12.残り2億9千万と16日

文字数 3,421文字

 八雲と別れた後、僕は一度自宅へ戻った。その後、追跡がないか念入りに確認し、車で都内郊外へ向かう。指定してあった寂れた駅にて、予定通り佐々木と合流した。
 後部座席にボストンバックを放り込んだ後、佐々木が助手席に乗り込んだ。運転席でハンドルを回しながら、僕は先程の事情を説明する。
ある程度予想していたが、佐々木はどこか不機嫌そうだ。 
「……で。その助手には手を出さず、そのまま寿司食って普通に返したと」
 そう話す佐々木の口調は、いつにも増して乱暴だった。どうやら僕の判断が気に入らないらしい。僕は適当に言い訳をする。
「まだ僕が疑われていると決まった訳じゃないし。仮にあの助手を襲ったとして、それが発覚したら自分が犯人ですと自白してる様なものだろ。僕と彼女が一緒にいるところは、中央旅券事務所の防犯カメラにも映ってる訳だし……」
 佐々木が大仰に溜息を吐く。
「なんつーかさ。神沢さんって奥手だよな。あんま女とかに対しても積極的じゃねーだろ?」
「いや話の脈絡が解らない。犯罪行為と女性に積極的である事に何の関係が?」
「似たような話だぜ。何事も勢いが大事だ」
 頭の後ろに手を回しながら、佐々木は続ける。
「ま、助手の方はどうでもいいかもしれねーけど。でもあれだな、探偵の方はやっぱり早く殺しちまった方が無難だな。神沢さんからの連絡がおせーから、俺も昔の仲間から情報集めたんだよ」
「情報? なんのだい?」
「怪人シャーロック・ホームズ。西行寺探偵の情報だよ。あの探偵よ、調べれば調べるほど危険人物だぜ。シャーロック・ホームズって異名は伊達じゃねぇ。無駄に腕が良い分タチが悪い。警察があえて解決しない事件も、構わず手だしちまってるみたいなんだ」
「それは暴力団絡みの事件ってことかい?」
「ちげーよ。暴力団絡みの事件なんて、警察は普通に介入してくるよ。暴力団なんて可愛いもんだ。問題なのは、宗教絡みとか、政治絡み、外国絡みみたいな、そういう事件だ。内容によっちゃ、警察も触ろうとすらしない。でもあの探偵は関係ないみたいで、普通に解決しちまう。だから到るところですげー恨まれてるぞ。……まぁ、そういう事情もあるから、ここで殺しちまっても誰も不思議に思わないだろうな。俺、あの探偵は直ぐにでも殺したほうがいいと思うぜ」
 その提案に僕も異論はなかった。
 西行寺に恨みはないが、計画の妨げとなる可能性は摘んでおきたい。西行寺は帝陽銀行に毎日出入りしている。殺す機会に困りはしないだろう。
「そうだね。今度あの探偵と一緒に行動したら、連絡するよ。そういえば例のキャッシュカードの話はどうだい?」
 佐々木が後部座席に置いたボストンバックを、親指を立てて示す。
「言われた通り、毎日引き出し限度額の二百万円をATMで払い戻してるよ。三枚あるから毎日六百万円。四日で二千四百万円だな。錬金術みたいな勢いで金が集まって、笑いがとまんねーよ。普通に犯罪すんのが馬鹿らしくなるぜ」
 丁度、赤信号となり僕は車のブレーキを踏み込んだ。ハンドルから手を放して爪を噛む。
「……残り十五日だからね。計算上では九千万集まる計算だ。……そうなると残り二億円か」
 残り十五日。そして二億円。この数字が僕の双肩に重くのしかかる。
 助手席の佐々木が、ぼやく様に言う。
「二億円。二億円ねえ。普通に考えたら十五日で二億円なんて金額、宝くじでも当たらねーと無理だぜ。……なぁ神沢さんは、博打ってやったことあるか?」
「博打? 賭け事はあまり好きじゃないから、やらないけど……」
「ま、そうだろうな。賭け事と犯罪っていうのは割と似てるんだ。まだいけそう、まだいけそうで続けてると、必ずいつか負ける。だから勝ってる内に、止めた方がいいんだ」
「……君は何がいいたいんだ?」
「つまりだな。神沢さん、そろそろ諦めどきなんじゃねーのか?」
「諦めるって何を?」
「おめーの妹をだよ。俺達は半月でざっくり二億円集めてんだ。恐くなるぐらいの成果だぜ。……ここまでは運良く算段通り話が進んでるけどよ。これから先も上手くいくとは限らない。二週間で二億円集めるってのは、やっぱ難しいぜ。……ここから先はゆっくり稼いで、最後は二人で金を山分けすりゃいいじゃねーか。そんで後はその金で遊んで暮らせばいい。飲んで打って買ってりゃ、そのうち妹のことなんざ忘れるって」
 僕は何も言わず、佐々木を睨みつけた。
 車内に沈黙が満ちる。
 後続車からクラクションを鳴らされ、僕は視線を前に戻した。気がつけば信号は青に変わっている。僕が車を発進させると同時に、佐々木はお手上げと言わんばかりに手を挙げた。
「……いや、俺が悪かったよ。今の言葉は忘れてくれ。で、どうすんだよ。次は例の取付け騒ぎってやつをやんのか?」
「ああ、そう考えてるよ。爆弾はどうだ。手に入ったかい?」
「用意したぜ。後ろのカバンの中に現金と一緒に入ってる。使い方は後で教えてやるよ。取り付け騒ぎって、あの信用不安とかで皆が現金を下ろそうとするアレだろ? 具体的にどうやんだよ。現金輸送車を襲うのは分かるが、取り付け騒ぎなんて、どうやって起こすんだ? SNSで拡散して炎上でもさせっか?」
「いや、そこまではしないよ。今僕が考えている方法だけど……経営者の界隈でも有名な西行寺探偵、怪人シャーロック・ホームズを逆に利用するんだよ」
 一拍おいて、僕は続ける。
「怪人シャーロック・ホームズが調査で帝陽銀行に来ていて、帝陽銀行が経営破綻する恐れがある……って情報を、取引のある経営者達にSNSで流すんだ。西行寺探偵の評判を知っている経営者なら、それで動いてくれると思うんだけど……」
「俺はよくしらねーけど。会社の経営者とかって、SNSやってんのか?」
「IT企業の経営者なんかは、大抵、広報の意味もあって実名を出してやってるよ。僕が知っている社長なんかは結構やってる。とにかく大口預金先だけでいいんだ。上手く取り付け騒ぎが起きてくれれば、帝陽銀行千葉支店は本部から現金を輸送する。そこを狙うんだ」
 佐々木が首を捻る。
「……確かに怪人シャーロック・ホームズの名前が出れば、知っている人間は警戒すんだろうけど。そんな上手い事いくか? かなり運要素が強くねーか? その話」
「まぁね。当然匿名で情報は流すからリスクはないし。やるだけやって、駄目だったらその時はその時だよ」
「駄目だった時はどうすんだ? 代案はあんのか」
「そうだね。駄目だった時は―――――いよいよ、銀行強盗しかないかもね」
 僕は半分笑いながら、そう告げた。
 残り十五日、二億円。佐々木は難しいと言っていたが、銀行員の僕に言わせれば、かなり手の届く金額まで来たと思う。かなり歩幅が大きいものとなるが、後一歩だ。
 端的な話、二億円程度なら僕の勤務する帝陽銀行千葉支店に置いてある。銀行の預金窓口の奥に鎮座している、オープン出納システム。現金の入出金を管理している大型の機械である。中には、二億円程度の現金が収納されている。当然、現金を取り出すには権限を持つ人間のパスワードと鍵が必要だ。だが、これは何の問題もない。調査役という役職の僕自身が、その権限を持っている。強盗などに備え、銀行は常日頃から厳戒な防犯体制を敷いているため、近年において、銀行強盗の成功率はほぼゼロと言っても過言ではない。仮に現金を奪って逃げたとしても、百万円や二百万円が精々だ。
 銀行強盗は非常に厳しい犯罪と言えるだろう。しかし犯人が内部の人間、それも銀行内部の現金を管理する立場であったとしたら話は変わる。
 銀行強盗など容易い。でもこれは、最後の手段だ。やれば僕は警察から追われる身の上となる。目標金額は達成できるが、僕と花火は日常に回帰できない。切らずに済むなら、最後まで切りたくはない札だ。
「なぁ佐々木。一つ訊いてもいいかい?」
「あ? 改まってなんだよ」
「海外へ逃亡するとしたら、どこの国がいいかな? お勧めの国はあるかい?」
「んー……そうだな。やっぱタイとかがいいんじゃねーか?」
 それを聞いて、僕は内心で笑う。
 小説やドラマなどで犯罪者が海外逃亡する先として、よくタイという国が出てくるが。なんでタイなんだろうか。
 僕はそんな事を考えながら、車の運転を続けた。
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