第9話 魂(アニマ)使い
文字数 3,620文字
「……ふう」
飛竜が空へと消えていくのを眺めて、未佳はやっと肩の力を抜いた。
涼也が操っているのはわかっているが、あの緑色の竜に襲われた時の恐怖は色濃く張り付いていて、いまだに体が身構えてしまう。
(それに……)
さっきまで一緒にいたのに、飛竜に乗る少年は別人のように思えて、心が落ち着かなかった。
——境界者 、というものを理解はした。
けれど、自分が知る涼也は、教室で居眠りするぼんやりした少年でしかない。
「……机に寝そべってる方が、似合ってるよ」
誰にともなく呟いて、未佳は歩き出した。
スマートフォンを取り出して時間を見ると、十一時過ぎだった。朝、抜き打ちでやって来て、昼には早い時間で別れるなんて勝手すぎる。境界者 たちには、世間の時間感覚もない。
仕方ないから、新しいお店でも見て帰ろう。それから、コンビニでお菓子を買って帰宅しよう。
歩きながら計画を立て大通りに出ると、横から何かがぶつかった。
「わっ……」
誰かがぶつかったらしいが、未佳が受けた衝撃は少なく、倒れたのは相手だけだった。
驚いて振り向くと、小柄な少年が尻餅をついていた。
幼さが残る顔は小学校高学年だろう。細身の身体に背負った大きなリュックサックは、担いでいるというより担がされているよう。半袖シャツとハーフパンツから伸びる手足は、初夏なのにもう日焼けしている。
未佳にとっては、よく知った顔だった。
「あれ、宙良 ?」
「なんだ、姉ちゃんかよ! 急に横から出てくるなよ~」
相手が未佳だと分かると、途端に少年の表情が砕けた。強張っていた頬を緩ませ、肩で息を吐く。
「普通に歩いてただけだよ……宙良こそ、よそ見してたんじゃないの?」
はい、と手を差し出しながら言うと、少年は「一人で立てる!」と言い返して立ち上がる。重心が後ろにあるせいか、少しふらつきながらも彼は起き上がった。
弟の身長は、未佳よりも一回り小さい。小学五年生の仁井谷宙良は、ふんと胸を張った。
宙良が背負っているリュックサックは、彼が毎日学校に行く時にも担いでいるものだ。部活動——サッカー部の装備一式が入っている。
部活動の帰りだろうが、しかし……
「……こんなところで何してるの?」
確かに、今日は土曜日だけど、午前中に部活があると言っていた。
けれど、部活練習は九時から十一時だとは聞いていたし、そもそもここは家の方向とは真逆だ。
弟は、後ろの方を指差した。
「今日の部活、総合運動公園だったんだよ。他の学校との対抗試合だったから」
「ああ、そうなんだ。勝ったの?」
「もちろん!」
宙良は得意げに胸を張った。
美星通り商店街の近くには、唯ヶ丘総合運動公園がある。宙良が汗を流してきただろう運動場を始め、体育館やプール、ウォーキングコースなどもあり、スポーツはもちろん、祭りやイベント会場にも使用される広大な公園だ。未佳が生まれる前に天海市主導で建設したものだが、『ニルバナ』の支援がなかったら今頃なかったらしい、と両親が話していた気がする。
(この商店街の再開発も、『ニルバナ』の援助なんだっけ……)
——ニルバナコーポレーション。
産業機械、通信技術、エネルギー産業、エンターテイメント等と、多岐にわたる事業を展開する国内屈指の企業だ。本社は天海市中央区にあり、市の経済発展や社会福祉への貢献はもちろん、教育機関や文化施設、スポーツ施設など、手広く支援も行っている。かの企業なしに、現在の天海市は存在しなかっただろう。
社長の天海 光 は、昔この天海市周辺を治めていた大地主の末裔だそうで、それで惜しみない援助をしているという話だ。
それは良いとして、ここから自宅は北だ。だが、宙良が向かおうとしていたのは南の方だった。
「帰らないの? 家は逆方向だよね? ……あ、もしかして」
「うん、賢伯父さんのとこに遊びに行こうと思って。プリン食べたいし」
商店街の南の端っこで、二人の母の兄——伯父は小さな喫茶店を経営している。宙良は伯父によく懐いており、たまに遊びに行っているらしい。未佳はあまり訪れたことがないが、丁寧にドリップされたコーヒーが芳醇で美味しかったことだけは覚えていた。
今回の美星通り商店街の再開発は、観光客が多い北側エリアのみが対象になっている。伯父の喫茶店がある南、昔ながらの建物が残る軒並みはそのまま残るんだろうと安堵した。
「……賢介伯父さんか。私も行こうかな、お腹空いたし」
「え~、姉ちゃんと一緒かぁ。いいけど、オレのプリンまで食べないでよ?」
「食べません、宙良じゃないんだから」
気が置けない軽快なやりとりをしながら、姉弟は伯父の店に歩き出した。
*
舞い散る白い光を見届け、涼也は飛竜で降下する。
真下は、唯ヶ丘区と中央区の境界にある公園だった。何の変哲もない公園の上を飛竜が飛んでいる図は、特殊撮影でつくられた映像としか思えない。
途中で飛竜は光に還り、四散する。光が消え去ると同時に着地するが、誰一人、少年を見向きもしない。
空を仰ぐと、不吉な影がまだ一体さまよっていた。
遠目に見るならただの鴉だが、その大きさは大型犬ほどあり、怪鳥と呼ぶにふさわしかった。
昼前の園内を見渡すと、子供たちをはじめ、人々で賑わっていた。
夢の存在が見える者が一人でもいたら、あの翼は真下に向かい、公園に突如死体が現れ、大混乱に陥るだろう。
それを防ぐのが、境界者 の使命だ。
下から飛び上がった小さな影が、空を舞う。
ブランコを吊り下げる鉄棒で、それこそ鉄棒でもするように身軽に逆上がりして、そこから跳躍した叶だ。
少女の手が怪鳥に向けて振られると、大きな影は両断され、幻のように空に溶けていった。
(——魂 狩りの風切家)
風切家の能力は、『夢の力を切断する』。
切っているのは夢の力のみで、一般人はもちろん、力を奥底に持っている境界者 にもさほど効果はない。射程は五メートル程度だそうだが、集中すれば昨日の大蛇四本切りもできるらしい。
ついでに身体能力も高いので、対魂 において前衛となるべくしてあるような家系だ。
それ故か、叶は力任せに片付けようとする面がある。
(脳筋ってやつ……)
確かに昨日の大蛇は予想外だったが、だからと言って死ぬまで切れば良いとするのはどうかと思う。
叶は音もなく高所から着地すると、乱れた金髪を軽く梳いて振り返った。
「確認せずとも分かります。明らかに不自然です」
「……うん」
涼也も、これまでの違和感を紐解きながら頷いた。
二人は、魂 の気配が複数あったことから、これが人為的な発生であることは駆けつける前から察していた。
だから、これが魂 使いによるものと考えていた。
だが、それを前提に考えると、いくつか不可解な点がある。
一つ。
一度に操れる魂 は、二、三体が限度だ。
操る人形を考えてみれば良い。一体なら集中できるが、二体、三体同時となると、各々を存分に動かすのは難しい。
だというのに、二人が討伐した怪鳥や飛竜、魔獣は合計六体だった。各個体の挙動は鈍かったが、決して単調ではなかった。どちらかというと、自然発生のものに近かったかもしれない。
二つ。
術者と魂 の距離に制限はないが、これも数と同様で、離れれば離れるほど精度が落ちる。だから術者は近くに控えていることが多いが、付近にそれらしい人影は見当たらなかった。
三つ、
「昨日の魂 が人為的なら、今頃、術者には反動があるはずです」
「………………」
身をもって知っている少年は、沈黙で返した。
魂 使いにとって、それの使役は、腕を一本増やすようなものだ。
自身の延長で自由自在に操り、無傷で解除したなら、使用した夢の力はそのまま返却される。
しかし、魂 を破壊されることは、その腕を切り落とされたに等しい。使用した夢の力は失われ、術者に精神的なダメージとして返るのだ。
だが、涼也は否定した。
「……でも、飛竜の反動は少ない」
フィードバックの大小は、魂 の規模に比例する。
魂 はざっくり五つの種別と、さらに下位、中位、上位の三等級に分けられる。飛竜は竜種下位だし、涼也も登下校で乗っているくらい気軽に作れる魂 だ。
少年の反論に、叶は別の方向から問う。
「人為的な魂 が大蛇だった可能性は?」
「ない。未佳を連れ去ろうとしてたし、飛竜」
「普通なら襲うはずですね。では、飛竜の反動があった翌日、先ほどの数を生成するのは?」
「……しんどい」
想像しただけで気が滅入った。しかも六体を壊された反動を思うと、生きた心地がしなかった。さっきのが人工的なものだとしたら、ちょっとだけ術者に同情してしまう。
(さっきの六体……)
数が多いという不自然さの割に、生物たちの動きが自然だったのが気になるが、境界者 の世間は狭い。候補者は自ずと絞り込まれる。
自分たちがまったく知らない魂 使いなんて、存在するはずがないのだ。
「叶……暁斗 兄さんのこと、覚えてる?」
飛竜が空へと消えていくのを眺めて、未佳はやっと肩の力を抜いた。
涼也が操っているのはわかっているが、あの緑色の竜に襲われた時の恐怖は色濃く張り付いていて、いまだに体が身構えてしまう。
(それに……)
さっきまで一緒にいたのに、飛竜に乗る少年は別人のように思えて、心が落ち着かなかった。
——
けれど、自分が知る涼也は、教室で居眠りするぼんやりした少年でしかない。
「……机に寝そべってる方が、似合ってるよ」
誰にともなく呟いて、未佳は歩き出した。
スマートフォンを取り出して時間を見ると、十一時過ぎだった。朝、抜き打ちでやって来て、昼には早い時間で別れるなんて勝手すぎる。
仕方ないから、新しいお店でも見て帰ろう。それから、コンビニでお菓子を買って帰宅しよう。
歩きながら計画を立て大通りに出ると、横から何かがぶつかった。
「わっ……」
誰かがぶつかったらしいが、未佳が受けた衝撃は少なく、倒れたのは相手だけだった。
驚いて振り向くと、小柄な少年が尻餅をついていた。
幼さが残る顔は小学校高学年だろう。細身の身体に背負った大きなリュックサックは、担いでいるというより担がされているよう。半袖シャツとハーフパンツから伸びる手足は、初夏なのにもう日焼けしている。
未佳にとっては、よく知った顔だった。
「あれ、
「なんだ、姉ちゃんかよ! 急に横から出てくるなよ~」
相手が未佳だと分かると、途端に少年の表情が砕けた。強張っていた頬を緩ませ、肩で息を吐く。
「普通に歩いてただけだよ……宙良こそ、よそ見してたんじゃないの?」
はい、と手を差し出しながら言うと、少年は「一人で立てる!」と言い返して立ち上がる。重心が後ろにあるせいか、少しふらつきながらも彼は起き上がった。
弟の身長は、未佳よりも一回り小さい。小学五年生の仁井谷宙良は、ふんと胸を張った。
宙良が背負っているリュックサックは、彼が毎日学校に行く時にも担いでいるものだ。部活動——サッカー部の装備一式が入っている。
部活動の帰りだろうが、しかし……
「……こんなところで何してるの?」
確かに、今日は土曜日だけど、午前中に部活があると言っていた。
けれど、部活練習は九時から十一時だとは聞いていたし、そもそもここは家の方向とは真逆だ。
弟は、後ろの方を指差した。
「今日の部活、総合運動公園だったんだよ。他の学校との対抗試合だったから」
「ああ、そうなんだ。勝ったの?」
「もちろん!」
宙良は得意げに胸を張った。
美星通り商店街の近くには、唯ヶ丘総合運動公園がある。宙良が汗を流してきただろう運動場を始め、体育館やプール、ウォーキングコースなどもあり、スポーツはもちろん、祭りやイベント会場にも使用される広大な公園だ。未佳が生まれる前に天海市主導で建設したものだが、『ニルバナ』の支援がなかったら今頃なかったらしい、と両親が話していた気がする。
(この商店街の再開発も、『ニルバナ』の援助なんだっけ……)
——ニルバナコーポレーション。
産業機械、通信技術、エネルギー産業、エンターテイメント等と、多岐にわたる事業を展開する国内屈指の企業だ。本社は天海市中央区にあり、市の経済発展や社会福祉への貢献はもちろん、教育機関や文化施設、スポーツ施設など、手広く支援も行っている。かの企業なしに、現在の天海市は存在しなかっただろう。
社長の
それは良いとして、ここから自宅は北だ。だが、宙良が向かおうとしていたのは南の方だった。
「帰らないの? 家は逆方向だよね? ……あ、もしかして」
「うん、賢伯父さんのとこに遊びに行こうと思って。プリン食べたいし」
商店街の南の端っこで、二人の母の兄——伯父は小さな喫茶店を経営している。宙良は伯父によく懐いており、たまに遊びに行っているらしい。未佳はあまり訪れたことがないが、丁寧にドリップされたコーヒーが芳醇で美味しかったことだけは覚えていた。
今回の美星通り商店街の再開発は、観光客が多い北側エリアのみが対象になっている。伯父の喫茶店がある南、昔ながらの建物が残る軒並みはそのまま残るんだろうと安堵した。
「……賢介伯父さんか。私も行こうかな、お腹空いたし」
「え~、姉ちゃんと一緒かぁ。いいけど、オレのプリンまで食べないでよ?」
「食べません、宙良じゃないんだから」
気が置けない軽快なやりとりをしながら、姉弟は伯父の店に歩き出した。
*
舞い散る白い光を見届け、涼也は飛竜で降下する。
真下は、唯ヶ丘区と中央区の境界にある公園だった。何の変哲もない公園の上を飛竜が飛んでいる図は、特殊撮影でつくられた映像としか思えない。
途中で飛竜は光に還り、四散する。光が消え去ると同時に着地するが、誰一人、少年を見向きもしない。
空を仰ぐと、不吉な影がまだ一体さまよっていた。
遠目に見るならただの鴉だが、その大きさは大型犬ほどあり、怪鳥と呼ぶにふさわしかった。
昼前の園内を見渡すと、子供たちをはじめ、人々で賑わっていた。
夢の存在が見える者が一人でもいたら、あの翼は真下に向かい、公園に突如死体が現れ、大混乱に陥るだろう。
それを防ぐのが、
下から飛び上がった小さな影が、空を舞う。
ブランコを吊り下げる鉄棒で、それこそ鉄棒でもするように身軽に逆上がりして、そこから跳躍した叶だ。
少女の手が怪鳥に向けて振られると、大きな影は両断され、幻のように空に溶けていった。
(——
風切家の能力は、『夢の力を切断する』。
切っているのは夢の力のみで、一般人はもちろん、力を奥底に持っている
ついでに身体能力も高いので、対
それ故か、叶は力任せに片付けようとする面がある。
(脳筋ってやつ……)
確かに昨日の大蛇は予想外だったが、だからと言って死ぬまで切れば良いとするのはどうかと思う。
叶は音もなく高所から着地すると、乱れた金髪を軽く梳いて振り返った。
「確認せずとも分かります。明らかに不自然です」
「……うん」
涼也も、これまでの違和感を紐解きながら頷いた。
二人は、
だから、これが
だが、それを前提に考えると、いくつか不可解な点がある。
一つ。
一度に操れる
操る人形を考えてみれば良い。一体なら集中できるが、二体、三体同時となると、各々を存分に動かすのは難しい。
だというのに、二人が討伐した怪鳥や飛竜、魔獣は合計六体だった。各個体の挙動は鈍かったが、決して単調ではなかった。どちらかというと、自然発生のものに近かったかもしれない。
二つ。
術者と
三つ、
「昨日の
「………………」
身をもって知っている少年は、沈黙で返した。
自身の延長で自由自在に操り、無傷で解除したなら、使用した夢の力はそのまま返却される。
しかし、
だが、涼也は否定した。
「……でも、飛竜の反動は少ない」
フィードバックの大小は、
少年の反論に、叶は別の方向から問う。
「人為的な
「ない。未佳を連れ去ろうとしてたし、飛竜」
「普通なら襲うはずですね。では、飛竜の反動があった翌日、先ほどの数を生成するのは?」
「……しんどい」
想像しただけで気が滅入った。しかも六体を壊された反動を思うと、生きた心地がしなかった。さっきのが人工的なものだとしたら、ちょっとだけ術者に同情してしまう。
(さっきの六体……)
数が多いという不自然さの割に、生物たちの動きが自然だったのが気になるが、
自分たちがまったく知らない
「叶……