は見慣れた飛竜が現れた。
 (アニマ)の鋳型は抽選箱だ。睦月家は夢の力の操作で狙ったものを生成するが、それ以外の者は運頼みである。
 今のは、暁斗は確率が高い低位の飛竜でよかったのに、たまたま高位の竜種を当ててしまい、作り直したらしい。
 反対に、先ほど騎士の力を浄化した天使は、凛廻家の『夢を形にする』能力で鋳型を自作し、生成した(アニマ)だった。それなら確実に欲しいものが作れるが、時間もかかるし大変だと母づてに聞いた。
 飛竜に乗るように促され、平衡感覚が覚束ない中、涼也はゆらりと立ち上がった。暁斗に引っ張り上げられながら、その後ろに乗る。彼らを乗せた幻の存在は、力強く天に舞い上がった。
 頭痛は酷く重かったが、髪を撫でていく空を渡る風は、優しくて気持ちよかった。
 そのまま、暁斗の背中に突っ伏して眠ってしまいそうだった。それはさすがに恥ずかしいので、涼也は意識して口を開く。
「……暁斗兄さんは……なんで、いなくなったの。五年前、何があったの」
 不可解な兄の行動のすべては、そこに集約されている気がした。
 振り向かない暁斗が、小さく笑う声がした。
「綺咲さんは、話さなかったのか」
「……本人に聞けって」
「あの人らしい。だが、今は話さない。そんな体調の子どもに話すには、長すぎる」
「もう子どもじゃない」
「寝不足で遅れをとるような中学生が?」
「………………」
 反射的に言い返したが一蹴され、涼也は黙り込むしかなかった。
 子供の頃より大人になったつもりなのに、突きつけられた現実は情けないほど幼稚だ。頑張ろうと背伸びをして、身が持たなくて、結局大人に——しかも、一応敵対している人に助けられている。
「……なら、なんで未佳に近付いたの」
 惨めでも、食い下がった。今しか聞けない気がしたからだ。
 思い出した優しい記憶と同じように、穏やかな時間が流れる、今しか。
「綺咲さんのことだ、僕の目的は推測しているだろう。遠からず当たっているはずだ。聞いたんだろう、眠り花(ドローズ)と睦月家のこと」
「……うん」
 暁斗は、それ以上話さなかった。
 母が言うには、眠り花(ドローズ)は、市外に出さないように管理されているらしい。〈花〉は低頻度で感染するそうで、不用意に「見える者」を増やさないためだとか。
 そのため彼らは、彼名方家の管理区域である天海市からの外出・転出は許可されない。その場合、『ニルバナ』が多種多様な手段で丸め込むそうだ。
 そうやって囲い込んだ眠り花(ドローズ)の処遇を決めるのは、長たる睦月家。
 つまり、暁斗がやろうとしていること——眠り花(ドローズ)を捕らえるということは、睦月家に対する反逆行為だと言うのだ。
「………………」
 それでも暁斗の目的はわからないし、末裔の少年には、まだ家の役目だとかの重要さは分からない。
 ただ、それを聞いた時から、胸にわだかまる『もや』がある。
 少女の笑顔が頭を過ぎって、霧はいっそう濃度を増した。
(……未佳は、普通に過ごしてるだけなのに)
 動物を飼い殺すように。あるいは、道具を扱うように。眠り花(ドローズ)が人間であることを忘れているような数々の所業が、ちくちくと胸を刺す。
 暁斗の手から未佳を守るということは、睦月家の立場を守るということ。
 結果的に自分も、くだらない抗争に加担していることが、ひどく居心地が悪かった。
 程なくして、飛竜は静かに降下していく。
 涼也の家は、未佳と同じ地区にある。飛竜は、住宅地の端にある平屋の正面に下り立った。
 白壁と緑屋根で構成された小さな一軒家は、もちろん彼名方家——『ニルバナ』の指揮で建築されたらしい。涼也が生まれた頃の最新の設備と、控えめな庭に張り出したウッドデッキなど、母のこだわりが詰まっている。
 飛竜から降りると、涼也は意識的に地面を踏みしめて歩き出した。
「……送ってくれて、ありがとう」
 お礼だけ言って玄関に近付いた。
 後ろから掛けられた一言は、背中を突き刺すようだった。
「もし、あの子が助からなかったらどうしていた?」
 上手く呼吸ができなくて、肩越しに兄を見た。
 真摯にこちらを見つめる夕焼けの瞳は、揺れる火のようだった。
 自分がどんな顔をしていたか分からない。だが、暁斗は答えをもらったように、そのまま飛竜で飛び去った。
「………………」
 一人になった涼也は、胸に手を当てた。
 体を穿ったのは、彼の言葉ではない。なんとか頭の外に追いやろうとしていた自責の念だ。
(俺が、連れて行ったから。俺の調子が、悪かったから)
 もし、そのせいで、少女がひどく傷付いていたら。
 そう思うと、深い穴の淵に立たされたようだった。底が見えない闇を見下ろすと、吹き上げる風に身が凍る。
 そこに落ちていたら、どうなっていたのだろう。
 闇からなんとか目を逸らして、涼也は顔を上げた。
(……怖い思い、させたくないのに)
 

、自分のせいで、大事な人を傷つけそうになった。
 明日、未佳に謝らなくては。でもきっと彼女は、そんなことより自分を心配してくるだろう。
 その様がありありと想像できて、つい笑みが浮かんだ。
(……未佳が、無事でよかった)
 それを噛み締めて安堵したら、気が抜けた。
 波のように押し寄せた眠気に、矮小な意識は呆気なく飲み込まれた。

 その後、玄関前で地面に突っ伏して寝ていた涼也は、帰ってきた母の(アニマ)で室内に運び込まれたのだった。
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登場人物紹介

仁井谷未佳(にいたに みか)

中学三年生/14歳

誕生日 2/25 魚座

身長 155cm

睦月涼也(ムツキ スズヤ)

中学三年生/14歳

誕生日 8/31 乙女座

身長 168cm

風切叶(カザキリ カノ)

中学二年生/14歳

誕生日 4/5 牡羊座

身長 159cm

睦月綺咲(ムツキ キサキ)

37歳

誕生日 10/13 天秤座

身長 167cm

凛廻暁斗(リンネ アキト)

28歳

誕生日 11/10 蠍座

身長 181cm

彼名方 遥(カナタ ハルカ)

22歳

誕生日 5/28 双子座

身長 175cm

睦月ノーエ(ムツキ ノーエ)

58歳

誕生日 5/2 牡牛座

身長 160cm

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