17.BANG!

文字数 2,654文字

 一晩経つと、骨折した肩は悪化の一途を辿っていた。市販の鎮痛剤を飲んでいるが、それでも目眩がする様な激痛である。額から脂汗が止めどなく噴きだしていた。
 早朝、僕はタクシー呼び、帝陽銀行千葉支店へ出勤する。西行寺との遭遇を回避するためだ。それに、こんな病態で朝の通勤ラッシュを乗り越える自信もない。僕はいつもより早く千葉支店へ着いた。そして手早く、やるべき事を終える。難しいことなんて、何もなかった。誰にも目撃されない様に、帝陽銀行千葉支店の郵便受けに小包を置くだけだ。あとはいつも通り、過ごせばいい。周囲に骨折を悟られぬ様、涼しい顔をしているだけで良かった。この激痛にも、後もう少しだけ耐えればいい。
 後から、通常通り出勤してきた同僚達。いつも通りの挨拶を交わしながら、僕は二階の法人営業部に向かう。棚から仕掛中の稟議書を取りだし、僕は自分の机に並べる。
 ここで僕は良いことを思いつく。
 良い機会である。
どうせ、爆発させるなら。
見られたら不味い書類も、処分しておこうと思う。そう考えて僕はロッカーや金庫室に隠していた、表に出ては不味い書類を持ち出し、合わせて机の上に出す。
 と、一階から若い女性行員が郵便物を抱えて二階に上がってきた。そして彼女は法人営業部の机の島に来て、口を開く。
「あのー、すいません。なんか法人営業部宛に小包が来てるんですけど」
 僕は視線も合わせず応じる。
「……あぁ。たぶん電話で頼んでた保証会社の申込書類だと思うから、その辺りに適当に置いといてよ」
 特に疑うことなく、その女性行員は僕に言われた通り、誰も使っていない机にその小包を置いて去っていく。僕は今の自分の発言を改めて考え、思わず笑ってしまう。
 小包は新聞ではなく郵便物だ。それが朝に届くはずがない。少し考えれば、その小包が不審物であると気づくと思うが……幸いなことに、そこまで頭の回る人間は、この場にはいなかった。
 西行寺の姿は、まだない。昨日、一昨日と同じ時間であるとすれば、あと五分ぐらいで来るだろう。
周囲では同僚達が、缶珈琲を飲みながら本日の仕事に着手しはじめていた。僕はそれを、まじまじと見詰める。これから全員まとめて吹っ飛ぶことを考えると、中々感慨深いものがあった。
 僕が腕時計を見ると、残り時間は一分を切っていた。
 その小包の内容物について、佐々木からの説明は酷く簡単だった。頭の中に、佐々木の言葉が甦る。

 ――――所謂C四、プラスチック爆薬だな。使い方も幼稚園児が扱えるぐらい簡単だぜ。中に目覚まし時計が入ってる。そのアラームをセットすると、音が鳴るかわりにバンだ。使う場合は半径五メートルは離れろよな。二メートル以内にいた場合は命の保証はできない。まーよくよく考えたら、二メートル以上距離をとっていても命の保証はできねーから、随分とまぁ、くだらねー話だったな。

 ……そうだね。ゴミみたいな話だね。
甦った佐々木の言葉にそう応じて、僕は目を瞑る。
「あ、神沢調査役。おはようございます!」
 と、ここで聞き慣れた声に挨拶され、僕は振り返る。そこに立っていたのは桜木だった。
 残り三十秒。桜木の立ち位置は、僕よりも不審物と近い。下手をすれば、不審物から半径二メートル以内だ。
 咄嗟に思考を介さず、僕の喉を経て言葉が出る。
「……おはよう桜木。朝から申し訳ないんだが、一つ頼みがあるんだ。一階の自販機で珈琲を買ってきてくれないか? 眠くて死にそうなんだ」
「分かりました。ちょっと行って買ってきます!」
 僕が百円硬貨を渡すと、桜木は嫌な顔一つせず、一階にある自動販売機へと歩いて行った。
 桜木は僕の部下である。部下を守るのは、上司の仕事の一つだからね。そんなことを考えながら、僕は桜木の背を見送った。
 もう時間だった。これでようやく病院にいける。肩の負傷も治療してもらえるだろう。
 安堵の息を吐きながら、僕は目を閉じた。

 そして世界が――――目映い光に包まれた。
 天地が、ひっくり返る。
 バグったゲームの様に世界が混ざり、全てが止まる。


 激痛が僕を、ほの暗い闇の底から引き上げる。
 僕は瞼を開いた。目前の光景に、一瞬、僕はどこか異国へ来たか様な錯覚を感じる。一言で言えば、営業室は地獄絵図となっていた。爆弾の置かれていた机はひしゃげて潰れ、煙を上げていた。吹き飛び、黒く焼きただれた机。変形して床に転がるロッカー。そして同僚達が、死屍累々と転がっていた。到る所から、うめき声があがる。
 ある者は出血して血溜りを作り、ある者は頭部が陥没している。地獄としか言い様のない光景だ。
 僕は声をあげようとした。しかし肺から息が吐けず、声が出ない。そして身体も動かなかった。間違いなく負傷箇所が増えている。
 ……狙い通り、上手くいった。これで、とりあえずは。僕の昨夜の骨折を隠蔽できたはずだ。僕が犯人であると、まだ特定できないはず。
 どこからか聞こえる女性行員の悲鳴。そして視界の隅の方では、支店長が怒号を上げていた。
「救急車と警察だ! その後、本部に連絡を入れろ! 店のシャッターは上げずに、誰か店の前に立って、客は全部近くの僚店へ誘導しろ!」
 その支店長の指示を聞いて、僕は苦笑する。
 なんだ支店長。いつも部下のノルマを詰めることしかしない癖に、案外、非常時は有能じゃないか。
 建物のスプリンクラーが作動したらしく、床に向けて散水をはじめる。ここで僕は視界の中で、スプリンクラーの雨の中に佇む男を見つけた。
 茶色い背広姿の男で、英国紳士の様なステッキを床についている。怪人シャーロック・ホームズこと、西行寺久叉である。
 いつになく険しい顔で西行寺は、僕の方を、この惨状を見渡していた。
 そして西行寺が独りごちる様に言う。
「……まさか、ここまでやるとは思わなかった。ここまでして捕まりたくないかね」
 西行寺の隣に立つ八雲が半眼となって、顎に手をあてる。
「うーん。貴方が犯人の骨を折ったというから、これで終わりだと思っていたんですけど。残念です!」
 西行寺が踵を返した。数秒遅れて、八雲も髪を揺らしながら回れ右をする。
 立ち去る二人の背中に向け、僕は内心で言い放つ。
 ――――どうだ西行寺。僕を捕まえられるものなら、捕まえてみればいい。
 次の瞬間、僕は耐え難い激痛に襲われた。
 そして電源が落ちたゲーム機の様に、意識を失う。
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