16.残り2億円と14日  

文字数 6,422文字

 ここから先は、駆け足で進めなくてはならない。十万件の預金情報と個人情報。それが反社会的組織に漏洩していることを警察と西行寺が認識した。つまり今なら、この十万件の中で発生した全ての事件の容疑を、反社会的組織に向けられる。反社会的組織に、全ての罪をなすりつけることができる。強盗をするなら、うってつけの機会と言えるだろう。
 残り二週間、そして二億円。以前、佐々木と強盗の下見をし、目星をつけてある事業所が幾つかあった。そこで保管されている売上金を盗むことが出来れば、残り二億円の獲得は十二分に可能である。問題があるとすれば、実行犯である佐々木を失った今、後はもう僕が手足を動かすしかない。それぐらいだ。
 JR千葉駅付近にある高級車販売店。いつもは銀行員として訪問しているが、今日の僕は泥棒として来ていた。黒い帽子に黒い手袋と、恰好も黒づくめである。
 道路脇から店の展示場を覗く。時刻は深夜十二時を回っているため、店内の照明は全て落ちていた。店内と周辺に人気はない。迷う事なく、僕は店の裏手にある従業員通路扉の前に立った。扉の脇にはセキュリティカードを通すパネルがあり、壁の上の方に警備会社のロゴの入ったシールが貼られている。
 佐々木曰く。この店の防犯は警備会社ありきで、非常にゆるく、扉の錠前も非常に簡易なものであるらしい。僕は意を決して、ポケットから佐々木に貰ったソムリエナイフの様な形のピッキングツールを取り出し、鍵穴に差し込む。佐々木から教えてもらった方法で扉を解錠する。 
 僕は何とも皮肉な気分になる。結局、僕は最初から最後まで自分が殺した男を頼っているのだ。酷い人間である。前に佐々木に言われたが、僕みたいな人間は早く死んだほうがいいと思う。
 そして僕は、勢いよく従業員通路の扉を開けた。扉の脇についていたパネルの光が、緑から赤に変わる。ここから先は時間との勝負だった。この時点で、何らかの理由で扉が開いたことを警備会社が把握しただろう。佐々木の情報によると付近にある警備会社の詰め所は、ここから車を走らせて二十分ほどの距離。つまり僕は、二十分以内に犯行を完遂しなくてはならない。
 しかし現金の保管してある金庫の場所と、それを開けるための鍵が入っているロッカー。そしてそのロッカーの暗証番号を知っている僕なら、十分もあれば余裕だ。
 この事業所の経営者は僕を恨まないでほしい。僕ではなく、訪れた銀行員の前で、何の警戒もなく暗証番号を叩いて鍵を取りだし、売上金を扱っている担当者を呪ってくれ。
 足音に構うことなく、僕は黒く冷たい廊下を疾走する。何度か訪問したことがあり、建物の内部構造は把握していた。迷うことはない。
 この高級自動車販売店が取り扱っている主力商品の自動車は、一台一千万円ほど。そこからオプションをつけると値段が跳ね上がり、最高グレードで二千万近い値段となる。目が飛び出るような値段だが、それでも月平均で十台は売れている。そして十二月は繁忙期で、平均以上に売れる時期であった。融資取引のある事業所のため、その程度は僕も把握している。そもそも決算書を見れば誰でも分かる情報だった。
 そして驚くことに、世の中には高級車を購入する際に、わざわざ現金で支払う人種が存在する。間違いなく振込の方が安全であるにも関わらず、銀行の窓口で一千万、二千万という現金を下ろし、それを持って自動車販売店に行き支払いをするのだ。
 当人達は振込手数料がもったいないから……などと言うが、間違いなく金持ちの見栄である。資産を誇示し、自動車屋の営業の嬌声を聞きたいのだろう。その様な理由もあり、この事業所には多額の現金が保管されているはずだった。二億円保管されているとは考えにくいが、運が良ければその半分はあるかもしれない。
 黒塗りの高級車が置かれた展示場にさしかかると、天井の方から鋭いアラームが鳴った。防犯アラームが侵入者を検知したのだろう。残念ながら、この付近に住宅街はない。事業所の多いビル街であり、深夜になると周辺の建物は大半が無人となる。このアラームで人が駆け付けてくる可能性は低い。
 構わず僕は駆ける。展示場の奥にある事務所の扉を手斧で破壊して中に入る。隅にあるロッカーのパネルを叩いて暗証番号を入力すると、簡単にロッカーが開いた。中から鍵を取りだし、次に僕は建物の二階を目指す。現金が保管されている金庫は二階にある所長室だ。
 気がつくと僕は息が上がっていた。こんな事なら、スポーツジムにでも通っておけば良かった。日頃の運動不足を呪いながら、僕は階段を駆けて昇る。
 二階、所長室。躊躇う事なく、僕は木製の扉を手斧で破壊。中に侵入する。目的の戸棚を手斧で壊し、中に収まっていた大型の金庫を露出させた。鍵を差し込んで回すと、何の問題もなく金庫の重厚な蓋が開く。そして、そこに収められている布袋を確認する。想定していた通り、中には帯付の現金が沢山入っていた。
 僕は思わず、ほくそ笑む。あまりにも順調で、計画通りだった。僕は元々犯罪者ではない。ついこの間まで全うに生活していた一般人で、犯罪とは無縁の世界で生きていた。僕にとって、強盗とはニュースや映画の中の話であった。だから僕は、強盗というものが、こんなにも簡単にできるものだとは知らなかった。犯罪者として生きていた佐々木の気分が、今なら少し分かる。多額の現金を手にし、僕は思う。こんなにも簡単に多額の現金が手に入ると、普通に勤めて働くことが、本当に馬鹿らしく思えてきた。
 気がつけば、僕は声を出して笑っていた。首を左右に振って冷静を努める。腕時計を見て時間を確認すると、侵入からまだ五分しか経っていない。時間は非常に余裕があった。
 日常の仕事も、これぐらい余裕を持ってやりたいものだ。
 目的は達成した。もうここに留まる理由はない。後は一秒でも早く、ここから逃走するだけだ。
 僕は現金の入った布袋を背負い、元来た通路を戻っていく。しかし、そこで僕は違和感に気づく。一階で、けたたましく鳴り響いているアラーム。その騒音の中に、革靴が床を叩く音が混ざっていた。慌てて僕は階段の脇に身を潜める。
 誰か、いる。
警備会社の人間だろうか? それにしては早すぎる。
 断続的に響く足音。残念ながら、聞き間違いではなさそうだった。僕は隠れながら一階の暗闇を窺う。
 すると突如、下から低い声が響く。
「――――誰だかは知らないが。また随分と派手にやってくれたものだねえ」
 その声に、僕は心臓が鷲掴みにされる様な錯覚を感じた。聞き覚えのある声。紛れもなく、西行寺のものだ。
 おかしい。意味が解らない。どうして西行寺が此処にいるのか。
 この事業所は漏洩した預金情報の中の一先だ。単純に計算すると十万分の一である。まぐれでも考えにくい確率である。
 僕のその内心を読んだかの様に、西行寺が言葉を紡ぐ
「――――先日、千葉支店の行員と面談した時に法人営業部の一人から、この事業所の名前が出てきたのさ。ここなら簡単に強盗できて、かつ沢山の現金を入手できそうだってね」
 疑問が氷解する。この事業所の担当者は、別に僕だけに特別だった訳ではない。警戒することなく、他の行員の前でも現金の出し入れをしていたのだろう。
 犯人であると特定されない様に、僕以外にも知っている情報を中心に強盗に入る先を選んだが、逆にそれが仇となった様だ。
 もう渇いた笑いしかでない。この西行寺の犯罪を追いかける嗅覚には脱帽だ。怪人シャーロック・ホームズの異名は伊達ではないのだろう。
 革靴の音の中に、ステッキが床を叩く音が混ざりはじめる。西行寺は変わらぬ調子で言う。
「――――悪いが、私に隠れんぼなんて趣味はなくてね。さっさと出てきてもらえないかな? どうだろう? 君だって痛い思いはしたくないだろう? 諦めて出てきてもらえれば痛い思いをせずに済む。……まぁ警察に行ってから、沢山痛い思いはするだろうけどね」
 何をふざけたことを……。
 僕は歯を食いしばる。腕時計に目を落とす。気がつけば、侵入から十分が経過していた。
 時間がない。このままいくと、もう直ぐ警備会社の人間や警察が駆け付けてくるだろう。一階の様子を窺う限りでは、相手は西行寺一人。他に誰もいないことだけが不幸中の幸いだ。
 西行寺と思しき人影は、一階をぐるりと一周した後、やがて階段を昇りはじめた。僕が潜む方へと、やってくる。
「――――そういえば一つ訊いておきたいのだが。君の動機は何なんだろう? これだけの荒事をやってのけているんだ。愉快犯ではないのだろう? 何かもっと、非常に強い動機があると思うのだが……」
 一歩。また一歩と、西行寺が距離を詰めてくる。
「――――どうでも良い話だが。君は推理小説で言うところのフーダニット、ハウダニット、ホワイダニットという話を知っているかな? 平たく言えば推理小説の種類さ。犯人は誰か、どうやって犯行に及ぶのか、何故犯行に及んだか、のことだね。……探偵の私からすれば、この事件はフーダニット、犯人は誰か? という話になる訳さ」
 理解できない話を呟きながら、西行寺の声と足音が、僕に近づく。
「――――そんな風に考えていくと、君からすればこの話は、倒叙小説になるのかもしれないね。でもどうだろう? 本当にそうなのだろうか? もしかしたら、この事件は君にとっても――――フーダニットなのかもしれないね?」
 西行寺は、何を言っているんだ?
 理解できない。もしかすると隠れている僕を混乱させるのが目的で、特に意味はないのかもしれない。いずれにしてもこれは機会である。相手は西行寺一人。間違いなく、ここで脱落してもらうのが得策だろう。手斧を握る手に、僕は力をこめる。
 ……神沢さん。アンタ人を殺したことはあるのか? 以前に佐々木からされた、そんな問いが僕の脳裏を過ぎる。
 僕は既に殺人を犯している。相手が極悪の犯罪者であったため、良心の呵責はあまりなかった。しかし僕が今殺そうとしている相手は犯罪者ではなく一般人だ。僕は、やれるのだろうか。そこまで考えて、僕は自嘲気味に口元を吊り上げた。やれるとか、やれないとか、そんな話ではない。
 僕は、花火のために、やるのだ。花火のためなら、何人だって殺してやる。
 近くで、西行寺の息づかいが聞こえた。僕の目前の暗闇が揺らめく。僕は手斧を持つ手を頭上に挙げる。そして視界が、動く人影を捉えた。暗がりのためよく見えず、それが西行寺であるとは断定できない。しかし相手を確認している余裕もなく、僕は胸中で雄叫びをあげて襲いかかった。
 威力をもった手斧が床を抉った。残念ながら肉を抉る感触はない。手斧を振り下ろした姿勢の僕の頭上から、西行寺の声が降ってくる。
「――――おいおい。随分と凶暴な犯人だな。狙いは、ちゃんと定めないと駄目だろう?」
 刹那、頭部に衝撃を感じた。何かで殴られたが、暗がりで視認できない。その痛覚に、思わず声を上げそうになる。しかし寸で僕は喉元まで出かかっていた悲鳴を呑み込んだ。
 暗がりで相手が確認できないのは西行寺も同じのはずだ。ここで声を出してしまっては、犯人が僕であると気づかれてしまう。必死に声を押し殺し、痛む頭を抑えながら僕は顔を上げる。
 目前に人影が見えた。
 その人影が肩を引き、僕に向かって掌打を繰り出してくる。それに右肩を殴られ、僕は嫌な音を感じた。アイスピックで氷を割るような、そんな音が体の中に響く。
 耐え難い激痛が走った。僕は思わず手斧を落とし、よろめいて後退。瞬間、僕の身体から重力が消失した。そして浮遊感。その理由に気がついた次の刹那、僕は階段から転がり落ちていた。派手に階段を滑落する。
 思わず呼吸が止まる。大きな衝撃と痛みを感じ、再び瞼を開けると僕は一階の床にいた。僕は全身全霊をもって起き上がる。軽い脳震盪を起こしているのか、視界が霞んでいる。しかしまだ身体は動いた。こんなところで捕まる訳にはいかない。幸いなことに西行寺との距離は開いていた。足下に落ちていた現金の布袋を拾い上げ、僕は全力で逃走する。激痛に歯を食いしばって耐え、僕は駆ける。
 展示場から細い関係者用通路に入る。カー用品が陳列してある通路脇の棚を引っ掴み、僕は床に倒していく。これで西行寺の追跡は、少し時間が稼げるはずだ。
 僕は必死に走る。そして建物から出ようとした、その時だ。僕の後ろ髪を引くように、西行寺の声が響く。
「――――逃げる気かな? それよりも君、さっき骨が折れる気持ちの良い音がしたが、大丈夫かね? 朝までに治ると良いな」
 その言葉に応じることなく、僕はこの場を後にした。外に出て、用意してあった原付スクーターに乗った。エンジンを掛けてスクーターを走らせ、自動車では到底通行できないビルの狭間を駆け抜ける。予め考えおいた逃走用経路だった。
 見えない恐怖から逃げるようにスクーターを走らせること、二十分ほど。後ろから何かが追い掛けてくることもなく、僕は安堵の息を吐いた。
 一時はどうなることかと思ったが、逃走に成功した様だ。付近にあったコンビニにスクーターを止める。真夜中のコンビニの駐車場。当然、人の姿は見当たらない。
 緊張の糸が切れ、全身から力が抜ける。胸を撫で下ろしながら、僕はスクーターから下りた。と、そこで肩に激痛が走り、僕は思わず小さな悲鳴を上げる。
 ここで僕は自分の身体の異変に気づく。右肩が思う様に動かない。少し思考を巡らせて、僕は状態を把握した。恐らく右肩を骨折している。
 そしてようやく、僕は西行寺の言葉の意味を理解した。
「―――――くそッ!?」 
 このままだと詰みであると、僕は気づく。僕が犯人であると、判明してしまう。
 犯人の骨が折れたことを西行寺は把握している。骨折は一晩で治るものではない。この状態のまま出勤すれば、僕が犯人であると自白するようなものだ。このタイミングで病欠は不自然すぎるし、仮に休んでも一日や二日で骨折は治らない。つまり僕は、自分が犯人であるという隠しようのない痕跡を、残してしまったのだ。
 激痛と絶望に襲われ、僕はコンビニの駐車場に座り込んだ。
 どうすればいい。このままでは明日の朝、西行寺と顔を合わせた瞬間に終わりだ。何か方法を。この危機を脱する術を、考えなければならない。考えろ。とにかく考えるしかない。
 僕がアスファルトの上で胡座をかいて唸っていると、コンビニの自動扉が開く。そして中から明らかに出来の悪そうな若者が出てきた。金髪のリーゼント、そして耳には沢山のピアスがついている。誰がどう見ても典型的な不良だった。もしかしたら佐々木と同じ人種かもしれない。
 その不良が僕に気づき、声を掛けてくる。
「おい、おっさん。こんなとこでどうした。なにやってんだよ。大丈夫か?」
 僕は思わず噴き出した。オヤジ狩りにでも遭うかと身構えてしまったが、見た目とは裏腹に優しい若者らしい。
「……いいや。僕はちょっと、駄目そうなんだ」
 僕が皮肉げにそう言うと、若者が軽快に応じる。
「良く知らねーけど。おっさん、あんま無理すんなよ。人間、死ぬ気になれば大抵のことは何とかなっからよ」
 そう言い残して、コンビニのビニール袋を片手に若者が去っていく。人は見かけにはよらないな……と思いながら、僕は骨折した肩を抱いた。
 今の若者の言葉を、頭の中で反芻する。
 人間、死ぬ気になれば大抵のことは何とかなる。
 死ぬ気になれば、ねぇ。
 僕はもう一度、打開策を考え、そして思いついた。

 そろそろ――――爆弾の出番かもしれない。
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