5.助手:八雲園子①

文字数 5,978文字

 ゆるやかな昼下がり。今日は五十日でもなく、帝陽銀行千葉支店の客足は途絶えていた。
 内情を知らない人間が見れば開店休業に見えるだろう。しかし収益性の高い顧客については営業が訪問して対応しているため、何の問題もなかった。むしろ僕からすると、窓口に誰も来ない方がありがたい。
 帝陽銀行千葉支店二階の融資窓口。僕が自分の机で不動産担保の書類を作っていると、窓口でソプラノの声が響く。
「あのー、すいません!」
 気がつくと融資窓口に人影があり、来客の様だ。生憎、融資窓口の担当者は席を外しているらしく姿がない。来客の対応を桜木に任せようとして、僕は隣の席を見る。しかし残念なことに、桜木の姿もなかった。昼食へ行ったのかもしれない。営業室を見回すと、驚く事に僕以外の全員が出払っていた。
 僕は内心で舌打ちしながら窓口に出る。
 来客の風貌を改めて見て、僕は怪訝に思う。融資窓口に立っていたのは、高校生ぐらいの少女だった。その風貌は、短く揃えたおかっぱに白いワンピース。身長は妹の花火と同じぐらいだろうか。年齢も恐らく同じぐらいで、百合の様に可憐な少女だ。イメージガールとして当行本部が雇ったモデルと言われたら、たぶん僕は信じるだろう。
その少女は、どこか眠そうな半眼の瞳を僕に向けてきている。
 平日のこの時間、それも銀行の融資窓口に少女が来るなんて明らかに変だ。
 僕が要件を訊ねると、少女が顔の右半分だけで微笑む。
「実は融資の相談で伺ったんですが……」
 どうやら一階の預金窓口と間違えて、二階の融資窓口へやってきた訳ではない様子だ。当然、未成年に融資なんて出来ない。しかし大口顧客の身内などの可能性もあり、僕は不思議に思いつつも話を聞くことにした。
「実は私、興信所の様な仕事をしておりまして。会社で少しお金を借りられないかな―と」
「なるほど。失礼ですが、社長ですか?」
 そう聞くと、少女は首を左右に振る。
「いいえ。私は代表ではなく、助手みたいなものでしてー。あ、それと決算書ってやっぱり必要ですか? 一応持ってきてはいるんですけど」
 決算書とは、貸借対照表と損益計算書からなる会社の財務諸表のことだ。平たく言えば会社の業況が解る書類である。事業性融資において、金融機関はこの決算書を元に審査をして融資の可否を決定する。
 僕が首肯すると、少女は鞄から決算書を取りだし差し出してきた。受け取って僕は一読する。業種はサービス業。年商二十億円。経常利益は八億四千万。業況はかなり良い。流し見た限りでは決算書に不審な点もなかった。十分に貸せそうだ。
 ……強いて言えば、この少女自体が不審というぐらいか。
 決算書は少女が持ち歩くような書類ではない。
「融資のご相談というお話ですが、具体的にはどの様な?」
「えっとですね。実は今度、社員で車の旅行に行こうと考えてまして。そこで車を買うお金を借りられないかなーと」
 屈託ない口調で、そう資金使途を述べる少女。
 車両の購入。通常であれば設備資金での融資申込となるが……。
 僕は呻く様に応じる。
「……すみません。決算書を拝見させて頂く限りでは、業況も良いですし、融資が必要だと思えません。普通に会社の利益から購入されれば良いのでは? 何か事情でも?」
「あー、まぁ確かにその通りなんですけど。実際のところ融資の必要はあまりないんです。ただ、なんて言いますか。社会経験として銀行からお金を借りるって、ちょっと体験してみたいかなって思いまして。なんか面白そうですし」
 僕は内心で笑う。
 珍しい思考の持ち主だ。経験として、面白そうだから借りてみる。そんな借入動機は、僕も初めて聞いた。笑える冗談だ。妹と同じぐらいの少女を相手するのも、悪い気分ではないが……僕もあまり遊んではいられない。
 僕は苦笑しながら、決算書を閉じた。そして嘆息する。
「なるほど。何にしても、もしも本当に融資を申込頂けるというのであれば、一度社長とお話したいです。次は社長にご来店頂ける様、伝えて頂いてもいいですか?」
 すると少女が、目を瞬かせた。そして口元を抑える。
「あれ。社長というか代表なら、もう御行を訪問していると思いますけど。昨日、来ませんでしたか?」
 言葉の意味が解らず、一瞬固まる。少し考えて僕の中で一つの推測が生まれた。
 改めて僕は、少女が持ってきた決算書に目を走らせる。
 決算書に印字されている社名。僕としたことが、どうして会社名を確認しなかったのか。そこには何度読んでも、間違いなく、西行寺探偵事務所と書かれていた。
 僕は絶句する。
 そしてカウンター越しの少女が、ようやく名乗る。
「はじめましてっ! 私の名前は八雲(やくも)園子(そのこ)と言います! 昨日から調査に入っている西行寺探偵の助手をしています! 融資の相談というのは嘘です。ごめんなさい! 今日から私も調査に入りますので、よしなに」
 そう明るく元気に告げる少女、八雲園子。
 何が調査だ。
高校生の課外学習、地元の仕事体験会の間違いじゃないのか?
 僕が内心でそう呻いていると、八雲園子が百合の様な微笑みを浮かべた。
 支店長室で爪を切っていた支店長に事の顛末を報告。
すると支店長は大きく嘆息し、
「あぁ、聞いてるよ。さっき常務から電話があった。来たのは八雲とかって女子高生だろう? 西行寺探偵の助手らしい。西行寺探偵と同じ扱いで構わない。丁重に扱ってくれ」
 と言った。
 僕は戸惑う。
「……本当にあの子どもが、西行寺探偵の助手なんですか……?」
「常務が言うにはそうらしい。まぁ後は神沢調査役に全部任せるよ。子どもだが、どこで誰と繋がっているか解らない。くれぐれも粗相のない様に頼む。後の詳細は西行寺探偵にでも聞いてくれ。俺も解らん」
 僕に仕事を丸投げしてくる支店長。
 この支店長は面倒事を全て部下に丸投げするタイプだ。あまり能力の高い人間ではなく、上司への胡麻摺りだけで出世した典型である。ふざけやがって。
 仕事を諦め、僕は八雲の対応をする。
「あのー、すいませんが。お願いしたい事がありまして。調査で銀行の書類を見たいのですが。幾つか用意して頂いてもいいですか?」
 八雲はそう可愛く言って、本日処理した手続きに関する全ての書類と各種規定、取扱要領を要求してきた。可愛い風貌の少女だが、要求してきた書類は全然可愛くない。
 八雲曰く、帝陽銀行にどういう書類があるのか解らないので、まずそれを把握するところから始めるらしい。
 金融機関の仕事は主に事務仕事であり、その書類の数は膨大である。書類を用意してくれと簡単に言われても、準備する方は大変な労力だ。間違いなく仕事が滞る。銀行は定期的に入る金融庁検査などでも、膨大な書類の準備を強いられる。準備しろという側は言うだけかもしれないが、用意する側は容易ではない。
 八雲が要求してきた書類の用意を、僕はテラーの女性達に振る。仕事を増やされ、怨み辛みの愚痴を吐く女性達を尻目に、僕は二階の法人営業部に戻った。
 その後、八雲の昼食がまだという事で、僕が同行する羽目になる。
「どうします? 和食だとか、何か食べたいものはありますか?」
 僕がリクエストを聞くと、八雲が微笑む。
「何でもいいですよ! ジャンクフードで無ければ!」
 いや全然、何でも良くねぇし。
 そう思うが、僕はあえて突っ込まない。



 銀行や信用金庫、郵便局などの外回りは仕事柄、地域に詳しい。なので、これらの職員がいつも昼食を食べに来ている飲食店は当たりの可能性が非常に高い。
 僕も外回りの営業だ。旨くて安い店なら幾つか知っているが……どこも女の子と行くような店ではなかった。
 散々迷い、結局僕は取引先の和食屋にした。店員にランチを注文したところで、僕は内心の疑問を切り出す。
「失礼ですけど。八雲さんは未成年ですよね? どうして探偵事務所の助手を? 学校はどうしたんですか?」
 八雲が半眼になる。
「神沢さん。私には敬語でなくて大丈夫ですよ。お察しの通り、私は神沢さんより年齢は大分下です。年上の方に敬語を使われるというのも、何だかやりにくいですし。だから、もっと乱暴な言葉遣いでも平気ですよ! 年功序列ってあるじゃないですか。そういうのを守った方が、社会というのはやはり上手く回ると思うんですよね。私は」
 願ってもない申し出だった。僕としても、妹と同じぐらいの年齢の子に敬語を使うのは歯がゆい。
 八雲が続ける。
「なんだったら言葉だけではなく、もっと乱暴に扱って頂いても私は構いませんよ……?」
 意味が解らない。
 僕は無視して先程の質問を繰り返す。
「それじゃあ言葉に甘えて敬語はやめるよ。それで八雲ちゃんは高校生ぐらいに見えるんだが。学校はどうしたんだ?」
「学校ですか? 勿論、高校に通っていますよ」
「今日は平日だろ。学校へ行かなくて大丈夫なのか?」
「ご心配なく。そこはお金で解決していますから。裏口入学って言葉がありますが、それと同じように、裏口卒業ってものが世の中にはあるのです」
 自信満々な様子で、そう胸を張って言う八雲。
 裏口卒業。文字通り金を払って非正規ルートで学校を卒業する荒技だ。僕も話だけは聞いたことがある。
 さすがは西行寺探偵の助手をやっているという少女だ。明らかに普通ではない。
 いやいや、学校通えよ……と思いつつ、僕は応じる。
「確かに、金があればどうにかなるのかもしれないけど。でも学校は通った方がいいよ。友達は作っておいた方がいいと思うし。やっぱり高校生活っていうのは、今しか出来ないことだと思うし」
 そう苦言を呈すると、八雲が肩を竦める仕草をする。
「高校生活なんてどうでもいいです。要らない友人を増やしても意味はありません。探偵事務所で助手のバイトをやっていた方が、ずっと面白いです」
「なるほど。八雲ちゃんは西行寺探偵事務所でバイトしてる感じなんだ。しかし、なんでまた探偵のバイトを選んだんだ? アルバイトなら、もっと他にも普通のやつがあったろうに」
「普通の仕事をしていても、面白くありませんので」
 それを聞いて、僕は苦笑した。
 既視感を覚える。
普通が面白くない。普通の仕事をしたくない。毎日満員電車に乗って通勤する様な、サラリーマンには死んでもなりたくない。僕も高校生の頃は、そんな事を考えていたような気がした。
 やがて店員が注文したランチを運んできた。雑談しながら、僕達は食事を口に運ぶ。
 すると突然、八雲が僕に死球を投げてきた。
「神沢さんは、どうして仕事をされているんですか? どうして銀行に勤めているんですか?」
 労働は国民の義務であるが、それ以前に人は働いて金を稼がなくては生活できない。当然の話だ。それとも何か、これは哲学的な質問なのだろうか。
二十秒ほど考えて、僕は答える。
「……世間体もあるし。それに何よりも、働いていないと格好悪いだろ?」
「格好が悪いですか? そう考えるという事は、神沢さんは誰かに格好良いと思われたいという事ですよね? それは誰ですか?」
「そうだね。強いて言えば妹かな」
 少し言いにくいが、そう答えるのが最も妥当だろう。僕に他の家族はいない。
「妹様ですか。ふふっ、凄く面白い回答ですね」
「そうかな。僕は別に普通だと思うけど」
「普通なら例えそれが本音でも、シスコンを疑われるから、そんな回答はしないと思いますけど……」
 正論すぎて、ぐぅの音もでない。
 僕が黙っていると、八雲が続ける。
「神沢さんは妹様が好きなんですか?」
「あぁ、好きだよ。勿論家族としてだけど。……なんか随分と、僕の妹にこだわるね」
「個人的な興味ですよ! なので特別な意味はありません! 神沢さんは、妹様やご両親と一緒に住まわれているんですか?」
「……妹と二人かな。両親は二人とも死んだよ。僕が学生の頃の話かな」
 八雲が頭を下げる。
「これは失礼なことを聞いてしまって、すいませんでした」
 もう随分と昔の話だ。僕と花火の両親は交通事故で他界している。何の特殊性もない、どこにでもある普通の死亡事故だ。
 八雲が話を変える。
「ところで。西行寺の方から、私達が調べている件については聞いていますか?」
「例の告発メールの話かな? 聞いてるよ」
「その件なのですが、神沢さんはどう思われますか? 銀行の内部の人間が顧客情報を流出させている……といった話ですが、神沢さんの所見を伺いたいです」
「僕は、考えにくいと思うよ」
「何故です? どうして、そう思いますか?」
 僕は嘆息。そして説明を始める。
「もしそれが本当なら銀行員の不祥事件になるんだが……銀行員が犯罪者に情報を流し、それで事件を起こしているなんて話は聞いたことがない。確かに金融機関の不祥事件なんて山ほどあるが、前例がないと思う。前代未聞だ」
「前例がない、というのは考えにくい理由にはなりえません」
「確かにそうだが。そもそも銀行員にはそんな犯罪をやるメリットがないと思う。銀行員が横領だとか着服をする動機というのは大概、経済的な困窮が動機なんだ。借金の返済に困って、顧客の金に手をつけてしまう……というのが大体のパターンだろ。遊ぶ金ほしさだとか、そういう動機で犯行に走る銀行員はあまりいないと思う。職業柄、堅い人間が多いからな」
「仰る通りですね。それは同意します。近年国内で起きた金融機関の職員の不祥事件を調べると、大概がそのパターンですね」
「仮の話だが。銀行員が借金の返済に困って犯罪に走るとする。一千万円ぐらいほしいとしよう。……普通に考えて、それなら顧客から預かっている一千万の定期預金に手を付けた方がてっとり早いんだ。わざわざ犯罪者を通す必要性がないと思うし、その方がリスクも高い」
「……なるほど。難しいですね。多少の金額であれば犯罪者を通さず、直接自分で顧客の金に手をつけたほうが早いと。確かに、それは一理あるかもしれませんね。……でもどうなんでしょう。もしも犯人が求めているのが多少の金額ではなく、それこそ十億や二十億という金であるのなら、あるいは……」
 最期の方は、八雲の独り言の様だった。特に返答せず、僕は食事を口に運ぶ。食事を終えた僕は、ナプキンで口を拭きながら言う。
「食後で珈琲頼むけど。八雲ちゃんも何か頼む?」
「あっ、私はメロンソーダでお願いします!」
 ここは和食屋だ。メロンソーダなんて、あるだろうか。
そんな事を考えつつ、僕はテーブルの店員呼び出しボタンを押した。
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