第20話 亡霊騎士
文字数 4,264文字
唯ヶ丘中学校の東側には、市内でも屈指の大学病院がある。
未佳と涼也を乗せた飛竜は、その広大な敷地の上空に差しかかった。地表で見上げれば圧倒されるほど大きいはずの建物群は、この高さから見下ろすとミニチュアのようだった。
建物たちに抱かれるようにあるのは、芝生が広がる中庭。昼過ぎの太陽に照らされた緑の絨毯は青々と輝き、そこだけ大草原のような開放感があった。
その一角が、焼け焦げたように黒く染まっていた。
(なにあれ……?)
疑問を浮かべたのを察したように、飛竜はゆるりと降下していく。
細部が見える高度と距離まで近付いて、未佳は中心に立つものを知った。
黒い、騎士だった。
真夏の太陽が大地に落とした影から持ち上がったように、大型の馬も、騎乗する西洋騎士もすべてが闇に塗り潰されていた。
黒馬は吐き出す息さえ黒く、呼吸するたび、煙幕の如く黒い霧が辺りに立ち込める。空から見た時、焦土のように見えたのはこの息のせいだろう。
一方、黒い甲冑の騎士には頭がなかった。虫の抜け殻のように
頭のない騎士が動いた。
鉄が擦れ合う音を鳴らし、手に持った黒鞭を振りかぶる。
それを回避したのは、先んじて到着していた金髪の少女だ。
叶の手が差し出される。
空を切った指は、騎士どころか、騎馬までを縦に両断した。
しかし、その姿は煙を切ったように霞むだけ。何度、少女の手が振るわれても結果は同じだった。
よく見ると、黒騎士の姿はぼやけており、うっすら遠景が透けて見えていた。
(幽霊ってこと……?)
涼也曰く——叶は、どんなに大きなものでも、夢の力なら切断するという。
だが、不得手な相手も存在する。以前の大蛇のように「不死」であったり、「切断」という概念がない相手には直接効果がないらしい。今であれば、亡霊だから切れないということだろう。
飛び退いた少女の傍に、二人が乗った飛竜は近付く。
叶は、振り向かないまま問うた。
「何故、未佳さんがいるのです」
飛竜が上空を横切った時、未佳が乗っていることを確認していたらしい。
「涼也さん。綺咲さんに連絡することもできたはずです」
「……母さん、遠くにいたから」
「来るまでわたしが持たないと? その飛竜、壊してあげましょうか」
「あ、あの、叶ちゃん」
冷ややかな叶を、未佳は宥めようと遮る。少女の怒りの気配が少しだけ収まったのを感じた。
「あの魂 、幽霊だよね? 鞭を避けてたけど、幽霊なのに攻撃が当たるの?」
「……いいえ。生粋の夢の存在以外には、当たりません。ですが、霊種の攻撃は精神的なものです。攻撃に触れると干渉され、発狂します」
「っ……」
淡々と返されて、ぞっと背筋が冷えた。
飛竜や巨鳥に襲われることは、目に見えて分かりやすい脅威だ。だが、精神への攻撃なんて想像がつかない。これは、得体のしれなさ、不気味さによる未知への恐怖だった。何にせよ、安心して良い相手ではないらしい。
未佳が声を失っていると、叶が問う。
「涼也さん。これは、人為的な魂 ですか」
何の話かと思ってから、理解した。
暁斗は、涼也や綺咲と同じく魂 使いらしい。確かに未佳も、彼が不可思議な存在を使役しているところを目撃した。
自然生成ではない魂 は、彼らしか生み出せない。
つまり、これが人工のものなら、恐らく暁斗が近くにいるということだ。
(暁斗さん……あれから、どうしたのかな)
二人が始めた護衛も、もともとは暁斗からの守護、その動向調査のためだ。
彼には聞きたいことがたくさんあるし、未佳はむしろまた会いたいと思っているけれど、二人に言ったら怒られそうなので黙っていた。
あくびを噛み殺していた涼也は、むっと眉を寄せた。
「……自然……かな?」
「歯切れが悪いですね」
「眠くて……」
涼也の力ない呟きを聞きつけて、やっと叶は猛然と振り返った。
彼女は、少年の集中力が普段より散漫であることをすぐに見抜いただろう。
一瞬、叶の瞳が激しく揺れた。
それがすぐさま怒りに染まって、未佳はどきっとした。
何故なら、いつもの冷ややかなそれではなく、岩漿のように煮えたぎった、見たこともないほどの憤怒だったからだ。
どんな言葉が飛び出てもおかしくなかった。だが、叶は何も言わず、騎士に向き直った。
金髪の背中は、強い拒絶を示していた。
「——綺咲さんを呼んでください。あなたは不要です」
「え……?」
「未佳さん。その人を連れて帰ってください」
「えっ……」
涼也も未佳も、揃って目を見開いた。
呆けた彼らを置いて、叶は亡霊騎士に向かって跳ぶ。
少女の指が幾度も空を切るが、騎士の体はそのたびに霧のように歪むだけで、やはり効果はない。やり場のない怒りを叩きつけているようでもあった。
苛烈で無意味な攻撃をしばし呆然と見つめてから、未佳は、同じく固まっている少年を振り返った。
「わ……私のせいかな? やっぱり、ついてきたから?」
だが、それなら怒りが浮かんだタイミングがおかしかった気がする。どちらかと言うと涼也に怒っていたように思えたが、それなら今頃、叶はずけずけと毒舌を利いているところだろう。
「……違うと思う」
涼也も、困惑した様子で首を振った。
だが、叶の拒みようが異常だったからか、指示に従うことにしたらしい。目を擦りながら携帯電話を取り出して、少年は画面を見た。
そうして、涼也の注意が騎士から逸れた。
刹那、叶の手前で揺れていた黒鞭が、空気を引き裂いてその先へとうねった。
「涼也さん!!」
叶の甲高い声が聞こえた時には、遅かった。
黒鞭が、蛇のように飛竜に巻きついた。尋常でない力で締め上げられ、竜は白砂でできていたかのように呆気なく崩れる。
とっさに涼也が肩を抱いて飛び降りてくれなかったら、未佳もその鞭に触れていただろう。
「ひっ……」
横倒しの視界で飛竜の光を見届けて、息が詰まった。心臓が急激に冷え込んで、思わず涼也の制服を掴む。
震えるその手を、少年はそっと握り締めてくれて、少しだけ安心した。
未佳を受け止めるように下敷きになっていた涼也が、ゆらりと起き上がる。
少年を見上げて、声を失った。
さっきまで気だるげだった横顔は、病的なほどに青白く、虚ろな目をしていた。
「す……涼也……?」
そういえば、魂 を壊されると、術者に精神的な傷として返る——そんなことを言っていた気がする。
もともと涼也は、寝不足で不調だった。そこにそんな傷を負ったなら、どれほどの負担になるのか。
——『無茶しないでね。調子が悪い日もあるかもしれないし』
初めて魂 を見た日、叶に言った言葉が蘇った。
(……涼也が、危ない)
それだけが、頭の中を支配した。
いつも隣で寝ていて、ぼんやりしてて、青い目が綺麗な友達が、危ない。
再び、黒鞭が伸びる。
止めようと走る叶の切断は、瞬く間にそれを分割した。しかし煙を切るように手応えがなく、先端は別の生き物のように伸び、彼女をすり抜けて二人に肉薄する。
「だめ——!」
悲鳴のような叶の声は、泣きそうに聞こえた。
その声が、奮い立たせてくれたかもしれない。
そうして未佳は、少年をかばうように飛び出していた。
その瞬間は、永遠のように思えた。
理解した叶の顔が、凍りついていく。
黒蛇は、滑らかに弧を描いて迫り来る。
前に出たは良いけれど、痛くて怖いのを覚悟したわけじゃない。
身も心も竦んで、ただ強く目を瞑ることしかできなかった。
やがて——
瞼の裏が真っ白になった。
痛みはなく、ふわりと風だけが通り過ぎた。
……もしかして、知らないうちに死んでしまったんだろうか。死んだら痛まないだろうし、真っ白な光は天国だからかもしれない。
「未佳……!」
後ろから、名前を呼ばれた。
やっと息をしたような、掠れた涼也の声だった。
恐る恐る目を開けると、黒鞭は消えていた。放った亡霊騎士は先ほどより離れた場所にいて、黒馬が何処か忌まわしそうに足踏みをしていた。
未佳の目の前には、光り輝くシルエットがあった。地面に映り込んだ影帽子を白く切り取ったような人型には、一切の顔のパーツがなく、マネキンのように
手に持った剣も、背に負った翼も、すべてが純白に塗りつぶされ、闇を浄化するように神々しい光を放っていた。
その光輝には、本当にそんな力が宿っていたのだろう。気が付けば、辺りに充満していた黒い霧はない。騎士も、まるで恐れるように天使から距離を置いていた。
(……何が起きたの?)
呆然と天使を見上げると、頭の上でごうっと風が揺れて、近くに何者かが降り立った。
高い位置から、ゆらりと黒い尻尾が揺れた。
「護衛対象を危険に晒すなんて、本末転倒だ」
風のように、空気のように。
最初からそこにいたかように佇むのは、赤い瞳の男性だった。以前、張りついていた薄っぺらい笑みはなく、今は真面目な表情で黒騎士を見据えていた。
——凛廻暁斗。
「暁斗、兄さん……!?」
しばらく姿を見せなかった件の男が現れ、未佳よりも涼也が驚いていた。
硬直した少年に、暁斗は未佳を一瞥して手短に言った。
「この子に何かあると、僕も困るからだ。今は何もしない」
それを聞いた未佳は、目の前の天使と暁斗を見比べ、慌てて頭を下げた。
「あの、助けてくれたんですよね……? あ、ありがとうございます」
「礼を言うのは早い」
そう言うなり、彼は形式的な笑みを浮かべた。気を許している相手には見せないこの微笑は、本当に他人向けの仮面なのかもしれないと思った。
暁斗の目が、亡霊騎士に向いた。
「霊種には浄化の力は必須だが、天使 は騎士の機動力には追いつけない。適しているのは……」
彼の言葉に応えるように、天使がゆるりと動いた。神聖な儀式の如く、手に持っていた剣を天に掲げる。
騎士の手前、男性を見て呆けた様子でいる黒い少女に向けて。
「叶!」
暁斗の鋭い声とともに、天使が白き剣を投擲した。
我に返った叶が、反射的に空中で剣を受け取る。彼が意図するところ読み取り、即座に騎士に肉薄した。
光の剣を手にした黒の少女は、神話の戦乙女のようだった。
退こうとした騎士の姿を、それより早く追いついた白刃が上から下へ両断した。
きっと、切断の力ものせられていたのだろう。白き剣と叶の力で断ち切られた魂 は、自分が人形であったことを思い出したように動きを止め、光となって消えていった。
未佳と涼也を乗せた飛竜は、その広大な敷地の上空に差しかかった。地表で見上げれば圧倒されるほど大きいはずの建物群は、この高さから見下ろすとミニチュアのようだった。
建物たちに抱かれるようにあるのは、芝生が広がる中庭。昼過ぎの太陽に照らされた緑の絨毯は青々と輝き、そこだけ大草原のような開放感があった。
その一角が、焼け焦げたように黒く染まっていた。
(なにあれ……?)
疑問を浮かべたのを察したように、飛竜はゆるりと降下していく。
細部が見える高度と距離まで近付いて、未佳は中心に立つものを知った。
黒い、騎士だった。
真夏の太陽が大地に落とした影から持ち上がったように、大型の馬も、騎乗する西洋騎士もすべてが闇に塗り潰されていた。
黒馬は吐き出す息さえ黒く、呼吸するたび、煙幕の如く黒い霧が辺りに立ち込める。空から見た時、焦土のように見えたのはこの息のせいだろう。
一方、黒い甲冑の騎士には頭がなかった。虫の抜け殻のように
がらんどう
な鎧だけが、黒い馬に乗っていたのだ。ゆらめく黒靄を引き連れた空っぽの騎士は、真昼の悪夢のようだった。頭のない騎士が動いた。
鉄が擦れ合う音を鳴らし、手に持った黒鞭を振りかぶる。
それを回避したのは、先んじて到着していた金髪の少女だ。
叶の手が差し出される。
空を切った指は、騎士どころか、騎馬までを縦に両断した。
しかし、その姿は煙を切ったように霞むだけ。何度、少女の手が振るわれても結果は同じだった。
よく見ると、黒騎士の姿はぼやけており、うっすら遠景が透けて見えていた。
(幽霊ってこと……?)
涼也曰く——叶は、どんなに大きなものでも、夢の力なら切断するという。
だが、不得手な相手も存在する。以前の大蛇のように「不死」であったり、「切断」という概念がない相手には直接効果がないらしい。今であれば、亡霊だから切れないということだろう。
飛び退いた少女の傍に、二人が乗った飛竜は近付く。
叶は、振り向かないまま問うた。
「何故、未佳さんがいるのです」
飛竜が上空を横切った時、未佳が乗っていることを確認していたらしい。
「涼也さん。綺咲さんに連絡することもできたはずです」
「……母さん、遠くにいたから」
「来るまでわたしが持たないと? その飛竜、壊してあげましょうか」
「あ、あの、叶ちゃん」
冷ややかな叶を、未佳は宥めようと遮る。少女の怒りの気配が少しだけ収まったのを感じた。
「あの
「……いいえ。生粋の夢の存在以外には、当たりません。ですが、霊種の攻撃は精神的なものです。攻撃に触れると干渉され、発狂します」
「っ……」
淡々と返されて、ぞっと背筋が冷えた。
飛竜や巨鳥に襲われることは、目に見えて分かりやすい脅威だ。だが、精神への攻撃なんて想像がつかない。これは、得体のしれなさ、不気味さによる未知への恐怖だった。何にせよ、安心して良い相手ではないらしい。
未佳が声を失っていると、叶が問う。
「涼也さん。これは、人為的な
何の話かと思ってから、理解した。
暁斗は、涼也や綺咲と同じく
自然生成ではない
つまり、これが人工のものなら、恐らく暁斗が近くにいるということだ。
(暁斗さん……あれから、どうしたのかな)
二人が始めた護衛も、もともとは暁斗からの守護、その動向調査のためだ。
彼には聞きたいことがたくさんあるし、未佳はむしろまた会いたいと思っているけれど、二人に言ったら怒られそうなので黙っていた。
あくびを噛み殺していた涼也は、むっと眉を寄せた。
「……自然……かな?」
「歯切れが悪いですね」
「眠くて……」
涼也の力ない呟きを聞きつけて、やっと叶は猛然と振り返った。
彼女は、少年の集中力が普段より散漫であることをすぐに見抜いただろう。
一瞬、叶の瞳が激しく揺れた。
それがすぐさま怒りに染まって、未佳はどきっとした。
何故なら、いつもの冷ややかなそれではなく、岩漿のように煮えたぎった、見たこともないほどの憤怒だったからだ。
どんな言葉が飛び出てもおかしくなかった。だが、叶は何も言わず、騎士に向き直った。
金髪の背中は、強い拒絶を示していた。
「——綺咲さんを呼んでください。あなたは不要です」
「え……?」
「未佳さん。その人を連れて帰ってください」
「えっ……」
涼也も未佳も、揃って目を見開いた。
呆けた彼らを置いて、叶は亡霊騎士に向かって跳ぶ。
少女の指が幾度も空を切るが、騎士の体はそのたびに霧のように歪むだけで、やはり効果はない。やり場のない怒りを叩きつけているようでもあった。
苛烈で無意味な攻撃をしばし呆然と見つめてから、未佳は、同じく固まっている少年を振り返った。
「わ……私のせいかな? やっぱり、ついてきたから?」
だが、それなら怒りが浮かんだタイミングがおかしかった気がする。どちらかと言うと涼也に怒っていたように思えたが、それなら今頃、叶はずけずけと毒舌を利いているところだろう。
「……違うと思う」
涼也も、困惑した様子で首を振った。
だが、叶の拒みようが異常だったからか、指示に従うことにしたらしい。目を擦りながら携帯電話を取り出して、少年は画面を見た。
そうして、涼也の注意が騎士から逸れた。
刹那、叶の手前で揺れていた黒鞭が、空気を引き裂いてその先へとうねった。
「涼也さん!!」
叶の甲高い声が聞こえた時には、遅かった。
黒鞭が、蛇のように飛竜に巻きついた。尋常でない力で締め上げられ、竜は白砂でできていたかのように呆気なく崩れる。
とっさに涼也が肩を抱いて飛び降りてくれなかったら、未佳もその鞭に触れていただろう。
「ひっ……」
横倒しの視界で飛竜の光を見届けて、息が詰まった。心臓が急激に冷え込んで、思わず涼也の制服を掴む。
震えるその手を、少年はそっと握り締めてくれて、少しだけ安心した。
未佳を受け止めるように下敷きになっていた涼也が、ゆらりと起き上がる。
少年を見上げて、声を失った。
さっきまで気だるげだった横顔は、病的なほどに青白く、虚ろな目をしていた。
「す……涼也……?」
そういえば、
もともと涼也は、寝不足で不調だった。そこにそんな傷を負ったなら、どれほどの負担になるのか。
——『無茶しないでね。調子が悪い日もあるかもしれないし』
初めて
(……涼也が、危ない)
それだけが、頭の中を支配した。
いつも隣で寝ていて、ぼんやりしてて、青い目が綺麗な友達が、危ない。
再び、黒鞭が伸びる。
止めようと走る叶の切断は、瞬く間にそれを分割した。しかし煙を切るように手応えがなく、先端は別の生き物のように伸び、彼女をすり抜けて二人に肉薄する。
「だめ——!」
悲鳴のような叶の声は、泣きそうに聞こえた。
その声が、奮い立たせてくれたかもしれない。
そうして未佳は、少年をかばうように飛び出していた。
その瞬間は、永遠のように思えた。
理解した叶の顔が、凍りついていく。
黒蛇は、滑らかに弧を描いて迫り来る。
前に出たは良いけれど、痛くて怖いのを覚悟したわけじゃない。
身も心も竦んで、ただ強く目を瞑ることしかできなかった。
やがて——
瞼の裏が真っ白になった。
痛みはなく、ふわりと風だけが通り過ぎた。
……もしかして、知らないうちに死んでしまったんだろうか。死んだら痛まないだろうし、真っ白な光は天国だからかもしれない。
「未佳……!」
後ろから、名前を呼ばれた。
やっと息をしたような、掠れた涼也の声だった。
恐る恐る目を開けると、黒鞭は消えていた。放った亡霊騎士は先ほどより離れた場所にいて、黒馬が何処か忌まわしそうに足踏みをしていた。
未佳の目の前には、光り輝くシルエットがあった。地面に映り込んだ影帽子を白く切り取ったような人型には、一切の顔のパーツがなく、マネキンのように
つるり
としている。手に持った剣も、背に負った翼も、すべてが純白に塗りつぶされ、闇を浄化するように神々しい光を放っていた。
その光輝には、本当にそんな力が宿っていたのだろう。気が付けば、辺りに充満していた黒い霧はない。騎士も、まるで恐れるように天使から距離を置いていた。
(……何が起きたの?)
呆然と天使を見上げると、頭の上でごうっと風が揺れて、近くに何者かが降り立った。
高い位置から、ゆらりと黒い尻尾が揺れた。
「護衛対象を危険に晒すなんて、本末転倒だ」
風のように、空気のように。
最初からそこにいたかように佇むのは、赤い瞳の男性だった。以前、張りついていた薄っぺらい笑みはなく、今は真面目な表情で黒騎士を見据えていた。
——凛廻暁斗。
「暁斗、兄さん……!?」
しばらく姿を見せなかった件の男が現れ、未佳よりも涼也が驚いていた。
硬直した少年に、暁斗は未佳を一瞥して手短に言った。
「この子に何かあると、僕も困るからだ。今は何もしない」
それを聞いた未佳は、目の前の天使と暁斗を見比べ、慌てて頭を下げた。
「あの、助けてくれたんですよね……? あ、ありがとうございます」
「礼を言うのは早い」
そう言うなり、彼は形式的な笑みを浮かべた。気を許している相手には見せないこの微笑は、本当に他人向けの仮面なのかもしれないと思った。
暁斗の目が、亡霊騎士に向いた。
「霊種には浄化の力は必須だが、
彼の言葉に応えるように、天使がゆるりと動いた。神聖な儀式の如く、手に持っていた剣を天に掲げる。
騎士の手前、男性を見て呆けた様子でいる黒い少女に向けて。
「叶!」
暁斗の鋭い声とともに、天使が白き剣を投擲した。
我に返った叶が、反射的に空中で剣を受け取る。彼が意図するところ読み取り、即座に騎士に肉薄した。
光の剣を手にした黒の少女は、神話の戦乙女のようだった。
退こうとした騎士の姿を、それより早く追いついた白刃が上から下へ両断した。
きっと、切断の力ものせられていたのだろう。白き剣と叶の力で断ち切られた