第16話 泣き虫とおてんば
文字数 2,917文字
『ハルカナタ』の正体を知った翌朝。
未佳は、友人二人と護衛の叶を連れ立って登校し、玄関で用があるからと友人たちを置いて、急ぎ足で教室にやって来た。
気が急いて、入るや否や、自席の隣で突っ伏している青灰髪の頭に声をかけた。
「おはよう、涼也!」
珍しく遠くから挨拶したせいか、のそりと起き上がった面は少し驚いた様子だった。
自席に移動しながら、何から話すか考えて、未佳は机に鞄を置いた。
「あの……涼也は、『ハルカ』の正体、知ってたんだよね!?」
少なくとも叶は知己だったし、境界者 の人間関係は狭いと聞いている。
以前『ハルカナタ』が好きだと言った少年は、眠そうだった青い瞳を丸くした。
「……遥兄さんに会ったの?」
それを聞いて、未佳はすべてを理解した。
だったら紹介してほしかったような、でもしてほしくなかったような、知人と紹介されていたらもっと驚いていたような複雑な気分になって、「……昨日ね」とだけ返して席についた。
「ライブに付き合わされたんだけど、『ハルカ』でびっくりしたよ」
「いいな、俺も聞きたかった」
「普段から聞いてるわけじゃないんだ?」
「してくれない。知り合いだと楽しくないって。俺は聞きたいのに」
拗ねたように言葉を重ねる涼也は、ほんの少しだけ饒舌だった。少年も、思ったより『ハルカナタ』のことが好きなのかもしれない。
『ハルカナタ』がデビューしたのは、二年前。短いCMソングは、十二歳の未佳にも印象的だった。気が付いたら、動画サイトでMVを無限ループしていたっけ。
涼也は何かを思い出したように、鞄から四角い何かを取り出して未佳に差し出した。
「DVD返す。ありがとう」
「あ、見たんだ。『ハルカ』って言ったから思い出した?」
「うん。来週だし、続編」
「そうだね。涼也って、遥さんのデビュー前を知ってるってことだよね。ど……どんな感じだった?」
返却されたDVDボックスを鞄にしまいながら、恐る恐る聞いてみる。
少年は遠い目をして、ちょっと考え込んだ。
「気付いたら歌ってた。ずっとあんな感じ。年も離れてるし」
「22歳らしいね。八つ上だもんね……」
「……でも、昔から遥兄さんの歌は好きだった」
そう呟く涼也は、なんとなく普段より雰囲気が柔らかな気がした。
きっと、少年の幼少期は、境界者 の宿命ゆえに物静かなものだっただろう。
母と、数少ない同胞との関わり。話しかけては忘れる人間たちとの、一時的な交流。
境界者 のくせに騒がしくて、普通の人間のように振る舞い、さまざまな言葉と想いをのせて歌う遥は、鮮やかな星のようだったに違いない。
その星に魅せられたのは、未佳だって同じだ。
違う世界で同じ光を見上げていたと思うと、なんだか不思議だった。
「ふ~ん? スズやん、そう思ってたんスかぁ。ハルはニブちんッスから、面と向かって言ってくれないと分かんないッスよぉ」
「「……!?」」
突然、知っている声が転がり込んで、涼也も未佳も、声の方向を猛然と振り向いた。
廊下の壁にある窓から、当然のようにすみれ色の髪が顔を覗かせていた。若者はスマートフォンを片手に、脇には小さめのノートパソコンを抱えて、ひらひらと手を振った。
「お二人サン、おはよッス! なになに~、ハルの話してたんスかぁ? 気になるッス!」
「は、遥さん!? 学校に入ってきて良いんですか!?」
「見えてないし大丈夫ッスよぉ。そうやってハルは、学校をサボりまくってたッス。わはは~!」
そういう問題じゃない気がするが、遥は楽しそうに笑った。
今は登校時間で、もちろん教室にはクラスメイトたちがいて、廊下側にも多くの生徒たちが行き交っている。見えていないとは言え、完全に部外者の遥が何食わぬ顔で校内にいると、妙に緊張した。
「スズやん、昔から好きなら古参ファンってコトじゃないッスかぁ、このこの~!」
「……うん、まあ」
「昔のスズやん、フワフワだったから全然分かんなかったッスよぉ。今はポヤポヤ。もっと昔は、グスグスの泣き虫……」
「帰って。先生来るから。早く」
遥の声を断ち切るように言葉を畳み掛け、涼也は犬でも追い払うようにしっしっと手を振る。若者は悪びれる様子もなく、笑って体を起こした。
「反抗期ッスかぁ~。さーて、中学校なんて久しぶりッスから、いろいろ見てこ~。あ、給食も食べたいッスね! そんじゃスズやん、また下校時に会おッス!」
「さっさと帰って」
何処までも自由な遥を跳ね除けて、涼也は厳重に廊下の窓を締めた。
(……泣き虫かぁ)
今の彼からは全然想像つかないけれど、小さな涼也が泣いているところを想像したら可愛らしくて、思わずくすっと笑みがこぼれた。
すると、そんな顔もできたのか、少年は居たたまれなさそうに顔を逸らした。
「……忘れて」
「ごめんごめん。えっと……じゃあ、私の子供の頃の話もするよ。幼稚園の頃、すぐに動いちゃう子だったって。道路にいる鳥が危ないと思って飛び出したり、ホームの向こう側で泣き出した子を見て線路に飛び出したり」
母がよく面白おかしく話してくれる昔話だ。父も懐かしいと言って笑い、弟はからかってくるので、自分の記憶はないのにすっかり覚えてしまった。恥ずかしいからあまり喋りたくないのだけど、これでおあいこだ。
だが、涼也は笑うどころか、きょとんとした。
「……今と同じじゃん」
「え? 今の私、そんなことしてないよね?」
「魂 に会った日、俺たちを追いかけてきた。普通、追いかけてこないでしょ」
「うっ……」
さらっと返された内容は、確かに子供の頃の延長線上にあるように思えた。
あの時は、涼也と叶が消えてしまいそうな気がして、つい教室を飛び出してしまったのだけれど、
(……あまり変わってない……かも……)
寂しそうな人が気になってしまうのも、根っこは同じだろう。
これでも控えめになったつもりなのに、幼少期から成長していないように思えてきて、未佳はつい反論した。
「そ……そんなことないよ。買い物に行ったお母さんがいなくなったと思って、弟と一緒に探しに行って、逆に迷子になった時もあったらしいけど、さすがに今は……」
(って、何で話しちゃったんだろう!)
また笑い話を暴露していることに気が付いて、途中で声が掻き消えた。
恥ずかしくて、涼也の顔が見れない。さっき、少年が顔を逸らした気持ちがよく分かる。
熱い顔を俯かせて黙り込むと、静かな声がかかった。
「……弟がいるの?」
「え……? うん。四つ年下で、宙良 っていうんだけど」
何の変哲もない問いで、拍子抜けして振り向くと、青い瞳は少し揺れていたように見えた。
そういえば、境界者 から兄弟の話は聞かない。暁斗と遥が兄のようなもので、血の繋がった兄弟はいなさそうだ。そう考えると、叶は妹なのかもしれない。
「涼也は……どっちかと言うと、涼也が弟みたいなものなのかな」
「……そうかも」
小さく答えると、涼也はおもむろに枕を取り出して寝そべった。
未佳が首を傾げると、教室の戸ががらりと開いて、担任教師がやって来た。
生徒たちが各々席につく頃には、未佳も正面を向いていた。
その日、涼也はずっと机で眠っていた。
未佳は、友人二人と護衛の叶を連れ立って登校し、玄関で用があるからと友人たちを置いて、急ぎ足で教室にやって来た。
気が急いて、入るや否や、自席の隣で突っ伏している青灰髪の頭に声をかけた。
「おはよう、涼也!」
珍しく遠くから挨拶したせいか、のそりと起き上がった面は少し驚いた様子だった。
自席に移動しながら、何から話すか考えて、未佳は机に鞄を置いた。
「あの……涼也は、『ハルカ』の正体、知ってたんだよね!?」
少なくとも叶は知己だったし、
以前『ハルカナタ』が好きだと言った少年は、眠そうだった青い瞳を丸くした。
「……遥兄さんに会ったの?」
それを聞いて、未佳はすべてを理解した。
だったら紹介してほしかったような、でもしてほしくなかったような、知人と紹介されていたらもっと驚いていたような複雑な気分になって、「……昨日ね」とだけ返して席についた。
「ライブに付き合わされたんだけど、『ハルカ』でびっくりしたよ」
「いいな、俺も聞きたかった」
「普段から聞いてるわけじゃないんだ?」
「してくれない。知り合いだと楽しくないって。俺は聞きたいのに」
拗ねたように言葉を重ねる涼也は、ほんの少しだけ饒舌だった。少年も、思ったより『ハルカナタ』のことが好きなのかもしれない。
『ハルカナタ』がデビューしたのは、二年前。短いCMソングは、十二歳の未佳にも印象的だった。気が付いたら、動画サイトでMVを無限ループしていたっけ。
涼也は何かを思い出したように、鞄から四角い何かを取り出して未佳に差し出した。
「DVD返す。ありがとう」
「あ、見たんだ。『ハルカ』って言ったから思い出した?」
「うん。来週だし、続編」
「そうだね。涼也って、遥さんのデビュー前を知ってるってことだよね。ど……どんな感じだった?」
返却されたDVDボックスを鞄にしまいながら、恐る恐る聞いてみる。
少年は遠い目をして、ちょっと考え込んだ。
「気付いたら歌ってた。ずっとあんな感じ。年も離れてるし」
「22歳らしいね。八つ上だもんね……」
「……でも、昔から遥兄さんの歌は好きだった」
そう呟く涼也は、なんとなく普段より雰囲気が柔らかな気がした。
きっと、少年の幼少期は、
母と、数少ない同胞との関わり。話しかけては忘れる人間たちとの、一時的な交流。
すかすか
な世界で、その星に魅せられたのは、未佳だって同じだ。
違う世界で同じ光を見上げていたと思うと、なんだか不思議だった。
「ふ~ん? スズやん、そう思ってたんスかぁ。ハルはニブちんッスから、面と向かって言ってくれないと分かんないッスよぉ」
「「……!?」」
突然、知っている声が転がり込んで、涼也も未佳も、声の方向を猛然と振り向いた。
廊下の壁にある窓から、当然のようにすみれ色の髪が顔を覗かせていた。若者はスマートフォンを片手に、脇には小さめのノートパソコンを抱えて、ひらひらと手を振った。
「お二人サン、おはよッス! なになに~、ハルの話してたんスかぁ? 気になるッス!」
「は、遥さん!? 学校に入ってきて良いんですか!?」
「見えてないし大丈夫ッスよぉ。そうやってハルは、学校をサボりまくってたッス。わはは~!」
そういう問題じゃない気がするが、遥は楽しそうに笑った。
今は登校時間で、もちろん教室にはクラスメイトたちがいて、廊下側にも多くの生徒たちが行き交っている。見えていないとは言え、完全に部外者の遥が何食わぬ顔で校内にいると、妙に緊張した。
「スズやん、昔から好きなら古参ファンってコトじゃないッスかぁ、このこの~!」
「……うん、まあ」
「昔のスズやん、フワフワだったから全然分かんなかったッスよぉ。今はポヤポヤ。もっと昔は、グスグスの泣き虫……」
「帰って。先生来るから。早く」
遥の声を断ち切るように言葉を畳み掛け、涼也は犬でも追い払うようにしっしっと手を振る。若者は悪びれる様子もなく、笑って体を起こした。
「反抗期ッスかぁ~。さーて、中学校なんて久しぶりッスから、いろいろ見てこ~。あ、給食も食べたいッスね! そんじゃスズやん、また下校時に会おッス!」
「さっさと帰って」
何処までも自由な遥を跳ね除けて、涼也は厳重に廊下の窓を締めた。
(……泣き虫かぁ)
今の彼からは全然想像つかないけれど、小さな涼也が泣いているところを想像したら可愛らしくて、思わずくすっと笑みがこぼれた。
すると、そんな顔もできたのか、少年は居たたまれなさそうに顔を逸らした。
「……忘れて」
「ごめんごめん。えっと……じゃあ、私の子供の頃の話もするよ。幼稚園の頃、すぐに動いちゃう子だったって。道路にいる鳥が危ないと思って飛び出したり、ホームの向こう側で泣き出した子を見て線路に飛び出したり」
母がよく面白おかしく話してくれる昔話だ。父も懐かしいと言って笑い、弟はからかってくるので、自分の記憶はないのにすっかり覚えてしまった。恥ずかしいからあまり喋りたくないのだけど、これでおあいこだ。
だが、涼也は笑うどころか、きょとんとした。
「……今と同じじゃん」
「え? 今の私、そんなことしてないよね?」
「
「うっ……」
さらっと返された内容は、確かに子供の頃の延長線上にあるように思えた。
あの時は、涼也と叶が消えてしまいそうな気がして、つい教室を飛び出してしまったのだけれど、
(……あまり変わってない……かも……)
寂しそうな人が気になってしまうのも、根っこは同じだろう。
これでも控えめになったつもりなのに、幼少期から成長していないように思えてきて、未佳はつい反論した。
「そ……そんなことないよ。買い物に行ったお母さんがいなくなったと思って、弟と一緒に探しに行って、逆に迷子になった時もあったらしいけど、さすがに今は……」
(って、何で話しちゃったんだろう!)
また笑い話を暴露していることに気が付いて、途中で声が掻き消えた。
恥ずかしくて、涼也の顔が見れない。さっき、少年が顔を逸らした気持ちがよく分かる。
熱い顔を俯かせて黙り込むと、静かな声がかかった。
「……弟がいるの?」
「え……? うん。四つ年下で、
何の変哲もない問いで、拍子抜けして振り向くと、青い瞳は少し揺れていたように見えた。
そういえば、
「涼也は……どっちかと言うと、涼也が弟みたいなものなのかな」
「……そうかも」
小さく答えると、涼也はおもむろに枕を取り出して寝そべった。
未佳が首を傾げると、教室の戸ががらりと開いて、担任教師がやって来た。
生徒たちが各々席につく頃には、未佳も正面を向いていた。
その日、涼也はずっと机で眠っていた。