第17話 微睡む者
文字数 4,241文字
下校時。
涼也は、玄関近くの美術部を覗き、未佳の傍に叶が控えているのを見てから、学校を出た。
四月下旬の空は、数日前より明るい気がした。ここ一週間で、なんとなく日が長くなったのを感じる。
今日から、未佳の護衛が始まっている。
これまでは掃除が始まった頃に帰っていたが、これからは、未佳の校内移動が落ち着くまで——つまり部活動に入るまでは、残ることにしたのだった。
叶は、登下校。涼也は、学校にいる間と、未佳の帰宅後だ。
(……寝ずの番なんて、やる日が来るとは思わなかったな)
反対されるだろうから内緒だが、未佳の家の屋根上で一晩中、見張っている腹積もりだ。
昨日はその準備で忙しく、何やら学校近くに魂 が出たのは気付いていたが、遠くてすぐに向かえなかった。『アニマップ』を見たら母が近かったし、きっと対処してくれるだろうから任せておいたが、場所が場所だけに未佳が襲われていないか心配していた。
睡眠不足は、学校で寝て補えば済む。
しかし昼間、部外者の遥が平然と校内に入ってきたことで、別の可能性が生まれていた。
(……俺が学校で寝てる間に、暁斗兄さんが来ることも有り得る)
だが、学校にいる最中に未佳を連れて行くと、急に未佳が消えたと騒ぎになる。学校中はもちろん、警察沙汰にもなりかねない。
——涼也が知る暁斗は、魂 に襲われて泣きじゃくっていた子供を、わざわざ慰める人だった。
記憶を消せば、この子は襲われない。彼にそう教わって、記憶を消した。
自分たちを忘れさせることが、普通の人間にとって幸せなのだと、暁斗から学んだのだ。
だから、不用意に混乱を招くような沙汰は起こさないと思うが……
(……どうかな)
涼也には、未佳を強引に連れて行こうとした暁斗は五年前と同じなのか、分からなかった。
もし再会したとしても、何を話したらいいのだろう。
九歳だった自分に、当時のことを十分に理解していない自分に、暁斗を諌める言葉は意味を成すのだろうか。
——五年前、一体何があったのか。
母に聞いてみたが、暁斗の口から聞くようにと断られた。人の過去を語るつもりはないのだろうが、何処となく母自身も、話すことを躊躇っていたように見えた。
飛竜を生成して乗ればいいのに、考え事をしていると、無意識に歩いてしまう。
校門を通り過ぎようとしたら、真横から声がした。
「あ、スズやん! 学校終わったッスか? おっつ~」
門柱に寄りかかって携帯電話を触っていた遥は、ひらひら手を振った。
今朝の立ち去り際に、下校時に会おうとは言っていたが、まさか本当に帰りの時間まで残っていると思わなかった。
立ち止まった涼也は、思わず変なことを尋ねた。
「……本当に、給食食べたの?」
「いやあ、さすがにコンビニ行ってきたッスよぉ。あとは、職員室の隅でずっと曲考えてたッス! 程よく人気があって捗ったッス~」
「帰ればいいのに……」
要は、暇を持て余していたんだろう。呆れて小さく溜め息を吐いてから、涼也は言った。
「——未佳の監視に来たんでしょ」
間に境界を引くような、真面目な声だった。
普段、若者は唯ヶ丘区の西に面した中央区に住んでいる。その上、ただの境界者 が中学校をわざわざ訪れる理由なんてない。特殊な存在である少女に会いに来たと考える方が自然だ。
切り込むような少年の一言に臆することもなく、遥はわははと笑った。
「どんな人物か見に来ただけッスよぉ。忙しいパパに変わって、ハルが視察に来たワケッス」
監視。視察。
未佳は、遥が『ハルカナタ』だと知って大層驚いたようだが、
若者には、他にもう一つ——正確には二つ、顔がある。
彼名方家の実社会での名は、「天海家」。
天海市中央区に本社を置く大企業、ニルバナコーポレーションを代々経営する家系だ。
境界者 と言えど普通の人間と同じで、社会の中で生きるには、住環境、金銭、医療、身分証明など、さまざまなものが必要になる。
昔からそれらを担い、現実社会との折衝をしてきたのが彼名方家だ。
大昔は一帯を支配する大地主だったらしく、市の名前の由来は当時の名残だとか。彼名方家の能力——強制的に『夢に認知させる』能力の上に、辣腕が物を言えば至極当然の歴史だっただろう。それが現代では、たまたま企業の形をとっただけのこと。
その有能さは、現・代表取締役社長の天海 光 ——本名・彼名方 光 にも、そして子供にも受け継がれている。
遥は、天海市を掌握しているに等しい大企業の御曹司。
つまり、『ニルバナ』代表取締役社長と、彼名方家当主の名代であるということだ。
(……まったく見えないけど)
それだけは、ずっと昔から思っている。
華々しくて堅苦しい肩書きに収まらないように見えるのに、賢くて要領も良い遥は、魔法みたいに何でもそつなくこなしてしまう。
ついでに父の光も、堅いスーツが似合わない快活な人だ。これまでの歴史を振り返ってみても、彼名方家はそういう才能にあふれているのかもしれない。
そんな大企業は、天海市に独自の監視網を張り巡らせており、わざわざ行政を介さなくても人々の転入出を把握している。基本的には数値の推移を計測しているだけだが、真の目的は別にある。
当主代行が言う。
「眠り花 の数を計測、動向の監視は、彼名方家の役目ッスからねぇ」
「……最初から、気付いてた?」
「そうッスね。この辺に新たな眠り花 が生まれているのは、一週間前から計測できてたッス。で、スズやんが姐サンに相談して、姐サンからウチに現場の情報が入ってきた、って感じッスね」
軽薄な口調で、淡々と経緯を話す遥。その頃から、彼名方家は盤上を俯瞰するように眺めていたのか。
「とは言っても、ハルがまともに見た眠り花 は、ミカちんが初めてッスけど」
「本当に記憶が消せないんスね~」と遥はしみじみと呟いた。
「で、そういう質問してくるってコトは、眠り花 については姐サンから聞いたんスね」
「……うん。夢の力が効かない人間だから、大切にって」
涼也は、喫茶店で綺咲から聞いた内容を思い返した。
夢の存在に焦点が合ってしまう人間は、稀にいる。その場合は記憶を消せば良い。
『認知できなければ忘れてしまう』のなら、逆も然り。『忘れてしまえば認知できない』ということだ。
だが、眠り花 は違う。
それは、始祖の使命まで遡る。
境界を越えてきた始祖たちには、ある目的があった。
——夢の世界から飛散した〈種〉を管理すること。
〈種〉は、人間の意識下に根付き、やがて見えない〈花〉を咲かせる。
夢の力の結晶が開花した人間——それが眠り花 だ。
同じ力を持っているが故に、夢の力による干渉、境界者 の記憶操作を受け付けない。彼らは、〈花〉がある限り、夢の存在を認知する。
認知させないことも、忘れさせることもできない、微睡む者なのだ。
「ミカちんが優しい人間、かつ理解ある眠り花 でよかったッスねぇ」
ふと、若者が何気なく言った。
涼也は言外の意味を察して、一瞬、思考が停止した。
「……そうじゃない場合も、あるの」
「ん? ははあ、スズやんは言いつけをちゃーんと守ってるんスね~。ハルは、記憶を消さないとどうなるか試したコトあるッスけど」
言いつけ——『見える人間に出会ったら、すぐに記憶を消すこと』だろう。
確かに今まで、目が合った人間の記憶はすぐに消してきた。そのままにしておくなんて、考えたこともなかった。
意識して息を吸い込む。
聞かない方が良いと理解していたが、涼也は尋ねた。
「……それ、どうなった?」
「聞いて楽しいモンじゃないけど、聞くッスか?」
「……うん。知っておきたいから」
確認を挟んだのは、遥なりの気遣いだろう。一拍置いて頷くと、若者は「真面目ッスねぇ」と呟いた。
「ま、境界者 なんて怖がられて当然ッスからねぇ。怖がって逃げるくらいなら可愛いモンで、間違った解釈をされて、化け物を連れてる化け物とか暴言を吐かれたり、なんと攻撃されるコトもあったッスよ。ハルなんて何もできないのに、とばっちりッス」
「………………」
すらすらと紡がれる言葉は、涼也の心に
最初、未佳を遠ざけようとしたのは間違っていなかったのだ。
——もし、あの日。
助けた未佳が自分たちに怯え、記憶を消したくてもできなかったら、どうしていただろう。
自分を恐れる顔を、何度も見ることになっていたのだろうか。
想像したら息苦しくて、思わず胸の辺りの服を握りしめると、遥が静かに続けた。
「……そう。ただの人間なら、記憶を消してサヨナラッスけど、眠り花 だとそうもいかないッス。境界者 にとっては悪夢ッスね。あ、夢の存在の末裔なのに『悪夢』ってのは、皮肉が効いてて良いッスね!」
戯けたふうに言う若者の声は、あくまで平坦だ。人間に対する好意も悪意ものせられていない。人間とはそういうものだという事実だけを述べている。
涼也は、何も答えられなかった。
「ま、同じ人間同士でもイザコザしてるんだから、境界者 相手には顕著に出るだけッスよ。——ハイ、重たい話はココまで。スズやんが倒れちゃいそうッス」
ぽんぽんと、頭を軽く叩かれた。
知らぬ間に、若者はすぐ横に移動していた。さほど身長は変わらないのに、悠然とした態度で遥はもっと大きく見えた。
——今朝、未佳に自分は「弟みたいなもの」と言われて、気が付いた。
涼也が物心ついた頃から、遥はこうだった。ふらっと遊びに来て、巧みな話術と閃きで傍若無人に振り回したと思えば、心細い時には傍で見守ってくれるような、動と静が同居する不思議な人だった。
今の呼び方に敬称以上の意味はなく、本当の「兄」という存在は分からないけれど、自分にとっての遥はそうだったのかもしれない。
「……遥兄さんは……」
「ん?」
近い距離で、遥がことりと首を傾げる。
今朝、若者に遭遇した時から、少年の脳裏には母の言葉が頭にちらついていた。
——『遥に注意して』
だが、若者は役目を果たしに来ただけだ。それは母も分かっているはず。
それがどういう意味だったのか、涼也は測りかねていた。
「……なんでもない」
「なんスかぁ~、気になるッスよぉ。じゃあ、一緒に夕飯食べに行こッス! そこで聞くッス!」
「……用事あるから。叶と行ったら」
「エ~!」
きっと、母の杞憂だろう。
追い縋りそうな若者をかわし、寝ずの番がある涼也は背を向けた。
涼也は、玄関近くの美術部を覗き、未佳の傍に叶が控えているのを見てから、学校を出た。
四月下旬の空は、数日前より明るい気がした。ここ一週間で、なんとなく日が長くなったのを感じる。
今日から、未佳の護衛が始まっている。
これまでは掃除が始まった頃に帰っていたが、これからは、未佳の校内移動が落ち着くまで——つまり部活動に入るまでは、残ることにしたのだった。
叶は、登下校。涼也は、学校にいる間と、未佳の帰宅後だ。
(……寝ずの番なんて、やる日が来るとは思わなかったな)
反対されるだろうから内緒だが、未佳の家の屋根上で一晩中、見張っている腹積もりだ。
昨日はその準備で忙しく、何やら学校近くに
睡眠不足は、学校で寝て補えば済む。
しかし昼間、部外者の遥が平然と校内に入ってきたことで、別の可能性が生まれていた。
(……俺が学校で寝てる間に、暁斗兄さんが来ることも有り得る)
だが、学校にいる最中に未佳を連れて行くと、急に未佳が消えたと騒ぎになる。学校中はもちろん、警察沙汰にもなりかねない。
——涼也が知る暁斗は、
記憶を消せば、この子は襲われない。彼にそう教わって、記憶を消した。
自分たちを忘れさせることが、普通の人間にとって幸せなのだと、暁斗から学んだのだ。
だから、不用意に混乱を招くような沙汰は起こさないと思うが……
(……どうかな)
涼也には、未佳を強引に連れて行こうとした暁斗は五年前と同じなのか、分からなかった。
もし再会したとしても、何を話したらいいのだろう。
九歳だった自分に、当時のことを十分に理解していない自分に、暁斗を諌める言葉は意味を成すのだろうか。
——五年前、一体何があったのか。
母に聞いてみたが、暁斗の口から聞くようにと断られた。人の過去を語るつもりはないのだろうが、何処となく母自身も、話すことを躊躇っていたように見えた。
飛竜を生成して乗ればいいのに、考え事をしていると、無意識に歩いてしまう。
校門を通り過ぎようとしたら、真横から声がした。
「あ、スズやん! 学校終わったッスか? おっつ~」
門柱に寄りかかって携帯電話を触っていた遥は、ひらひら手を振った。
今朝の立ち去り際に、下校時に会おうとは言っていたが、まさか本当に帰りの時間まで残っていると思わなかった。
立ち止まった涼也は、思わず変なことを尋ねた。
「……本当に、給食食べたの?」
「いやあ、さすがにコンビニ行ってきたッスよぉ。あとは、職員室の隅でずっと曲考えてたッス! 程よく人気があって捗ったッス~」
「帰ればいいのに……」
要は、暇を持て余していたんだろう。呆れて小さく溜め息を吐いてから、涼也は言った。
「——未佳の監視に来たんでしょ」
間に境界を引くような、真面目な声だった。
普段、若者は唯ヶ丘区の西に面した中央区に住んでいる。その上、ただの
切り込むような少年の一言に臆することもなく、遥はわははと笑った。
「どんな人物か見に来ただけッスよぉ。忙しいパパに変わって、ハルが視察に来たワケッス」
監視。視察。
未佳は、遥が『ハルカナタ』だと知って大層驚いたようだが、
この真実
を知ったら今度は倒れてしまうかもしれない。若者には、他にもう一つ——正確には二つ、顔がある。
彼名方家の実社会での名は、「天海家」。
天海市中央区に本社を置く大企業、ニルバナコーポレーションを代々経営する家系だ。
昔からそれらを担い、現実社会との折衝をしてきたのが彼名方家だ。
大昔は一帯を支配する大地主だったらしく、市の名前の由来は当時の名残だとか。彼名方家の能力——強制的に『夢に認知させる』能力の上に、辣腕が物を言えば至極当然の歴史だっただろう。それが現代では、たまたま企業の形をとっただけのこと。
その有能さは、現・代表取締役社長の
遥は、天海市を掌握しているに等しい大企業の御曹司。
つまり、『ニルバナ』代表取締役社長と、彼名方家当主の名代であるということだ。
(……まったく見えないけど)
それだけは、ずっと昔から思っている。
華々しくて堅苦しい肩書きに収まらないように見えるのに、賢くて要領も良い遥は、魔法みたいに何でもそつなくこなしてしまう。
ついでに父の光も、堅いスーツが似合わない快活な人だ。これまでの歴史を振り返ってみても、彼名方家はそういう才能にあふれているのかもしれない。
そんな大企業は、天海市に独自の監視網を張り巡らせており、わざわざ行政を介さなくても人々の転入出を把握している。基本的には数値の推移を計測しているだけだが、真の目的は別にある。
当主代行が言う。
「
「……最初から、気付いてた?」
「そうッスね。この辺に新たな
軽薄な口調で、淡々と経緯を話す遥。その頃から、彼名方家は盤上を俯瞰するように眺めていたのか。
「とは言っても、ハルがまともに見た
「本当に記憶が消せないんスね~」と遥はしみじみと呟いた。
「で、そういう質問してくるってコトは、
「……うん。夢の力が効かない人間だから、大切にって」
涼也は、喫茶店で綺咲から聞いた内容を思い返した。
夢の存在に焦点が合ってしまう人間は、稀にいる。その場合は記憶を消せば良い。
『認知できなければ忘れてしまう』のなら、逆も然り。『忘れてしまえば認知できない』ということだ。
だが、
それは、始祖の使命まで遡る。
境界を越えてきた始祖たちには、ある目的があった。
——夢の世界から飛散した〈種〉を管理すること。
〈種〉は、人間の意識下に根付き、やがて見えない〈花〉を咲かせる。
夢の力の結晶が開花した人間——それが
同じ力を持っているが故に、夢の力による干渉、
認知させないことも、忘れさせることもできない、微睡む者なのだ。
「ミカちんが優しい人間、かつ理解ある
ふと、若者が何気なく言った。
涼也は言外の意味を察して、一瞬、思考が停止した。
「……そうじゃない場合も、あるの」
「ん? ははあ、スズやんは言いつけをちゃーんと守ってるんスね~。ハルは、記憶を消さないとどうなるか試したコトあるッスけど」
言いつけ——『見える人間に出会ったら、すぐに記憶を消すこと』だろう。
確かに今まで、目が合った人間の記憶はすぐに消してきた。そのままにしておくなんて、考えたこともなかった。
意識して息を吸い込む。
聞かない方が良いと理解していたが、涼也は尋ねた。
「……それ、どうなった?」
「聞いて楽しいモンじゃないけど、聞くッスか?」
「……うん。知っておきたいから」
確認を挟んだのは、遥なりの気遣いだろう。一拍置いて頷くと、若者は「真面目ッスねぇ」と呟いた。
「ま、
「………………」
すらすらと紡がれる言葉は、涼也の心に
ずしり
とのしかかった。最初、未佳を遠ざけようとしたのは間違っていなかったのだ。
——もし、あの日。
助けた未佳が自分たちに怯え、記憶を消したくてもできなかったら、どうしていただろう。
自分を恐れる顔を、何度も見ることになっていたのだろうか。
想像したら息苦しくて、思わず胸の辺りの服を握りしめると、遥が静かに続けた。
「……そう。ただの人間なら、記憶を消してサヨナラッスけど、
戯けたふうに言う若者の声は、あくまで平坦だ。人間に対する好意も悪意ものせられていない。人間とはそういうものだという事実だけを述べている。
涼也は、何も答えられなかった。
「ま、同じ人間同士でもイザコザしてるんだから、
ぽんぽんと、頭を軽く叩かれた。
知らぬ間に、若者はすぐ横に移動していた。さほど身長は変わらないのに、悠然とした態度で遥はもっと大きく見えた。
——今朝、未佳に自分は「弟みたいなもの」と言われて、気が付いた。
涼也が物心ついた頃から、遥はこうだった。ふらっと遊びに来て、巧みな話術と閃きで傍若無人に振り回したと思えば、心細い時には傍で見守ってくれるような、動と静が同居する不思議な人だった。
今の呼び方に敬称以上の意味はなく、本当の「兄」という存在は分からないけれど、自分にとっての遥はそうだったのかもしれない。
「……遥兄さんは……」
「ん?」
近い距離で、遥がことりと首を傾げる。
今朝、若者に遭遇した時から、少年の脳裏には母の言葉が頭にちらついていた。
——『遥に注意して』
だが、若者は役目を果たしに来ただけだ。それは母も分かっているはず。
それがどういう意味だったのか、涼也は測りかねていた。
「……なんでもない」
「なんスかぁ~、気になるッスよぉ。じゃあ、一緒に夕飯食べに行こッス! そこで聞くッス!」
「……用事あるから。叶と行ったら」
「エ~!」
きっと、母の杞憂だろう。
追い縋りそうな若者をかわし、寝ずの番がある涼也は背を向けた。