第14話 彼名方 遥
文字数 4,502文字
すっかり夜の帳が下りた頃。
大手フランチャイズチェーンのファミリーレストランは、老若男女の客で賑わっていた。もう少し夕食どきに差し掛かれば、店内は満席になるだろう。
夜を退ける照明は温かみを帯び、穏やかな光をテーブルの上に投げかけている。店内のスピーカーからは、『ハルカナタ』をはじめ、最近の人気曲が流れていた。あちこちから美味しそうな香りが漂ってきて、少しだけ未佳のお腹が鳴った。
(落ち着くな……)
先ほど、巨鳥に襲われるなんて異常事態に出くわしたばかりだったから、見知った環境は安心した。やっと地に足がついた気分がして、ほっとする。
「さっきは、記憶が消せなくてテンパっちゃったッス。ごめんッス~!」
ボックス席で、若者はわははと屈託なく笑った。
向かいに座る未佳は、水が入ったコップを握りしめて、ひとまず首を振った。
「ってコトで、ハルの奢りッス! 好きなものたくさん頼むと良いッスよ〜。ファミレス程度じゃ、謝罪になってる気がしないッスけどぉ」
「い、良いんです」
未佳はもう一度、首を振った。
これは、若者が提示してきた高級寿司屋やら高級レストランやら焼肉屋など高額なラインナップを、未佳が頑固拒否したためだった。今日、会ったばかりの初対面に、そんな大層なご馳走をさせるのは気が引けたのである。
——若者は、彼名方 遥 と名乗った。
何やら綺咲の手前、謝罪の形をとらないといけなかったらしく、未佳に夕飯を奢るという話になったのだ。
未佳もいろいろ聞きたいこともあったから、申し出を受けることにしたのだった。
「ハルは大人ッスからねぇ。中学生
そう言って、遥は卓上のタッチ端末を操作し始める。
すると未佳の真横で、溜め息がした。
「……今朝も言いましたが、不必要に境界者 と一緒にいるのはお勧めしません」
今朝以来の叶だった。艷やかな金髪と黒いワンピース姿は、色彩賑やかなファミリーレストランの背景では非常に浮いている。認知されていれば、店内に入った途端に目を引くことだろう。
未佳は嬉しそうに笑った。
「でも、来てくれて嬉しいよ」
事件後、手早くレストランを検索する遥に、せっかくなら叶も呼びたいと言ったところ、二つ返事で承諾してくれた。近場の店舗に向かう途中、叶が住むマンションに寄って、来訪者が未佳だと思って玄関を開けた少女を、横から遥が引っ張り出したのだった。
未佳としては、自分に叶を誘き寄せる力があったことも、少女の家が思ったより自宅から近いことも驚きだった。
「遥さんに強引に連れ出されただけです」
「ハルは、ミカちん天才と思ったッス! ハルたち、大人数でご飯食べるコトないッスし! 次からは、お一人様のカノっぴ誘うコトにするッス」
「迷惑です」
そこだけはいつも通り、叶はきっぱり切り捨てた。
遥が天真爛漫で、かつ年上ということも相まってか、叶は状況に流されるがままだ。なんだか、自由な先輩に付き合わされる真面目な後輩みたいだった。
全員が一通り注文し終わってから、未佳は遥を改めて見た。
思い出すのは、公園でのステージだ。今は人懐こい雰囲気だが、あの時の若者は眩しいほどのオーラを放っていた。
コップの水を飲み干し、ずっと聞きそびれていたことを切り出した。
初対面だとか境界者 だとか、そんなことを尋ねるより、ずっとずっと緊張していた。
「あの! 遥さん、『ハルカナタ』……なんですよね?」
「あ、そーいやライブしたッスね! いろいろあって忘れてたッス! そーそー、ハルこそが『ハルカナタ』ッス☆」
ピースして謎のポーズを決める遥。もちろん確信はあったが、本人の口から聞くと、より一層胸が高鳴った。
「あ、あの……ライブ最高でした! 私、デビューした時から大好きで、びっくりして……」
「エッ!? ミカちん、ガチのファンッスか!?」
今度は、若者が驚く番だった。ぽかんと開けられた口が、どんどん嬉しそうににやけていく。
「ま、マジッスかぁ……嬉し〜! 生の声、聞きたかったんスよねぇ! ファンが眠り花 とか運命? ハル、明日死んだりしないッスよね!?」
ドローズ。
何処かで聞いた言葉だった。記憶をたぐると、暁斗が言っていた。
——『眠り花 の君と話したかった』
「ドローズとは何です?」
問いかけは、隣の叶だった。
未佳ではなく叶から問われたのが意外だったのか、遥はきょとんと間を置いてから、得心げに頷いた。
「ああ、カノっぴはまだ知らないッスね。風切家のカノっぴはともかく、本人のミカちんに教えると、ノーエ婆サンに怒られそうッスけど……ま、彼名方家は中立なんで~、別にいいッスかねぇ」
「……ノーエさんは、本人に伝えるべきではないという意向なのですか。それとも、睦月家の方針ですか」
「両方ッス。でも、スズやんもたぶん知らないッスよ。眠り花 については、親が頃合いを見て教えるコトになってるッスからね。大体は成人後ッス」
——風切家、彼名方家、睦月家。
以前も聞いた家名を含め、すらすらと話していく遥は、間違いなくその世界の人間……境界者 だろう。
けれども、若者は人気の覆面シンガーソングライター『ハルカナタ』だと判明したばかりだ。
人に認知されない境界者 と、世間で人気の歌手。対極の肩書きは、両立できないように思えた。
(それに、凄くコミュ力が高い……)
これまで出会った境界者 たちは、いずれも表情の変化が乏しく、端的な物言いをする者ばかりだった。それは狭い人間関係の中で、複雑なコミュニケーションが必要なかったためだろう。
だが、遥は——目元が隠れているので、表情のすべては分からないが——感情豊かで、とてもよく喋る。会ったばかりの未佳をライブに引っ張っていくほどだし、信じられないくらい社交的で、他とは明らかに一線を画していた。
やや疑りの目で、未佳は尋ねた。
「遥さん、本当に境界者 なんですか? ライブでも、皆に見えてたみたいだったし……それに、『ハルカ』のポイッターも大勢の人に見られてますし」
「エッ、ミカちんフォロワー!? フォローしたいッス! あ、さすがに裏アカの方がいいッスね~」
「裏アカあるんだ、『ハルカ』……」
『ハルカナタ』のSNSは、更新頻度が高いことで有名だ。一風変わった表現で短いミステリアスな文章が投稿され、物凄い数のリアクションがあり、ファンの間ではいろんな考察がされていたりする。無邪気でトンチキな目の前の本人を見ていると、どうやらただの深読みのようだ。
そのうち、注文していたメニューが運ばれてきて、店員は未佳にだけ挨拶をして立ち去った。
未佳はハンバーグを前に、ナイフとフォークを手に取った。
先んじて母には、友人の家で夕飯をご馳走してもらうことになったとは連絡してあるが、きっと今頃は未佳のことは忘れて支度しているだろう。不思議な気分で、塊にナイフを入れる。
「『夢を認知させる』——それがハルの、というか彼名方家の能力ッス」
甘口のカレーライスに福神漬を入れながら、遥が言った。
「しかも強制的に。例えば、スマホを見て歩いていても、友達との会話がどれだけ盛り上がってても、ハルの力が及ぶ領域に入ったら、絶対ハルに注目するッス。意識上での最優先事項になるんスよ。要は、ハル以外は見ちゃダメ! って感じなんスけど、ハルを見て、何を思って、何をするかは本人の自由ッス」
「解除したら、いつも通り一瞬で忘れられるんスけど」と、若者は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
——ライブを思い出しながら、遥の言葉を読み解く。
中央公園は唯ヶ丘駅の北口に近かったし、午後五時台は帰宅ラッシュの時間帯だ。帰路に着く大勢の人々は、強制的にライブを見聞きさせられたことだろう。
だが、そこからは各々の判断に委ねられる。
つまり、ライブを見るか、見ないかは本人が選択する。
未佳が気付かなかっただけで、興味がなく立ち去った人々も多々いただろう。ライブというより野外カラオケだったし、きっと普通の人間から見たら、ただの歌が上手い人としか映らなかったはずだ。
しかし、ファンの未佳と愛美は『ハルカナタ』だと確信していた。集まった人々も同様だった。
あの時あの場所に、あれだけのファンが集まったのだとすれば理解できる。今をときめく人気歌手のファン母数を考えれば有り得なくはないだろう。もし、『ハルカナタ』の顔が知られていたら、もっと絶大な効果があったはずだ。
「その場の注目を集める……ということですね」
「そうッス。その先は、ハルたちの手腕次第ってワケッス。だからハルの歌は、ちゃーんと世間に刺さったってコトッスね! ——あ、音源とかSNSとか、タイムラグがあるタイプは、ハルの残り香みたいなのがついて、それで認知させてるッス。媒介があるとイケるんスよねぇ」
遥はもぐもぐカレーを食べながら、得意げに笑った。
つまり世間は、現実世界に落ちた若者の影を見ているのだ。遥だけに限らず、多くの有名人はそうとも言えるかもしれない。
(……でも、なんでだろう)
『ハルカナタ』は、ライブはおろか、各種メディアにも一切姿を現さない。唯一、個人のSNSだけが動いていて、定期的に「なりすまし」疑惑が囁かれている。『ハルカナタ』自体がエニグマだと揶揄されているほどだ。
ここまで、その理由は、境界者 だから直接人々に認知されないためだろうと思っていた。
だが、おかしなことに、遥にはそれを超越する術がある。
「……普段から、そうしないんですか? 『ハルカ』の表立ったライブだって、できるんじゃ」
「ずっとやってるのは、しんどいんスよぉ。常に腹筋に力を入れてるようなモンッスから。そりゃ、全然疲れなかったら、普段からやっときたいッスよぉ」
愚痴っぽい遥の言葉に、叶がカルボナーラパスタをフォークで巻きながら切り込んだ。
「遥さん。あなたの領域にいる人間は、あなたを介して夢の存在にピントが合う状態であることをお忘れなく。そこに魂 が襲来すれば、大変な事態になります」
「ハイハイ。だからちゃーんと、ライブも途中で切り上げたッスよぉ」
「必要がなければ、使うべきではないと言っているのです」
「カノっぴ厳し~。真面目ッスねぇ、中学生は」
「歳は関係ありません」
軽薄な口調を諌めるように、叶は若者を睨み据えた。
どうも遥は、本人に魂 を倒す術がないのもあるだろうが、使命を従順にこなすタイプではないようだった。人間が襲われる可能性があるライブを強行した点を考えると、死者が出なければ良いくらいの認識だ。
柔軟で立ち回りが上手いといえば聞こえは良いが、自分の利益が優先ということだろう。使命を遵守している叶と反りが合わないのも頷けた。
涼也と叶、使命に忠実な二人を見ていたから、好きなように生きる遥は意外だった。
(……本当に、ライブしたかったんだな)
あの公園で不特定多数に認知され、気持ちよく歌っていた若者を思うと納得した。
未佳は、皿の上で切り分けたハンバーグの欠片を見つめた。
頭の中には、暁斗の言葉が浮かんでいた。
大手フランチャイズチェーンのファミリーレストランは、老若男女の客で賑わっていた。もう少し夕食どきに差し掛かれば、店内は満席になるだろう。
夜を退ける照明は温かみを帯び、穏やかな光をテーブルの上に投げかけている。店内のスピーカーからは、『ハルカナタ』をはじめ、最近の人気曲が流れていた。あちこちから美味しそうな香りが漂ってきて、少しだけ未佳のお腹が鳴った。
(落ち着くな……)
先ほど、巨鳥に襲われるなんて異常事態に出くわしたばかりだったから、見知った環境は安心した。やっと地に足がついた気分がして、ほっとする。
「さっきは、記憶が消せなくてテンパっちゃったッス。ごめんッス~!」
ボックス席で、若者はわははと屈託なく笑った。
向かいに座る未佳は、水が入ったコップを握りしめて、ひとまず首を振った。
「ってコトで、ハルの奢りッス! 好きなものたくさん頼むと良いッスよ〜。ファミレス程度じゃ、謝罪になってる気がしないッスけどぉ」
「い、良いんです」
未佳はもう一度、首を振った。
これは、若者が提示してきた高級寿司屋やら高級レストランやら焼肉屋など高額なラインナップを、未佳が頑固拒否したためだった。今日、会ったばかりの初対面に、そんな大層なご馳走をさせるのは気が引けたのである。
——若者は、
何やら綺咲の手前、謝罪の形をとらないといけなかったらしく、未佳に夕飯を奢るという話になったのだ。
未佳もいろいろ聞きたいこともあったから、申し出を受けることにしたのだった。
「ハルは大人ッスからねぇ。中学生
二人
に奢りなんて余裕ッス。ハルは何食べよっかな~」そう言って、遥は卓上のタッチ端末を操作し始める。
すると未佳の真横で、溜め息がした。
「……今朝も言いましたが、不必要に
今朝以来の叶だった。艷やかな金髪と黒いワンピース姿は、色彩賑やかなファミリーレストランの背景では非常に浮いている。認知されていれば、店内に入った途端に目を引くことだろう。
未佳は嬉しそうに笑った。
「でも、来てくれて嬉しいよ」
事件後、手早くレストランを検索する遥に、せっかくなら叶も呼びたいと言ったところ、二つ返事で承諾してくれた。近場の店舗に向かう途中、叶が住むマンションに寄って、来訪者が未佳だと思って玄関を開けた少女を、横から遥が引っ張り出したのだった。
未佳としては、自分に叶を誘き寄せる力があったことも、少女の家が思ったより自宅から近いことも驚きだった。
「遥さんに強引に連れ出されただけです」
「ハルは、ミカちん天才と思ったッス! ハルたち、大人数でご飯食べるコトないッスし! 次からは、お一人様のカノっぴ誘うコトにするッス」
「迷惑です」
そこだけはいつも通り、叶はきっぱり切り捨てた。
遥が天真爛漫で、かつ年上ということも相まってか、叶は状況に流されるがままだ。なんだか、自由な先輩に付き合わされる真面目な後輩みたいだった。
全員が一通り注文し終わってから、未佳は遥を改めて見た。
思い出すのは、公園でのステージだ。今は人懐こい雰囲気だが、あの時の若者は眩しいほどのオーラを放っていた。
コップの水を飲み干し、ずっと聞きそびれていたことを切り出した。
初対面だとか
「あの! 遥さん、『ハルカナタ』……なんですよね?」
「あ、そーいやライブしたッスね! いろいろあって忘れてたッス! そーそー、ハルこそが『ハルカナタ』ッス☆」
ピースして謎のポーズを決める遥。もちろん確信はあったが、本人の口から聞くと、より一層胸が高鳴った。
「あ、あの……ライブ最高でした! 私、デビューした時から大好きで、びっくりして……」
「エッ!? ミカちん、ガチのファンッスか!?」
今度は、若者が驚く番だった。ぽかんと開けられた口が、どんどん嬉しそうににやけていく。
「ま、マジッスかぁ……嬉し〜! 生の声、聞きたかったんスよねぇ! ファンが
ドローズ。
何処かで聞いた言葉だった。記憶をたぐると、暁斗が言っていた。
——『
「ドローズとは何です?」
問いかけは、隣の叶だった。
未佳ではなく叶から問われたのが意外だったのか、遥はきょとんと間を置いてから、得心げに頷いた。
「ああ、カノっぴはまだ知らないッスね。風切家のカノっぴはともかく、本人のミカちんに教えると、ノーエ婆サンに怒られそうッスけど……ま、彼名方家は中立なんで~、別にいいッスかねぇ」
「……ノーエさんは、本人に伝えるべきではないという意向なのですか。それとも、睦月家の方針ですか」
「両方ッス。でも、スズやんもたぶん知らないッスよ。
——風切家、彼名方家、睦月家。
以前も聞いた家名を含め、すらすらと話していく遥は、間違いなくその世界の人間……
けれども、若者は人気の覆面シンガーソングライター『ハルカナタ』だと判明したばかりだ。
人に認知されない
(それに、凄くコミュ力が高い……)
これまで出会った
だが、遥は——目元が隠れているので、表情のすべては分からないが——感情豊かで、とてもよく喋る。会ったばかりの未佳をライブに引っ張っていくほどだし、信じられないくらい社交的で、他とは明らかに一線を画していた。
やや疑りの目で、未佳は尋ねた。
「遥さん、本当に
「エッ、ミカちんフォロワー!? フォローしたいッス! あ、さすがに裏アカの方がいいッスね~」
「裏アカあるんだ、『ハルカ』……」
『ハルカナタ』のSNSは、更新頻度が高いことで有名だ。一風変わった表現で短いミステリアスな文章が投稿され、物凄い数のリアクションがあり、ファンの間ではいろんな考察がされていたりする。無邪気でトンチキな目の前の本人を見ていると、どうやらただの深読みのようだ。
そのうち、注文していたメニューが運ばれてきて、店員は未佳にだけ挨拶をして立ち去った。
未佳はハンバーグを前に、ナイフとフォークを手に取った。
先んじて母には、友人の家で夕飯をご馳走してもらうことになったとは連絡してあるが、きっと今頃は未佳のことは忘れて支度しているだろう。不思議な気分で、塊にナイフを入れる。
「『夢を認知させる』——それがハルの、というか彼名方家の能力ッス」
甘口のカレーライスに福神漬を入れながら、遥が言った。
「しかも強制的に。例えば、スマホを見て歩いていても、友達との会話がどれだけ盛り上がってても、ハルの力が及ぶ領域に入ったら、絶対ハルに注目するッス。意識上での最優先事項になるんスよ。要は、ハル以外は見ちゃダメ! って感じなんスけど、ハルを見て、何を思って、何をするかは本人の自由ッス」
「解除したら、いつも通り一瞬で忘れられるんスけど」と、若者は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
——ライブを思い出しながら、遥の言葉を読み解く。
中央公園は唯ヶ丘駅の北口に近かったし、午後五時台は帰宅ラッシュの時間帯だ。帰路に着く大勢の人々は、強制的にライブを見聞きさせられたことだろう。
だが、そこからは各々の判断に委ねられる。
つまり、ライブを見るか、見ないかは本人が選択する。
未佳が気付かなかっただけで、興味がなく立ち去った人々も多々いただろう。ライブというより野外カラオケだったし、きっと普通の人間から見たら、ただの歌が上手い人としか映らなかったはずだ。
しかし、ファンの未佳と愛美は『ハルカナタ』だと確信していた。集まった人々も同様だった。
あの時あの場所に、あれだけのファンが集まったのだとすれば理解できる。今をときめく人気歌手のファン母数を考えれば有り得なくはないだろう。もし、『ハルカナタ』の顔が知られていたら、もっと絶大な効果があったはずだ。
「その場の注目を集める……ということですね」
「そうッス。その先は、ハルたちの手腕次第ってワケッス。だからハルの歌は、ちゃーんと世間に刺さったってコトッスね! ——あ、音源とかSNSとか、タイムラグがあるタイプは、ハルの残り香みたいなのがついて、それで認知させてるッス。媒介があるとイケるんスよねぇ」
遥はもぐもぐカレーを食べながら、得意げに笑った。
つまり世間は、現実世界に落ちた若者の影を見ているのだ。遥だけに限らず、多くの有名人はそうとも言えるかもしれない。
(……でも、なんでだろう)
『ハルカナタ』は、ライブはおろか、各種メディアにも一切姿を現さない。唯一、個人のSNSだけが動いていて、定期的に「なりすまし」疑惑が囁かれている。『ハルカナタ』自体がエニグマだと揶揄されているほどだ。
ここまで、その理由は、
だが、おかしなことに、遥にはそれを超越する術がある。
「……普段から、そうしないんですか? 『ハルカ』の表立ったライブだって、できるんじゃ」
「ずっとやってるのは、しんどいんスよぉ。常に腹筋に力を入れてるようなモンッスから。そりゃ、全然疲れなかったら、普段からやっときたいッスよぉ」
愚痴っぽい遥の言葉に、叶がカルボナーラパスタをフォークで巻きながら切り込んだ。
「遥さん。あなたの領域にいる人間は、あなたを介して夢の存在にピントが合う状態であることをお忘れなく。そこに
「ハイハイ。だからちゃーんと、ライブも途中で切り上げたッスよぉ」
「必要がなければ、使うべきではないと言っているのです」
「カノっぴ厳し~。真面目ッスねぇ、中学生は」
「歳は関係ありません」
軽薄な口調を諌めるように、叶は若者を睨み据えた。
どうも遥は、本人に
柔軟で立ち回りが上手いといえば聞こえは良いが、自分の利益が優先ということだろう。使命を遵守している叶と反りが合わないのも頷けた。
涼也と叶、使命に忠実な二人を見ていたから、好きなように生きる遥は意外だった。
(……本当に、ライブしたかったんだな)
あの公園で不特定多数に認知され、気持ちよく歌っていた若者を思うと納得した。
未佳は、皿の上で切り分けたハンバーグの欠片を見つめた。
頭の中には、暁斗の言葉が浮かんでいた。