15.残り2億円と14日

文字数 2,659文字

 その朝、僕は何時も通り出勤する。そして今日もJR千葉駅構内で西行寺に出くわした。
「やぁおはよう。神沢くん。どうしたのかな。なんだか眠そうだね?」
「……実は最近スマホのゲームにハマってまして。今日はちょっと寝不足です」
 西行寺の良く解らない牽制を適当に流し、僕は支店へ向かう。行員用出入り口で支店に入り、僕と西行寺が一階の営業室に入った時だ。背後から、聞き覚えのある声が響いてくる。
「――――西行寺探偵!」
 それは夏目警部だった。僕達を追い掛ける形で、夏目警部が駆けてくる。肩で息をしている夏目警部に、西行寺が口を開く。
「おはよう、夏目警部。どうしたのかな? そんな慌てて。何か事件に進展でもあったかな?」
 夏目警部が顔をあげる。
「その通りです。それがですね、昨日話に出た、佐々木太郎なんですが……」
「あぁ。私が動向を探ってくれと頼んでおいた指名手配犯か。それで、その佐々木が見つかったのかな?」
「はい。見つかりました」
「ほう。君達警察にしては珍しく仕事が早いじゃないか。それで、どこにいた?」
「……実は今朝、死体で発見されまして……」
「どういうことだ?」
 珍しく、西行寺は険しい顔になった。


 そのまま根城にしている応接室へと入っていく西行寺と夏目警部。警視庁の警部までやってきて、支店長も気が気でないらしい。支店長が若手の女性行員に、応接室へ珈琲を持って行くよう指示を出した。給湯室で来客用の珈琲を淹れている女性行員に声をかけ、僕は自分が持って行くと申し出る。すると目を瞬かせて、女性行員が言う。
「……神沢調査役。どうしたんですか? 何かあるんですか?」
 無理もなかった。基本的に来客時のお茶出しは、若手女性行員の仕事だ。僕の様な中堅の行員がやる仕事ではない。ましてや、代りを申し出るなんて不自然だ。
 構うことなく僕は適当に言い訳をして、珈琲を応接室に運ぶ。ノックして入ると、応接室の中には西行寺と夏目警部、そして八雲の姿もあった。入ってきた僕を無視して、夏目警部が状況を説明している。
「早朝に警察へ路上で人が死んでいると一一〇番通報がありまして。警察が駆けつけてその死体の身元を確認したところ、指名手配中の佐々木太郎であることが確認されました」
 西行寺が鋭い声を飛ばす。
「死因なにかな?」
「死体の損傷から察するに自動車による事故死か、鋭い刃物による刺殺のどちらかと考えられます。詳細は司法解剖の結果待ちですが……」
 西行寺の背後に控えていた八雲が口を開く。
「所持品はどうです? 何か進展に繋がりそうな物は、ありませんか?」
 ここで夏目警部が一枚のプリントを取りだした。
「ホトケがUSBメモリを持っていまして。その中に……どうも銀行の預金情報だと思うんですが、それらしいものが入っていたんですよ。神沢さん、これが御行のデータかどうか確認してもらえませんか? ……本当はこういうのって上を通してやるんですけど、お互い面倒でしょう? そういうの」
 夏目警部が僕にプリントを差し出してくる。それは名前、住所、生年月日。そして金額と思しき数字が羅列したリストだった。確かに一見すると預金情報らしき文字列だ。夏目警部の言う通り、本来なら当局から要請を受けた帝陽銀行本部が調査して解答するが……。
 ここにきて、そんなお役所仕事でも仕方がないだろう。プリントを受け取り、僕は応接室の内線電話で預金係の女性行員を呼ぶ。そして紙面に載っている名前の照会を頼んだ。何人分か照会し、紙面に印字された数字と同じものが預金情報から出てくれば、これが当行から漏洩したものであると確定できるだろう。
 …………。
 まぁ調べなくとも、僕はそれが当行から漏洩した情報であることを、知っているけども。何故なら、そのUSBメモリは僕が佐々木の死体に忍ばせておいたものだからだ。
 夏目警部が話を続ける。
「これが帝陽銀行の預金情報であると仮定して話を進めます。このUSBメモリには、それと一緒に、都内で活動する振り込め詐欺グループや、外国人強盗グループ、暴力団などの名前と連絡先の入ったテキストもありまして。……そうなると、ここから先は僕の想像になるんですが……」
 その話を遮って、西行寺が言葉を紡ぐ。
「つまり佐々木太郎は、この情報を反社会的組織に流していた可能性があると? 夏目警部は、そう言いたいわけだな?」
 夏目警部が頷く。
「はい、その通りです。このデータに入っている人間が、振り込め詐欺や侵入強盗の被害に遭う可能性があります。早急に手を打たないといけません」
「ふん。そう考えるのなら警察がやることは一つだろう。とりあえずデータに載っている住所に捜査員を張り込ませ給え」
「西行寺探偵、無茶言わないで下さいッ! データの総数は十万件以上あるんですよッ! このうち十億円以上の資産家だけに絞っても、それでも一千件近くあります。人員が足りなすぎます! ただでさえ昨今は、警察も人が減らされているんですよ!?」
 そう夏目警部が熱っぽく言うと、流石の西行寺も沈黙を返した。鉛のように重い雰囲気が応接室に満ちる。
 十万件以上の預金情報が反社会的組織に漏洩するなんて、未曾有の事件だろう。僕の想像になるが、警察の次の行動はUSBメモリに入っている反社会的組織の検挙に動くはずだ。
 西行寺の注意もそちらに向くだろう。仮に帝陽銀行の内部犯を探そうとしたところで、当行に勤務している行員は四千人近く。十分すぎるほどの時間が稼げるはずだ。
 僕が内心でそう考えていると、応接室にノックの音が響き渡った。そして先程、情報の照会を頼んだ女性行員が再び姿を見せる。女性行員からプリントを返してもらいながら、僕は訊く。
「どうだった? うちの預金情報だったかい?」
 沈んだ声色で女性行員が答える。
「……私の個人的感想になりますが。預金残高に多少の上下はありますが、当行が保有する顧客の氏名住所、普通預金の残高データに間違いないと思います……」
 その結果に西行寺と夏目警部は大きく溜息を吐いた。しかし八雲だけは変わらぬ調子で、どこか楽しそうに、
「あらら。これはまた随分と、大ごとになってきましたね!」
 そう白百合の様に微笑んでいた。


 残り二億円と十四日。 そろそろ終わりが見えてきた。
 あと、もう少しだ。遙か先にあった頂は、目と鼻の先まで来ている。
 残りを――――やりきるだけだ。
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