第15話 今日から友達
文字数 3,230文字
頭の中には、暁斗の言葉が浮かんでいた。
——『なら、僕に協力してほしい』
——『人間たちに、境界者 が見えるように』
「……あの……」
不真面目さに噛みつく叶と、受け流す遥の会話に、小さく声を挟んだ。
二人が振り向く。だが、その目を直視できなくて、手元の皿を見つめた。
これを尋ねるのは、彼らを傷付けるような気がしたからだ。
「——二人は、皆に認知されたいって、思いますか?」
声は、テーブルの上に静かに転がるようだった。
二人は顔を見合わせてから、遥は静かにスプーンを置き、叶は気にせずフォークを動かした。
「ハルは認知されたいッスね。なまじ認知される感覚を知ってるから。残り香なんかじゃなく、リアタイで、何のしがらみもなく歌って……最高のライブだったって、帰り道に笑っててほしいッス」
若者の答えは、切実だった。
公園で、遥の歌が途切れた途端に、断ち切られたように歓声と拍手が失われたことを覚えている。若者は、あの空気を何度味わってきたのだろう。
対して叶は、食事の手を休めないまま言った。
「わたしは、認知されたくありません。魂 を討伐する際の手間が増えます」
その一点だけを考え、当然のように言い放つのは、彼女らしかった。
もちろん察しはついていたけれど、未佳は寂しくなってうつむいた。
すると、遥が行儀悪くスプーンを叶に突きつけて、真剣な声で言った。
「ハルは一端の大人なんで、説教するッスけどぉ。カノっぴは、人間と関わりがなさすぎッス。優等生だし、きっと、目が合った人間は即記憶を消してきたんスよねぇ。『忘れられた』経験がないんじゃないッスかぁ?」
「意味が分かりません」
叶が一蹴するのも無理はない。不思議な言い回しを聞いて、未佳もつい横から尋ねた。
「どういうことですか?」
「『忘れられる』には、『覚えてもらう』必要があるってコトッス。覚えられる前に縁を切ってたら、忘れられたって感じるコトもないッスからねぇ。チャージが必要みたいな?」
「なるほど……?」
謎掛けみたいな言葉は、分かったようでよく分からなかった。ちょっと変わったところがある若者は、やはり『ハルカナタ』だなとしみじみ思う。
叶はずっと興味なさげだったが、次の言葉で手が止まった。
「例えば、ミカちんが目の前を素通りするようになったら?」
突然、自分の話が出て、口の中のものを飲み込んだところだった未佳は目を瞬いた。
「ミカちんがもう、話しかけてこなかったら?」
「………………」
しばし停止した叶は、またゆっくり動き始めた。
「元に戻っただけでしょう」
「ふ~ん、そうッスかぁ」
遥はにやにや笑って、それ以上は追及せず、皿の残りを片付け始めた。
未佳は、ハンバーグを切りながら、ちらりと叶の様子を窺った。
叶といえば、不用意に話しかけてこないように注意してきた本人だ。でもさっきの反応を見るに、今、未佳が忘れたら、少しは寂しいと思ってくれるのかもしれない。
ちょっとだけ思い上がると、カレーを完食しスプーンを置いた遥が言った。
「ミカちん、ご覧の通りッス。境界者 は、使命と在り方に挟まれて、本心が分からなくなってる人ばっかッスよぉ。皆、ニブちんなんス。自分のコトも、他人のコトも」
「はあ……」
「ってコトで、言いたいコトは言っといた方がイイッスよぉ~」
「えっ」
流れるように、水を向けられて驚いた。
もちろん、心当たりはあった。だが、
(もしかして、私がもやもやしてたの、見てた?)
ここまでの話はすべて、未佳が話しやすい流れを作るためだったのか。もしそうなら、まるで紗利奈のようなスマートでよくできた取り計らいだ。
「未佳さん、言いたいことがあったのですか?」
「……え、えっと。ちょっとだけ……」
意外そうな顔で振り向く叶に、未佳は慌てて頷いた。
「叶ちゃんは、認知されたくないって言うけど……私は叶ちゃんのこと、皆に紹介したいよ」
「何故ですか」
「こんなに素敵な新しい友達ができたんだよって」
何処にいても、何をしていても絵になる少女が、誰にも認知されないのは切なかった。せめて愛美や紗利奈だけにでも見てほしい。
正直に話すと、叶はことりと首を傾げた。
「……友達? お断りしませんでしたか」
「え!? あ、ああ……前の」
そういえば一昨日、涼也と叶と三人で友達作戦をやろうとしたら、ばっさり断られていた。
「それとは別で……明日から一緒に帰るし、もう友達じゃないかな?」
「一緒に帰ったら友達なのですか?」
真正面から問いただされると、友達とはなんなのか分からなくなってくる。
愛美も紗利奈も、きっかけはあったと思うけれど、自然と一緒にいるようになっただけで、明確な区切りがあったわけじゃない。
未佳が返答に困っていると、最初の頃、涼也が言ったことを思い出した。
「……じゃあ、今日から友達」
数回、言葉を交わしただけの少年に、急に言われた時は驚いたけれど。先に友達だと言われると、自由に話しかけていい気がした。
だから、道端で『ハルカナタ』のミュージックビデオを見上げていた涼也に声をかけたのだし、言われてなかったら通り過ぎていたかもしれない。
でも、叶はいらないと言いそうだから、未佳は笑って言葉を添えた。
「私は、そう思うことにするね」
「……お好きにどうぞ」
理解できないと言った顔をされたが、叶はそれ以上は断らなかった。
たった今、微妙な塩梅で成立した友人関係を前に、差し向けた遥はにこにこしていた。
「うーん、青春ッスねぇ。あ、ハルとミカちんは、もう友達ッスよね?」
「えっ……遥さんはもう少し距離があると……」
「エッ!? 一緒にご飯食べた仲なのに!?」
「だって遥さんは『ハルカ』だから……」
ショックを受ける遥を見て、申し訳なく思うが、ステージ上の若者を思い出すと友達なんて恐れ多くて、恐縮してしまうのだった。
「ファン心、難しいッス」と口を尖らせてから、若者は思い出した顔で尋ねた。
「そういや、来週からゴールデンウィークじゃないッスかぁ! ミカちんのご予定は〜?」
「わ、そうでしたね……! 家族で市外に旅行に行きます!」
「あ〜、それは良くないッスねぇ」
「え?」
さらりと否定されて、目を瞬く。遥を見ると、その口元から笑みが消え去っていた。
分厚い前髪の向こうから、じっと見つめられている気がした。
「何故なら、眠り花 は、天海市から出ると……」
「……っ」
神妙な声で言われ、ごくりと唾を飲み込む。
いろんな想像が脳裏を過ぎって緊張して、どんな気持ちでいれば良いのか戸惑っていると、若者は急に吹き出した。
「わはは! 別に死んだりしないから大丈夫ッスよぉ〜!」
「……お、脅かさないでください……!」
「でも、市外に出るのはお勧めしないッスねぇ」
「な、なんでですか?」
肩の力を抜いた瞬間、平坦な声で言われ、改めてどきっとする。くるくる変わる若者の言動に翻弄されっぱなしだ。
遥は口の前に人差し指を立てて、楽しげに言った。
「企業秘密ッス☆ ミカちんだけ、友達の家にお泊まり会でもしたらどうッスかぁ? カノっぴとか」
境界者 に企業も何もないだろうとは思ったが、伏せられるとなんだか不安になる。
だが、付け加えられた提案が、想像以上に魅力的だったので、思わず叶を振り返っていた。
たぶん、自分の目はきらきらと輝いていただろう。叶はやや身を引き気味に言い返した。
「……何度も言っているはずです。長時間、境界者 と一緒にいるのは」
「しばらく家族がいなくなるなら、問題ないよ! 叶ちゃんとお泊り会したいな。護衛するにも、ちょうど良いでしょ?」
使命を絡めて説得すれば、真面目な少女は断らないはずだという自信があった。
未佳が期待の満ちた目で見つめると、叶は気まずそうに目を逸らした。常日頃、まっすぐ強い瞳で相手を見る少女が、だ。
「……考えておきます」
「楽しみにしてるね!」
なんとなく叶の扱い方が分かってきた未佳は、満面の笑みで頷いた。
——『なら、僕に協力してほしい』
——『人間たちに、
「……あの……」
不真面目さに噛みつく叶と、受け流す遥の会話に、小さく声を挟んだ。
二人が振り向く。だが、その目を直視できなくて、手元の皿を見つめた。
これを尋ねるのは、彼らを傷付けるような気がしたからだ。
「——二人は、皆に認知されたいって、思いますか?」
声は、テーブルの上に静かに転がるようだった。
二人は顔を見合わせてから、遥は静かにスプーンを置き、叶は気にせずフォークを動かした。
「ハルは認知されたいッスね。なまじ認知される感覚を知ってるから。残り香なんかじゃなく、リアタイで、何のしがらみもなく歌って……最高のライブだったって、帰り道に笑っててほしいッス」
若者の答えは、切実だった。
公園で、遥の歌が途切れた途端に、断ち切られたように歓声と拍手が失われたことを覚えている。若者は、あの空気を何度味わってきたのだろう。
対して叶は、食事の手を休めないまま言った。
「わたしは、認知されたくありません。
その一点だけを考え、当然のように言い放つのは、彼女らしかった。
もちろん察しはついていたけれど、未佳は寂しくなってうつむいた。
すると、遥が行儀悪くスプーンを叶に突きつけて、真剣な声で言った。
「ハルは一端の大人なんで、説教するッスけどぉ。カノっぴは、人間と関わりがなさすぎッス。優等生だし、きっと、目が合った人間は即記憶を消してきたんスよねぇ。『忘れられた』経験がないんじゃないッスかぁ?」
「意味が分かりません」
叶が一蹴するのも無理はない。不思議な言い回しを聞いて、未佳もつい横から尋ねた。
「どういうことですか?」
「『忘れられる』には、『覚えてもらう』必要があるってコトッス。覚えられる前に縁を切ってたら、忘れられたって感じるコトもないッスからねぇ。チャージが必要みたいな?」
「なるほど……?」
謎掛けみたいな言葉は、分かったようでよく分からなかった。ちょっと変わったところがある若者は、やはり『ハルカナタ』だなとしみじみ思う。
叶はずっと興味なさげだったが、次の言葉で手が止まった。
「例えば、ミカちんが目の前を素通りするようになったら?」
突然、自分の話が出て、口の中のものを飲み込んだところだった未佳は目を瞬いた。
「ミカちんがもう、話しかけてこなかったら?」
「………………」
しばし停止した叶は、またゆっくり動き始めた。
「元に戻っただけでしょう」
「ふ~ん、そうッスかぁ」
遥はにやにや笑って、それ以上は追及せず、皿の残りを片付け始めた。
未佳は、ハンバーグを切りながら、ちらりと叶の様子を窺った。
叶といえば、不用意に話しかけてこないように注意してきた本人だ。でもさっきの反応を見るに、今、未佳が忘れたら、少しは寂しいと思ってくれるのかもしれない。
ちょっとだけ思い上がると、カレーを完食しスプーンを置いた遥が言った。
「ミカちん、ご覧の通りッス。
「はあ……」
「ってコトで、言いたいコトは言っといた方がイイッスよぉ~」
「えっ」
流れるように、水を向けられて驚いた。
もちろん、心当たりはあった。だが、
(もしかして、私がもやもやしてたの、見てた?)
ここまでの話はすべて、未佳が話しやすい流れを作るためだったのか。もしそうなら、まるで紗利奈のようなスマートでよくできた取り計らいだ。
「未佳さん、言いたいことがあったのですか?」
「……え、えっと。ちょっとだけ……」
意外そうな顔で振り向く叶に、未佳は慌てて頷いた。
「叶ちゃんは、認知されたくないって言うけど……私は叶ちゃんのこと、皆に紹介したいよ」
「何故ですか」
「こんなに素敵な新しい友達ができたんだよって」
何処にいても、何をしていても絵になる少女が、誰にも認知されないのは切なかった。せめて愛美や紗利奈だけにでも見てほしい。
正直に話すと、叶はことりと首を傾げた。
「……友達? お断りしませんでしたか」
「え!? あ、ああ……前の」
そういえば一昨日、涼也と叶と三人で友達作戦をやろうとしたら、ばっさり断られていた。
「それとは別で……明日から一緒に帰るし、もう友達じゃないかな?」
「一緒に帰ったら友達なのですか?」
真正面から問いただされると、友達とはなんなのか分からなくなってくる。
愛美も紗利奈も、きっかけはあったと思うけれど、自然と一緒にいるようになっただけで、明確な区切りがあったわけじゃない。
未佳が返答に困っていると、最初の頃、涼也が言ったことを思い出した。
「……じゃあ、今日から友達」
数回、言葉を交わしただけの少年に、急に言われた時は驚いたけれど。先に友達だと言われると、自由に話しかけていい気がした。
だから、道端で『ハルカナタ』のミュージックビデオを見上げていた涼也に声をかけたのだし、言われてなかったら通り過ぎていたかもしれない。
でも、叶はいらないと言いそうだから、未佳は笑って言葉を添えた。
「私は、そう思うことにするね」
「……お好きにどうぞ」
理解できないと言った顔をされたが、叶はそれ以上は断らなかった。
たった今、微妙な塩梅で成立した友人関係を前に、差し向けた遥はにこにこしていた。
「うーん、青春ッスねぇ。あ、ハルとミカちんは、もう友達ッスよね?」
「えっ……遥さんはもう少し距離があると……」
「エッ!? 一緒にご飯食べた仲なのに!?」
「だって遥さんは『ハルカ』だから……」
ショックを受ける遥を見て、申し訳なく思うが、ステージ上の若者を思い出すと友達なんて恐れ多くて、恐縮してしまうのだった。
「ファン心、難しいッス」と口を尖らせてから、若者は思い出した顔で尋ねた。
「そういや、来週からゴールデンウィークじゃないッスかぁ! ミカちんのご予定は〜?」
「わ、そうでしたね……! 家族で市外に旅行に行きます!」
「あ〜、それは良くないッスねぇ」
「え?」
さらりと否定されて、目を瞬く。遥を見ると、その口元から笑みが消え去っていた。
分厚い前髪の向こうから、じっと見つめられている気がした。
「何故なら、
「……っ」
神妙な声で言われ、ごくりと唾を飲み込む。
いろんな想像が脳裏を過ぎって緊張して、どんな気持ちでいれば良いのか戸惑っていると、若者は急に吹き出した。
「わはは! 別に死んだりしないから大丈夫ッスよぉ〜!」
「……お、脅かさないでください……!」
「でも、市外に出るのはお勧めしないッスねぇ」
「な、なんでですか?」
肩の力を抜いた瞬間、平坦な声で言われ、改めてどきっとする。くるくる変わる若者の言動に翻弄されっぱなしだ。
遥は口の前に人差し指を立てて、楽しげに言った。
「企業秘密ッス☆ ミカちんだけ、友達の家にお泊まり会でもしたらどうッスかぁ? カノっぴとか」
だが、付け加えられた提案が、想像以上に魅力的だったので、思わず叶を振り返っていた。
たぶん、自分の目はきらきらと輝いていただろう。叶はやや身を引き気味に言い返した。
「……何度も言っているはずです。長時間、
「しばらく家族がいなくなるなら、問題ないよ! 叶ちゃんとお泊り会したいな。護衛するにも、ちょうど良いでしょ?」
使命を絡めて説得すれば、真面目な少女は断らないはずだという自信があった。
未佳が期待の満ちた目で見つめると、叶は気まずそうに目を逸らした。常日頃、まっすぐ強い瞳で相手を見る少女が、だ。
「……考えておきます」
「楽しみにしてるね!」
なんとなく叶の扱い方が分かってきた未佳は、満面の笑みで頷いた。